職場における「敬意」のコミュニケーション-早稲田大学大学院 日本語教育研究科 教授 蒲谷 宏氏

キャリアリサーチLab編集部
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「敬意」とは何か

「敬意」とは何か、と問われたとき、もっとも簡単な答えは「人を敬う心を持つこと」となるでしょう。「人を敬う心」とは何か、と尋ねられれば、その一つは「人を尊敬する気持ち」のことだ、と言えるでしょう。

ただし、ここでは、「敬意」という言葉の厳密な概念規定をしようというわけではなく、わかりやすい「人を敬う心」や、「人を尊敬する気持ち」を中心に置きつつ、もう少し広い意味で、人を「尊重する気持ち」「リスペクトする気持ち」「大切に思う気持ち」なども含むものとして考えていきたいと思います。

「敬意」を持つとはどういうことか

敬意を持ちにくい相手とのコミュニケーション

お互いに敬意を持ってコミュニケーションをしよう、というのがここでの眼目となるわけですが、もちろん、その人のことを尊敬していれば自ずと敬意も持てるわけですし、最初からリスペクトしている上司や先輩であれば、敬意を持ちましょう、などと言われなくても、もう持っているよ、ということになるでしょう。同輩や後輩であっても、敬意が持てるような人もいるでしょうから、そうした人たちに対しては、あえて敬意を持とうなどと言う必要もないかと思います。

ここで扱おうとする課題は、そうした「そもそも敬意が持てるような人たち」を相手にするコミュニケーションではありません。敬意があまり持てないような上司や先輩、取引先の人たち、尊敬するという気持ちとはやや遠い、あるいは程遠い同輩や後輩に対しても、「敬意を持とう」ということなのです。

「敬意を持とう」という考え方に対して、たとえ敬意など持っていなくても、社会人の最低限のマナーとして、上司や先輩には敬意があるように振る舞えばよい、後輩に対しても、この御時世だから、少なくとも丁寧に接しておけばよい、というような考え方もあるでしょう。しかしながら、ここで扱いたいのは、そうしたネガティブな思いを前提として、だれに対しても敬意を持ったふりをしましょう、などということではありません。

もちろん、敬意を持てないような人に対して敬意を持とう、というのはそもそも無理な注文であって、そういう人に対しても「敬語」を使ってコミュニケーションしましょう、くらいなら何とかなる、ということなのかもしれません。

敬意を育むための視点と想像力

敬意と敬語は、密接な関係がありますから、敬意が持てない上司や先輩、取引先の人たちには、とにかく敬語さえ使っておけば、敬意があるように表現できる、という理屈が成り立つこともわかります。しかし、敬意のかけらもない敬語表現では、そうした気持ちが相手に伝わってしまうものです。

同輩や後輩には、そもそも、敬語を使ったとしても「です・ます」程度のものなので、かえって敬意を伝えることは難しいと言えるのかもしれません。敬意など持てそうもない同輩や後輩に対しては、どうコミュニケーションをとればよいのかわからない、ということになってしまうでしょう。

その人に敬意を持つためには、尊敬できるなどということではなくても、その人のことを知ろうとする思い、少なくとも、その人を大切に思っている人もいるのだろうという想像力を働かせること、その人の長所や美点を見出そうとする努力が必要になるかもしれません。

敬意を払う対象となる「その人」には、現在では、日本語が母語や第一言語ではない人たちも含まれます。何のために敬意を持とうとするのか、それは、そうすることに大切な意味があると考えるからです。

「敬意」を持って表現することとは

敬意とは、先にも述べたように、敬う気持ちや尊敬する気持ちではありますが、それよりももう少し広い、その人を尊重する気持ちやその人を大切に思うこと、大切に扱おうとする心などが含まれた言葉です。

そうした気持ちを持って表現するとはどういうことなのでしょうか。それを言葉によるコミュニケーションという点から捉えてみたいと思います。

「報・連・相」のコミュニケーション

昔から言われてきた「報・連・相」で言えば、報告するという表現や連絡するという表現、相談するというコミュニケーションにおいて、敬意を持って表現し、コミュニケーションするとはどういうことなのかを考えてみましょう。

「報告」における「敬意」とは

「報告する」というのは、立場的に下から上に向けて、ということが多いでしょうから、敬語表現によってそれを実現することになります。ここでは、細かい言葉遣いを問題にするというのではなく、相手が理解しやすいように伝えること、相手にとってわかっている情報は簡単に伝え、新しい情報についてはやや詳しく伝えること、筋道を整理し、明確にして伝えることなどが考えられます。

これは報告の仕方やマナーでも言われていることではありますが、わかりやすく伝えようとする気持ちの根底にあるのは、報告する相手に対する敬意があるかどうか、ということです。報告の表現であっても、それは相手への配慮、相手を尊重すること、につながるわけです。

「連絡」における「敬意」とは

「連絡する」ということも伝えるべき内容をきちんと整理し、何が重要な情報なのかを明確に伝える必要があります。

ビジネスマナーの一種だとは言えますが、単に形式的な点を整えるということではなく、相手に対して敬意の気持ちがあるからこそ、結果として形式的に細かな点まで気を配れる、ということだと言えるでしょう。そして、そもそもきちんと連絡をすること自体が、相手への敬意の表れだということです。

「相談」における「敬意」とは

「相談する」ことは、もちろん自分だけの表現で済むことではなく、まさに相手とのコミュニケーションとして考えられる問題です。その人に相談する、というのは、相手に敬意を持っているからこそできることであり、形式的にとりあえず相談しておこう、という気持ちでは、それが相手に伝わってしまうものです。

