かつて日本社会では、キャリア形成における「移動」はポジティブな変化の象徴として語られてきました。デジタルノマドや転職、越境学習といった言葉が注目を集める一方で、同じ場所にとどまり続ける人たちのキャリアは、ともすれば「停滞的」「保守的」と見なされがちです。
しかし、ワーケーション・デジタルノマド研究の第一人者として知られる立教大学経営学部の松下慶太教授は、「動かない」ことを否定的に捉える必要はないと語ります。移動しないからこそ深まる「垂直移動」のキャリア、動く人と動かない人の相互依存的な関係性、そして哲学的概念である「歓待」を軸に、移動しないキャリアの可能性と意義について語っていただきました。
※なお、本記事でいう移動する(動く)人・移動しない(動かない)人は、単純に物理的に引っ越しや転職をするかどうかだけを指すものではありません。ここでは以下のように整理しています。
- 移動する人:地域・組織・職種などを越えて環境を変えながら、新しい関係性や価値観を取り入れていく人
- 移動しない人:同じ地域・組織・コミュニティに継続的に関わりながら、関係性や知識を蓄積し、内側から変化を生み出していく人
松下慶太
立教大学経営学部教授。京都大学にて博士(文学)。専門はメディア論、ソーシャル・デザイン。デジタル・ノマド、ワーケーションなどメディア・テクノロジーによる新しい働き方・働く場所を研究。近著に「Promoting Digital Nomads in Rural Japan」(2025)「How the Japanese workcation embraces digital nomadic work style employees」(2022)など。日本デジタルノマド協会幹事、日本ワーケーション協会フェロー。
WEBサイト:https://www.matsushita-lab.com/
動かないからこそ深まる「垂直移動」のキャリア
質問:「あえて移動しない」「同じ場所・同じコミュニティにとどまり続ける」ことは、どのようなキャリア形成につながり得るとお考えでしょうか。
松下:デジタルノマドや移民の方々が、いわゆる「水平移動」「横移動のキャリア形成」として位置づけられるとすると、逆に動かない人たちというのは、「垂直移動」のキャリア、つまり動かないことによってローカルで深めていき、深まることで動く人たちとの相互作用で地域にインパクトを与えていくということがあり得るのではないでしょうか。
地域の食文化や観光といったものは、動かない人たちが礎となって作っていくものです。少し抽象的なたとえで言うと、味噌や醤油、酒といった発酵食品のように時間をかけて形成されていくもので、動かない(動けない)人ならではのキャリア形成になりますし、否定的に捉えられる必要はないと思っています。
もう一つ、哲学・言語学の概念の中に、「寛容」と「歓待」というものがあります。寛容は許すということで、歓待は喜んで迎えるということです。哲学のなかでも、寛容と歓待は違うと言われています。今回の文脈で言うと、寛容というのは、ローカルでも企業でも組織でも、いろんな人がいても許すということです。一方で歓待というのは、許しながらも相互作用で自分も変わっていくということです。
状況の受け入れ方には2種類あります。寛容は、我慢して「別にそれをやってもいいよ」「自分は変わるつもりはないけどそこにいてもいいよ」という受け入れ方です。もう一つが歓待で、「その人がいることで自分もいろいろと変わりながらその人たちを受け入れていく」ということです。この2種類の区別は哲学のなかでも指摘されており、キャリアにも当てはまります。
この歓待というのは、たとえば企業や組織で考えると、転職してくる人がいてもいいよということと、その人を迎えることで自らも変わっていくことができるかどうかということです。動かない人こそこのような「歓待のキャリア論」とも言えるものを意識していくと良いのではないでしょうか。
動かない人のキャリア形成という意味では、寛容ではなくて、やはり歓待を内面化しているということが重要です。個人の内面の問題なのか、企業や組織の制度・社風の問題なのかはさておき、歓待というところで見ていくことが一つの視点になります。
この歓待のマインドセットは、動いている人にはなかなか持ちにくいものです。動く人は新しい場所で自分がどうするかということに向き合うので、受け入れる側の視点を持ちにくい。その意味で、歓待のマインドセットは動かない人ならではのキャリア上の強みだと思います。
