善き人生を生きるために、「負荷ある自己」に求められる選択とは何か。公共哲学とポジティブ心理学から考えるキャリア選択のアートを考える(対談:千葉大学 小林正弥氏)

キャリアリサーチLab編集部
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『つむぐ、キャリア。』対談シリーズ第4弾は、政治学者であり、日本ポジティブサイコロジー医学会の理事も務める千葉大学の小林正弥教授をお迎えした。「公共哲学」と「ポジティブ心理学」がどのようにキャリア論と関連するのかについて、『つむぐ、キャリア。』監修者の梅崎教授と対話形式で議論していただいた。

千葉大学 大学院 社会科学研究院 小林正弥 教授と法政大学 キャリアデザイン学部 梅崎修 教授

(写真左)千葉大学大学院社会科学研究院 小林正弥研究院長
(写真右)法政大学キャリアデザイン学部 梅崎修教授

自己認識と選択の質

自分が何を負っているかを認識して選択の質を高める

梅崎:基本的にキャリア理論というのは、すべてのパターンを予測計算してから逆算して最適なものを選ぶという合理的選択を重視しています。

しかし、実際問題としては、生まれや出会った人、所属しているコミュニティなど、すでに与えられたものがあって、その中で自分なりに組み替えて進んでいくと考えたほうが建設的なのではないかと思います。確かにビジネスキャリアの選択には、合理的選択が重視される側面はあります。しかし、ライフキャリアの多くの選択は、「すでに選ばれた何か」を前提に糸や織物のように「つむぐ」作業が必要だと思っています。

さて、先生のご著書は、公共哲学としてお書きになっているのですが、実はキャリア論としてたいへん有意義な内容です。そこがすごく興味深いところで、先生が公共哲学からポジティブ心理学へと研究を進められた流れのなかから、キャリアの未来像のヒントが抽出できたらなと思っております。

小林:今、織物のお話が出ましたが、古代ギリシヤの哲学者プラトンの後期の作品に「織り合わせの術」についての記述があります。多くの方が知っているプラトン思想は中期の『ポリテイア(国家)』が中心だと思いますが、後期の「織り合わせの術」では、個人の特性を組み合わせてどのように優れた政治を全体として実現できるか、というような観点が出てきていて、成熟した興味深い思想なのです。

「個人の自律的な選択」が今日、非常に重要視されていますが、これをキャリア論に繋げて考えると、それが社会の要請とどう合致するかという問題が出てくるわけです。古典的な思想の場合は、その人が持って生まれた天分や職分、役割というものがあると考え、それをどうやって織り合わせて、善い社会を作るかが重要なテーマです。

このような考え方には、公共哲学とポジティブ心理学の接点を見出すこともできます。公共哲学は「公」と「私」にまたがる「公共」の在り方、社会全体との関係に目を向けます。一方で、ポジティブ心理学では個人を見ることからスタートするのですが、何が人々の幸福度を高めるかを心理学の立場で探ろうとしてきた学問です。そのため、双方を組み合わせることが新しい観点を形成するわけです。

梅崎:先生のご著書の『サンデルの政治哲学』のなかには、いくつも専門用語が出てきますが、読者に理解していただくために、いくつかピックアップさせていただきました。一つは「負荷ある自己」です。日本語では負荷という言葉はネガティブなワードに感じますが、その意味についてあらためてご説明いただけますでしょうか。

小林:ハーバード大学教授のマイケル・サンデル(※)の基本的な概念の中に、「unencumbered self(負荷なき自己)」という概念があります。人間は家族やコミュニティや国家など、さまざまな具体的状況や、それと関連する価値観・世界観を持っています。

自己はそういう背景を負っているということで、「負荷ある自己(encumbered self)」と訳しました。ポイントは、すべての人に生まれ育ったコミュニティや家族があって、自ずとその中での価値観や世界観の影響を受けて育ち、それによって自己が構成されているということです。

自律的な選択という考え方をすると、何もないところから自分が選択できるというイメージを持ちやすいわけですが、実は選択する際にすでに自己そのものが生まれ育った環境の価値観や世界観で構成されてできているのです。

また、「負う」という言葉は、自分なりの価値観や世界観を育んでいることと同時に、自分が他者に対して責任とか義務を負っている、そういう感覚も含んでいます。政治哲学では権利を非常に重要視していますが、権利と表裏の関係として、家族に対する責任を負うといったような感覚も含めて「負荷」という訳語を私は用いています。「負荷」という日本語は一般的にはネガティブなニュアンスを持っていますが、ここでの「負荷」は必ずしもそうではありません。

リベラリズムのような主流の政治哲学や公共哲学は価値観や世界観を考えずに脇に置いてしまうのですが、リベラリズムを批判しているサンデルの場合は古典ギリシヤの発想に基づいて、「善き生」「グッド・ライフ」という表現を使っています。人間が生きていくうえで、善のような価値観や世界観はやはり無視できません。

多くの人がそれをもとに仕事を選び、仕事の生きがいを考えます。現在のポジティブ心理学では「意味」というものを重視しますが、価値観や世界観が自己のあり方や行動にとって決定的に意味を持つということを浮かび上がらせるために、サンデルは「負荷ある自己」という自己観をリベラル批判において強調したわけです。

※マイケル・サンデル:アメリカの哲学者、政治哲学者。ハーバード大学教授。

梅崎:「合理的選択を重視しましょう」とか「ビジネス社会で生きていける選択能力」という、すごく理想化された自己をみんなが追い求めているわけですね。見方を変えると、キャリアデザインとは、「君はどんなふうに構成されてきたのか」という背景と共に考えることだという事だと思います。

リベラリズムについて先生のご著書で明確に定義されていますね。一般的によく知られているヨーロッパ発祥の「リベラリズム」は政治的自由を実現してきた重要な思想ですが、「平等主義的な自由主義」だと紹介されています。

