VUCA時代において、企業の持続的な成長やイノベーション創出のためには、従業員一人ひとりの視野を広げ、柔軟な思考力を育むことが不可欠である。
そんな中、社会人の学びの形として注目を集めているのが、異業種や異文化との交流を通じて学びを得る「越境学習」だ。2025年3月には経済産業省から、越境学習を取り入れたい企業などへのガイドラインや取り組み事例のレポートも発表されている。
本記事では、これらのレポートをベースに、越境学習の定義や個人と組織にもたらす効果を解説するとともに、マイナビキャリアリサーチLab内の記事から、関連記事や越境学習に当たる取り組みを行っている実践例を紹介していく。
越境学習とは
越境学習とは、個人が企業や部署など自身が所属する組織を離れ、他企業・他部署などの異なる環境に身を置くことで、新たな視点や価値観、スキルを得る学びである。
経済産業省の『越境学習を支える伴走者のための実践ガイドライン』では、下記のように解説され、「往還型の学習」が鍵であるとしている。
越境学習の特徴は、異動や転職のように一方向で終わるわけではなく、所属組織と越境先を行き来(往還)することである。一定期間、越境先で活動した後に再び所属組織へ戻り、そこで得た学びをどう生かすかが重要となる。
経済産業省『越境学習を支える伴走者のための実践ガイドライン』
なぜ今、越境学習が求められるのか
社会人のスキルアップの手段としては、社内の研修制度や自主学習での資格取得などもあるが、なぜ「日常とは異なる環境に身を置く」という越境学習の形が注目されているのか。代表的な要因を見ていこう。
変化に対応できる人材の重要性
現代は「VUCA時代」と呼ばれ、急速な変革への対応やイノベーション創出が求められる環境である。こうした時代においては、過去の成功体験や既存のスキルだけでは通用しない場面が増えており、柔軟な思考力や多様な視点を持つ人材の育成が急務となっている。
越境学習は、このような環境に対応できる「変化に強い人材」を育てる手段として注目されている。特に、異業種や異文化との接点を持ち、視野の拡大や新たな価値観の獲得によって思考の柔軟性が身につくことなどが期待できるのだ。
キャリア自律の必要性
また、就業人生の長期化によって、働く個人が自身のキャリアを主体的に考える必要性が高まっていることも要因の一つだ。終身雇用というこれまでの雇用の在り方が変わってきていることや、人材の多様化も進んでいる状況の中で、企業には画一的な研修制度以外に、従業員一人ひとりが自らの望む将来像を見つけられる機会の創出や自律的に学べる仕組みづくりが求められている。
越境学習は、業種や企業などの枠組みを超えた人々との交流で新たな価値観に気づくことにより、自身の仕事への向き合い方やキャリアへの考えの幅を広げることでキャリア自律へのヒントになると考えられている。
日本企業における学習環境の変化や越境学習の重要性については、下記の対談記事でも語られているので、参考にしてほしい。
越境学習が組織にもたらす効果
では、企業が従業員への越境学習を促進することは、組織にとって具体的にどのような効果をもたらすと考えられるのだろうか。経済産業省の『越境学習をイノベーション創出につなげるために』のレポートでは、以下のようなポイントが示されている。
従業員の新たなスキルやコンピテンシーの育成
経産省のレポートでは、越境学習の効果は、越境学習者が新たなスキルやコンピテンシー(高い成果を出す人材に見られる行動特性)を身に着けられることだと述べられている。
越境学習者が新しい環境に「越境」すると、それまで培ってきた自分の常識や前提が揺さぶられて戸惑いや違和感を覚え、その不快感を解消しようとする。越境学習でそのような機会をつくることで、新たなスキルやコンピテンシーの獲得を促進させることができるのだ。
イノベーションの創出
越境学習で新たな視点や発想を獲得した従業員が元の組織に戻り、それを発揮することによるイノベーション創出も期待されている。
異業種との交流によって、自社の事業における新たなニーズに気づいたり、異なる風土を持つ組織に身を置くことで普段の職場での慣習やコミュニケーションの在り方などを見直したりするきっかけとなり、組織のイノベーションを生み出す起点となりえる。
従業員のキャリア自律の促進
越境学習では自分の組織で培ってきたスキルや経験がそのまま生かせない場所で課題解決に取り組むことや、異なる常識を持つ人との交流を持つことで、自身の強みや弱みに気づくという効果もあげられている。
そのような体験をすることで、自身のキャリアの意味や方向性を深く考えるようになり、将来の選択肢を主体的に描く「キャリア自律」の土台が育まれるだろう。
組織文化の変革と多様性の受容
越境学習は、自身の固定観念を覆して視野を広げる絶好の機会でもある。越境学習者が異業種や異文化の人々との協働で、普段の職場の常識や価値観と異なる考え方と接し、乗り越えていくことにより、多様な価値観を受け入れる柔軟性が養われる。
このような人材が自分の組織に戻ることで、従来の同質的な文化に風穴が開き、変化を受け入れる柔軟性が高まり、組織の意思決定やコミュニケーションの在り方に新たな視点をもたらすことが期待できる。
