出産や育児を機に、女性が希望するキャリアから外れ、昇進や重要な業務から遠ざけられる現象——それが「マミートラック」である。
日本では育児休業制度の整備が進む一方で、復職後の女性が直面するキャリアの停滞は依然として深刻な課題だ。特に正社員として働き続ける女性の割合は増加傾向にあるものの、昇進や賃金面での格差は根強く残っている。
本記事では、マミートラックの言葉の定義や背景から、出産後のキャリア形成における問題点、そして個人・企業・社会が取り組むべき解決策までを網羅的に解説する。出産後もキャリアを諦めないために、今知っておくべき現実と向き合おう。
マミートラックとは何か?定義と背景
マミートラックとは、出産や育児を機に女性がキャリアの主流から外れ、昇進や専門的な業務から遠ざけられる状況を指す言葉である。「トラック」は陸上のトラックに由来しており、本人の意思とは関わりなく、「母専用のコース」を走らされる状況を表現している。 1980年代にアメリカで提唱された概念であり、日本でも少子化対策や女性活躍推進の文脈で注目されている。
上記のような状況に陥る背景には、育児と仕事の両立が困難な職場環境や、ジェンダーバイアス(※1)に基づく社会的期待がある。特に、育児休業後に復職した女性が、責任の軽い業務に配置されることでキャリアの停滞を経験するケースが多い。
※1:ジェンダーバイアスとは、男女の役割や行動などについて固定的な思い込みや偏見を持つことである。身近な例では、男の子は車が好き/女の子はリボンが好きというような固定観念などがある。
マミートラックが起きている背景
この現象は、個人の選択だけでなく、企業の制度設計や職場文化、ジェンダーバイアスなど、複合的な要因によって生じる。特に日本では、育児休業制度や短時間勤務制度が整備されている一方で、復職後の女性が元の職務に戻れないケースもあり、キャリア形成に大きな影響を与えている。
また、内閣府の「男女共同参画白書」では、女性が「一皮むける経験」(管理職登用や責任ある業務)を積む機会が、出産・育児を経た後に著しく減少していることが示されている。このような状況は、本人の能力や意欲とは無関係に、制度や文化によってキャリアの選択肢が制限されていることを意味する。
マミートラックは女性だけの問題ではなく、育児に積極的に関わる男性も、同様にキャリアの停滞を経験することがあり、仕事と家庭の両立の観点からも重要な課題である。個人の努力だけでは解決できない構造的な問題であり、社会全体での理解と対応が求められているのだ。
マミートラックを生む制度と職場環境の問題点
ここからは、マミートラックを生んでいる問題点について考えていく。
制度の課題
まず、制度の運用における課題として、育児休業後の復職支援が不十分である点が挙げられる。育児休業を取得した女性は、復職後に元の職務に戻る人もいる一方で、配置転換や職務変更が行われるケースも多い。
また、育児休業の取得期間や対象者の制限も課題である。特に2023年度の厚生労働省「令和5年度雇用均等基本調査」によると、男性の育児休業取得率は上昇傾向にはあるものの依然として低く、30.1%にとどまっている(参考:2022年度は17.1%)。
これは、育児が女性に偏っている現状を反映しており、結果として女性だけがキャリアの停滞を経験する構造を強化してしまう。
職場環境の課題
職場環境では、企業文化の中に根強く残る「長時間労働=評価される」という価値観も、マミートラックの温床となっている。育児中の社員が時短勤務や定時退社を選択すると、「責任ある仕事を任せられない」「昇進には不向き」といった評価が下されることがある。これは、働き方の柔軟性を認めない職場風土が、制度の効果を打ち消してしまう典型例である。
さらに、ジョブ型雇用の導入が進む中で、職務内容が明確に定義されることにより、育児による一時的な業務制限がキャリアに直結するリスクもある。ジョブ型では成果や職務遂行能力が評価の中心となるため、育児による業務制限が「能力不足」と見なされる可能性がある。
このように、制度の設計と職場文化の両面において、マミートラックを生む要因が複雑に絡み合っているといえる。
出産後の女性が直面するキャリアの停滞と実態
出産後に職場復帰した女性が直面するキャリアの停滞は、依然として深刻な課題である。育児休業後の職場復帰においては、昇進や専門性の向上の機会が制限されることで、長期的なキャリア展望が描きにくくなる。これは、継続的なスキルの蓄積や人脈形成を妨げる要因となる。
ここでは、マミートラックによる出産後のキャリア停滞を3つの面からみていく。
雇用形態の変化
正規雇用で働いていたが出産を機に非正規雇用へ移行する女性も多く、雇用形態の変化がキャリアの停滞を加速させている。
国立社会保障・人口問題研究所の「第16回出生動向基本調査」(2021年)では、第一子妊娠前に正社員だった人が、育児休業を利用し正社員として就業継続した割合は約 7 割となっている(2015~2019年)。過去比較では増加傾向ではあるが、第一子妊娠前に正社員であったが第一子1歳時点で無職になっている割合が16%(2015~2019年 )となっており、出産を機に退職する人がいるのも事実である。
さらに、総務省の「労働力調査」(2024年)によれば、35〜39歳の女性の就業率は77.0%と高水準であるものの、正規雇用の比率は年齢とともに減少し、非正規雇用の割合が増加している。これはいわゆる「L字カーブ」と呼ばれ、出産・育児期にキャリアが中断され、その後も回復しにくい構造を示している。
心理的な負担
