はじめに
私たちの働く場、すなわちワークスペースへの考え方はコロナ禍を経て驚くほど多様になった。職種や業種によっては通信環境さえ整えば自宅で仕事をすることも、カフェやコワーキングスペースなどで仕事をすることも可能になった。オフィスからさらに飛距離を伸ばして、ワーケーションという働き方も提唱されるなど、ワークスタイルが多様になったことでワークスペースとしてイメージされる範囲は急速に拡大していった。
ワークスペースへの人々のイメージが急拡大したことで、多くの企業と働く人々は、それぞれに「働く場所・働きたい場所・働くべき場所」への考えを新たにしていった。そうして一気に広がったイメージの中から、現在多くの企業と働く人々が、自分たちにふさわしい「働く場所・働きたい場所・働くべき場所」を模索し、選び取っている最中だ。
その中で、「オフィス」というものが果たす役割も変わってきているのではないだろうか。単に従業員が顔を合わせて働く場所という機能だけでなく、従業員の円滑なコミュニケーションを促す機能や、あるいは福利厚生として設備を充実させて従業員のウェルビーイングを実現する、といった機能も持ちうる。
そうしたオフィスの持ちうる機能の中に「組織変革・事業変革」がある。本稿では、自社の変革期においてオフィス改革を効果的に取り入れ、事業の変革と従業員の意識の変革を行った一企業の事例をもとに、ワークスペースが持つ力・価値について考える。
事例紹介:株式会社ニシカワ
株式会社ニシカワは、広告・宣伝の企画制作および広告代理業を事業とする、従業員数127名(2025年9月現在)の企業である。東京都東大和市にある本社のほか、立川市などにオフィスを有する。
ニシカワを中核として、商業用印刷物の印刷・加工を行う株式会社ニシカワ印刷、CG映像作品全般やオリジナル映像作品、オリジナルゲームの企画・制作・開発などを手がける株式会社テトラ、オンデマンド印刷などプリントをはじめとするオフィストータルサービスを提供する株式会社プリコによりグループを構成している。
創業以来印刷物を中心に積み上げてきた実績とノウハウを基にしたワンストップ印刷サービスほか、3DCGホログラムやセンシングディスプレイなどの先進技術によるデジタルソリューションなど、顧客が抱えるセールスプロモーションにおける課題解決に向け、上流から下流まで、かつ多方面からカバー・サポートできる体制を構築している。
また本社がある多摩地域(東京都の西側エリア)の生活者や企業を支援する地域支援事業にも取り組み、多摩地域の自治体が発行する市報・広報誌の電子ブックや、防災・子育て・学校・イベントなどの地域の情報を発信するポータルサイト「TAMA ebooks(タマ イーブックス)」を運営している。
経営課題
ニシカワは創業以来印刷を事業の中心としてきた。顧客から受注し、仕様通りに印刷し納品するという、従来の印刷業のスタイルで成長を続けてきた。
しかし、2000年代に入り、印刷物は「目的」ではなく課題解決のための「手段」の一つであるという考えのもと、顧客の課題を発見し、その解決に対して印刷をはじめ、WEB、動画、イベント運営といったさまざまな手段を組み合わせ、ソリューションを提供するという「印刷業から情報加工業」への転換を図った。
3DCG 技術の導入などによるデジタルソリューション事業も、その流れを汲んでいる。
この転換を図った直後に折しもリーマン・ショックが発生していたが、競合他社との提携による効率化や、大手ネット印刷との業務提携という新たな試みが功を奏した。TAMA ebooks事業もこの直後からスタートしている。
こうした事業変革の時期において、従業員の意識変革に重要な役割を果たしたのが2015年に行われた「オフィス改革」である。
オフィスの特徴(コミュニケーションが生まれ、クリエイティブを楽しむ職場)
クリエイティブを楽しめる空間に
ニシカワの東大和市のオフィスは、本社であるA館、おもに営業部門が集約されていたB館、そして制作・クリエイティブ部門のあるC館に分かれている。オフィス改革ではC館のリニューアルが行われた。
リニューアル前のC館は、クリエイティブ部門のオフィスでありながら、簡素な事務机が並ぶだけの、グレーがかった内装の殺風景な空間が広がっていた。当時の印刷物の製造工程に最適化された結果、デスクは横並びに配置され、従業員同士が向かい合うことのない、映画館の座席のようなレイアウトであった。
