【つむぐ人】情熱の赴くまま目の前のことに全力で。その先に、大学教員から飲食店経営者という唯一無二のキャリアがあった。

キャリアリサーチLab編集部
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キャリアリサーチLab編集部

『つむぐ、キャリア』では、多様化する過剰な選択肢から選び続けていると、選択結果のあいだに矛盾が生じたり、相容れないものを選んでいたり、これらを新しい文脈で意味づけて、撚り合わせ、調和させることを「つむぐ」と表現しました。

そこで、「つむぐ、キャリア」を実践している方々を「つむぐ人」と称し、その方々にインタビューを行い、自らのライフキャリアとビジネスキャリアをどのようにつむいできたのかをお聞きします。

また、今後各インタビューに共通して現れた要素などを専門家の先生方との対談とあわせ、「つむぐ、キャリア」という概念に必要な要素などを具体化できればと考えています。

竹谷 隆司(たけやりゅうじ)

<つむぐ人プロフィール>
竹谷 隆司(たけやりゅうじ)
1987年生まれ。大学を卒業後、北海道大学の大学院で脳科学を学び、博士課程修了後に同学医学部の助教に就任。脳科学研究と並行して、教員として学生への講義を担当する。
2021年4月、あじLab.合同会社を設立。「オモシロオイシイを形にする」をサービスコンセプトに掲げ、札幌市内でスタイルの異なる斬新な飲食店を3店舗経営する。北海道札幌市在住。

お小遣いで食材を購入する高校生

札幌で生まれ、地元にある高校の商業科へ進学した竹谷さん。商業科を選んだことに深い理由はなく、消去法の選択だったと中学高校時代を振り返る。

竹谷:「中学1年の1学期、英語でいきなり躓きました。授業がつまらなくて、そこから勉強嫌いになってしまいました。成績が上がらず、将来の夢も特になかったので、自分の成績で入れる一番実家に近い高校の一番簡単に入れる科がたまたま商業科だったというだけなんです。

勉強が全部嫌いだったわけではなくて、知的好奇心をくすぐるような学びはむしろ好きでした。だから、日本史や生物の授業は面白かったし、数学でも解き方を考えて答えにたどり着くような分野は得意でした。

その一方で、公式を丸暗記して機械的に当てはめないと正解できないような問題が大の苦手で…。英語が嫌いになったのも同じ理由です。何に使うかもわからない単語や構文を、ただ覚えるだけの勉強が苦痛で仕方なかったですね」

高校進学後も興味のない分野の授業は居眠りの常習犯だった竹谷さん。部活に熱中するわけでもなく、ファミリーレストランのキッチンでのアルバイトに明け暮れる生活だった。飲食店を経営する今につながる、食への興味は学生時代から強かったようだ。

竹谷:「子供の頃から食べ物には人一倍関心があって、高校生の頃はお小遣いで食材を買ってきて、自分で料理をすることもありました。実家なので夕食はあるんですけど自分だけ別に作って、おいしかった、まずかったと味の評価をするのが好きでしたね。

アルバイトでファミレスのキッチンを選んだのも、食や料理が好きだったからです。勉強も部活もせずダラダラと毎日を過ごしていましたが、おいしい物が食べたいという欲求を満たすことには積極的でした」

脳科学との出合いによって自分を知る

勉強に身が入らないまま大学受験の時期を迎え、札幌にある私立大学の経営学部に合格。学びたいことがあったわけではなく、大卒の資格欲しさでの進学だったと竹谷さんは正直に打ち明ける。

竹谷:「親の勧めでとりあえず大学に行くことにしましたが、勉強していなかったので国公立には入れそうもありませんでした。私立大の学費を出してもらうのが申し訳ないと思っていたところ、当時、私が進学した大学には夜間の2部があって学費が半額だったんです。

安い学費で大卒の資格がとれて、なおかつ経営学部なら高校の商業科で学んだ簿記などの単位が簡単にとれそうだという打算もありました」

ポジティブな理由がないまま進学した大学で竹谷さんは認知神経科学(いわゆる脳科学)という学問と出合うことになる。中学、高校と勉強に苦手意識のあった竹谷さんにとって、脳科学の講義は、心をわしづかみにされたような衝撃的な面白さだった。