これに対して、リバタリアニズムは政治的自由だけではなく、企業も含めた経済的な自由主義という格差を許容するという意味で究極自由主義みたいな人を指していて、リベラリズムとリバタニアリズムはある意味では対立してはいます。しかし、リベラリズムは、「負荷なき自己」を想定しているので、リバタリアンと同じ仲間なんだとも感じるのですが、そういう理解でよろしいでしょうか。

小林:はい、その通りです。個人が何かを選び取っていくことと、サンデルが言う「負荷」とは矛盾していなくて、選択することそのものに前提として負荷があり、ある価値観や世界観によって構成される自己が選択しているわけです。ですので、リベラルの考えに対する批判は、リベラリズムの想定する自己や選択が非常に抽象的で現実とは違うという点です。

リベラルには何かを自由に選択するというイメージがありますが、実際には、選択の自由はあっても、自由を行使するその人そのものが価値観・世界観によって構成されていますので、それを無視した選択とはならないわけです。

私たちの観点から見れば、世の中のトレンドに流されて選択するというのではなくて、自分の負っているもの、あるいは自分が形成されてきている価値観や世界観を自覚したうえで選択したほうが、より質の良い選択になると思いますし、価値観・世界観に基づく選択という方がリアリティに即していると思うのです。

そして、自分が何を負っているかを認識することが、選択の質を高めるために大事だと思います。

自らを省察することによって「善き生を生きる」

自らを省察することによって「善き生を生きる」

梅崎:お話を聞いていて、負荷があるということは、普通に人生を生きている人にとってはすごく常識的な感覚だと思うんです。自分が生まれた地域や誰に育てられたかなどはすでに決まっています。その中でキャリアを選んでいかざるを得ないというのが現状です。

ここからはサンデルも論じている「コミュニタリアニズム」について解説をしていただきながら、「負荷ある自己」の理解を深めていきたいと思います。早速ですが、「コミュニタリアニズム」も、生まれる前に決まっていたことがあることや負荷があることに対して葛藤があり、そこから逃れようとすること自体は肯定しているわけですよね。先生はご著書の中で「コミュニタリアニズム」を「共同体主義」と訳すと、日本的文脈では「村の掟には従うべきだ」みたいなイメージになってしまうと心配されています。

しかし、負荷を負っていても、人は負荷を意識し、葛藤しながら生きていくことを肯定しているんだということ、これがコミュニタリアニズムの肝かなと思うのですが。

小林:リベラルの思想家は、コミュニタリアニズムを「人は生まれ育ったコミュニティに規定されて変わらないものだと考えている」というように、まさに日本の古い村社会のイメージでとらえて批判をしてきたわけです。

その傾向は日本で特に強いですし、海外でもそういう批判はあるわけですが、コミュニタリアンは、成長するプロセスで自分を省察する・内省する、そのプロセスによって自分がより成長していくという側面にも目を向けています。

当然生まれ育ったコミュニティから学校や職場、地域など別のコミュニティに移ることがあり、新しい発想や思想にも触れて自分の考え方を変えていくこともあって、このプロセスそのものが、まさに省察の結果で、その人の成長であるわけです。

その成長は、革新的な飛躍をする人の中にも、あるいは生まれ育った環境の延長線上にある人にも存在します。その人ごとのライフヒストリーの結果であるわけです。そういう成長のプロセスを、コミュニタリアンとされるアラスデア・マッキンタイア(※)は、一種の物語のようにとらえます。

自分が到達する「善」や「善きあり方」に対してどういうライフヒストリーによって旅をして到達するのかというように、人生を一種の物語のようにと考えるわけです。そのプロセスは一人ひとりにとって非常に尊いもので、キャリアもそのうちの重要な一環をなすわけです。

多くの人はコミュニタリアニズムを静的なイメージでとらえがちですが、私は、コミュニタリアニズムはダイナミックな過程も把握することができて、それを促進することもできるということを強調したいと思い、その思想を明確にするために「ダイナミック・コミュニタリアニズム」という表現を用いることもあります。

※アラスデア・マッキンタイア:スコットランド出身の哲学者。代表作は、『美徳なき時代』がある。

梅崎:省察・内省という言葉を紹介されましたが、「内省」することはキャリア論でもよく使われるキーワードです。しかし、キャリアを考える際の「内省」は、少し範囲が狭いような感じがします。上司部下の関係を考えることだったり、職場で起こることに限定されている。

しかし、コミュニタリアニズムの立場で、自分がどんな育ちであるのか、どう生きたいのかを内省するわけで、内省はもっと深く、広くなると思います。

小林:コミュニタリアニズムというのは、「善き生」を生きるということを大切にしています。そして「善き生」は、価値観・世界観などに基づいた厚い、濃密な倫理に支えられていると考えています。そういった濃密な内省を可能にするのが、大学も含めた教育や教養の役割です。

しかし、内省しろと言われても簡単にできるものではありません。さまざまな思想や考え方を参照する必要がありますし、小説を読んだり映画を見たりすることが手がかりになることもあります。また、私は「対話」というものをとても重要視しています。

やはり自分と別の考え方と対峙しないと、自分のあり方を振り返ることが難しいでしょう。対話をして考え方の違いを知り、なぜこの人はこういう考え方をするのだろうと考えることで、自分を深く、より大きい観点からとらえ直すことができるわけです。

私は、どちらかという「省察」という言葉のほうが内省よりも好きです。内省という言葉だと内側に閉じ込もって考えるイメージが強くなりがちなのに対して、「省察(reflection)」は、対話のように、外的なものとの関係で省みる、何かと対面して自身に反射し(reflect)、振り返って考えるというイメージがあるからです。

