イノベーション創造の活動を支える組織の儒学風土-東洋思想の視点による日本組織の再検討-大東文化大学 経営学部 教授 山田敏之氏

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失われた20年、30年と言われ、日本の組織はかつての自信を失ったように見える。そしてその反動としてか、欧米、とりわけ米国の思考や行動様式、制度を模倣しようとする動きが目立つように感じられる。

その典型が、2000年代から継続されてきた米国型ガバナンス改革の流れである。株主最優先の経営、社外取締役の導入、コンプライアンスの仕組み等々、現在に至るまで本家である米国も顔負けと言って良いほど、営々と取り組みが続けられている(米国ではステークホルダー経営への見直しが叫ばれている)。

しかし、いくら米国型ガバナンスを進めてみても、組織から画期的なイノベーションは生まれにくく、非倫理的行為の抑制や回避もおぼつかない状況に変わりはない。むしろ、かつて活力に満ち溢れていた日本の組織の姿から遠ざかる一方と言っては言い過ぎだろうか。

多くの日本の組織が、故野中郁次郎氏が生前言われていた「過剰な計画、過剰な分析、過剰なコンプライアンス」に陥り、自由闊達さを失い、失敗を恐れて新しいことに踏み出せず、従業員エンゲージメントも低下し、指示されたことをただルーティンにこなすつまらない場になってしまっているのではないだろうか。

このような状況を打破するためにも、一度、日本人や日本の組織に潜在的に備わった固有の価値観や思考・行動様式とは何かを内省する必要があるのではないか。その時に再考してもらいたいのが、今回取り上げた「儒学の視点」である。

儒学とは、中国で孔子が始めた道徳や倫理の教えの体系のことを指す。本稿では、儒学的な価値観の本質、組織の儒学風土の概念とパフォーマンスとの関係性、儒学の視点からみた今後の日本の組織の対応について、実証研究の成果[1]を基に考察していく。

大東文化大学 経営学部 山田敏之教授

【著者】山田敏之(やまだとしゆき)
大東文化大学 経営学部 教授(専門:経営戦略論、経営組織論)
現在の研究テーマは「両利きの経営のミクロ的基礎の解明」(個人の両利きの行動がどのような組織的要因によって生み出され、それがどのようにチームや組織レベルの両利き性につながっていくか、というミクロとマクロの連動における因果の連鎖を分析)。「組織能力転換メカニズムの解明」(一旦構築された組織能力が環境変化によって陳腐化しないように、新たな組織能力に転換していくプロセス及び組織能力の転換に必要なマネジメントのあり方やリーダーシップの役割を分析)。「DX実効化に向けた組織文化形成プロセスの解明」(DXを実効化し、イノベーション創造に結びつけるために、どのような特性を持った組織文化を形成する必要があるのか、また既存の組織文化を変革していくためにはどのようなマネジメントやリーダーシップが必要であるかを分析)。最近は、「日本固有の儒学的思考や行動様式と組織的なイノベーション創造との関係の解明」にも取り組んでいる。※主な業績は記事下部に記載

1.儒学の五常を、組織に落とし込んだ場合、それぞれどのような風土・行動に当たるのか?

五常とは「仁、義、礼、智、信」という儒学の中核的な5つの価値観である[2]

仁とは

「仁」は儒学における最高の徳目であり、人間を重視・尊重し、人を愛し慈しむことである。「仁」は儒学の価値観の中で、人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を表明したものであり、相手に対する思いやりの心(真心)や自分がして欲しくないことは他人にもしない行動として表れる。 

義とは

「義」は人が守らねばならない正しい道、正義、人の踏み行う正しい道筋である。「義」を有する人間は、私欲にとらわれず、なすべきことを行い、利己心を自ら克服して、大義や正義のために行動する。

企業経営においては、「義」と「利」のバランスを取ることが重要である。自社と競合他社とのバランスでは、相互の信頼に基づきルールや契約を守ることが求められる。また、自社と社会とのバランスでは、企業の社会的責任の文脈の中で捉えられてきたが、多様なステークホルダーの利害関係を調整し、ステークホルダーとの調和を実現することが求められる。

礼とは

「礼」は社会のルールや規範に従うことを大切にする価値観であり、上下関係で守るべきものや秩序を与えるものとして捉えられてきた。特に、伝統的な儒学では、年上や目上を敬う「長幼の序」が重んじられてきた。

