採用のために基本給をあげた企業は7割 「2025年春闘」に向けた賃上げ戦略
採用のための賃上げがスタンダード化
2024年12月に企業の採用担当者を対象にマイナビが実施した「人材ニーズ調査2024年版」では、採用目標達成のために2024年に基本給をあげた割合が、中途採用者で68.9%、新卒採用者で73.0%にのぼった。物価上昇への対応や従業員の意欲向上を目的とする企業も多い賃上げだが、新規人材確保の手段としてもスタンダードになりつつある。
2月から本格化する「2025年春闘」では前年に続き大幅な賃上げが予想される。人材を資本と捉えて中長期的な企業価値向上に繋げる人的資本経営の重要性も高まる中で、企業はどのように賃上げに向き合い、採用と人材定着に繋げていくべきなのかを考察する。
人手不足感とともに高まる『採用賃上げ』
「人材ニーズ調査2024年版」の結果からは、企業が採用のために基本給の引き上げを迫られている実態が浮かぶ。基本給をあげた割合は中途採用者・新卒採用者ともに、2018年にこの設問を聴取し始めて以来、2年連続で過去最高を更新。7割近くが2024年の1年間で基本給をあげたことがわかった。
基本給をあげた割合の推移をみると、新型コロナの影響も大きかった2020年は一時低下して5割を下回ったが、その後は一貫して上昇。2023年にコロナ以前の水準を超え、今回の2024年は2020年比で30pt近く上昇している。【図1】
この推移は、日銀「全国企業短期経済観測調査」の雇用人員判断D.I(雇用人員について「過剰」の割合から「不足」の割合を差し引いた指数)に連動している傾向だ。雇用人員判断D.I.はこの10年間マイナスで推移しており、新型コロナの影響で一時上昇したものの、2020年代は再び下降。現在はバブル期以来の低水準にまで落ち込む。企業の人手不足感が高まるとともに、基本給の引き上げを行う企業も高まる様子がうかがえる。【図2】
基本給引き上げ効果はイマイチ
基本給引き上げは企業の採用にどのように影響しているのか。「人材ニーズ調査2024年版」では、中途採用担当者・新卒採用担当者それぞれに基本給の引き上げが『応募者の数』『採用者の数』『採用者の質』『企業の生産性』の各採用成果へどのような影響したかついて聞いた。
結果をみると、『採用者の数』『採用者の質』ともに向上したとする採用担当者は4割を下回った。また持続的な賃上げ実現に欠かせない『企業の生産性』については、向上した割合は中途・新卒ともに3割程度となっている。【図3、4】
日銀の雇用人員判断D.I.では特に中小企業の人手不足感が深刻であることがわかるが、基本給引き上げの効果についても限定的である可能性は否めない。新卒採用・中途採用それぞれの『採用者の数』『採用者の質』の結果を企業規模(正社員数)別に分析してみても、企業規模が小さいほど「向上した」の割合が低く、採用成果へ結び付けるのが難しい現状が浮かぶ。【図5】
さらに、人員の充足の観点からも基本給引き上げの効果を検証した。2024年の採用計画における人員確保の状況を聞いたところ、中途採用において採用数を「確保できた」割合では、基本給引き上げを行った企業が60.4%に対して、引き上げをしていない企業は56.1%だった。
新卒採用においては、採用数を「確保できた」割合は、基本給引き上げを行った企業が67.4%に対して、引き上げをしていない企業は62.5%となった。【図6、7】
基本給を引き上げた企業の方が採用数を充足できた割合が若干高く、採用成果を高めるために一定の効果が期待できる手段だろう。しかし、基本給を引き上げてもなお人員を充足できない企業は多いようで、それ自体が採用競争における他社との決定的な差別化ポイントとはなりにくい現状もうかがえる。
賃金に対する現実的でシビアな視線