コミュニティとの対話

コミュニティとの関わりを自覚し、対話を通じて人生に深みを

梅崎:学校や職場など、自分が所属するコミュニティは変化しますし、重層的であったりする。だからこそ、さまざまな人と対話すると違いが理解でき、省察が深まるわけですね。ビジネスパーソンとしては、ダイナミックにコミュニティを考える必要がありますし、いろいろなコミュニティに所属することも重要ですね。

小林:ハーバード大学でのサンデルの対話型講義は有名ですが、私も同じようなスタイルの対話型の授業や講義を実践しています。たとえばビジネス関係で要請があった場合などは、ビジネスにおけるジレンマを提起して議論してもらいます。

自分とは違う会社や別の部門の人とディスカッションすることで、新しい考え方と出会うことができ、より高く広い視座から見ることができるようになります。誰もがコミュニティ間を移動するなかで、そういう出会いを体験することがありますが、対話型のアプローチはそのような出会いを、より有意義な形に展開しようとするものです。

私たちは、いろいろな人と会って円滑なコミュニケーションをするために、天気など無難な話題を選ぶことが多く、そのような会話も、人生のアート(技術・技芸)の一つだと思います。しかし、省察を深めていくためには、根本的な問題でお互いがしっかりと話さないといけません。これが「対話」で、そういう場をつくっていくということも、「省察」のために大事だと思っています。

梅崎:昔であれば、ある地域に生まれたら土地のお祭りに参加し、地域の人たちとコミュニケーションを取り、地域を出た後も自分のアイデンティティを大切にしていました。しかし、現代は、お祭りもなくなっていますし、マンションに住んでいるとコミュニティの負荷を意識することもありません。

とにかく負荷なんてないほうがいいんだということが大前提になって現代社会が成り立っている。本当は、負荷がまったくない人間というのは存在しませんが、幻想としてコミュニティに属さずに、『何でも自由に選べるんじゃないか』という考えが根付いている。

近代化自体が、村の掟に従うというような、共同体に埋め込まれた個人を脱・埋め込みするという社会変化でした。だから、ギデンズ(※)が言うように、再埋め込みが必要になります。やはり『実は様々なコミュニティと関係あるんだよ』と気づかせてあげる対話がないと、コミュニティを意識しないでそれなりの年齢になってしまう。

コミュニティと直面せざるを得なくなってから、出遅れ感のある行動を取ってしまう場合もあると思うんです。

※ギデンズ:アンソニー・ギデンズ。イギリスの社会学者で社会理論家。『資本主義と近代社会理論』『ウェーバーの思想における政治と社会学』などの著作が日本でも紹介される。

小林:アンソニー・ギデンズは、私がケンブリッジ大学で研究していたときに、講義を聞いたり、ゼミに出たりしていました。著作の中であまり紹介はしていないのですが、実は私の中に彼の影響は相当あります。ギデンズをはじめ社会学者は、実際のリアリティのほうから議論を立てていくので、コミュニタリアニズムと接点があるのです。

その視点からは、コミュニティという存在は当然あって、人がその影響を受けていたり、そこからまた自分が省察して新しい考え方へと移行していくというプロセスが認識されています。しかし、政治哲学とか法哲学は抽象的な議論が多くて、現実からかけ離れた議論になっていることが少なくないのです。

そこで、コミュニタリアニズムはある意味で社会学の議論と親和性があって、現実をしっかりと見たうえで、それを哲学的な思想として昇華させていきます。ご指摘のように、実際は多くの人がコミュニティや何かの集団・組織と関わりがあるけれどもそれを自覚しない生き方をしていて、それは人生を非常に浅いものにしていると思います。

しかし、そのような関わりがあるという現実を自覚した上で、対話などによって自分自身を高めていけば、より深い生き方ができるのです。ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーは、人生の死を意識して、そこから今の自分を振り返ってみることの重要性を指摘しました。

人生は長いようで短いので、振り返るともったいない生き方をしてしまったなと反省することになる危険性が大いにあります。そんなことにならないように、時間的に、今の自分を見つめ直すことはとても大事です。同じように、空間的に、現実に存在するコミュニティとの関わりをしっかりと自覚したうえで生きていくことが重要だと思います。

幸福へのアート(技術・技芸)

より良い選択をするためのアート(技術・技芸)が幸福に繋がる

より良い選択をするためのアート(技術・技芸)が幸福に繋がる

梅崎:コミュニティの重要性を潜在的には意識されている方がいて、地域の活動やボランティアに参加したりしていますが、何の関係もないコミュニティにいきなり参加するというのが結構難しいです。

昔の人は地域と関係していることは大前提だったので、葛藤しながら引き受けて生きていましたが、現代では、むしろどういう関係性がベストなのかを考えて選択することが多く、運命的なものを感じない。コミュニティはいつでも選び直しできると考えてしまいがちです。

小林:しかし、実際はそうではなくて、最近では「親ガチャ」などという言葉もあるように、選べない部分があるわけです。だからこそ、自分が置かれている状況の中で何を選んでいくかということが問われていて、より善い方向に生かすことが大事です。現実に存在するあり方のなかでそれを最善にするための方法、アート(技術・技芸)が大事だと思います

哲学と社会学を考えてみると、哲学は抽象的な原理から考え始めることが多いので現実のあり方とかけ離れている部分が多いように思います。他方で、社会学は現実のほうから議論していきますが、逆にどうあるべきかという規範の議論にはなかなか進まない面があります。

リベラリズムとリバタリアニズムはいまアカデミックな世界で人気があるので、それに影響を受けて抽象的原理を重視する人が多いかもしれませんが、コミュニタリアニズムは原理と現実性の両方の要素を備えていると私は思っています。さまざまなところで講演をしていると、コミュニタリアニズムという言葉を初めて聞いたけど、自分のあり方や生き方にはぴったりだという感想をしばしば聞きます。

確かに、学問的な概念はやや難しいところがあるので、最初はピンとこないかもしれませんが、わかってしまえば実際の人生で活用できるのでこの思想は実践的なものだと思います。

