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【つむぐ人】あらゆる変化をポジティブに捉えて、新たな文脈で彩られた暮らしを、つむいでいく。

キャリアリサーチLab編集部
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キャリアリサーチLab編集部

『つむぐ、キャリア』では、多様化する過剰な選択肢から選び続けていると、選択結果のあいだに矛盾が生じたり、相容れないものを選んでいたり、これらを新しい文脈で意味づけて、撚り合わせ、調和させることを「つむぐ」と表現しました。

そこで、「つむぐ、キャリア」を実践している方々を「つむぐ人」と称し、その方々にインタビューを行い、自らのライフキャリアとビジネスキャリアをどのようにつむいできたのかをお聞きします。また、今後各インタビューに共通して現れた要素などを専門家の先生方との対談とあわせ、「つむぐ、キャリア」という概念に必要な要素などを具体化できればと考えています。

つむぐ人プロフィール
村林 瑠美(むらばやし るみ)
1984年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、住友商事株式会社に入社。人事部にて、人事評価、労務管理、ワークライフバランス推進企画などの業務を経験。2011年より食料事業本部糖質・飲料原料部にて、酒類原料の輸入業務に携わる。プライベートでは2010年に結婚。2014年に長女を、2016年には長男を出産する。長女が心臓などに重い疾患を抱えていたため、5年間の休職期間を経て、2019年に復職し、現在は、休業中に取得した国家資格キャリアコンサルタントの資格を活かして、専任のキャリアアドバイザーとして活躍。特定非営利活動法人みかんぐみ理事。日本ソムリエ協会認定ソムリエ。東京都在住。
※組織名は当時のものです。

支援が行き届かない人への直接的なアプローチを考えていた学生時代

村林さんは、大学に入学してまもなく、世界各地の大学に拠点を置く国際的なNPO法人の活動に参加。1年生の夏にスタディツアー(※1)でインドネシアを訪ねたという。

村林:「このスタディツアーではジャカルタなどの大都市をいくつか訪れ、現地の大学生のご家庭にホームステイしNPOやNGOの活動を拝見しました。都市の中心部と隣接するスラム街の様子があまりにもかけ離れていて、さまざまな国際援助も行われているはずなのに、それが行き届いていない現実があることを目の当たりにしました。そして、そのように支援が行き届かない人たちが、力をつけて自立していくためには、彼らがお金を稼ぐ手段や仕組みを整えていく直接的なアプローチが必要であると感じました。

こうしてメキシコ南部のチアパス州の先住民が生産するコーヒーを適正な価格で継続的に輸入する「フェアトレード」を実践研究する教授のゼミで学ぶことになりました。当時、このゼミでは専門商社さんのご協力を得て、メキシコからフェアトレードコーヒーを輸入し、これを日本各地の自家焙煎店に生産地の情報や様子をお伝えしながら販売するという活動を行っていました。

入学当初は、開発途上国への支援を行う国際機関などで働きたいと考えていましたが、ゼミでの実践研究を通じさまざまな理想と現実も痛感し、まずはビジネスを学び国際貢献できるような人になりたいと、海外ビジネスの多い民間企業に就職活動することになりました」

※1:国際協力活動(NGOなど)で現場を訪れ、体験学習を通して、現地の事情や相互理解を図ること

最終的に、村林さんが選んだのは、住友商事だった。

村林:「就職活動中に、住友商事がバードフレンドリー®認証コーヒー(※2)の輸入・販売を手掛けていることを知りました(現在は住商フーズ株式会社による取扱い)。大手商社が手掛けるビジネスのイメージが変わり、そのような活動を行う会社なら、自分がやりたいことができるかもしれないと考えたのと、最終的には採用担当者の学生に対する対応を見て、人を大切にする会社だと思えたことが決め手になりましたね」

※2:バードフレンドリー®コーヒー公式サイト | その一杯が、鳥たちの休息地になる

人事部での5年間を経て、社内公募で食料事業本部へ

村林さんの最初の配属は、人事部。当初は、改定されたばかりの人事評価制度を社内に定着させるための諸々の仕事に関わることになる。

村林:「まさか人事をやると思わなかったので、ショックでしたね。入社1年目で、会社のことを何も知らない私が、明確な正解のないことにどのような判断軸を持てばよいのか、何の裁量もなく、役立っているという感覚すらもなく、仕事を続けることが辛いと感じていた時期でした。

それでも、ある程度やり続けていれば、面白いところが見えてくるもので、人脈の広がりや小さくても自分に任される仕事がちょっとずつ増えていき、手応えを感じられるようになっていきます。3年目ぐらいからワークライフバランス推進に関する企画業務や労務関係の仕事に担当が変わり、このまま人事の仕事を続けていくのかなと漠然と思いはじめるようになっていました」