また、企業でも地域でも、動かない人がいないとそもそも組織は成立しません。ただ、これまではその役割を動かない人を中心に形成されてきたという側面があります。それは社会的にも是正していく必要があるのではないでしょうか。
ストックとフロー、動かない人が継承する文化と社風
質問:「移動しないキャリア」は、ときに「停滞的」「保守的」とみられることもあるかと思います。移動しないからこそ形成される蓄積は、どのような点に特徴があり、またそれは移動する人では代替しにくいものなのでしょうか。
松下:動く人をフロー、動かない人たちをストックと考えるとわかりやすいかもしれません。地域にしても企業にしても、動く人たち(フロー)は新規性や新しい価値観を持ち込む存在です。一方、動かない人たち(ストック)には文化を維持するという側面があって、たとえば企業の社風であったり、前の世代からの継承であったりといったことは、動かない人たちがいないと成立しないものです。
そうした蓄積や継承という特徴は、ストックの人たちこそが中心となって作っていくものです。料理を例に表現すれば、出汁に当たる部分がストックの人たちで、動く人たちはスパイスと考えるといいかと思います。地域や企業、組織というのは動かない人がいないと成立しないのです。
たとえば、寿司というのはいわゆるグローカルフードで、日本国内で動かない人たちが伝統を継承し蓄積していく一方、グローバルにも展開している食文化でもあります。グローバルに出ていくためには動く人たちが必要ですが、その根本を作っているのは動かない人たちです。ある種、車の両輪というか、両利きの経営ではないですが、やはり両方が存在しないと難しくなってくるかと思います。
動かないことが保守的・停滞と否定的に見られてしまう傾向があるかと思いますが、それはいわゆる寛容、つまり「いてもいいけど我々は変わらないよ」というところが大きくクローズアップされているからではないでしょうか。変わりたくないから動かないという見られ方です。ただ、歓待というコンセプトで見ていくと、受け入れながら自分も自ら変わっていくようなところをもう少し評価していかないといけないと思っています。
私は学生生活を京都で過ごしましたが、京都には伝統産業や歴史ある企業が多いなかで、創業から何百年も続いているところほど、うまく変わっていっているのです。変わらない企業はなくなっていく。たとえば老舗のお香の会社がアメリカの瞑想ブームとうまく結びついて新しい価値を再定義してビジネスを展開していくような事例もあって、歓待の精神で自ら変わっていける組織が生き残るということだと思います。おそらくキャリアも同じではないでしょうか。
キャリアと生活の分離が問い直す「移動」の意味
質問:主要都市から「動ける人/動けない人」、地方から「主要都市に移動する人/地方に残る人」という軸で捉えたとき、「移動しない」という選択が、キャリア形成上リスクになったり、強みになったりしますでしょうか。また、地域性はあるのでしょうか。
松下:かつては上京して一旗揚げるというストーリーがありましたが、今や主要都市に行くとキャリアが消費されてしまう危険性があると考える人もいるようです。たとえばAIや環境系ビジネスといった分野に人材を投入していくとして、ブームが去った後の保証はなく、次の産業へのキャリアチェンジも個人に任されていて、仕組み上うまく吸収できないということです。
主要都市へ移動すればなんとかなるという世界観ではない人たちもかなりいます。地元志向が強く地元から出ようとしない若者たちをマイルドヤンキーと表現したりしますが、地方に残ってキャリアを作っていく人たちも少なくありません。
かつては、キャリアと生活は密接につながっていましたが、今ではかなり分離してきたのではないでしょうか。キャリアは上昇しても生活は大変だという人たちがかなり出てきています。
上京してキャリア的に成功した人に、これからどんな生活がしたいかと聞くと、「田舎で蕎麦屋を開きます」という答えが返ってきたという笑い話があります。それなら、最初から地方で蕎麦屋を開けば良かったのではないか、とも言えます。キャリアは目的なのか手段なのかということと、キャリアと生活の分離を踏まえて、動く・動かないをマッチングさせていくことは、個人にとって重要なのだと思います。