梅崎:言い回しは西洋のものだったりしますが、「あれ?自分がやっていることと似ているな」みたいな感覚はあると思います。就職するにしても結婚するにしても選択肢はほぼ無限なので、自由に選べている気はしても、何の制約もなく選択できるというのはほぼ幻想です。

そこで重要になるのが、計画とか計算ではなく、先生がおっしゃった選ぶ技(アート)ですね。技と言ってしまうと日本ではスキル的な印象を受けますが、生き方を込めたアートとして選ぶということが、最終的には幸福に繋がっていると考えられます。このアートという言葉を使うのは、哲学史の伝統が関係するのでしょうか。

小林:古代ギリシヤに由来する「リベラルアーツ」の「アーツ」はラテン語でアートを意味する「アルス(ars)」に由来します。また、プラトンの『国家』に出てくるポリティケーは日本語で政治術と訳されていますが、英語に訳したら政治のアートです。そのアートはテクニカルなものを含んでいますが、背景に教養とか芸術的な要素に近いものがあります。

ですので、人生のアートというのは技でもありますが芸術的な素晴らしさを含んでいます。よって私はこの言葉を「技芸」としばしば訳しています。そして、それを可能にするのが教養の深みだと思います。人生というものに、一種の運命のような大きな流れがあって、しかし、運命だからと決定論的に生きるのではなくて、より善いものを選んでいくところに人間の尊厳があります。

まさにアートを習得できるかどうかによって人生の質が変わってくるわけです。人生の最後まで行ったときに、「いい人生を送れたというふうに思うのか、もったいない時間だったなと思うのか」というところに大きく関わってくることになります。

梅崎:長い時間をかけて習得したり、自分の経験から学んだりしてすることで、歩んだ軌跡が良い記憶になったり、懐かしいものにもなったりするわけですね。

書店のビジネス書のコーナーに行くと、「上司部下のための100の技」といった短時間で習得するようなテクニックの解説本が置いてありますが、長い職業人生を考えると、深い人間関係を持つ人は限られるので、良い関係をつくれるかどうかという観点で見れば、真の意味でのアートはとても重要ですね。

小林:はい、表面的なテクニックとは異なり、重要な古典には、人生のアートを考えさせる役割を果たすものがあります。私はアリストテレスの倫理学にスポットを当てた本(『アリストテレスの人生相談』講談社)も書いていますが、それはさまざまなビジネス上の課題について、アリストテレスならどう答えるかを説明して、人生のアートを紹介しています。

自著の『ポジティブ心理学』も同じように人生のアートに役立つように書いてあり、心理研究に基づいて、人間の心理には、たとえば「笑う門には福来る」というような傾向があるということを解説し、私は読者がそれをアートとして活かすことを願っています。

もちろん、このような傾向は、あくまでも一般的な統計的傾向なので、ある状況では現れないこともあります。たとえば、笑い声が絶えない家庭でも、場合によっては不幸になることがありうるわけです。しかし、だからといって、傾向の存在そのものを疑う必要はなく、うまく活かせるアートがあれば大いに活用してほしいですね。

コミュニタリアニズムとポジティブ心理学の共通点

梅崎:コミュニタリアニズムの特徴の一つに、「善」とか「共通善」という言葉がありますが、日本社会で「善」というと、「お天道様が見ているぞ」といった言葉のように、上から目線の印象を受けます。

先生は「それだから、すんなり理解されないのだ」とご指摘されていますが、日本社会には「善」とは表現しにくいが「善」があることを、ポジティブ心理学はどう説明するのでしょうか。先生がポジティブ心理学とどのように出会われたのかとあわせて教えてください。

小林:サンデルをはじめとしてコミュニタリアンの議論はグッドライフ(「善き生」)という言葉をよく使います。この言葉には宗教的、精神的な伝統が背景にありますが、ポジティブ心理学は、たとえば「利他的な行為をすると自分もウェルビーイングが高まる」という、伝統的な思想が言っていたようなことを科学的に実証しました。その価値が非常に大きいわけです。

私がこの学問に気づいたのは、サンデルの対話型の議論が世界的な注目を集めていたときに、同様に注目を集めている講義を調べてみて、同じハーバード大学で、心理学者タル・ベン・シャハー(※)がポジティブ心理学の講義をしていて、ベストセラーになっていることがわかりました。

サンデルとタル・ベン・シャハーの両方の著作が同時に世界的ベストセラーになったわけですが、「善き生」に注目する点で両者は非常に近接していると感じました。そこでこの二つを結合することで思想的かつ科学的な新しいフロンティアが開拓できるのではないかと考え、ポジティブ心理学の研究に没入するようになったのです。

※タル・ベン・シャハー:ハーバード大学での人気講義でポジティブ心理学を世に広めたことで知られ、『ハーバードの人生を変える授業』などの著作がある。

梅崎:我々は、政治学科とか心理学科とか既存の学問分野の枠で考えてしまいますが、アリストテレスやプラトンの頃から人はどのように考えているのかという視点に立てば、コミュニタリアニズムとポジティブ心理学は同じグループだと考えられますね。実は似たような進化をしてきたというか。

小林:当時のギリシヤの学問においてアリストテレスは、コミュニティを重視して共通善を政治の役割とするという政治哲学を展開していて、それがコミュニタリアニズムの原点なんですが、同時に(息子の二コマコスらがアリストテレスの倫理学に関する著作をまとめた)ニコマコス倫理学では、心理学を含んだ倫理学の古典をつくっていて、それが西洋の生き方の基準となっていました。

アリストテレスは科学的な発想をする人だったので、生物学とか心理学に相当する研究をしていて、まさに今、ポジティブ心理学がやっていることと同じようなことを当時のギリシヤでやっていたわけです。

その意味では、今の学問的な分化の中では私のように政治哲学と心理学の双方を研究しているのは珍しいと思いますが、哲学そのものの歩みから見れば元々のスタートラインに立ち戻っていると思っています。