なぜ待遇の改善が採用成果向上に結び付きにくいのか。2023年に転職した20代~50代正社員を対象としたマイナビの「転職動向調査2024年版(2023年実績)」の結果をみると、転職理由は「給与が低かった」、転職先を決めた理由は「給与が良い」が最多となっている。【図8】
転職の目的は人によって異なるが、その中でも自身の報酬を改善したいというニーズは高い。転職が活発化し、働く人にとって選択肢が多くなっている今の時代、業種や職種、仕事内容や役割を転換することで自ら処遇改善を図りやすくなっていることも背景にあるだろう。
また、2025年卒業予定の全国の大学生・大学院生を対象に実施した「マイナビ 2025年卒大学生活動実態調査」で、就職先として企業を選ぶ際のポイントとしてもっとも当てはまるものを1つ選んでもらったところ、「待遇面(給与、休日休暇制度含む)が良い」が一番多い回答だった。【図9】
前年トップ2だった「社風や働く社員が良い・良さそう」「安定性がある」を上回る結果で、より現実的に就業を捉え“働くことのリターン”を意識する姿もうかがえる。学生・転職者ともに賃金に対する関心や期待は高く、就業先を選ぶうえでの最優先事項と位置付ける人も少なくないのだろう。
一方、新型コロナ以降はこれまで以上のペースで賃金水準が底上げされており、高水準を記録した前回2024年春闘も追い風に社会全体で機運が高まっている。賃上げを行った企業の中には、他社と足並みをそろえるかたちで賃上げしたところもあり、そのような企業が採用を目的にプラスアルファで賃上げを行うことは決して簡単でない。
ましてや、賃金に対する求職者・就業者の“高い期待値”を超えようとすると、大幅な賃上げを実施しない限り、それ自体が他社との差別化のポイントになりづらい状況にあると考える。
配分の選択による戦略的賃上げ
このような状況下で、企業はどのように採用に向けた賃上げ施策を実行すべきか。これから採用するすべての候補者、現在働くすべての従業員に対して、平等に高水準で基本給アップをするに越したことはないが、これは容易ではない。さらに、翌年・翌々年と継続して賃上げを行おうとすれば、現状以上の企業成長が求められる。
賃上げは生産性向上の結果として行われることが本来的であり、採用や現従業員の意欲向上を目的とした賃上げは先行投資とも言える。「企業人材ニーズ調査2024年版」の結果にも表れたような、賃上げを生産性の向上に繋げることが難しい状況になってしまうと、企業には財務的な負担が生まれ持続的な賃上げは難しい。給与を重視する今の就業ニーズの高まりも考えれば、持続的な賃上げを実現できないことによる人材流出のリスクにも繋がりかねない。
その意味でも、人への投資が生産性向上に繋がるような「仕組み」を整えることがまずは大切だろう。実現のためには、待遇改善・賃金アップの対象を厳選し、自社の生産性向上への貢献度が高い重要ポジション(仕事・立場)を差別化する必要がある。
配分を調整することで、同規模の人への投資の中で、企業の成長を促す基盤や新たな柱を整えつつ、人材獲得が難しくなる採用市場において他社と待遇面で差別化を図ることにも繋がるはずだ。仕組みが整うことで、それがより多くの従業員を対象に賃上げを行う基盤が生まれる。【図10】
人への投資は賃上げに限らず、人材育成や労働環境整備も企業の付加価値向上に直結する重要な要素だろう。これも対象を選別し、高いポテンシャルと意欲がある人材や、企業の競争優位に貢献する仕事・ポジションに注力することで、新たな企業価値を生み出す可能性が期待できる。
高い賃上げ率が予想される2025年春闘では、どのような人材・スキルが自社のさらなる成長に求められるのかを考慮しながら、生産性向上に繋がるための戦略的な賃上げを図ることが大切だろう。また賃上げと採用施策、人材育成施策をセットで捉え、持続的な賃上げを行うための基盤を人事の側面からも整えることが重要と考える。
マイナビキャリアリサーチLab研究員 宮本 祥太