また、学生を例にあげると、キャリアと生活を分けて考える傾向は、首都圏以外のほうが強いかもしれません。東京など首都圏に住んでいる学生は、移動するということをそもそも念頭に置いていない人が非常に多いので、首都圏で生まれ育って就職するという流れで、キャリアを機に移動する、しないという選択肢を迫られません。首都圏の学生でも、転勤などで「東京から離れたくない」と思っている人たちも、ある意味、動けない人たちではありますね。一方、地方の学生のほうが、キャリアと生活をどうするのかという点には敏感だと思います。
動ける人と動かない人の違いはどこにあるのか。イギリスのジャーナリストであるデイヴィッド・グッドハートが著書『The Road to Somewhere』で提唱したエニウェアとサムウェアという概念があります。
エニウェアはどこでも行ける動く人たちのことで、サムウェアはどこかに根付く人たちということです。エニウェア思考の人とサムウェア思考の人がいて、そこが、動ける人と動かない人の分岐点かなと思います。これは遺伝子レベルではなく、いろいろな経験や情報、経済力などの要素を背景として、社会的に構成・構築されていくものだと思います。
動く、動かないの選択には地域性も関係しています。日本の中京圏や関西圏など、ある程度の産業規模があってその地域で典型的なキャリアルートが描きやすい地域は、あえて主要都市に出る理由がなく、地元志向も根強い。逆に、高校・大学・就職先という出発点のストーリーが描きにくい地域は、出ていかざるを得ないということになるのだと思います。
地域や企業を「庭」として捉え、流動性と定着を両立する
質問:地方へのワーケーションや地域副業、越境学習などは、「移動する人」だけで成立するものではなく、地域(ローカル)にとどまり、その場所や関係性を支える人の存在があってこそ成り立つ側面があるかと思います。このような「移動する人」と「移動しない人」の相互依存的な関係性は、どのように整理・理解することができるでしょうか。
松下:移動する人と移動しない人の関係というのは、どちらか一方が優れているというものではなく、それぞれが異なる役割を担いながら相互に支え合う関係にあります。地方ではこれまでにお話ししたように移動しない人たちが歓待のマインドセットを持って関係性を作っていくことが基本になっていくかと思いますし、それが地域の発展、さらにはグローバルな視点では日本の発展にもつながっていくのではないでしょうか。
21世紀に入ってから、ローカルと結びついたグローバルなものというのは、日本に限らずどの国でも重要なポイントになってきています。先ほど寿司の話をしましたが、日本固有のものとして発見されるのを待つだけではビジネスとして難しいですし、海外で売れる商品を作ればいいということでもありません。ローカルと結びついたグローバルなものを生み出すためには、動かない人と動く人たちが相互作用することが不可欠なのです。
この関係性を理解する上で示唆的なのが評論家の宇野常寛さんの著書『庭の話』に出てくる「庭」というメタファーです。庭は完全に閉じられた空間でもなければ、完全に開放された自然でもありません。外から風や虫が入り、変化の契機をもたらす一方で、放置すれば秩序は崩れてしまうため、内側からの手入れが必要です。すなわち「適度に開き、適度に閉じる」ことで、はじめて豊かな状態が保たれます。
地域や企業も同様に、外部人材を無制限に受け入れるだけでは持続せず、かといって閉じすぎれば新陳代謝が失われます。重要なのは、「どのような人と関わりたいのか」という意思を持ちながら、外との関係をデザインしていくことです。たとえば地域政策においても、「誰でも歓迎」ではなく、「こういう人と関係を築きたい」というメッセージを明確にすることで、より良い相互作用が生まれやすくなります。
これは企業における転職も同じです。転職者を組織の一員として迎え入れたいという部分と、オープンイノベーション的に動いている人たちの視点を企業やビジネスに取り入れていくという部分、両方が大事になってくると思います。
動かない人が作っていくキャリアは蓄積、ストックの部分になりますし、途中で転職して入ってくる人たちが新しいものを持ち込むというキャリアの作り方もある。あるいは小刻みに動き続けるというキャリアもある。それぞれに専門性があるのだと思います。1年で転職を繰り返すのは良くないとか、長くいることだけが偉いという価値観は変えていく必要があるのではないでしょうか。
海外から発見される日本の価値、受動的な姿勢からの脱却へ
質問:東京と地方の関係性は、日本とグローバル(欧米など)の関係に通じる面があるとも考えられます。日本社会のなかで「保守的」と言われがちな、日本にあえて残る人、地方にあえて残る人たちは、グローバルな視点から見ると、どのように位置づけられるとお考えでしょうか。