梅崎:日本では、海外で流行っている研究だからとか、専門分野のジャーナルに載っているからと考えて研究を進めることが多いかもしれませんが、世界トップクラスの大学は冒険的な取り組みをしますね。学際的な研究にも積極的で、古典に返ったりもするのが特徴的ですね。

小林:はい、たとえばポジティブ心理学の創始者マーティン・セリグマンやミハイ・チクセントミハイには、幅広い洞察力や教養があるように感じます。しかし、若手の研究者は新しいことを専門的に学び、一生懸命ジャーナルに出していこうとしますね。それはそれで大事だけれども、やはり創始者たちと対話をすると、学際的な発想が重要だと感じます。

私自身もポジティブ心理学に関心を持ち、セリグマンに直接教えを請いに行きました。彼は、哲学とか政治学の研究者である私を大いに激励してくれました。その激励もあって、個々人のウェルビーイングを高めるための研究とともに、それと政治や社会との関係を研究することも大事だと確信をもって、それから、さまざまな研究成果を発表することができたわけです。

ネガティブなものをポジティブに生かすというアートの開拓

ネガティブなものをポジティブに生かすというアートの開拓

梅崎:セリグマンがなぜポジティブ心理学を提唱し始めたのかについて、あらためて説明していただけますでしょうか。

小林:これまでの心理学、またそれと関連の深い精神医学は、基本的には良くない状態の心を研究対象として、回復して通常の生活を生きるようになるにはどうすればいいかという目的で研究してきたわけです。ポジティブ、ネガティブという言い方をすれば、ネガティブな心理状態の研究が中心でした。

しかし、セリグマンは、ネガティブとは逆のポジティブな方向にもさまざまな広がりやバラエティがあり、非常に広大な科学的研究のフロンティアであると問題提起をし、ポジティブ心理学を提唱しました。それから、心理学の独特の一つの分野として発展をしたのです。

セリグマンは楽観主義の研究もしました。日本には「病は気から」という言葉がありますが、楽観主義的な人は病気が治りやすいとか、アメリカの大統領選などでも楽観的な候補者のほうが当選確率は高いことをデータで証明しました。

もっともポジティブ心理学について、日本では楽観的な人のほうがポジティブで、ウェルビーイングが高いというような単純なイメージが強いようですが、ポジティブ心理学が進展することにより、より深い意味でのポジティブは何か、ネガティブとの関係におけるポジティブは何であるかなど、研究はさまざまに展開しています。

梅崎:ポジティブ心理学は、本来はもっと広くて動態的なのに、ハッピースマイルで健康になるとか、仕事ができるようになるなど、矮小化される危険性がありますね。先生ご自身は心理学者でなかったがゆえに、ポジティブ心理学を広い視野でとらえておられる。ポジティブ心理学を知っている人にも目から鱗が落ちるようなところがあるのかなと思います。

小林:初めてウェルビーイングやポジティブ心理学に関心を持った方には、一般的な紹介本の後に私の本を読んでいただくと、深さがわかるかなと思います。もちろん私はハッピースマイルのポジティブ心理学を否定するつもりはなくて、それはある局面においてはとても有意義だし、実際に実証されています。

私の本でも、「笑う門には福来る」というような諺が実証されているというように紹介しましたが、ニコニコ笑っている人の方が健康的だというのは確かにその通りで、悲観的、憂鬱でいるよりも楽観的でハッピーでいるほうが健康状態が良いということが傾向としては実証されているわけです。

しかし、心から笑えないときはどうすればいいのかとか、偽善的な笑いは駄目ではないかとか、そういう問題が出てきます。そういった問題を考えるためにはより深い心理学的な理解と研究が必要になってくるわけですから、人生のアートとしてより深く理解して使いこなしていけるようになってほしいと思います。

梅崎:ネガティブがマイナスで、ポジティブかプラスだから、プラスを増やせばうまくいくという、そんな単純な話ではないですね。

小林:身近な人の死や別れとか、生きていくうえでネガティブなことは必ず起こりますので、それをハッピーに思って喜んでいるわけにはいかないですよね。しかし、「トラウマ後成長」という言葉があるように、ネガティブに見えるできごとが、後に振り返ってみると人格的に成長するきっかけになったと思えるような経験の仕方があるわけです。

そういったことが心理学でも明らかになってきたので、ネガティブなものをひたすら嘆くのではなくて、起こったものをポジティブに活かすという、そういうアートを開拓していくことも重要です。最近のポジティブ心理学のフロンティアから見れば、ネガティブとポジティブなものを統合する心理学というのが今後の方向になると思います。

梅崎:ネガティブをゼロにすればポジティブが増えるというわけではないですね。たとえば、登山は行く前はめんどくさいなと感じますが、山を登ってみると嬉しく感じることもあるわけで、ネガティブとポジティブは関係性を持っているのですね。

小林:修行なども同じで、あえて負荷をかけているから苦しいわけですが、それを乗り越えることによって卓越性に向けて前進していくわけで、それはポジティブなことなのです。一見ネガティブなものがポジティブになるという、そのダイナミズムが高度な生き方を目指すときには大事なポイントだと思います。

梅崎:修行の例などは、普通の人でも理解しやすいことですが、心理学的には高度なテーマなので、まずは実験できるところからやっているということでしょうか。

小林:心理学では実験をしてデータを取りますが、動物実験とは違って、人間に負荷をかけることは難しく、長時間ひどい状態に置くわけにはいきません。ですので、悲しい経験をした人たちのデータを集めて研究するということになります。

研究の進展としては、ネガティブな経験との関係に目を向けてネガティブとポジティブの双方の領域を統合しようとするのは、ポジティブ心理学の第2段階ということになり、第2世代ポジティブ心理学という表現もあります。

ウェルビーイングの構成要素とその活用

ウェルビーイングを高める5つの要素「PERMA」とは?

