
異なる考え方や生き方を尊重する意識とダイバーシティを大切にする組織作りが求められる─早稲田大学 法学部教授 水町勇一郎氏
グローバル化の進展により、日本企業の職場環境の多様化が進み、国籍や人種・民族、宗教、価値観が異なる人が同じ職場で働くことが特別なことではなくなりました。そこで、異なる背景の人と同じ職場で働く上で、理解しておくべき労働観の違いについて、労働法の研究者である早稲田大学の水町勇一郎教授にお話を伺いました。

水町勇一郎(早稲田大学 法学部教授)
東京大学法学部卒業。ニューヨーク大学ロースクール客員研究員、パリ・ナンテール大学客員教授、東京大学社会科学研究所教授等を経て、2024年4月から早稲田大学法学学術院教授。働き方改革実現会議議員、内閣官房新しい資本主義実現会議三位一体労働市場改革分科会委員、規制改革推進会議働き方・人への投資WG専門委員、厚生労働省労働基準関係法制研究会構成員などを歴任。主な著書として、『「働くこと」大全』(KADOKAWA、2025年3月)、『詳解 労働法〔第3版〕』(東京大学出版会、2023年)、『労働法〔第10版〕』(有斐閣、2024年3月)、『労働法入門〔新版〕』(岩波書店、2019年)など。
目次
- 家業観を基に形成されていた江戸時代の働く意識
- 企業共同体の中で働くという家業感が日本の雇用システムとして確立
- イエ社会と密接に結びついて形成された日本の労働観
- 共同体の中で集団を意識した日本と、一対一の神との対話で個人を意識した社会の違い
- 欧米では労働は非人間的な行為だとする考えが約2000年続く
- 宗教改革によって労働観が180度転換
- 真面目に働くことがいいことだ。労働観は罰から自由な行いに変化
- その国の文化や社会のあり方が、労働観の規定に繋がる
- 自由や個人を大切するヨーロッパと、人間関係と組織を重視する日本
- 労働を集団と結びつけて追求してきた病理が顕在化
- 会社主導で働き方を変えていこうとする動きが大きな流れに
- これからはダイバーシティを尊重し、個人の多様化に見合った制度改革が求められる
家業観を基に形成されていた江戸時代の働く意識
Q.日本人の働き方や労働観の歴史的背景を教えてください。

水町:前提として指摘しておきたいのは、日本人の働き方や日本の雇用システムが大きな変化に直面し、ダイバーシティの重要性が叫ばれる中で、これまで日本人の働き方の核心部分について十分に議論がなされないまま、今日を迎えているという状況です。働き方や職場環境が大きく変化するときに、私たちの雇用システムがどのような労働観によって成り立っているのかを根本に立ち返って確認し、考え方や仕組みをどのように変えるべきなのかを考える必要があります。
さて、日本人の働き方や労働観がどのような歴史的背景の中で生まれてきたかですが、日本のムラ社会とかイエ社会と呼ばれる社会構造と密接に結びついて伝統的に築かれてきたのではないかと考えられます。たとえば、江戸時代には、日本人にとって働くことは、家業として捉えられていました。そして、家業は二つの側面、「生業(なりわい)」と「職分」からなっていると歴史研究の中では言われていて、江戸時代の働くという概念は、この生業と職分からなる家業観を基に形成されていたようです。
生業とは家族の生活のために働いているということで、職分は世間から与えられた分を果たすという意味です。士農工商それぞれに分があり、それぞれの分を一生懸命果たすことがそれぞれの徳になるんだ、真面目に働くことが自分の徳を磨くことになるんだという職業観が江戸時代には形成されていました。
企業共同体の中で働くという家業感が日本の雇用システムとして確立
Q.江戸時代以降、日本人の労働観はどのように変化したでしょうか。
水町:士農工商という身分制が廃止されて、明治維新から大正、昭和へと時代が移る中で、家族のため世間のために真面目に働くことはいいことだという考え方が、日本人のメンタリティの中に残り、家族や地元、世間のために一生懸命勉強して立身出世をする、偉くなって社会のために貢献するという、イエと結びついた職業観が残っていたんじゃないかと考えられます。