「礼」の役割は、組織内の人間関係を調整し、組織の調和と安定を図る、つまり人間の行動を規定する役割を果たすのである。「礼」という価値観は、一見、格式ばった形式主義と捉えられがちである。しかし、型があるからこそ無用な人間関係の軋轢も回避できるのであり、「礼」は複雑な人間関係を円滑にする人間の智慧なのである[3]

智とは

「智」は人や物事の善悪を正しく判断する知恵である。「智」を持った人間は、道理をよくわきまえ、偏りのない「中庸」な考え方ができる。「中庸」は互いに補い合うものであり、調和の中に新しい価値観を見出そうとする[4]

人間としてさまざまな経験を積み、培った知識が「智」の基盤となるのである。「智」は企業経営の本質である経済性と社会性の両立に向けた基盤となりうる。企業の経済性は、継続したイノベーションの創造の活動として、長期に維持発展していくための企業の本質的な活動を意味する。

一方、企業の社会性は多様なステークホルダーからの要望を調整し、相互の信頼に基づく良好な関係性を構築していくことであり、法令遵守(コンプライアンス)や社会的責任の遂行として具現化される。

現代の知識社会や学習社会における競争優位の源泉は知識であり、知識の活用である学習が重要なキーワードである。知識を正しく活用するには「智」の裏付けが必要なのである。

信とは

「信」は友情に厚く言明をたがえない誠実性である。「信」を持つ人間は約束を守る人間である。「信」は内部的な誠実性と外部に対する誠実性とを併せ持つものである。

誠実性は言い換えると「言行一致」である。口では善い事を言っていても、真逆の行動を取るようなリーダーはフォロワーから信頼されない。誠実性は相互の信頼を構築する上での重要な要素なのである。

2.組織の儒学風土とパフォーマンスはどのような関係にあるのか

組織の儒学風土とは

「組織の儒学風土」は、儒学概念の中核を形成する五常(仁、義、礼、智、信)の価値観や行動パターンが、組織の中にどの程度浸透しているのか、つまり意思決定や行動の基準として儒学的思考や価値観がどの程度考慮されているか、を表すものである。

たとえば、職場で「相手の立場に立ってものを考える」「礼儀作法を重視する」「同じもの事でも異なった観点から考えようとする」「メンバー相互の信頼構築を重視する」といった行動が見られたり、そうした価値観が大切にされている場合、儒学風土が浸透していると考えられるのである。

良好な人間関係の基盤としての組織の儒学風土

儒学の五常の価値観を中核とする儒学風土が浸透している組織では、人間に対する尊厳や敬意が払われ、過度の個人主義や利己主義は抑制され、集団への自発的なコミットメントが重視され、集団内では上下の関係を基盤に秩序や規律が構築される傾向にある。

人を慈しみ、互いに相手を思いやる配慮がなされる中で、信頼を基盤とした良好な人間関係が構築され、それを基盤に表面的でない真のコラボレーションが起こり、円滑なコミュニケーションが行われるようになる。

組織の儒学風土による組織学習の促進

企業の本質的な活動であるイノベーションの創造には、個人が成功体験に囚われず、新たなことに積極的に挑戦していくと同時に、個々人の相互作用により、新たな発想や行動を組織的に生み出していく組織学習が必要である。

組織学習とは「組織の知識や価値体系が変化し、問題解決能力や行動のための能力が改善されるプロセス」[5]であり、環境変化の中で企業がイノベーションを創造し、長期に維持発展を図っていくために重要な役割を果たしている。学習の主体である個人の学習から組織学習への橋渡しは、信頼関係で結ばれた個々人の相互作用(対話や議論等)によって行われ、真のコラボレーションの機会が多いほど実現されやすくなるのである。

つまり、組織の儒学風土が構築されていることで、組織メンバー間の信頼がより深いものとなり、それを基盤に組織学習が起こりやすくなり、その結果として新製品の開発や新規事業の開拓といったイノベーションの創造が達成され、それにより最終的な売上高や経常利益の向上に寄与すると考えられるのである。

組織の儒学風土と売上高、経常利益の傾向

この点について、2022年に我々が行った調査の結果を示しておきたい。まず、図表1は、最近3年間の売上高と経常利益の傾向別にみた組織の儒学風土の認知度についての分散分析の結果である。