梅崎:ご著書で紹介されていた『リトル・ダンサー』という映画を見させていただきました。サッチャー時代のイギリスで、ストに揺れる炭坑町で暮らす少年が、バレエに見せられて夢中になり、夢を叶える物語です。

大変な環境ではありますが、その物語にも親子関係や生き方、地域への愛着など、そういうのも含めてポジティブ心理学のエッセンスは読み取れるという先生なりの読み解きをされています。「PERMA理論」に当てはめて説明していただいているので、すごくわかりやすかったです。

小林:私がペンシルべニア大学で教えを受けたジェームズ・ポウェルスキという人が、ポジティブ人文学というアプローチを提起しています。文学作品とか映画作品などをポジティブ心理学のレンズで鑑賞するとどのように見えるのかを研究するわけです。

そのアプローチによって、私の著作『ポジティブ心理学』でも『リトル・ダンサー』という映画作品を通じて、ウェルビーイングや人格的強みの概念を紹介したわけです。『ポジティブ心理学』という本は、個人のウェルビーイングと同時に社会的な問題を同時に考えることに重点を置いており、そのために『リトル・ダンサー』という作品は好適な作品だと思えたのです。

炭鉱町のどんよりと暗い社会環境の中で、どうやってポジティブな生を生きるか、というのがこの作品の重要なテーマです。マクロな政治的圧力のために労働者たちのウェルビーイングが低下しがちで、ミクロな状況でも個人のさまざまな苦悩がある、その関係性がよく出ていると思います。

PERMAというのは、ウェルビーイングの要素を表していて、Positive emotion(ポジティブな感情)を得ること、次にEngagement(没頭・没入・熱中)に入ること、そしてさまざまな良いRelationship(人間関係)を形成すること、生きるMeaning(意味・意義)を見出すこと、そして、夢をAccomplishment or Achievement(達成)することを意味しています。

『リトル・ダンサー』では主人公の少年が成長プロセスを通じてアートを身につけ、素晴らしいダンサーに成長していくわけですが、そのストーリーの中にPERMAの多くの要素が入っています。

梅崎:主人公はいわばヤングケアラーで、たいへん厳しい環境です。しかし、幸運なことにハッピーな状態に向かいました。逆に良い環境で育っていたらPERMAが起こらないこともあるわけです。つらい環境に置かれるからこそ協力が生まれることもあるわけで、あまり環境に恵まれているとPERMAが起こらず、人間的な成長ができるのか疑問に感じます。

小林:ポジティブ心理学については、いい環境をつくって、そしてハッピーにスマイルすればいいというイメージになりがちですが、『リトル・ダンサー』は、ネガティブで重苦しい環境の中でさまざまな出会いや出来事があり、本人が努力することによってポジティブな生き方ができて周囲にも良い影響を及ぼすことができるというストーリーなので、ポジティブ心理学を深く理解するには好例だと思いました。

自律的な決定がウェルビーイングの向上に寄与しない可能性

自律的な決定がウェルビーイングの向上に寄与しない可能性

梅崎:最先端のポジティブ心理学の変化がすごく興味深いです。心理学は心の中から社会をどう見ていくかを考える傾向があると思うのですが、ミクロはマクロの影響を受けるし、ミクロの変化はマクロに影響を与える。リトルダンサーの解釈にはその関係性が詰まっているので理解が深まります。

小林:ポジティブ心理学では、幸福感を高めるために科学的根拠を持つエクササイズが活用されることがあります。自分の特徴的な強みを3つや5つ認識してもらって、それを自分が生かしているのか、そして生かすためにはどうすればいいかということを考えます。

これはキャリア論とも関係するところですが、社会がどんな人材を求めているのか、それに応えるために個人の強みや特徴をどのように生かせばいいのか、つまり社会の要請と個人の資質、その両方が生きることによって、キャリアとしても社会にとっても有意義な選択が可能になります。

いわば、ここには対談の最初に出てきた“織り合わせ”があり、ポジティブ心理学によって、社会と個人との織り合わせのアートが可能になります。

梅崎:ポジティブ心理学では、PERMAに加えて「自律」も重要な言葉だと思います。先生の著作には、「自律的に決定すればウェルビーイングが高まるとは限らない」というお話が紹介されていて、選択肢が過剰だと決断に必要な情報収集の労力が増して、決断を間違えることによる心理的悪影響が指摘されていています。

このご指摘は、『つむぐ、キャリア。』の報告書の内容とも合致しています。とは言うものの、現代では社会全体が選択することに対して、過度にプレッシャーを与えているような気がするのですが。

小林:PERMAに加えて、「自律」もウェルビーイングに影響するとは思います。心理学の理論では(自己決定が動機づけや成果に影響するという理論である)自己決定理論というものがあり、自律性、有能感、関係性という3つの心理的欲求を満たすことが内発的な動機づけにとって重要だとされています。

PERMAは自律性が文化として定着しているアメリカで展開された議論なので、「自律」は含まれていませんが、日本文化を考えるとやはり「自律」は重要な要素だと思います。しかし、大切なのは、「自律」をどう活かすかということです。

人生では選択肢は無限にあるかのように思われても、実際は限定されているし、人との縁や自分の特性との適合性も関係してきます。ポジティブ心理学では、やりがいを実感できる仕事に就くことができると、個人のウェルビーイングや組織のパフォーマンスの向上に繋がると考えています。その点では、やりがいを感じる仕事を自律的に選択することが大事です。

ウェルビーイングの展開と日本文化の活用

ヘドニアとエウダイモニアの相乗的な活用がウェルビーイング展開のポイント

梅崎:「へドニアーエウダイモニア」について教えてください。ウェルビーイングは、ビジネスの領域でも流行していますが、私には違和感がありました。主観的なウェルビーイングに偏っていること、また「個人の仕事パフォーマンス」を上げるためという功利主義的な目的が前面に打ちだされる傾向があると思ったからです。