竹谷:「組織心理学や社会心理学など経営と心理学を絡めた講義が多いなかで、1つだけ認知神経科学という経営とは無関係の脳科学の講義がありました。それがとにかく面白かったんです。

講義には全部出席して、それでも好奇心が満たされず、大学の図書館にある脳科学関係の本を読み漁りました。数十冊あったと思いますが、全部読破しましたね」

干からびた知識欲の土壌に突如として雨が降りそそいだかのように、竹谷さんは脳科学に没頭していく。脳科学という学問の何が竹谷さんをそこまで突き動かしたのだろうか。

竹谷:「脳科学を学ぶと、これまでの人生で培ってきた概念を覆すような発見がたくさんあります。たとえば、目の前に2つの物があったとして、それを2つとも認識するのって視力に問題がなければ当たり前のことだと思いますよね。

でも、脳の特定の箇所を損傷すると、視力が正常でも複数の物を同時に認識できなくなり、片方を見落とす片側空間無視という症状が現れることがあります。当たり前が当たり前じゃなくなる現象が新鮮で、それをすべて脳が司っているという面白さに引き込まれていきました。

なおかつ、現象の一つひとつに明確な理由があるというのが脳科学の好きなところです。いろんな手順を踏んで可能性を一つひとつ潰していって、論理的にそれしかあり得ないという答えが導き出せるまで実験を繰り返す作業、いわゆる科学的な実験手続きが性に合っていましたね。

脳科学に出合って初めて、ロジカルに説明がつくことが好きな自分に気付かされました。論理的な思考を認識してから過去を振り返ってみると、確かに思い当たる節があります。子供の頃から理不尽さへの耐性が極端になくて、思春期に人間関係で苦労したこともありました。

中学で勉強が嫌いになったのも、なぜ学ばなければいけないのか、丸暗記に何の意味があるのかについて、ロジカルに納得できる理由がなかったからなのだと思います」

興味の赴くままに医学部の教員へ

大学の図書館にある脳科学関連の書籍を読破しても竹谷さんの知識欲は満たされることがなく、北海道大学の大学院に進み、博士課程の頃には所属ゼミでの研究と並行して医学部の研究室でも学ぶようになる。

博士課程修了後には医学部助教として教員の道へ。この間、何度かキャリアの分岐点が訪れているが、竹谷さんは3年後、5年後といった先の人生を考えて決断したのではないという。今、何がしたいか

――それが竹谷さんの判断基準。その結果、勉強嫌いだった竹谷少年は、いつしか医学部の教員になっていた。

竹谷:「大卒の資格さえとれればいいと思って大学に入ったくらいなので、もちろん大学院なんて選択肢は考えてもいませんでした。でも、脳科学に出合って、こんなに面白い分野があるんだと魅了されて、もっと学びたいと当時の教授に相談したところ北海道大学の大学院を紹介されました。大学院に行けばもっと深く研究できる。だったら進学する。単純な理由です。

実際、大学院での研究は大学までの学びとは全然違いました。大学の講義を受けることも図書館にあった本を読むことも、要は誰かがやってきたことを後追いで覚えるという作業です。でも大学院では、まだ誰も知らない知識を切り拓くための研究に好きなだけ時間を費やせる。こんな楽しいことはありませんでした。

医学部の研究に参加したのも純粋に面白そうだったからです。当時の北海道大学の大学院には他の研究科の大学院の講義を受けられるシステムがあり、献体として提供いただいた本物の脳を使っての解剖実習など、貴重な体験ができました。また、そこから医学部で脳科学を専門にするゼミとのつながりができて、そのまま研究にも参加するようになりました。

博士課程を修了するタイミングで運よく教員のポストが空くことがわかりました。教員といっても学生に講義する以外の大半の時間は研究に専念できるので、手を挙げない理由はありません。脳科学が面白いから明日も学びたい、そのための選択肢ってなんだろう…『そのときやりたいことをやる』というスタンスは大学で脳科学に出合ってからも一貫しています」

教員時代、竹谷さんは若手教員の中から学生の投票で選ばれる「エクセレントティーチャー賞」を何度も受賞している。その経験から、潜在的にもっていた自分の特性を知ることになった。