イエという概念は、中国の場合は血縁関係に基づく大家族であり、自己充足的な家という考え方が強いと言われているんですが、日本の場合、イエは社会との結びつきが強い概念で、それが高度経済成長期に、「イエ」は企業、つまり企業共同体に変化していきました。学校を卒業したら終身雇用で会社のために働き、会社は大きな家族になって、家族手当や住宅手当を支給して、従業員の家族を守る仕組みができあがっていったわけです。
この企業共同体の中で働くという家業感が、日本の雇用システムとして確立されていく中で、会社のため、家族のために働くことがいいことなんだという考え方が、我々ぐらいの世代の労働観に脈々と繋がっています。
イエ社会と密接に結びついて形成された日本の労働観
Q.日本人の労働観が形成された背景について教えてください。
水町:日本人の労働観がどこから生まれたかというのは、イエ社会という概念がどこから出てきたかに関わってきますが、これには諸説あります。
その一つが米(こめ)文化です。日本の稲作の基本は、乾田(水を入れない時に地面が乾いた状態の田んぼ)で栽培する乾田米で、田植えをするときは水を入れたり、稲が育つときに水を抜いたりします。ですから、水を入れたり抜いたりする灌漑システムが必要となるのです。このため池などの灌漑システムは一つの家族単位では作れないので、少し大きなイエやムラと呼ばれる共同体が必要となり、その共同体に所属していることが重要になってくるわけです。
また、哲学者の和辻哲郎は、『風土』という著作の中で、 世界の風土を、 モンスーン型・砂漠型・牧場型の3種類に分けましたが、日本はモンスーン気候で、台風など人間がコントロールできない自然現象に直面します。自然の猛威はコントロールができないのですが、それでも我慢していると豊かな穀物が得られます。
ヨーロッパは比較的温暖な気候なので、人間が自然をコントロールしようとする合理的な精神が養われたと言われますが、日本はとにかく自然が猛威を振るうので、それを共同体みんなで我慢して乗り越えようという意識が醸成されたという説もあります。
さらに、民俗学者の梅棹忠夫は、日本の地政学的な特徴に注目しました。ヨーロッパ大陸やユーラシア大陸の国は、常に他国からの脅威にさらされているので、中央集権的な防御態勢を確立する必要がありましたが、日本は島国なので他国からの脅威にさらされることが少なく、中央集権的な強固な国家や防衛体制を作る必要性がなかったため、昔ながらの分権的な村社会が長い間残存したんじゃないかと考えました。
共同体の中で集団を意識した日本と、一対一の神との対話で個人を意識した社会の違い
Q.労働観を考えるときに日本人特有の宗教観はどのように影響したでしょうか。

水町:宗教の影響もあったかもしれません。日本は神仏習合思想とも言われていますが、外来の宗教を取り入れても一つに頼らない。仏教も儒教も、昔からある自然宗教も織り交ぜます。一神教のヨーロッパやアジアの一部の国とは違って、日本は、水の神、山の神をはじめとして、土着の宗教と外来の宗教を混ぜた多神教の国です。
一神教では、神と一対一で対峙するので、個人を意識し、そこで合理的な精神が養われることで、近代的な自然科学が生まれてきたと言われますが、日本の場合は、絶対的な神と対峙するわけではなく、いろいろな宗教が混じる中で、人間社会や人間集団の倫理に基づいた人倫共同体を重視することで、イエ社会とかムラ社会ができてきたわけです。
その結果、家族のため、世間のために働くという意識や家業概念が醸成され、それが明治維新、大正、昭和、戦後の今まで繋がってきているんじゃないかと考えられます。
聖徳太子は十七条憲法の第一条で、「一に曰く、和を以て貴しとなす、忤(さから)うことなきを宗とせよ」と説きましたが、伝統的な共同体の中での人間関係を重視する考え方が、現代の日本の労働観に繋がっているのではないかというのが、既存の研究を集約した考えです。
欧米では労働は非人間的な行為だとする考えが約2000年続く