住友商事には、人材を必要とする部署が他部署から人材を受け入れる社内公募制度があり、入社5年目から手を挙げる資格(当時)が得られる。そして、人事部で5年を過ごしてきた村林さんもその応募資格があることに気が付く。

村林:「最初から営業部門に配属された同期たちは、すでにビジネスの最前線で海外の取引先とのやりとりや出張の経験などを重ねてきているので、いまさら、そこに飛び込むのは無理だろうなという諦めや恐怖の想いもありました。

ただ、人事部から営業部門に異動した先輩から『社内公募の通達が出たけど、応募しないの?新人の頃に食料に興味があると言っていたけど。』と何気なく声をかけられ、商社に入った動機を思い出し、チャンスがあるのならやってみようかと思ったり…。

当社にはさまざまな悩みを相談できるSCGカウンセリングセンターがありますが、ぐるぐると迷って答えが出せずにいたので、『異動しようかどうか迷っているんです』と思い切って相談しに行きました。いろいろと話をしましたが、そのカウンセラーさんから『悩んでいるのですね。でも、客観的にお話を聴いていると、「営業に行きたい」と心は決まっているように聞こえました』と言われて…。

その声に背中を押され、まあ別に失敗しても命をとられるわけではないんだからと、公募〆切日ギリギリに食料事業本部に志望理由書などの応募書類を提出しました」

この結果、採用となり、希望が叶い食料事業本部糖質・飲料原料部に配属されたのが、2011年。

村林:「担当商品は希望していたコーヒーではなく、私は酒類原料の担当になり、ビールの主原料である麦芽やホップ、ウィスキーの樽や原酒などを取り扱うことになりました。欧州・北米・豪州のサプライヤーから商品を輸入し、国内大手酒類メーカーに販売するトレードビジネスでした」

欧州某国のサプライヤー訪問時、麦芽の原料である大麦の畑にて

当時のキャリア観として村林さんが抱いていたのは、昇進して偉くなりたいというものではなく、自分がやりたい仕事をずっと継続して頑張っていきたいというものだった。

村林:「結婚や出産をしても働き続けたいと思っていましたし、海外駐在の経験もなかったので、もしチャンスがあれば、そのときにこどもがいたとしても海外に駐在したいと、当時はそんなふうに思っていました」

長女の重い疾患という、突然の宣告

そんな村林さんの結婚は、人事部に在籍していた2010年のこと。その後、食料事業本部に異動して、2014年に長女を、2016年には長男を出産している。

村林:「日系メーカー勤務の夫とは大学時代からの付き合いでしたが、夫は入社2年目に三重県に転勤していたので、別居婚というスタートでした。さらにその後、転勤で中国に赴任となり国際別居婚に。

お互いが東京勤務になるタイミングは、待っていても訪れないかもしれない。そう思って、結婚というかたちをとることにしました。こどもも欲しかったので、そういうライフイベントも別居のまま迎えることになるのだろうかという不安もありましたが、とりあえず結婚に踏み切ったわけです」

そんな結婚から4年が過ぎ、長女の出産を間近に控えた頃、妊婦定期健診のエコー(画像診断)をした医師から、「赤ちゃんの心臓に疾患が疑われるため、念のため大きな病院で診てもらってください」と言われたという。

村林:「紹介してもらった大学病院で胎児心エコー検査を受けました。ずいぶん長い間、慎重に診ていたので嫌な予感がしましたが、重度の心臓病と診断されました。経過観察が必要で、もし胎児に不整脈が起きたり、むくみが激しくなると、危険な状態になる可能性があるとのこと。

さらに出産して母体の外に出たときに、肺がうまく機能しないかもしれないとも告げられました。肺が機能しなければ呼吸もできませんから、生まれてみないことにはこの子の生死さえもわからないということなのです」

想像さえもしていなかった突然の宣告に、村林さんは混乱し、どうしたらいいのかわからない、そんな状態だった

村林:「まさか、こんなことがあるとは?という驚き、なんでうちの子が?という落胆の想いが入り混じって、とにかく混乱し、狼狽えました。帰りの電車の中で居合わせた元気な赤ちゃんが私に微笑んできて、涙が出てきました。

私のせいでこうなってしまったのではないかと、自分を責めることもありましたし、お腹の赤ちゃんに申し訳ない気持ちにもなりました。

多くの妊婦さんは、出産に向けて、早く赤ちゃんに会いたいと思うのでしょうが、私の場合、お腹の中にいたほうがちゃんと守ってあげられると感じて、出産予定日を迎えるのが怖いような、そんな日々を過ごしていました」