松下:グローバルな視点から見ると、「日本人は英語が話せない」「引っ越しをあまりしない」といったことは確かに言われています。一方でそのローカル性を、保守的ではなくストックとして発見していくという部分はもちろんあって、海外の人が日本に来て伝統に価値を見出すというストーリーは多数存在しています。
たとえば、陶磁器や浮世絵が海外で評価され、それが逆輸入的に日本で再認識されたように、日本の価値が「外から発見される」という構図は歴史的に繰り返されてきました。近年でも、SNSを通じて海外の人々が日本の魅力を発信し、それが国内で再び注目される現象が起きています。
そういったものを自分でストーリー化して海外の文脈で位置づけるということは、日本人があまり得意にしてこなかったところかもしれません。日本人は「保守的」というよりも、グローバルカルチャーのなかに自分たちを位置づけてストーリーテリングすることが弱いのだと思います。ネガティブに言えば、いいものを作っていれば誰かが見つけてくれるという受動的な姿勢なのです。
そうではなく、相手の文脈のなかでストーリーを作るということが大事です。ワーケーションの普及に取り組んでいた際、地域の方々に話を聞いていると「うちの地域には歴史があって、温泉があって、魚が美味しい」という話が多いのですが、それは日本のどこでも言えることです。
現代のビジネスパーソンがなぜそこに来るといいのか、たとえば宿場町であれば「さまざまな人がアイデアを出し合う通り道だった場所」という文脈で現代のビジネスに結びつけると、ああなるほどと思えるのですが、単に「歴史ある宿場町です」だけでは企業側のモチベーションに結びつかないわけです。
「移動しないキャリア」を支える制度設計と社会のあり方
質問:リモートワークの普及により、物理的な移動と、関係性や役割の移動が分離しつつある現代において、「移動しないキャリア」を前向きに成立させていくためには、個人・組織・社会それぞれにどのような工夫や視点が求められるでしょうか。個人レベルで意識できる行動や組織・制度側に期待される役割などがあればお聞かせください。
松下:「移動する人は変化する人で、移動しない人は変化しない人である」という固定概念を崩してほしいと思います。これだけ動く人がいる時代ですので、自分が動けないからといっても、動く人と交わる機会は必ずあるはずです。そういった交わりのなかで自分の組織や個人のキャリアを変化させながら受け入れていけるかどうか。動ける人がうらやましいというだけでなく、いろいろなところで動く人と交わるなかで自分も変わっていくことが大事なのではないでしょうか。
組織と制度の面で考えると、動く人と動けない人が混じり合っている状態こそが、ある種の正常な「庭」の姿だと思います。そこに合わせた制度設計が必要で、たとえば企業のなかで長く勤めている人のほうが有利という制度があるから動かない、動けないという状況が生まれています。住宅ローンや退職金の問題で動けないということもあります。もう少し柔軟に、動く人にも配慮しながら、混じり合いをサポートするような制度を作っていくことはとても重要だと思います。
組織の種類によって、動く人と動かない人の最適な比率というのがあると思っていて、動く人は2割程度がいい組織もあれば、動かない人が2割程度でいい組織もある。組織がどれくらいの比率を目指すのか、そしてどのようにその比率に近づけるような制度設計をするのが大事になってくるのではないでしょうか。
難しいのは、そういった方向に動き始めている企業も増えてきているのですが、学校制度や税制などそれに対応できていない領域もあります。たとえばワーケーションで親子が一緒に移動する場合、保育園同士が連絡を取り合って「この子はこういう子です」と情報共有したり、「一学期間はこちらで大丈夫です」というような柔軟な対応ができたりすれば、親や家族にとってはとても助かります。こうした事例も存在しますがまだまだ多くはないのが実情です。
だからこそこれからは、動く人と動かない人を分けて考えるのではなく、両者が無理なく行き来し、関わり合える環境をどうつくるかが問われているのだと思います。個人の工夫だけでなく、組織や制度がそれを支え、「どちらのキャリアも選べる状態」を社会として用意していくことが重要です。
移動することだけが変化ではなく、移動しないこともまた変化であり得る―。そうした前提に立ったとき、キャリアのあり方はより多様で柔軟なものへと変わっていくのではないでしょうか。