竹谷:「学生時代につまらない講義は大嫌いだったし、私の講義のせいで、学生が脳科学を嫌いになることは絶対に避けたいという思いがありました。英語の授業がつまらなくて勉強嫌いになってしまった中学生の頃の苦い記憶が脳裏にあったのかもしれません。

講義のアイデアを考えることが苦ではなく、学生の投票で決まるエクセレントティーチャーに選ばれたことが自信にもなりました。人に面白く説明するとか、興味をもってもらうために工夫するとか、そういうことに自分は長けているのかもしれないと、教員になって初めて認識しましたね」

エクセレントティーチャー賞を受賞した竹谷さん
エクセレントティーチャー賞を受賞した竹谷さん

大学院生の頃、竹谷さんは毎月、ゼミ室での飲み会を企画していたそうだ。たこ焼きやお好み焼き、北海道ならではのイクラ丼、粉からこねて作るうどんなど毎回腕を振るい、ゼミ生の親睦を深めることに率先してひと役買っていた。

竹谷:「当時から人を楽しませるエンタメ気質はあったのでしょうね。自分のためではなく、人に食べてもらうために料理をしたのは、ゼミ室での飲み会が初めてです。

当時は自分が教員になって学生に受けのいい講義をするとも、その後、飲食店を経営するとも考えているはずがありませんが、あの飲み会からキャリアはつながっているのかもしれません」

結婚を機に人生で初めて「未来」を考える

大学院、教員とビジネスキャリアをつむいでいくなかで、竹谷さんには脳科学だけではなく、他に2つの大きな変化や出会いがあった。

1つ目の変化は、学会などで地方や海外に出張する機会が増え、その土地ごとのおいしい料理が楽しめるようになったこと。脳科学と同様に、食への探求心もどんどん深まっていった。

竹谷:「学会で地方に行くたびに、その土地にしかない料理やお酒を味わうのが楽しみでした。高校生や大学生の頃には知らなかったおいしい物が食べられるようになって、食への興味や執着がさらに増していきました。

特にアメリカで食べたピザやパスタ、ステーキがおいしかったのは衝撃でしたね。アメリカの食事は味付けが大雑把でおいしくないだろうという先入観が一気に覆されました。世間の評判とか常識で決めつけちゃだめだなと、それからは偏見をもたないようになりましたね」

シカゴでの学会発表。電車を乗り継いで会場に向かう
シカゴでの学会発表。電車を乗り継いで会場に向かう

そしてもう1つの大きな転機となったのは、大学院で今の奥様と出会ったこと。食への興味や価値観、論理的な思考回路など、驚くほどに共通点が多い運命の出会いとなった。

竹谷:「食という共通の趣味を同じ熱量で妻とは共有できました。付き合っていた頃から妻とはいろんな店に行って、互いの感想を言い合うのが心地よかったですね。ただおいしいではなく、見た目や食感、どんな調味料を使っているのか、演出の意図、メニューの斬新さなど、深いところまで話すことができました。

それまで自分と同じベクトルで料理について語り合える存在はいなかったし、今でも心置きなく食について話ができるのは妻だけかもしれません。自分が感じてきた食に対する多面的な面白さを共有できる人が他にもいるとわかったことは、私にとって大きな出来事でした。

脳科学を研究するようになってから、物事を判断する時に自分の直感は間違っているかもしれないという信念をもつようになりました。直感や感情ではなく、冷静に論理的に考えた帰結に従った方が、後々良い結果が得られると思っています。

妻とはその価値観も共有できているので、会話がすごく楽なんです。互いの意見が分かれた時には理詰めで話し合うのですが、普通だったらどちらかがイライラしたりするものですよね。それがうちの場合は一切ない。妻は出会ってから今まで、ずっとかけがえのないパートナーです」

教員になって程なく竹谷さんは結婚を決める。札幌の郊外にマイホームを購入し、愛犬を飼い、生活環境が一変するなかで、竹谷さんの胸にはこれまでの人生で味わったことのない感情が芽生えていた。

竹谷:「結婚するまでは、今面白いことがやれていればそれでいいという人生観で、先のことなんて全く考えていませんでした。医学部の教員は仕事に拘束される時間がそれなりに長かったのですが、好きなことをやっているので全然苦ではなかったですね。