それだけに、赤ちゃんが産声を上げたときには、すごくホッとしたし、嬉しかったという。

村林:「何よりも、生きて、産まれてきてくれたことに感謝しました。自発呼吸もあるし、生きていくことができるぐらいの肺機能も確認されました。ただ、心臓には重度の疾患があるため、大きな手術が必要でした。

生まれてすぐに保育器に入れられて、経管栄養というのですが、鼻からチューブを入れて胃にミルクを送る方法で栄養をとりました。そして十分に生育してからの手術となるため、8月に生まれた娘が退院できたのは、翌年の1月になってからのことでした」

入院中の病室にて(生後3か月頃)

退院後は、在宅にて長女をケアしなければならない。

村林:「家には帰って来られたのですが、どうしても口からミルク飲むことがうまくできなかったので、経鼻経管栄養(鼻から胃に通った細いチューブからミルクを入れる)という医療的ケアが必要になります。

入院中は、看護師さんが担っているケアを看護師でもない私が自宅で行うことになります。退院前に看護師さんから手技の指導を受けていましたが、ドキドキでしたね。週に2回だったかな、小児専門の訪問看護ステーションから看護師さんが1時間来てくれて、娘の体調を診てくれたりケアの相談に乗ってくれました。

日中は娘と二人だけで過ごす不安だらけの日々でしたので、訪問看護師さんと定期的にお話することで母親の自分の気持ちも救われていたと思います。やっぱり家で一緒に過ごせるというのは貴重な時間で、娘に寄り添っているだけで幸せを感じましたし、いろんな刺激を与えたいなと思い、チューブをつけた姿を奇異な目で見られ傷つくこともありましたが、気にせず散歩に連れ出したりもしていました」

復職への強い想いと、立ちはだかる壁の存在

こうして、在宅での医療的ケアを伴う子育てを続けながらも、村林さんは、早期に仕事に復帰するための道を求め続けた。

村林:「たとえ元の会社に復職することは難しくても、何かしら社会と関わっていたいという想いがずっとあったので、こどもを短時間でも預けて、どうにか働くということを模索していた時期でした」

ご主人も長女が生まれた頃には、日本に帰ってきていた。

村林:「夫はお医者さんから、日本に帰ってきたほうがいいと言われたこともあって、そんな家族の事情を会社に伝えると、すぐに日本に帰任させてくれて、東京の本社で働くようになっていました。ですから、そこで初めて家族が一緒に暮らせるようになったんですね」

とはいえ、村林さんが望む、仕事への復帰を果たすための長女を預けることのできる施設は、なかなか見つからない。

村林:「こどもが日中過ごす上で必要不可欠な医療的ケアを実施できるのは、本人・保護者・医師・看護師・特定の資格を持つ介護士など限定的です。普通の保育園では医療的ケアができる人はおらず、預けることができません。偶然、居住区内に医療的ケアや重度障害のあるこどもを受け入れてくれる保育園ができたのですが、そこにも空きはなく、ずっと待機していても入れない状況でした。

人事部時代に、育児休職者へのサポートの業務も経験していましたが、その時に見ていた世界と目の前の現実とのあまりのギャップに憤りを隠せませんでした。がっくりきている私に、区の担当保健師さんが「復職には繋がらないけれど」と区立の重症心身障害児通所施設を紹介してもらい、2016年の2月から週に1回、親子で一緒に通うことになりました。

この施設は児童発達支援施設で、療育といって、それぞれのこどもに合った訓練や遊びを通じて、その子が生きやすくなるような関わり方を親が学ぶ施設でもあるんです。通えるようになったとはいえ、最初のうちは10時から12時までの短時間なので、すぐに仕事に復帰できるわけではありませんが、そうやって外の空気に触れるだけでもリフレッシュすることができましたし、障害のあるこどもに慣れている専門のスタッフさんから多くのことを学ぶこともできました」

児童発達支援施設での親子通園中の様子

こどもの年齢に応じて、区から支給される通所の日数が増えていく。

村林:「4歳児になると、週5日、9時30分から15時まで通えるようになりました。5日のうち4日は親子分離で単独通園ができましたが、療育的な関わり方を学ぶための親子通園日が週に1日だけありました。

そのころ私は、長女と長男の育児休職が満了し、長女の介護休職を頂いていました。介護休職の期間満了が迫っていましたが、これではフルタイムで働くことはできないし、娘も月に1度は体調を崩し入院していて明日の予定もわからない状況で、ついに退職を考えていました。