リニューアルによって、グレーがかった殺風景な内装は、柱や天井に木材を取り入れ、床には緑を基調とした色彩とし、モダンな空間に生まれ変わった。デスクは対面型となり、フリーアドレスを基本とし、営業部門、クリエイティブ部門、そしてDX部門の部署ごとに島になっている。
さらに個人のデスクだけでなく、新たにフリースペースが設けられた。フリースペースは大きな窓があり、外の景色が見え自然光が差し込む、開放的な雰囲気となっている。ちょっとした打ち合わせや集中作業の場として、あるいは雑談や気分転換の場として活用している。事務的な簡素な空間は、制作を楽しむための空間へと生まれ変わった。
新卒入社した従業員の中には、このオフィスの雰囲気が入社の決め手になったという人もいる。新卒採用でニシカワに入社した柳さんは広告業界で企画職を希望していた中で、ニシカワに応募。
「クリエイティブ系の業界で働くからには、おしゃれな空間で、自然光が入る、風通しの良い環境が良いと思っていた。土地柄、あまりおしゃれなオフィスの会社があるというイメージもなかったが、内定を得た後に会社見学をし、いい意味でギャップを感じ、職場環境についても安心して入社に至った」と語る。
新卒採用でニシカワに入社した柳さん
また地下には3DCGホログラムの機材があるショールームがある。印刷メインのビジネスモデルであったニシカワが、デジタルコンテンツ事業という新たな武器を持つこととなった転換期を象徴する空間となっている。
部門越境のコミュニケーション
またリニューアルに伴い、それまでB館にあった営業部門がC館に移動し、クリエイティブ部門と空間をともにすることとなった。これにより、これまで車道を挟んでB館とC館に分かれていた営業・クリエイティブ間のコミュニケーションコストが下がり、より密に連携が取れるようになった。入社年次の低い営業職が、経験豊富なクリエイティブ職に気軽に相談にいく、といった光景がみられる。
コミュニケーションの内容に合わせたレイアウト
リニューアルによって従業員間のコミュニケーションや、職能を超えたオープンなコミュニケーションが実現しているが、コミュニケーションにはオープンな性質のものもあれば、クローズドな性質のものもある。ニシカワのオフィスでは、オープンなコミュニケーションを促すと同時に、プライバシーを確保しクローズドなコミュニケーションが取れるような工夫もなされている。
その工夫とは、会議室を複数設けるというものだ。さらに内装や色なども会議室ごとに変え、カジュアルな打ち合わせなどはビンテージなソファのある会議室で、アイデア出しのような活発なコミュニケーションを行う場面ではオレンジの壁紙の会議室、まじめな話をする際はブルーの壁紙の会議室、といったように、コミュニケーションの内容に応じて使い分けることができる。
コミュニケーションの用途に合わせて使い分けできる会議室
会議のスタイルにも変化がみられるようになった。ある営業チームにおいては、会議で準備する資料などは最低限にとどめ、会議中は目線をパソコンでなく部屋にあるモニターに合わせ、メンバーみなが顔を上げて話し合う「オールハンズ」と呼ばれる方法を採用している。準備を最低限にとどめることで、事前の資料作成に関わる負担を軽減するだけでなく、会議の場に即興性を意図的に持ち込み、「アドリブ」的な発言を活発にする狙いがある。
営業という仕事柄、取引先とのコミュニケーションの中で想定外の質問をされることもあるが、そうした際に顔と顔を向き合わせた、臨機応変な対応ができるように、即興性・アドリブ性を重視した会議を実践している。会議では業務の進捗以外に成功事例の共有も行われ、共有されたノウハウがメンバー間で横展開され、さらなる好循環を生んでいる。
また従業員の荷物や資材の管理にも工夫がある。印刷物を手がけているということもあり、リニューアル前のオフィスでは紙資料などが各従業員のデスク周辺に雑然と置かれていることが多かった。リニューアル後は、フリーアドレスを基本とし、各人の荷物は個人ボックスに入る量までとし、ボックスはオフィス後方の収納スペースに収められる。これにより、オフィス空間の整理整頓がなされ、クリエイティブにふさわしい空間が維持されることになる。
各人の荷物を入れた個人ボックスを収納するスペース
オフィス改革の理論的支柱
解凍 – 移行 – 再凍結
組織変革のフレームワークとして、ドイツ出身の社会心理学者であるLewinによる「解凍」「移行」「再凍結」という3段階のモデルがある。