これをみると、組織の儒学風土の認知の度合いは、売上高、経常利益共に「上昇傾向にある」グループがもっとも高く、次いで「現状維持」「下降傾向にある」グループの順となり、最近3年間の売上高及び経常利益が上昇傾向にあるほど、儒学風土の認知度合いが高まり、逆に下降傾向にある場合に認知度が低くなった。組織の儒学風土がメンバーに浸透しているほど、企業の最終的なパフォーマンスである売上高や経常利益も上昇する傾向にあることが分かる。

図表1 売上高と経常利益の傾向別にみた組織の儒学風土の認知度※筆者作成
図表1 売上高と経常利益の傾向別にみた組織の儒学風土の認知度※筆者作成

3.組織の儒学風土は、パフォーマンス以外に従業員への影響はあるのか

図表2は、組織の儒学風土がさまざまな組織的、個人的要因に影響を及ぼしながら、最終的なパフォーマンスに結びつくまでのプロセスを示したものである。

図表2 組織の儒学風土とパフォーマンスをつなぐ媒介要因
図表2 組織の儒学風土とパフォーマンスをつなぐ媒介要因※筆者作成

組織の儒学風土は、人々の間に信頼を基盤とした良好な人間関係を生み出すことで、組織学習を起させる基盤となる職場の心理的安全性やチームの協力・コラボレーションを促すと共に、個人の心理的要因である従業員エンゲージメントを喚起させることができる。

そして、これらの要因を媒介して、個人のイノベーション創造の活動やVoice行動(従業員が職場や組織におけるさまざまな課題に対し、建設的な提案・提言として、自らの意見や新しいアイデアの表明を行うこと)が起こり(攻めの成果)、また、組織における非倫理的行為が抑制・回避される(守りの成果)ことで、最終的なパフォーマンス(売上高や経常利益の上昇)が実現されるのである。

(1)組織の儒学風土と心理的安全性

まず、組織の儒学風土と心理的安全性との関係をみていく。心理的安全性とは、人々が対人関係の不安に悩まされることなく、誰もが互いに気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる職場の風土である[6]

心理的安全性のある職場では、互いに思ったことを口にしたり、同僚や上司の意見に反対したり、素朴な質問をしたり、ミスをきちんと報告したり、他とは異なる少数派の意見を表明すること等が可能になる。

これにより、グループや部門・部署を越えた協力や団結が可能になり、画期的なイノベーションにつながる可能性のある斬新なアイデアが共有され、建設的な対立や議論を通じて組織学習が促進されることになる[7]。複雑で絶えず変化する環境で活動する組織において、心理的安全性はイノベーション創造の源泉として不可欠な要因なのである[8]

儒学の価値観では、「相手の立場と感情を配慮、あからさまな非難や対抗を避け宥和を重んじる」[9]傾向が強い。「相手の無能や怠慢や違背を面と向かって批判してはならず、かりに批判する場合でもへりくだった言い方や婉曲的なほのめかし、あるいは第三者を介して伝えるといった手立てをとらねばならない」[10]のである。このような価値観は、職場の心理的安全性の構築を促す要因になると考えられる。

(2)組織の儒学風土と協力・コラボレーション

部門や部署の壁を越えて協力・コラボレーションが起こると、組織に蓄積されている多様な経営資源を共有したり、応用したりすることが可能になり、これらを通じて製品開発のための新たなアイデアを生み出す可能性を高めることが重要なのである[11]

ただし、組織学習を促す協力・コラボレーションは、表面的なものではなく、相互の信頼に基づく質の高いものでなければならない。質の高い協力・コラボレーションが実現することで、互いに自らが保有する重要な情報や知識・ノウハウを共有しようという気持ちが起こるからである。質の高い協力・コラボレーションには信頼が重要であり、信頼の構築には組織風土やリーダーシップが大きな影響を与えると考えられる。

組織に儒学風土の価値観が浸透している場合、メンバー相互の協力やコラボレーションも形式的なものから信頼を基盤とした質の高いものへと向上していく。質の高い協力やコラボレーションにより、メンバー相互の重要な知識・ノウハウが融合する機会は増大し、組織学習が生起する可能性も高まり、イノベーションの創造が導かれるのである。

質の高い協力・コラボレーションが継続して行われることで、コミュニケーションが一層円滑化し、メンバー間の信頼もさらに向上するという好循環が実現される。

(3)組織の儒学風土と従業員エンゲージメント

組織の儒学風土は、従業員エンゲージメントのような個人の行動の前提となる心理的要因にも影響を及ぼす。従業員エンゲージメントは、会社の掲げる方針・ビジョンや戦略を理解・共感し、会社に対しての誇りや愛着、深い思い入れを持ち、自発的な行動を取る従業員の意識や姿勢である[12]