地域社会などの側面が過小評価されているのではないかと疑問を持ちました。先生のご著書では、へドニアーエウダイモニア論争を紹介され、美徳的幸福感の重要性を指摘されています。この違いを初めて知ったのですが、先生は著書のなかで「へドニア(Hedonia)」は快楽主義的な短期的・刹那的快楽、そして、「エウダイモニア(Eudaimonia)」は持続可能で永続的な幸福と紹介されています。後者のエウダイモニア的幸福感が、今こそ日本社会に導入されるべき考えだと思います。この論争について説明いただけますでしょうか。

小林:エウダイモニアという言葉はアリストテレスが使った幸福の観念からきていて、エウダイモニア的ウェルビーイングという概念がポジティブ心理学の中で大事になってきたということは、哲学的な発想がポジティブ心理学の中でも展開されてきたということを意味します。

ヘドニアというのは一般的に言えば主観的な快楽のイメージであるのに対して、エウダイモニアというのは倫理感を含む持続的なウェルビーイングのイメージです。たとえば、宝くじに当たって瞬間的にハッピーになったというのはヘドニア的なウェルビーイングのいい例で、芸術家が自分の資質に気がついて修練して成長し、人々にも感動を与えるようなケースは、その人固有のエウダイモニア、幸福感をもたらします。

もちろん私はヘドニアを否定するつもりはなく、素晴らしい芸術作品や映画を見て感動するのはヘドニアですが、感動するなかでエウダイモニアに繋がる要素もあります。人生におけるさまざまな善いことはヘドニアとエウダイモニアで織りなされているわけです。

梅崎:「or」ではなくて「and」で繋がっているということですね。人生にはヘドニア的なウェルビーイングもありつつ、長く続けることで達成感を持ち、人生にとってかけがえのないものになってくるエウダイモニア的なウェルビーイングもある。決して単純な足し算ではない。

小林:功利主義の創始者ベンサム(※)は、快楽を数量化して合計できるという説を唱えましたが、それに対してジョン・スチュアート・ミル(※)は、快楽にも質の違いがあると問題提起しました。今の心理学と似た問題意識があったわけですね。

ヘドニアがまさにベンサム的で、ジョン・スチュアート・ミルが提起した論点はエウダイモニア的ウェルビーイングですね。実はその二つをどうやって相乗的に活用していくか、ここがウェルビーイングの展開における大事なポイントで、量だけではなくて質をどう入れるかが重要だと思います。

※ベンサム:ジェレミ・ベンサム。イギリスの哲学者であり、功利主義の創始者。『統治論断片』『道徳および立法の諸原理序説』などの著書がある。
※ジョン・スチュアート・ミル:イギリスの哲学者、政治哲学者、経済思想家。『論理学体系』『自由論』『功利主義論』などの著作がある。

ポジティブな生き方が、ポジティブな働き方、組織・経営に展開

ポジティブな生き方が、ポジティブな働き方、組織・経営に展開

梅崎:セリグマンが「開花」という言葉で、幸福を生物のメタファーを使って表現していますが、私たちにはとても理解しやすく思いました。お稽古事でも人間関係でも、継続してがんばってきたら急にパッと花開いてすごい喜びを感じることがあります。

小林:私はフラーリッシュ(Flourish)という概念を「栄福」と訳しています。開花して繁栄・繁茂するというイメージです。先ほどアリストテレスについてお話ししましたが、彼のエウダイモニアの観念は、植物には、大きくなって成長して繁栄するという目的があるというイメージの目的論に支えられているのです。

人は生まれて成長するなかで、自分自身の人生の目的を発見していくことができます。人生の旅の中で自分がもっとも素晴らしいと思うそのルートを見出していくわけです。フラーリッシュという概念は経済的な成長や繁栄にも繋がっています。

少子高齢化時代に突入し昔のような高度成長は望めませんが、ポジティブ心理学という観点から見たら、悲観するのではなくて、今生きている人たちがより生き生きとした人生を歩むことによって一定規模の経済的な成長に繋がるというポジティブなビジョンが生まれてきます。

ポジティブな生き方はポジティブな働き方、ポジティブな組織、ポジティブな経営、ポジティブな経済に展開していくのです。

梅崎:花が開いてまた枯れていくと考えれば、そこに人生のメタファーを感じます。旅というのも一つのメタファーですね。キャリアというのは日本語で言えば人生のことですから、人生のイメージとして複数持っておくといいかもしれません。

2023年にお亡くなりになった竹内整一先生が『「おのずから」と「みずから」――日本思想の基層』という本を出されています。「おのずから」というのは「自分から」という意味ですが、選んでいるんだけど最終的に選ばされるという感覚です。

定年まで仕事を続けていたら、その仕事を天職のように感じる人がいると思います。しかし、他の仕事を経験したことはないわけですから、比較した結果ではありません。選んだことではありますが、実は選ばされている、コーリング(召命)されているわけですね。

小林:「おのずから」というのは東洋文化が深く追求してきたテーマですね。エンゲージメントという概念は、芸術とかスポーツを主題にして考えることが多いですが、何かに没頭し、その行為になりきるということは、「没我」という概念と非常に深い関係があります。

そう考えると、西洋文化から始まったポジティブ心理学の概念が東洋文化の一番の深いところにも繋がっていると考えられそうです。

日本文化に内在するアートを生かしてウェルビーイングの向上をはかる

梅崎:先ほど、トラウマ後成長のご説明をしていただきましたが、トラウマなんて全部なくしたほうがいいんじゃないかと考えがちです。しかし、最高の環境が最悪の環境になってしまう危険性があります。

つまり、トラウマがまったくなくなってしまったら、省察が生まれてこないかもしれない。トラウマ的なものがある種成長を育んでいくというのはとても重要なメッセージかなと思うんです。