でも、休日に家で妻と話したり、犬と遊んだり、そんな何気ない時間が幸せだなと、ふと感じるようになったんです。仕事だけではなく家族との生活も大切にしたいな、そのためのキャリアって…と、結婚してから初めて“今”ではなく“これから”のことを考えるようになりました」

結婚式当日の竹谷さんと奥様
結婚式当日の竹谷さんと奥様

教員から飲食業界へ異色のキャリアチェンジ

北海道大学医学部の教員は5年間の任期制。教員として3年、4年とキャリアを重ね、任期更新の時期が徐々に迫ってくるなか、竹谷さんは教員とは別の道に進むことを決断する。それは約10年間のめり込んだ脳科学研究とも別のキャリアだった。

竹谷:「教員として経験を重ねるにつれて、先のことを考えるようになりました。研究は終わりがない世界なので、やればやるほど次に検証すべきテーマが出てきますし、脳科学への興味が薄れたわけでもありません。

でも、私より優秀な研究者は先輩にも後輩にもたくさんいて、みんな取り組んでいる研究の先にある10年後、20年後のキャリアのことを考えているんですよね。その一方で、私は今やっている仕事や学問をずっと続けるビジョンはありませんでした。

そういう人間に、研究者としての将来のキャリアはあるのか、数の少ない椅子に座る資格はあるのか。相当な努力をすれば継続可能だとして、その場合、家族と過ごす時間をどう作っていくのかなどいろいろ考えました。結論として、その時がキャリアを変えるいいタイミングかなと思いました。

次のキャリアで何をするかは妻と一緒に考えました。部屋に簡易的なホワイトボードを用意してビジネスのアイデアを書き込み、今ある預金などの現実的な条件も加味してシミュレートしました。妻はディスカッションできる存在なので、いろんな可能性を話し合いましたね。

食にまつわる仕事をするということは決めていて、選択肢の一つだったのが飲食店の経営です。一番やってみたいことでもありました。私と同じように理論立てて物事を考える妻から『いいかもね』と背中を押されたことで、一気にスイッチが入りました」

起業して飲食店をオープンすると決めてからの竹谷さんの行動は早かった。後任のことを考えて教員の任期が切れる1年以上前に更新しないことを申告。

任期が切れた直後の2021年4月に『あじLab.合同会社』を設立し、その翌月には1店舗目となる『創作ダイニング たべものであそんではいけません』を、札幌・すすきのエリアにオープンさせる。脳科学研究者から飲食店経営者への転身。未知の分野に挑むことへの迷いや不安はなかったという。

竹谷:「大学院に行くのも、医学部の研究に参加するのも、やってみたいからとりあえずやってみようという思いだけで飛び込みました。起業もそれと同じですね。お小遣いで食材を買って料理していた高校生の頃から、食は私にとって興味の対象であり続けてきました。

一生、飲食店経営を続けていくとまで考えていませんから、今やりたいことが飲食店なのであれば、とりあえずやってみよう…それだけでした」

竹谷さんが起業した2021年といえば、世の中はコロナ禍真っ只中。飲食業界に強烈な逆風が吹くなかで1店舗目をオープンさせたことになる。

竹谷:「『創作ダイニング たべものであそんではいけません』は、<オモシロオイシイを形にする>という起業時のコンセプトを体験してもらう基幹店です。

カンガルーのフィレ、クロコダイルのタンといった食べたことのない希少な肉をおいしく調理したり、舌に触れると酸味が甘味に感じるミラクリンという物質を使ってデザートを作ったりなど、食事って楽しいね、面白いねと思ってもらえるメニューをそろえています。

確かに起業のタイミングとしては最悪ですよね(笑)。お客さんが来ないことを想定して資金繰りは考えていたし、遠くない未来にコロナが落ち着くことも見通していました。当時開発中と報道されていたmRNAワクチンの仕組みを、医学部の研究で学んだ知識をもとに自分なりに調べてみたところ、その有効性が理解できたからです。来店して食べさえすれば、絶対にお客さんに楽しんでもらえるという自信もありました。