ウイリス・タワーズワトソンは、従業員エンゲージメントには理解度、共感度、行動意欲という3つの要素が必要であると指摘する[13]。理解度は会社の進む方向性を具体的に理解、腹落ちし、それを支持できること、共感度は組織や仲間に対して帰属意識や誇り、愛着の気持ちを持っていること、行動意欲は組織の成功のために求められる以上のことを進んで行おうとする意欲とされる。

儒学風土の中核である「仁」の価値観には、「一方で個人の内面の自覚化があり、他方では社会的調和への要請があり、その上で両者を一体化させようという欲求がある」[14]とされる。つまり、「仁」は「個人の内的欲求と社会的調和を両立させるもの」[15]なのである。

「仁」を中核とする組織の儒学風土が構築されることで、個人と集団の調和が重視され、継続的な雇用が確保される傾向が強くなる。これにより、個人と集団の間にも信頼関係が構築され、従業員の組織に対する愛着や仕事への熱意である従業員エンゲージメントも高まることになる。

(4)組織の儒学風土と個人のイノベーション創造の活動、Voice行動

組織の儒学風土は、これまで検討してきたように、他者への配慮と支援、集団内の調和、信頼、正義、中庸、多様性の許容といった価値観を基盤に、職場の心理的安全性を高め、人間相互の信頼に基づく質の高い協力・コラボレーションを促進し、組織への愛着と仕事への意欲を融合した高水準の従業員エンゲージメントを実現する。そして、これらの変数を媒介して、個人学習による個人の創造性発揮を促し、 イノベーション創造の活動を活性化するのである。

組織の儒学風土は、媒介変数(2つの変数をつなぐ役割をもつ変数)を通じて従業員のVoice行動にも間接的に影響を与える。Voice行動とは、従業員が職場や組織におけるさまざまな課題に対し、建設的な提案・提言として、自らの意見や新しいアイデアの表明を行うことである[16]。心理的に安全な職場では、対人関係のリスクを恐れず、思ったことを口に出すことができるため、従業員は安心してVoice行動を起こすことができる。

また、エンゲージメントの水準が高い従業員は、公式に決められた職務の範囲を超えて、組織へ貢献しようと仕事に対し人一倍の努力を注ぎ、優れた業績を達成したいと考える傾向が強い[17]。従って、従業員エンゲージメントが高水準になると、組織の直面する課題に対しても当事者意識を持って建設的な意見を表明するようになるのである。

さらに、組織内で信頼に基づく質の高い協力・コラボレーションが行われる傾向が強い場合も、従業員が職場の課題に対し建設的な意見表明を行うVoice行動は活発化するのである。

(5)組織の儒学風土と非倫理的行為の抑制・回避

個人のイノベーション創造の活動やVoice行動は、組織の儒学風土の「攻めの成果」とも考えられる。一方、組織の儒学風土は人間の尊重を根底に置き、社会の規範やルールの遵守や誠実性を重視し、善悪の正しい判断の下に大義や正義の行動へ積極的に向かわせる機能も果たす。

これらの価値観や行動慣行は、企業の法令遵守(コンプライアンス)や社会的責任の実行を促し、組織における非倫理的な行為を抑制・回避する基盤となる。つまり、組織の儒学風土は非倫理的行為の抑制・回避という企業にとっての「守りの成果」とも結びついているのである。

組織の儒学風土は、非倫理的行為の抑制・回避に直接影響を及ぼすだけでなく、媒介変数を通じて間接的に影響を与える可能性も考えられる。職場の心理的安全性が構築されると、ミスや失敗を隠蔽せず、むしろそこから学習したり、「間違っていることを間違っている」ときちんと指摘したりすることができるため、組織における非倫理的行為を抑制・回避すると推察される。

また、部門や部署の間に壁が存在せず、組織メンバー相互の信頼に基づく質の高い協力・コラボレーションが実現されているような職場環境の中では、風通しの良い人間関係と組織風土が構築されることから、非倫理的行為も起こり難いと推察される。

