キャリアを考えるうえでさまざまな選択肢がある現代において、個人のキャリア形成における「自律性」が強く求められるようになってきた。かつては終身雇用が前提とされ、企業内での昇進や異動を通じてスキルを磨くことが一般的だった。
しかし、現在では転職や副業、フリーランスといった多様な働き方が広がり、個人が自らのスキルを棚卸しし、どこでも通用する力を持つことが重要視されている。 こうした背景の中で注目されているのが「ポータブルスキル」である。
ポータブルスキルとは何か?
ポータブルスキルとは、特定の業種や職種に依存せず、どの職場でも活用できる汎用的なスキルのことである。厚生労働省はこの概念を「業種や職種が変わっても持ち運びができる職務遂行上のスキル」と定義しており、「仕事のし方(対課題)」と「人との関わり方(対人)」からなるとしている。
変化の激しい時代において、ポータブルスキルは個人のキャリアを支える“持ち運べる力”として、ますます重要性を増している。
社会人基礎力との違い
経済産業省が提唱する「社会人基礎力」も、ポータブルスキルの考え方と密接に関係している。社会人基礎力は「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の3つの能力群から構成されており、これらは業務内容や職種を問わず、幅広い場面で必要とされる力である。
「社会人基礎力」は、「ポータブルスキル」をより具体的に定義したものであり、両者は異なる概念ではなく、同じ目標を持つ関連性の高い概念として存在する。
注目される背景
このようなスキルが注目される背景には、キャリアの選択肢の多様化がある。終身雇用制度の崩壊や転職の一般化、副業・兼業の推進、さらにはジョブ型雇用の導入などにより、個人が複数の職場や職種を経験する機会が増えている。
こうした環境では、特定の企業や業務に特化したスキルだけでは通用しにくくなっており、汎用性の高いポータブルスキルがキャリアの安定性と柔軟性を支える鍵となっている。
さらに、ポータブルスキルは「リスキリング(学び直し)」の基盤としても重要である。新たな専門スキルを習得する際にも、論理的思考力やコミュニケーション力といったポータブルスキルがあることで、学習効率が高まり、実務への応用もスムーズになる。
このように、ポータブルスキルは単なる「便利なスキル」ではなく、変化の激しい時代において、個人が自律的にキャリアを築いていくための基盤となる力である。
ポータブルスキルとテクニカルスキル
ポータブルスキルとよく比較されるのが「テクニカルスキル」である。
テクニカルスキルとは?
テクニカルスキルとは、特定の職種や業務に必要な専門的な知識や技術を指す。たとえば、プログラミングや会計、設計、語学、法務知識などがこれに該当する。これらは業務の遂行に直接関わるスキルであり、職種や業界によって求められる内容が大きく異なる。
一方、ポータブルスキルは、業種や職種を問わず、どの職場でも活用できる汎用的なスキルであることは先に述べた通りである。コミュニケーション力や課題解決力、チームワーク、柔軟性、主体性などがその代表例であり、職場環境や業務内容が変わっても通用する力として位置づけられている。
ポータブルスキルとテクニカルスキルの違い
両者の違いは、スキルの「適用範囲」にある。テクニカルスキルは専門性が高く、特定の業務に特化しているため、職種が変わると活用しづらい場合がある。一方、ポータブルスキルは職種横断的に活用できるため、異動や転職、副業などの場面でも力を発揮しやすい。
キャリア形成においては、両者をバランスよく持つことが重要である。テクニカルスキルは「専門性」を高める武器となり、ポータブルスキルは「汎用性」を高める土台となる。たとえば、優れたエンジニアであっても、チームでの協働や顧客との折衝が求められる場面では、ポータブルスキルが不可欠となる。
近年では、企業の採用や人材育成においても、テクニカルスキルだけでなくポータブルスキルの評価が重視される傾向が強まっている。特に、ジョブ型雇用やプロジェクトベースの働き方が広がる中で、職種を超えて活躍できる人材が求められている。
このように、テクニカルスキルとポータブルスキルは対立するものではなく、互いに補完し合う関係にある。両者を意識的に磨くことで、変化に強いキャリアを築くことが可能となる。
ポータブルスキルの9要素
前述したように、厚生労働省はポータブルスキルを「仕事のし方(対課題)」と「人との関わり方(対人)」から構成されていると定義している。さらに細かく見ると、「仕事のし方」は以下の5要素、「人との関わり方」は以下の4要素であるとしている。
【仕事のし方】
- 現状の把握
- 課題の設定
- 計画の立案
- 課題の遂行
- 状況への対応
【人との関わり方】
ポータブルスキルの具体例
ここからは、上記のポータブルスキルの9要素をもとに、より一般的な表現に落とし込んだ具体例を見ていこう。
これらのスキルは、単独で機能するものではなく、複数の能力が組み合わさることで、より高い成果を生み出す。また、これらのスキルは職場だけでなく、地域活動や家庭、学びの場など、あらゆる社会的な場面でも活用される。