Q.先ほど、日本では江戸時代に真面目に働くことで自分の徳を磨くことにつながるという職業観が形成されたと伺いましたが、欧米の労働観にはどのような特徴がありますでしょうか。
水町:欧米の労働観は、大きく二つに分かれています。古代ギリシャにさかのぼりますが、哲学者たちは、「人間とはどういう存在なのか」「人間の本姓とは何なのか」「人間と動物との違いは何か」を考えました。古代ギリシャでは「自由」という概念が発明されましたが、自由がまさに人間らしいことだと考え、人間が自由に行う行為は、哲学と政治と美術であるとしました。
真理を追究するのが哲学、社会的に何が良いものなのかを考えるのが政治、彫刻や絵画など美しいものを見て感動するのが美術だとし、それらを行うのが人間だと考えたわけです。一方で、その人間らしい自由な行いに対峙するのが働くこと(労働)で、生存するためにご飯を作ったり作物を得たりする行為は、動物が生きるために獲物を捕ったりする行為と同じで、働くこと=労働は非人間的な行為だとし、奴隷に押しつけたわけです。
それが、約2500年前のことで、ソクラテスやプラトン、アリストテレスたちが活躍した時代でした。現代人とか今の日本人の感覚とはかなり距離があると感じられる考え方ですが、実は、この考え方はヨーロッパで約2000年続きました。
宗教改革によって労働観が180度転換
Q.労働は非人間的な行為だとする考え方に変化が生まれたのはいつ頃ですか。
水町:古代ギリシャの考え方が2000年続いた背景には、キリスト教カトリックの宗教観が影響を及ぼしています。旧約聖書の解釈として、カトリックは、働くことは神が人間に与えた罰だと位置づけていました。原罪、つまりアダムとイブが神に背いて禁断の木の実を食べたことで、神はアダムに食べ物を自分で耕すという労働の罰を与え、イブには出産の苦しみを与えました。
労働を意味する「Labor」という英語を辞書で引いてみると、最初に「労働」という意味の他に、「出産」とか「陣痛」という意味が出てきます。神が与えた罰という考え方は、Laborという言葉に残っているわけですね。
予断ですが、フランス人が7月から8月に約1カ月間のバカンスを取ってこれを楽しみにしながら1年を過ごすのは、働くことを牢屋に閉じこめられているように感じているからなんだと思います。フランス語で労働を意味するトラバーユ(travail)という言葉には、その語源として「拷問道具」という意味があるんです。だからこそ、仕事を定時に終えると、残業などしないですぐに家に帰りますし、年に一度だけのバカンスを大切にしているんです。それくらいフランス人の中には、罰としての労働観が残っているわけです。
これは、古代ギリシャからキリスト教カトリックに繋がる流れなんですが、これを大きく変える出来事が約500年前に起こりました。それが宗教改革です。16世紀にドイツにルターが、スイスにカルヴァンが登場しました。
我々日本人は、宗教改革のことを、ローマ=カトリック教会が腐敗して、免罪符を買ったら罪が償われると説いたことに、ルターやカルヴァンが反発したと学校で学んだと思いますが、ヨーロッパの人にとっての宗教改革は、労働観を180度転換させたという重要な意味を持っていて、それがプロテスタントの台頭なんですよ。
真面目に働くことがいいことだ。労働観は罰から自由な行いに変化
Q.宗教改革によって労働観はどのように変化したのでしょうか。

水町:ルターたちが何を言ったかというと、働くということは、実は罰じゃない、神様がみなさまに与えられた自由な行いなんだと。だから、月曜日から土曜日まで真面目に働いて、日曜日になったら教会に行って祈れば、救いの声を聞けると説きました。働くということは罰ではなくて、神様がお与えになった自由な行いであるとプロテスタントは言ったんです。
真面目に働くことがいいことだというプロテスタントの考え方がここで生まれて、労働観が罰から自由な行いに180度変わりました。ヨーロッパでは新教と旧教の対立の中で宗教戦争が起こりましたが、ドイツではプロテスタントの考え方がかなり浸透しています。ただ、イギリスではプロテスタントが迫害された結果、自分たちの国を築こうと、新世界であるアメリカに移って行ったわけですね。