さらに、従業員エンゲージメントが高い場合、従業員は組織へのコミットメントや愛着を抱き、仕事への熱意を持っているため、職務怠慢や職務逃避的な行動を取ったり、組織のイメージ・ダウンにつながる反社会的行動を取ったり、他者の意欲を削ぐような行動を取ったりすることがなく、非倫理的行為を抑制することが可能になるのである。

以上の点について、我々の調査結果から確認しておく。組織の儒学風土の認知度合いと組織学習の促進要因となるチーム・職場レベルおよび個人レベルの変数との相関係数をみると、組織の儒学風土は心理的安全性(0.703)、協力・コラボレーション(0.732)、従業員エンゲージメント(0.725)、個人のイノベーション創造の成果(0.517)、従業員のVoice行動(0.550)、 組織の非倫理的行為の抑制・回避(0.514)とそれぞれ高い相関関係を有しており、共変関係が認められた。

また、共分散構造モデリングによる媒介分析の結果から、組織の儒学風土から心理的安全性や協力・コラボレーション、従業員エンゲージメントを媒介し、個人のイノベーション創造の活動やVoice行動が生起され、組織の非倫理的行為も抑制・回避されることが実証的に裏付けられた。

4.儒学の視点からみると、日本の組織は今後どのような対応が必要になるのか

これまで説明してきたように儒学の視点の本質は、人を慈しみ、互いに敬意を払いながら、信頼を基に周囲との調和を通じて円滑な関係性をつくっていくものである。今後、日本の組織がイノベーション創造の場として再活性化していくためには、このような儒学的価値観が自らの組織にどの程度定着しているのか、を再認識することから始めることになる。

より具体的に、儒学の視点から日本の組織を再検討する第一歩は、組織の中で人間が慈しまれ、尊重されているか、人間としての尊厳が重視されているか、を確認することである。企業の本質的活動であるイノベーション創造の主体は、従業員であって株主ではない。従業員を組織運営の道具やコストではなく、創造性発揮の主体として捉えることが必要である。

まさに、伊丹敬之氏が提唱してきた「人本主義」経営の基本に立ち返るということである。人間の尊重という根本原理が機能すれば、人間としての成長や能力発揮を促す新製品開発や新規事業開拓の機会が与えられ、活力に溢れた学習する職場の形成にもつながっていくのである。

また、組織内の調和や信頼構築の現状を把握し、どのような問題が生じているのか、それをどのように解決していくかを議論することも必要である。特に、個人の業績ベースの成果主義に偏った場合、個人は自らの資源や能力の囲い込みに走り、メンバー相互の協力や助け合いは低調なものとなる。

一方、コロナ危機を通じて、リモートワークやハイブリッドワークの習慣が広がり、必ずしも全員が同一の時間と空間の下で勤務しないような状況もあり、個人が孤立する要素は強まっている。組織内の調和や信頼構築が当たり前ではなくなった状況では、たとえば、仕事の評価もプロセス重視あるいはチーム・集団としての成果を評価するような方向への検討が必要だろう。

組織内の調和や信頼の構築には、構造的に内外の情報の結節点となり、コミュニケーターとして上下・左右のコミュニケーションを働きかけ活性化するミドルマネジャー(部課長)の機能が極めて重要になるのである。

さらに、法令遵守(コンプライアンス)の活動は重要ではあるが、やり過ぎてはいけない。法律やルールに従えば良いという思考になると、与えられた基準に従うだけで自分の頭で考えなくなってしまう。

これは自律性の喪失につながり、創造性発揮にも負の影響を及ぼす。決められた範囲でしか行動しないとすると、役割外の行動や従来の枠を超えた行動を取りづらく、イノベーション創造の活動は低調なものになるだろう。法令やルールを守る法治主義的な思考ではなく、「内心の道徳律を確立させることによって秩序を形成する」[18]儒学の視点が重要になるのである。

これまで検討してきたように、長きにわたり我々の思考や行動様式の潜在的な部分に影響を及ぼしてきた儒学的な価値観や思考の強みを、過去の遺物として捨て去るあるいは無視するのではなく、現代の日本企業にとっての意味を再度検討し、冷静に評価する必要があるのではないだろうか。これは単に「過去に戻れ」式の単純な懐古主義ではない。