越境学習の効果を高めるポイント
経済産業省の『越境学習を支える伴走者のための実践ガイドライン』によれば、越境学習の学習効果は、所属組織や越境先に「伴走者」と呼ばれるサポート役がいるかどうかで左右されるという。
ここからは、レポートで解説されているポイントの中から、越境学習の効果を高めるために越境学習者の所属組織の伴走者に求められるサポートを紹介する。
目的と期待値の明確化
越境学習をはじめる際には、越境学習者と所属組織の双方が「何を得たいのか」「どのような変化を期待するのか」を明確にすることが重要である。
また、在籍出向や社内副業など、事前に所属部署の上長と越境先の担当者などが打ち合わせしやすい場合には、越境学習者に期待することや役割をすり合わせておくこともポイントである。
内省支援・孤立の防止
越境中は、越境学習者の学びや気づきをより深めることも重要だ。越境前に設定した目標への進捗を確認しながら越境中に得た学びや能力を言語化・整理するサポートを行うことはもちろん、学びや気づきを踏まえて新しい発想が生まれるような内省支援を行うと、より学習効果が高まるとされている。
また、越境中は越境学習者が所属組織と越境先の文化や価値観の違いに戸惑い、孤立感を感じてしまうこともある。そのような場合に、不安や悩みの相談に乗りながらも、先回りして課題を取り除いてしまうのではなく、自身の力でそのギャップに対処する体験をサポートできるとよいと示されている。
イノベーションの芽を育てる
越境学習の成果を個人の成長にとどめず、組織全体の知見として生かすためには、学びの共有の場づくりや経験を活かせる配置の工夫が必要である。たとえば、社内報告会や共有会などを通じて、越境学習者本人にも気づきや課題を振り返る機会をつくると同時に他の社員にも刺激を与えることができる。
さらに、習得した知見などを基に越境経験を活かせる人員配置を検討するなど、元の状態に戻しすぎないように調整して、イノベーションにつながる受け皿を用意することもポイントとされている。
越境学習を実践する方法と企業事例
越境学習の効果について触れてきたが、実際に越境学習を行うにはどのような手段があるのだろうか。ここからは越境学習を実践する方法や、その方法で従業員の学びを促進している企業のインタビューについても紹介していく。
出向・在籍出向
まずイメージしやすい越境学習の手段としては、グループ企業や他企業、NPOなどへの出向がある。これは主に数ヶ月から1年程度、越境先の組織で業務に従事する形式であり、深い実務経験と人間関係の構築が可能となる。
また、会社間留学のような形式で、自社に籍を置きながら出向するという「在籍(型)出向」と呼ばれる手段もある。実際に他企業やNPOへの出向については、人事ネットワークの中でマッチングしたり、外部のコディネート企業などに依頼する形式が多い。
副業・兼業
副業や兼業を通じて、他企業や団体で実際に働くことも、越境学習の有効な手段である。本業で属している企業と異なる風土や考え方の組織や団体で働いたり、本業とは異なる業種で働いたりすることなどで新しいスキルや知識の獲得につながることがある。
副業・兼業を促進する企業の事例についてはサイボウズ株式会社のインタビューが参考になるだろう。副業・複業がもたらす新規事業創出のチャンスなどについて語られている。
プロボノ
「プロボノ(Pro Bono)」とは、普段の仕事で培った専門スキルなどを活かして行うボランティア活動を指す。NPO法人や地域団体などの一員となって活動の支援などを行うことで、新しい知識や考え方に触れて自身の知識などもアップデートされる。
プロボノについては下記の特集で、この分野を研究している名古屋産業大学の今永典秀准教授をはじめ、プロボノを活用している企業、支援している団体といったさまざまな立場の人へのインタビューを通して、プロボノの効果などについて迫っている。こちらも参考にしてほしい。
ワークショップ・異業種勉強会
越境学習の導入の初期段階などでは、短期集中型プログラムも有効である。たとえば、地域の課題解決について考えるワークショップや、異業種の人同士で集まって行う勉強会などがあげられる。越境に対する心理的ハードルが高い社員にとっては、こうした短期プログラムが“越境の第一歩”となるだろう。
社会人大学院・学び直し
働きながら大学院や専門機関で学ぶ「学び直し」も、越境学習の一形態である。異業種・異世代の学生とともに学ぶことで、知的刺激を受け、理論と実践を往還する力が養われる。特に、人的資本経営の文脈では、こうした学び直しを支援する企業も増えており、長期的なキャリア形成の一環として注目されている。
まとめ
社会が急激に変化しているうえでも、職場の多様化が進むうえでも、所属組織や業界で求められてきたスキルや考え方に囚われずに、多角的な観点から柔軟に思考・行動していける人材の重要性は高まっている。
越境学習は、個人の視野を広げ、自己変容を促すだけでなく、組織に新たな価値をもたらす学習の在り方としてますます注目されていくだろう。従業員の人材育成の方法の一つとして、導入を検討してみてもよいのではないだろうか。