アメリカはワスプ(WASP)が作った国だと言われますが、それは、イギリスなどから渡っていった白人のアングロサクソンで、プロテスタントであるWASP(White Anglo-Saxon Protestant)が作った国がアメリカなんだという意味です。彼らは、ボストンから入って、東海岸から西海岸へ開拓を進め、果てはハワイやアジアにまで進出して行ったわけです。
このフロンティアスピリットの背景にあったのが、プロテスタントの真面目に働くことはいいことなんだという考えで、それは、真面目に働いて自分の財産を増やしていくことで夢を描けるんだというアメリカンドリームの考え方にも繋がっています。
これを社会学的に明らかにしたのがドイツの社会学者マックス・ウェーバーで、1920年に発表した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、プロテスタンティズムの倫理、つまり真面目に働くことがいいことだという精神の中で、近代資本主義が生まれて、働いて得たものは自分の財産であり、自由な競争の中で近代資本主義が花開いたと論じています。
その国の文化や社会のあり方が、労働観の規定に繋がる
Q.今後、日本の労働観が変化する可能性はありますか。
水町:欧米における二つの労働観のお話をしてきましたが、今でもカトリックの考え方が根強く残っている地域と、プロテスタントの考え方がかなり広がっている地域では、感覚がずいぶん違います。イタリアやスペイン、フランスはカトリックの影響が相対的に強いですが、ドイツやイギリス、アメリカはプロテスタントの考え方が相対的に強いので、働き方にも違いがあるように思います。
ステレオタイプに物事を見ることは避けたいのですが、生活のために必要最小限働いて、美味しいものを食べて恋愛をして人生を謳歌しようという考え方が今でも相対的に強く残っている国もありますし、真面目に働くことが大切だと考える人が多い国もあります。
労働観は、その国の文化とか社会のあり方が規定しているところが大きいわけですね。日本の労働観がこれからどう変化していくのか、今後も真面目に働くことがいいことで、会社共同体の中でみんなが一生懸命働くという文化が残っていくのかは、社会状況と特にこれから日本社会を担っていく若い人たちの選択にかかっているのではないかと思います。
自由や個人を大切するヨーロッパと、人間関係と組織を重視する日本
Q.日本と欧米の労働観の違いと共通点とは何でしょうか。
水町:働くことは喜びなのか苦しみなのかという観点で考えると、ヨーロッパはカトリックとプロテスタントで労働観は分かれますが、働くことって社会的に良いことだという意識で考えると、日本人の労働観はプロテスタントに近いように見えます。
しかし、根本的に違うところがあります。それは「個人」か「集団」という軸で、日本はやはり共同体、集団なんですよ。昔からのイエ社会であったり、企業共同体だったり、「集団」が働くことの母体になっています。
一方で、ヨーロッパでは古代ギリシャから現代に至るまで、自由や個人が大切だという意識は、プロテスタントの中にも残っています。個人を基盤にして働くことは良いことだと考えているわけです。日本は、真面目に働くことは良いことだといういわゆる勤労の精神と集団が結びついていることが特徴で、この点が大きな病理に繋がる要因にもなっています。
集団と結びついているので個人よりも人間関係とか組織が重視されるんですよね。高度経済成長とか1980年代ぐらいまでは、みんな猛烈に働いて、電気製品や自動車などハイエンジニアリングが必要となる製品作りは、組織全体で協力して作ってきました。
それが競争の主体だった時代には、日本は国際的にもハイパフォーマンスを発揮してきたという側面もあるんですが、他方で人間関係とか組織が重視される反面、個人が軽視されました。
労働を集団と結びつけて追求してきた病理が顕在化