会社の人事部に相談すると、住友商事では2018年からテレワーク制度やスーパーフレックスタイム制度を導入したところで、これらを活用することで復帰の道が見えてくるかもしれないと言われました。そこで、どのくらいの時間働けるのかを紙に書き出してみたところ、介護の短時間勤務制度も使いながら、テレワークやスーパーフレックスを織り交ぜた柔軟な働き方ができれば、なんとか働けそうだねということになりました。

それ以来、綱渡りではありますが、娘に関わってくれる沢山の方々、私の職場の方々、そして家族のサポートを受けながら、仕事を続けることができており本当に感謝しています」

キャリアコンサルタントとして、新たな旅立ち

約5年間の休職期間を経て、村林さんが復職したのは、2019年9月。休職中に取得したキャリアコンサルタントの資格を活かして、所属していた営業部門でキャリアアドバイザー職に就くことになる。

村林:「キャリアコンサルタントの資格取得のための養成講座に通いはじめたのは、2018年の秋のことでした。会社を辞めて、キャリアコンサルタントとして独立していた大学の先輩にお会いする機会があり、キャリアコンサルタントという資格があることもそのときに知りました。そういう資格をとっておけば、自分が今後、働いていくための武器になるのではないかと考えて、チャレンジすることにしたんです。

実際に、勉強をはじめてみると、いまの自分の状況を客観的に見て、自分はこういうふうに思っていたんだなと、自己理解につながることも多々ありました。そして、さまざまなキャリア理論を学ぶなかで、自分自身の状況というものを、意味付けることができたのだと思います。

娘が生まれたことで、いろんな変化があったけれど、それをポジティブに捉えて、進んでいくことが大切なのだと、今後に向けてまず私自身の考えを整理する時間になったと思っています」

住友商事が、社員と組織の双方を支援する「キャリアアドバイザー」を社内に配置するようになったのは、2007年のことだったという。

村林:「現在で言うところの社内キャリアコンサルタントに近いと思います。当時は、キャリアコンサルタントの資格はまだ世に存在しなかったので、キャリアアドバイザーという名称になっていますが、社員のキャリア・仕事・職場の悩みなどさまざまな相談を受けるポジションです。

制度が出来た当初は経験豊富なシニアの男性がその役割を担っておられ、自分の属性では無理だろうと思いましたが、復職後はキャリアアドバイザーの仕事をしてみたいとダメ元で会社に話をさせてもらったところ、ありがたいことに念願が叶う形で復帰することができました」

村林さんが、キャリアアドバイザーとして心がけているのは、相談者の想いを理解するために、話をよく聴くことだという。

村林:「基本的なことですが、ちゃんと話を聴いてくれる人なんだなという印象を持ってもらうことが大切だと考えています。私自身が相談者の立場だったときに、属性が近く共通点のある人の方が自分の葛藤について話しやすいのではないかと思っていました。

女性であること、社内複数の分野での業務経験や出産・育児、障害のあるこどもの介護などの経験は、相談者がいま置かれている状況や背景を理解するうえで役立っていると思います。ただ、もちろんお一人おひとりの状況は違いますので、わかったつもりにならないように注意しています」

村林さんは、こうしたキャリアアドバイザーとしての職務とは別に、ご自身の経験を活用した新たな取り組みをはじめようとしている。

村林:「これまでの職場には、こどもの介護をしながら働く母親は、ほとんどいなかったんです。父親として働く人は存在していたはずですが、職場ではプライベートの事情を話しづらい。最近は医療的ケア児や障害児を預けられる保育所が徐々に増えてきていて、社内にも同じような境遇で働いている人々がいることがわかってきました。

そこで、お子さんの介護をしながら働いている社員のネットワークをつくって、情報交換をしたり、みんなで話しましょうと…。すごくレアな存在だからこそ、ともに支え合えることができるのではないかと期待しています。社内で似た境遇で頑張る仲間がいることに、私自身はとても励まされています」

障害のあるこどもとその家族が、あきらめることのない人生を

一方、村林さんは社外においても、NPO法人「みかんぐみ」での活動を続け、理事としてその役割を担っている。

村林:「NPO法人みかんぐみに入会したのが、2017年の秋でした。これは娘の病気が、モワット・ウィルソン症候群という、染色体の一部が欠損している遺伝子疾患だと診断された後のことでした。

みかんぐみは娘の療育施設の先輩のお母さんたちが立ち上げた重度障害のあるこどもとその家族の団体で、以前から知ってはいたのですが、娘の疾患に名前がついたことで、気持ちが整理できたというか、この子が生きやすいような環境を整えなければと、少しだけ前向きになれた頃のことでした。