「解凍」とは、組織の構成員が従来の方法や思考を見直す必要性を認識するために、変革の必要性や現状維持の限界を認識させ、「今までのままで良い」という考え方に揺さぶりをかける段階を指す。凝り固まった方法論や考え方を突き崩し、解きほぐすフェーズである。
その次の「移行」は、新しい仕組みや行動に挑戦する段階である。これまでとは異なるやり方や思考を試していくため、組織内で戸惑いなどが生まれやすいフェーズであるため、成功体験を積んでいくために、学習支援・研修体制の充実、組織としての方向性の提示、コミュニケーションの創出が重要となる。
最後の「再凍結」は、新しい仕組みや行動を組織内に定着させる段階である。
Lewinによる「解凍」「移行」「再凍結」モデル(モデルを元にマイナビにて作成)
組織を「解凍・移行・再凍結」するオフィス
この組織改革の3段階「解凍」「移行」「再凍結」のモデルをニシカワの事業改革にあてはめて分析すると、組織が変革するために求められるプロセスや重要な要素が浮かび上がってくる。
従来の印刷メインのビジネスモデルから、印刷からデジタルソリューションまで総合的なセールスプロモーションを一気通貫で提供していく新しいビジネスモデルに転換していくためには、従業員の意識改革が欠かせない。
ニシカワにおいては、従業員が身を置く環境であるオフィスを大胆に変革することが、従業員の意識改革のトリガーとしてはたらいたのである。オフィス改革を先導した役員・池谷さんは、このことを「導線を変え、行動を変え、思考を変えた」と述べる。
オフィス改革を先導した役員・池谷さん
オフィス改革は、まず従業員の物理的距離を変え、クリエイティブにふさわしい空間を生み出した(導線の変更)。営業職とクリエイティブ職が同じ空間に入ることで、コミュニケーションコストが大幅に下がり、コミュニケーション量が増加した。殺風景だった空間をクリエイティブ職の仕事場にふさわしいモダンな空間に変化させ、業務のモチベーションや能率をアップさせている。
また3Dプリンターをはじめとした最新テクノロジーも導入し、顧客の抱える課題を解決するうえで提示可能なソリューションの幅を広げた(行動の変容)。こうしたオフィス環境の大きな変革の結果として、従業員の意識が変わったのだ(思考の変化)。
オフィス改革がもたらした組織変革
組織を「解凍」するためにオフィス改革を断行し、従業員に、従来の方法や思考を見直す必要性を認識させ、かつその行動と思考の変容を促す。その新しいオフィスを舞台に、これまでとは異なるやり方や思考を試していく「移行」のフェーズが実践される。
そして「移行」を経て従業員の間で新しいコミュニケーションや新しい会議のスタイルが生まれ、それらの新しい組織風土が定着する「再凍結」のフェーズを迎える。ニシカワの「印刷業から情報加工業」への転換を後押ししたのは、オフィス改革によってもたらされた構造変化なのではないだろうか。
このニシカワの事例から、オフィス改革が組織・企業にもたらす変化のスケールの大きさを見ることができる。オフィスをリニューアルすることは、単に内装をおしゃれにし、古く使いづらくなった設備を新しくすることではない。それによって、従業員の働きやすさ・ウェルビーイングを改善させたり、生産性を向上させたり、あるいは採用において強みとなるなどの効果も期待でき、そうした側面も重要である。
「組織や事業を変革する」ために必要なものとして、新しいビジネスチャンスの発掘や業務プロセスの改革、DXの推進、あるいは人事制度の変更など、個々の具体的な施策がよくイメージされる。しかし、組織変革のスタートとしてまず必要になる従業員の意識改革(「今までのままではいけない」と思考に揺さぶりをかける「解凍」)に対し、オフィス改革がもたらす影響は決して無視できないものである。
オフィス改革がもたらした組織変革の可能性は、創業以来の事業に変化を余儀なくされている、あるいは自ら第二創業期を迎えようとしている多くの老舗企業にとって非常に参考になるのではないだろうか。
キャリアリサーチLab研究員 長谷川洋介
参考文献
Lewin, K. (1947). Frontiers in group dynamics: Concept, method and reality in social science; social equilibria and social change. Human relations, 1(1), 5-41.