コミュニケーション力
相手の立場や状況を理解し、適切に情報を伝える力は、どの職場でも欠かせないものだ。単なる会話力ではなく、傾聴力や非言語コミュニケーション、状況に応じた表現力なども含まれる。チーム内の連携や顧客対応、上司との報告・相談など、あらゆる場面で求められる。
チームワーク・協働力
多様な価値観や専門性を持つメンバーと協力し、共通の目標に向かって成果を出す力のこと。役割分担や相互支援、信頼関係の構築などが含まれる。特にプロジェクト型の業務では、職種を超えた連携が求められるため、重要性が高い。
問題解決力
課題を発見し、原因を分析し、解決策を導き出す力。論理的思考力や仮説構築力、意思決定力などが含まれる。業務改善や顧客対応、新規事業の立ち上げなど、あらゆる業務において活用される。
リーダーシップ
チームやプロジェクトを牽引し、メンバーを動機づける力。役職に関係なく、状況に応じてリーダーシップを発揮することが求められる。目標設定、や進捗管理、メンバーの育成などが含まれる。
柔軟性・適応力
環境や状況の変化に対応し、行動を調整する力。新しい業務への対応や異文化理解、急なトラブルへの対処など、変化の多い現代において必要不可欠な能力である。
主体性・自律性
自ら課題を見つけ、行動を起こす力。指示待ちではなく、自分で考え、動く姿勢が求められる。特にリモートワークやフリーランスなど、自己管理が求められる働き方では重要性が高い。
ポータブルスキルの鍛え方―個人と企業の視点から
ポータブルスキルは、意識的に磨くことで着実に伸ばすことができる。ここでは、個人と企業の両方の視点から、ポータブルスキルの育成方法について解説する。
個人ができるポータブルスキルの鍛え方
それでは、個人がポータブルスキルを伸ばす方法を見ていこう。
日常の業務でポータブルスキルの意識を持つ
まずは、日々の業務の中で「意識的に実践する」ことが重要である。たとえば、会議での発言や報告書の作成、チームとの協働など、日常的な業務の中でコミュニケーション力や課題解決力を磨く機会は多い。
これらを「ただこなす」のではなく、「どうすればより効果的に伝えられるか」「どうすればチームがうまく機能するか」といった視点を持つことで、スキルの質が高まる。
社外活動をする
社外での活動も有効である。副業やボランティア、地域活動、勉強会など、異なる価値観や文化に触れる場では、柔軟性や適応力、主体性が試される。こうした「越境経験」は、ポータブルスキルの実践と振り返りを通じて、スキルの定着を促す。
自分のスキルを客観的に把握する
キャリアコンサルティングやリフレクション(内省)を活用することで、自分のスキルを客観的に把握し、強みや課題を明確にできる。ポータブルスキルは「見えづらい」スキルであるため、言語化や棚卸しのプロセスが重要となる。
企業としてできる従業員のポータブルスキルの鍛え方
企業においても、ポータブルスキルの育成は人材の流動性や組織の柔軟性を高める上で重要なテーマとなっている。特に、ジョブ型雇用やプロジェクトベースの働き方が広がる中で、職種横断的に活躍できる人材の育成が求められている。
ポータブルスキル研修を行う
まずは人材育成制度にポータブルスキルの要素を組み込むことが有効である。たとえば、研修プログラムに「課題解決力」「チームビルディング」「リーダーシップ」などのテーマを設けることで、体系的な育成が可能となる。
異動や越境学習を推進する
異動や越境学習の推進も効果的である。部署間の異動や社外との連携プロジェクトに参加することで、従業員は新しい環境に適応しながら、ポータブルスキルを実践的に磨くことができる。こうした経験は、単なるスキル習得にとどまらず、視野の拡大やキャリア自律にもつながる。
スキルを「見える化」できるツールを活用する
360度評価や行動特性の可視化ツールを活用することで、ポータブルスキルの「見える化」が可能となる。厚生労働省が提供する「ポータブルスキル見える化ツール」などを活用すれば、従業員自身が自分のスキルを客観的に把握し、育成の方向性を定めることができる。
企業がこうした育成支援を行うことで、従業員のエンゲージメントやキャリア自律が促進され、結果として組織全体の柔軟性と競争力が高まる。
ポータブルスキルを武器にする時代へ
ポータブルスキルは、変化の激しい現代において、個人が自律的にキャリアを築くための「持ち運べる力」である。業種や職種を問わず活用できるこれらのスキルは、転職や副業、社内異動、さらにはリスキリングの場面でも大きな価値を発揮する。
テクニカルスキルが専門性を高める武器であるのに対し、ポータブルスキルは職場や職種を超えて活躍するための土台となる。両者をバランスよく育てることで、変化に強いキャリアを築くことが可能となる。
企業にとっても、ポータブルスキルを育成・評価することは、柔軟で強い組織づくりにつながる。個人と企業がともにこのスキルの価値を理解し、育成に取り組むことで、より持続可能な働き方が実現されるだろう。
今後の働き方を見据え、自分のポータブルスキルを棚卸しし、磨き続けることは、未来の自分への投資である。変化に対応できる力を持つことが、これからのキャリアの安定と成長を支える鍵となる。