Q.組織を重視する日本の労働観の弊害とは何でしょうか。

水町:個人が軽視される結果、何が起こるかというと、一つは、何のために働いているかという意識を、日本人は持ちにくくなっているということです。組織の論理で働いているので、どうして自分はこんなに猛烈に働いているんだろうってわからなくなってしまうんですね。
労働の良い側面として、社会性と経済性を基礎づけることがあります。会社に行けば仲間と一緒に仕事ができることは社会性のよりどころになりますし、真面目に働いてお金を稼ぐことで経済性も維持できます。しかし、働くこと自体が目的かというと、社会性が持てれば良いという風に捉えている人もいます。また、働いて貯めたお金を何のために使うのかという目的を見失っている人もいます。
個人が基盤になっていれば、働く目的が明確にできるのですが、日本人は集団の論理で働いているので、自分の意識を持ちにくくなっていて、定年後に何していいかわからなくなったり、過労死や過労自殺に追い込まれるまで働いてしまったりするわけです。
つまり、真面目に働くことが良いことだというのを、集団と結びつけて追求してきたことの弊害が、1990年代から2000年代以降に顕在化して、それをどう修正していくのか、それが働き方改革の重要な課題になっているわけです。
会社主導で働き方を変えていこうとする動きが大きな流れに
Q.これからの日本人の労働観はどのように変わっていくでしょうか。
水町:日本と欧米の労働観の違いは、エンゲージメントの数値にも現れています。真面目に働くことが良いことだと思っているプロテスタントの国は、比較的エンゲージメントが高いんです。真面目に働くことによって自分の自己実現に繋がっているからですね。ところが、日本はエンゲージメントが先進諸国では低くなっています。真面目に働くことが良いことだと言われても、自分の働きがいや生きがいに繋がっていないんですね。
それで今、そんな状況をどう変えるかが議論され、会社主導の働き方を変えていこうとする動きが大きな流れになりつつあります。健康経営やウェルビーイングを推進することをはじめとして、職務給を導入するなど賃金体系を見直したり、従業員の主体的なキャリア形成を支援したりする動きが活発になってきました。
企業は国際競争にさらされるなか、新しい競争の中で付加価値を生む人材を養成できなかったところでは人材の確保や定着が難しい状況に直面し、これまでのシステムを大きく変えようとし始めています。この動きがこの5年くらいで一気に進んでいます。これが日本の社会や労働者の意識の中にどれぐらい広がっていくかが大きな鍵なんですが、若者たちの意識も着実に変わりつつあるように思います。
これからはダイバーシティを尊重し、個人の多様化に見合った制度改革が求められる
Q.最後に、日本人の労働観を変えるためには何が必要になるか教えてください。
水町:会社も個人も変化していく必要があります。会社が制度を変えないと、人が採用できなくなったり、会社を辞めてしまう人が出てきます。しかし、制度だけを変えても個人の意識が変わらないと、何をしたら良いんだろうと迷うことになります。個人の意識が多様化する中で、会社は多様化に見合った制度に改革することが大切です。
そのためには、法律を遵守するのは大前提として、社員の意識や自社が求める人材の意識に見合ったシステムを作っていくことが重要です。いろいろなタイプの会社が存在していいと思いますが、自分たちがどういうビジョンで会社を運営し、どういう組織作りをしていくのか、きちんと情報を開示することが不可欠です。そして、ダイバーシティを尊重し、さまざまな出自、背景を持った人たちが生み出す付加価値をつなぎ合わせて競争力を増していく必要があります。
個人には、自分とは違う価値観を持った人や違う働き方をしている人の生き方を尊重する意識を持ってほしいと思いますし、企業には、他人を尊重できる組織作りが求められます。自分と違う考え方や生き方を持っている人を尊重できる社会基盤ができれば、あとは個性に合った働き方と個性に合った企業作りをしてもらえればいいのではないでしょうか。