マミートラックは自己肯定感や職業的アイデンティティにも影響を与える。育児と仕事の両立に努力しているにもかかわらず、職場での評価が下がることで「自分は役に立っていないのではないか」と感じる女性も多い。こうした心理的負担は、職場への定着意欲や将来的なキャリア選択に影響を及ぼす。
経済的な影響
マミートラックは経済的な影響も大きい。昇進や職務の高度化が制限されることで、賃金の伸びが鈍化し、長期的な収入格差が生じる可能性がある。
厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」(2022年)をみてみると、一般労働者(正社員等)における平均賃金(月額)は男性で約34.2万円、女性で約25.8万円となっており、男女間で約8万円の差、年間では約92万円以上の差が生じている。
この差は、年齢や勤続年数、職種などの要因も影響するものの、育児期に該当する年齢層(30〜40代)以降の男女間の賃金差が顕著であることから、育児期にキャリアが停滞した女性が昇進や職務高度化の機会を失うことで、賃金格差が広がる傾向があると考えられる。
このような状況は、職場での無意識のバイアスとも関係している。育児中の女性に対して「責任ある仕事は任せられない」「急な休みがあるから重要なプロジェクトには不向き」といった偏見が根強く残っていると、本人の能力や意欲とは無関係にキャリアの選択肢が狭められてしまう。
無意識のバイアス(アンコンシャスバイアス)については、こちらの記事で解説している。
マミートラックの解決策を考える―個人と企業の取り組み
では、マミートラックを回避・脱却するためにはどうすれば良いのか、解決策を考えていこう。個人のキャリア設計と企業の制度改革の両面からの取り組みをみていく。
個人の取り組み
個人の視点では、育児と仕事の両立を前提としたキャリア設計が重要となる。事前にキャリア設計をしたうえで必要なスキルを洗い出し、オンライン学習や資格取得などでスキルアップを図るという手段もある。
また、職場での交渉力を高めることも鍵となる。育児中であっても責任ある業務を希望する意思を明確に伝え、業務内容や評価基準について上司と対話を重ねることで、育児中でも重要な業務を任せやすくなりキャリアの停滞を防ぐことができる。こうした姿勢は、職場の意識改革にもつながるだろう。
企業の取り組み
企業側の取り組みとしては、育児と仕事の両立を支援する制度の充実と、制度を活用しやすい職場環境の整備が求められる。たとえば、育児休業後の復職支援プログラムや、短時間勤務でも昇進可能な評価制度の導入は、マミートラックの回避に効果的である。業務の分担やチーム体制の見直しにより、育児中の社員が業務に貢献できる環境を整えることも重要だ。
さらに、男性育休の推進など男性の育児参加を促進することも、マミートラックの構造的な解消につながる。これは社会としても必要な取り組みであるが、育児が女性だけの責任とされる風潮を改め、男女ともに育児と仕事を両立できる環境を整えることで、女性のキャリア停滞を防ぐことができる。
このように、個人と企業がそれぞれの立場で意識と制度を変えていくことで、マミートラックからの脱却は可能となるだろう。
今後の展望―制度・意識・働き方の変化がもたらす未来
マミートラックの課題を乗り越えるためには、制度・意識・働き方の三位一体での変革が求められる。
近年、政府や企業による働き方改革が進み、柔軟な勤務制度やテレワークの普及が、育児と仕事の両立を後押ししている。特に、時間や場所に縛られない働き方は、育児中の社員にとってキャリア継続の可能性を広げる重要な要素となっている。
制度面の変化
制度面では、育児休業の分割取得や男性の育休取得促進など、より柔軟な制度設計が進んでいる。2022年に施行された改正育児・介護休業法では、男性の育児休業取得を促す「出生時育児休業(産後パパ育休)」が導入され、取得率の向上が期待されている。
これにより、育児が女性だけの責任ではなく、家庭全体の課題として認識されるようになり、マミートラックの構造的な解消につながる可能性がある。
仕事と育児の両立支援制度については、こちらの記事でもまとめているのでご覧いただきたい。
意識面の変化
意識面では、ジェンダー平等に対する社会的な理解が徐々に進んでいる。内閣府の男女共同参画局による『「共同参画」2023年7月号』によれば、若年層ほど性別に関係なくキャリアを築くことへの意識が高く、企業も多様な人材の活用を重視する傾向が強まっている。
このような価値観の変化は、マミートラックの存在そのものを問い直す契機となる。
働き方の変化
働き方の面では、テレワークやフレックスタイム制の普及により、育児中でも柔軟に働ける環境が整いつつある。 一部の大手企業では、ジョブ型雇用や成果主義的な評価制度の導入が進みつつあり、職務内容の明確化や成果に基づく評価への移行が試みられている。
こうした動きは、育児などによる時間的制約を抱える社員にとっても、業務の可視化やチームでの分担、柔軟な評価基準の設計を通じて、能力を発揮しやすい環境づくりにつながる可能性がある。今後は、制度の整備だけでなく、それを活用できる職場文化の醸成が重要となる。
マミートラックを「避けるべき現象」から「乗り越えられる課題」へと転換するために、社会全体での取り組みが求められている。
キャリアを諦めないために必要な視点
マミートラックは、制度や職場文化、社会的価値観が複雑に絡み合う構造的な課題である。出産後もキャリアを諦めずに歩み続けるためには、個人の意識改革と企業・社会の制度的支援が不可欠だ。柔軟な働き方、公平な評価制度、育児の男女共同参加など、多面的な取り組みが求められる。
マミートラックを乗り越えるには、現状を正しく理解し、変化を恐れずに行動することが第一歩となる。