小林:トラウマ後成長というのは、当初のポジティブ心理学であまりいわれていなかったわけですが、アメリカ同時多発テロ事件が起こって、アメリカ人の相当数が非常に深いトラウマを抱えました。しかし、その後に追跡調査をしてみると、成長に繋がったという人がいることがわかり、重要な要素としてポジティブ心理学でも取り上げられるようになりました。

もちろんトラウマは心理的な外傷ですから、ないに越したことはありません。しかしそういうことに直面し経験してしまった人が、絶望感にかられるのではなく、ポジティブ心理学のアート(技術・技芸)を使うことによって、深い人生観に到達したという可能性やルートもあるわけです。

また、トラウマと言わなくても、ほとんどすべての人は挫折を経験し困難に直面します。逆に、一切それがないような人生はハッピーではありながら底が浅い人生になってしまう可能性があります。その意味では、困難とか悲しい体験から回復するプロセスが大事だと思います。

レジリエンスという概念も最近、よく使われますが、回復力という意味で、挫折や困難からどうやって回復するかというところに、ポジティブ心理学のアートが生きてきます。

ポジティブ心理学の場合は、まずはポジティブなほうに目を向けました。しかし、次の段階として、ネガティブな経験をどのように乗り越えるか、どのように活かすか、という問題意識が現れました。そしてその経験が開花、発展につながっていくというふうになれば、自分の人生が上向きになっていく可能性が高まるわけです。

梅崎:レジリエンスが高いという人と、単なる強い人は別ですね。人事の世界では高学歴者の体育会系出身者の評価が高いことがあります。例えば、東大生のような優等生もスポーツでは負けてしまうことがある。

つまり、負けることを知るわけですね。『負けたことがある』とか『病気になったことがある』とか、ある種ネガティブな体験をどう想像力を働かせて、豊かな体験に変え、他者をサポートできる人になったかが問われます。

イギリスの詩人ジョン・キーツが不確実なものや未解決のものを受容する能力としてネガティブ・ケイパビリティという言葉を提起していますが、今の社会では一種の感じにくくする能力、『結論が出ないことが結論です』と待機できる能力が重要になってきている気がします。

小林:対話型講義では専門家の間でも意見がわかれるテーマを扱います。正解がわからない問題に関して、共通の議論をすることで、それぞれの人の考え方を深めると同時に、より良い解決策を見出す可能性を追い求めます

哲学そのものがソクラテスの「無知の知」から始まったように、自分たちには正解がわからないという自覚のもとで、正しい答えを追求するという姿勢が非常に大事で、オープンクエスチョンをオープンのままにしつつ、お互いに議論して見解を高めていくことが重要です。

梅崎:先生のご研究では、対話とは別にアクティビティにも力を入れておられます。哲学対話だけではなく実際の活動が重要だと気づかれたのでしょうか。

小林:たとえば佐渡の和太鼓グループから依頼があって、ポジティブ心理学の質問票によって実際に調査してみると、和太鼓のエクササイズによって高齢者たちのウェルビーイングが高まることが明らかになりました。

ポジティブ心理学が研究してきた働きかけ(介入)からするとまったく新しい方法ですが、日本文化に内在するものです。これまであまり意識されていなかったポジティブなアートを和太鼓のエクササイズに見ることができました

今後の研究としては、個々人のウェルビーイングだけではなく、和太鼓やお祭りなどが盛んな地域とそうでない地域を比較すると、集合的なウェルビーイングに相違があるかもしれません。そうすれば、地域のウェルビーイングを高める集合的な方法として活用できる可能性も出てくるのではないかと考えています。日本文化には私たちが見逃しがちな良い要素がさまざまにあると思うのです。

梅崎:そういう意味では、寺院や神社のお祭りが少なくなってきているのは、ウェルビーイング的に考えると危機的な状況だと思います。

小林:公共哲学の観点で考えると、たとえば鎮守の森は地域のエコロジー的環境をよくしていたけれども、それがなくなると自然環境が悪化します。コミュニティの中心に、ウェルビーイングを増進するものがあることはとても大事ですね。

今後の街づくりを考える際は、ポジティブ心理学の観点に基づくウェルビーイング・センターのようなものを、地域のコミュニティセンターとしてつくっていくことが重要だと思います。

梅崎:小林先生の研究活動を知ることで様々なテーマへと発想を広げることができました。この対談の読者にも、この広がりを感じてほしいと思います。ありがとうございました。


梅崎 修(うめざき おさむ)
法政大学キャリアデザイン学部教授
マイナビキャリアリサーチLab特任研究顧問
1970年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。2002年から法政大学キャリアデザイン学部に在職。専攻分野は労働経済学、人的資源管理論、オーラルヒストリー(口述史)。人材マネジメントやキャリア形成等に関しての豊富で幅広い調査研究活動を背景に、新卒採用、就職活動、キャリア教育などの分野で日々新たな知見を発信し続けている。主著『「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン(共著)』『大学生の学びとキャリア―入学前から卒業後までの継続調査の分析(共著)』『大学生の内定獲得(共著)』『学生と企業のマッチング(共著)』等。

小林正弥(こばやし まさや)
千葉大学大学院社会科学研究院長
千葉大学公共研究センター長、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授兼任
1963年生まれ。東京大学法学部卒。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、公共哲学とポジティブ心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学(平凡社新書)』『アリストテレスの人生相談(講談社)』『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門(講談社)』等。

梅崎修
登場人物
法政大学キャリアデザイン学部教授
OSAMU UMEZAKI
栗田 卓也
担当者
キャリアリサーチLab所長
TAKUYA KURITA
宮地太郎
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
TARO MIYAJI
東郷 こずえ
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
KOZUE TOGO
井出 翔子
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
SHOKO IDE
関根 貴広
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
TAKAHIRO SEKINE
片山久也
担当者
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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