くわえて妻から応援してもらえたことが支えになっていたことも確かです。妻には教員を辞める際の相談以降も、店のコンセプト決めの段階からよく話を聞いてもらっていました。食についての価値観や感度、論理的な物事の考え方など、誰よりも信頼のおけるパートナーからお墨付きを得たことで、安心して起業への道を邁進できたという面もあったでしょうね」

『創作ダイニング たべものであそんではいけません』に前職の上司や同僚が来店
『創作ダイニング たべものであそんではいけません』に前職の上司や同僚が来店

キャリアは「積み重ね」ではなく「組み合わせ」

竹谷さんの見立て通り、世の中が平穏を取り戻すに伴い売り上げは急上昇。1店舗目と同じすすきのに2店舗目となる『汁なし担々麺研究所』、さらに北海道では馴染みの薄いフルーティーな日本酒だけを扱う日本酒バー『フルーティー日本酒とペアリング サケシケン』をオープンさせ、コロナ禍での起業から3年で竹谷さんは3店舗を手掛ける経営者となった。

竹谷:「すでに次の店舗の構想を練っていますし、もっといろんな食の面白さをお客さんに感じてほしいと思っています。それから、食を通じた社会貢献についても考えているところです。

作物を荒らす害獣とされている動物が調理法次第でおいしい肉であることを広めて、珍しいジビエを食べる文化が今以上に盛り上がれば、害獣対策に経済性が付与されてサステナブルな仕組みをつくれるんじゃないかと思っています。

それから、味覚の鋭さを数値化するテストを開発するというのも、以前から温めているアイデアです。『おいしい』の基準は人それぞれですが、味覚の鋭敏さは数値化することが可能だと考えています。そうした方向から『おいしい』とは何なのか、体系的に分析することができそうですよね」

次々と食にまつわる新たなビジネスの構想を披露する竹谷さんに、これまでつむいできたキャリアを振り返っての感想を尋ねると、先のことを考えずに目の前のことを全力で“やり切った結果”が今なのだという。

竹谷:「料理の演出を考える際には脳科学とリンクさせ、スタッフを雇う立場として組織心理学を活用し、経営データを分析するにあたっては冷静に判断するロジカルな思考法が役立っています。将来に活かそうなんて考えてもいなかった大学の経営学の講義も、経営者となった今につながっています。

将来の夢や目標から逆算して必要な知識やスキルを身に付けるというキャリア形成とは真逆の生き方ですが、だからこそ私だけのキャリアをつむぐことができました。大学の教員も飲食店経営者もたくさんいますが、その両方を経験したことのある人ってほぼいませんよね。

そんな特異なキャリアを歩んできた私にしかできない仕事があるはずです。キャリア=積み重ねではなく、これからは組み合わせの面白さで勝負する時代なんじゃないかなと考えています。

ロジカルに物事を考えるタイプだなんて言いましたけど、我ながら振り返ってみると、とてもロジカルに考えて行動したとは思えないキャリアですね(笑)。しかし、実は理に適っているのかもしれません。というのも、論理的に突き詰めて考えたところで、どうせ10年後の自分の心や生活環境も、世の中の状況も、先のことなんてわかりません。

しかし、たとえ衝動的な転職を伴ったとしても、モチベーション高く今の仕事を全力で取り組めば、それがあとから唯一無二の面白いスキル・キャリアの組み合わせになっていくことはほぼ確実でしょう。いずれにしても、現在の仕事を一生懸命に取り組み、スキルを育てていくことが重要ですね。」

渾身のアラカルトメニューの数々が、シェフすら意図していない斬新なコース料理として成立し、現在進行形にあるような竹谷さんのキャリア。一見まとまりのないメニューをコースへと仕立て上げるカギとなっているのが、「目の前のことに全力で」というスパイスだった。

その瞬間、瞬間をやり切ったからこそ得られた知識やスキル、やり切ったという自信に裏打ちされた迷いのない決断が、これからも唯一無二の竹谷さんのキャリアをつむいでいくのだろう。

栗田 卓也
担当者
キャリアリサーチLab所長
TAKUYA KURITA
宮地太郎
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
TARO MIYAJI
東郷 こずえ
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
KOZUE TOGO
井出 翔子
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
SHOKO IDE
関根 貴広
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
TAKAHIRO SEKINE
片山久也
担当者
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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