そう思うと、みかんぐみという存在があったこと自体、有り難く感じましたし、そこに入って、いろんなイベントに参加させていただきました。2020年から理事として関わるようになったわけですが、それはみかんぐみとして、障害のあるこどもがいても自宅で自分のペースで仕事ができるような親御さん向けの就労支援事業の立ち上げきっかけでした。

会員向けに、この事業を通じて働いてみたい人の募集がありましたが、私自身は働き手としてではなく、就労支援事業の運営に関心があるとメールをしました」

以来、村林さんは理事として、みかんぐみが推進する事業の運営や行政機関との交渉に携わってきた。

村林:「都や区に要望書を提出したり意見交換の場を持って頂くことで、当事者の声がきちんと届きより良い制度設計や施策検討に繋がったら嬉しいと思います。これまでも区役所の窓口で困っていることを相談したり、個人的に意見を伝えたりしてきましたが、それでは何も変わらなくて、悲しい想いをしました。

それを団体として声を集めたり、賛同して下さる議員さんたちにご尽力頂くことで、行政の方々の受け止め方が全然違うのだと感じます。同じ想いを持つ人たちで繋がり、知恵を集めて形にして、声にしていくことの力を学びました」

想いを同じくする他の団体と共に、医療的ケア児の保護者の就労支援に関する要望書を提出

復職し、新たなキャリアにチャレンジし、NPO法人の理事としても精力的な動きを見せる村林さん。その行動力の源泉は、どこにあるのだろうか。

村林:「自分が社会に対して還元できるようなものを何か持っているのなら、それによって社会に貢献したいという気持ちがあるからです。もう一つ、私のなかに持ち続けてきたのは、こどものことを理由に自分のやりたいことを諦めたという結果にしたくないという気持ちです。

こどもに病気や障害があったとしても、自らが望めば働き続けることができる。そのことを自ら体現したいという強い願いでした。それによって、頑張っている娘の存在や色々あるけど何とかやっている自分自身を認めてあげたいという想いがあったのです。

復職して思ったことは、医療的ケア児の母が職場に存在することで、少なくとも私の職場の人たちは、医療的ケア児の存在を知ることになります。色々な場所で認知が広がっていくことで、医療的ケアが必要なこどもたちや障害のある人とその家族を支えるようなサービスが生まれ、社会がアップデートされていくことを期待したいです」

村林さんは、さらに話を続ける

村林:「高校を卒業するのが18歳なんですが、そうすると医療的ケアが必要なこどもたちの居場所がすごく限られてきてしまうんですね。娘が安心して楽しく過ごせるような居場所が増えたり、社会と関わりながら力を発揮できる場があればいいのになと思います。

娘は歩けないし話せませんが、笑顔がとても良いので、たとえばレストランで笑顔でお客さんを出迎えたりできないだろうか。生産性というものさし以外で、社会に対して還元できることを探し、それを社会のなかでアピールできる場所ができて、それが娘の職場だったり居場所になっていけばいいのになって思うわけです。

本人が、親以外の誰かと過ごせる場所が、安定的に存在し続けることが大切なんだろうなと思うんです。先日、ある医療的ケア者の方のお話を伺う機会がありましたが、ご自身の世話をするために、ご家族が何かを犠牲にするとか、そういうのは嫌なんだ、と語られたのが印象的で。

お世話をされている側からすれば、世話をしている家族も、ちゃんと自分の人生を生きて、笑っていてほしいということなんだと理解しました。私も、個人的にはそれは理想の考え方で、娘がいたとしても、自分のやりたいことをあきらめたくないという想いが、根底にはあります。

そして同様に、娘がいたからこうなったと、ポジティブな意味で捉えるのはいいのですが、娘のせいで働けなかったとか、娘のせいで仕事を辞めなきゃいけなかったと、そんなふうに思いたくはない。娘のことがあったから、そのままずっと商社パーソンで行くキャリアではなく、新しい道を行くことができた…とか、前向きな方向で考えたいですね。

あまり一般的ではない経験をさせてもらっているわけですから、それだからこそ気づけること、変えていきたいと思うこともある。それを一つひとつ声を上げて、少しでも改善の方向に向かえればいいなと思っています」

インタビューの間、誠実にそして、熱量を持って語り続けてくれた村林さん。その気丈な振る舞いからは想像できないほどに落ち込んだり、泣き続けたり、自己嫌悪に陥ったり、憤りを感じた日々があったという。人生におけるさまざまな葛藤の時間を乗り越えていま、村林さんご自身、そして娘さんやご家族にとっての新たな文脈で彩られた暮らしがつむがれようとしているのかもしれない。

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