確かに、儒学的思考には、形式主義に陥りやすかったり、自己主張(自己の意見表明)が極端に抑制されたり、自発的でない組織への忠誠に陥るといった危険性も存在している。つまり、西洋流の価値観や思考を基盤とする経営ツールを鵜呑みにしたり、単純に模倣したりするのではなく、過去の日本の組織の強みを支えてきた根幹の原理を評価し、現代的に意義ある部分を取り戻す積極的な姿勢こそ、現代のような混迷の時代を生き抜くために必要なのである。


[1] 2018年度から2022年度に行われた大東文化大学による私立大学研究ブランディング事業「漢学・書道の学際的研究拠点の形成による『東洋の‘道’』研究教育の推進」の一環として経営学部で行われた「経営学と‘道’の研究(経営道)」プロジェクトによるアンケート調査から得られたデータを基にした実証分析。本プロジェクトの成果の詳細は『経営学と東洋の“道”に関する多角的研究』(2023年、大東文化大学経営研究所)を参照のこと。
[2] 以下の儒学の基礎的概念に関する記述は、金(1992)、Dollinger(1998)、土田(2004)、土田(2011)、蔡(2012)に依拠している。
[3] 土田(2004), p.13.
[4] 谷口(2012), p.17.
[5] Probst and Büchel (1997), p.15.
[6] エドモンドソン(2021), pp.14-15.
[7] エドモンドソン(2021), p.15.
[8] 『前掲訳書』, p.15.
[9] 君塚(2000), p.13.
[10] 「前掲稿」, p.13.
[11] 十川(2010), pp.8-9.
[12] 柴田(2018), p.5; 岡田・吉田(2019), p.90; 広瀬(2020), p.3.
[13] 岡田・吉田(2019), p.80.
[14] 土田(2011), p.26.
[15] 『前掲書』, p.26.
[16] Van Dyne and LePine(1998)
[17] ロイヤル・アグニュー(2012), p.66.
[18] 谷口(2012), p.196.


【参考文献】
Dollinger, M. J. (1988) “Confucian Ethics and Japanese Management Practices,” Journal of Business Ethics, 7, pp.575-584.
Probst, G. J. B. and B. S. T. Büchel (1997) Organizational Learning, Prentice Hall.
Van Dyne, L. and J. A. Le Pine (1998) ”Helping and Voice Extra-Role Behaviors: Evidence of Construct and Predictive Validity,” Academy of Management Journal, 41(1), pp.108-119.
エドモンドソン, A. C. (2021)『恐れのない組織:「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』英治出版。
岡田恵子・吉田由紀子(2019)「日本企業がエンゲージメント経営を実践する5つの要諦」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』, 11月号, pp.76-90.
君塚大学(2000)「儒教文化測定尺度の仮構」『佛教大学総合研究所紀要』, 7, pp.5-27.
金日坤(1992)『東アジアの経済発展と儒教文化』大修館書店。
蔡明哲(2012)「企業経営に生かすべき儒教倫理(論語)の再考」『羽衣国際大学現代社会学部研究紀要』, 1, pp.1-13.
柴田 彰(2018)『エンゲージメント経営』日本能率協会マネジメントセンター。
十川廣國(2010)「コラボレーションと創造的経営」『三田商学研究』, 53(5), pp.1-15.
谷口典子(2012)『日本の経済社会システムと儒学』時潮社。
土田健次郎(2004)「儒教から何を学ぶか」『日本教育』, 326, p.10-13.
土田健次郎(2011)『儒教入門』東京大学出版会。
広瀬元義(2020)『従業員のパフォーマンスを最大限に高めるエンゲージメントカンパニー』ダイヤモンド社。
山田他(2023)『経営学と東洋の”道”に関する多角的研究』大東文化大学経営研究所。
ロイヤル, M.・T. アグニュー(2012)『エンゲージメント革命』生産性出版。


【著者の主な主要業績】

  • 『経営学と東洋の”道”に関する多角的研究』大東文化大学経営研究所研究叢書39, 2023.
  • 「組織の双面性構築と高業績ワーク・システムの役割:ミクロ的基礎の視点」『実践経営』, No.62, pp.7-18, 2025.
  • 「イノベーション創造を導く双面的リーダーシップとチームの双面性:調整要因としてのリーダーのビジョン、チームへの一体感」『大東文化大学紀要』, 第64号, 2026, pp.207-224.
  • 「個人の双面性を促進する双面的組織文化:心理的エンパワーメント、高業績ワーク・システム、支援的リーダーシップの調整媒介モデル」『経営論集』, 47号, 2026, pp.153-172.
片山久也
担当者
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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