リスペクトしている相手であるからこそ相談するわけであり、相談に乗ってくれる、そして自分を助けてくれるという信頼があるからこそ相談するのだ、と言えるでしょう。

もちろん、現実にはそういうことばかりではないにしろ、少なくとも、その人を相談する相手に選ぶという段階で、その人に対する敬意なくしては成り立たないコミュニケーションだと言えるわけです。

「敬意」を持って理解することとは

上に述べたことを逆の立場から見てみましょう。

「報告」されたときの「敬意」とは

まず、報告であれば、自分は後輩や部下から報告をされた先輩であり上司や取引先の人物である、ということになります。

ここで、その相手に敬意を持つというのは、自分に対してしっかりとした報告をしてきてくれたということ、自分が理解しやすいように工夫した報告書を作成してくれたということなど、そういうことをしてくれる後輩や部下を大切な存在として認識し、そのような存在としてリスペクトするということでしょう。

やや大げさな記述になってしまいますが、そういう相手として捉えたときには、当然、相手もそれを感じ取り、その後はさらに良い報告をしようと思う、という好循環が生み出せると言えるのではないでしょうか。

ここでのポイントは、「ほめる」ということになります。無理にではなく、自然に、良いところを指摘し、努力を認めるということは、相手に対する最大のリスペクトにつながるコミュニケーションです。

「連絡」されたときの「敬意」とは

連絡することも同様に、要領を得た連絡がきちんとできるよう指導した結果が現れていたとするなら、そうした後輩や部下に対して敬意を持って接することは難しいことではありません。

ただし、問題は、報告にしろ、連絡にしろ、あまり適切ではないものになっていた場合です。もちろん、それを注意して、叱って育てていくということも、敬意があれば、相手も受け入れて、次は良いものに仕上げてくるということにつながるだろうと言えます。

しかし、多くの場合、注意したり、叱ったりすることは、相手に対する敬意とは結び付きにくいので、当然相手も表面的にはともかく、心の奥では素直に受け入れにくい状況を生んでしまう恐れもあります。

だからといって、ほめるような出来栄えになっていないものを無理にほめることもできないので、何でもほめればよいというものではありません。相手に対する敬意があれば、冷静に問題点を指摘し、注意することもできるはずです。

先輩や上司にとって難しい課題ではありますが、相手に敬意を持って、より良い方向に導くための指摘や注意、指導を行うことは、決して敬意を持つことと矛盾したコミュニケーションにはならないだろうと思います。

特に、日本語が母語や第一言語ではない人にとっては、そもそもの慣習が異なる場合も多いため、日本語自体の問題だけではなく、そうしたことにも配慮する必要があります。日本の慣習をただ押し付けるというのではなく、しかし、その職場やフィールドでの慣習については、きちんと教え、学んでもらう必要があります。

何となくわかっているだろう、わかっているはずだという思い込みが、最も危険なコミュニケーションにつながってしまうからです。

「相談」されたときの「敬意」とは

相談を受けた場合、相手は自分を信頼し、敬意を持っているからこその相談であるわけなので、むしろその対応への気遣いが求められるわけです。まずは、相手の話をよく聞くことでしょう。先輩や上司の立場にあると、ついつい、すぐに解決策を出したくなるものです。

また、私の経験では、などと過去の事例を出したくなってしまうものです。そこはぐっとこらえて、相手の話をよく聞くこと、相談内容の何が要点なのかを把握すること、何に悩んでいるのか、何をどうしてほしいのか、何かをしてほしいのではなく聞いてほしいだけなのか、具体的な解決策がほしいのか、その辺りの見極めをすることが先輩や上司にとっての最大の課題になります。

こうした課題に対しては、相手に敬意を持って臨むことにより、その辺りに冷静に対応することもできるかと思います。相手に対する敬意は、相手に対する信頼にもつながり、相手自身が解決する力を持っていることを信じ、それが発揮できるように導いていくことが大切になるわけです。

これは非常に難しい課題ではありますが、これができるかどうかの決め手も、相手に対して敬意を持てているかどうかによるのだと思います。

「敬意」を持ってコミュニケーションすることとは

以上、簡単な例ではありますが、相手に対して敬意を持つことによって、その後のコミュニケーションのあり方が大きく変わってくるということを述べてきました。

相手を信頼することや相手の可能性を信じることなども、相手に対する敬意を持つことと関連しています。そうすることによって、相談する側も、相談を受ける側も、相互に敬意のあるコミュニケーションができてくると言えるのではないでしょうか。

これは、言うは易く、ではありますが、そういう敬意を持つ気持ちがあることで、コミュニケーションがより良いものになってくることは、経験的にも理解できることだと思います。

立場的に下から上と、上から下、また同位の場合では、言葉によるコミュニケーションにも違いが出てきますが、互いに敬意を持ってコミュニケーションをしていくことの利点は、形式的に敬語を使って表現することや、ただ親しさを表すこととは異なる、より本質的な意味でのコミュニケーションにつながってくる可能性が出てくるものとなるでしょう。

「敬意」のあるコミュニケーションをすることの意義

最後に、敬意を持ってコミュニケーションすることの意義を確認しておきましょう。敬意があれば何でもできる、というほど簡単にはいきませんが、敬意が持てそうもない他者に対しても、敬意を持とうと思った時点で、その人はもう成長しているのだと思います。

そうした努力は、その人自身を、より深い考えを持った、より大きな人間に変えていくことにつながると思えるからです。

理想論として述べると、お互いに敬意を持ち合う人間関係を作っていくことにより、それが社会に広がっていき、敬意を持つことが実質的な利点としても感じられるようになれば、さらに敬意を持つことの意義は増すことでしょう。

もちろん、一方で現実に目を向ければ、敬意などとは程遠い、悪意に満ち溢れた、コミュニケーションとは言えないようなやりとりも多く、目をそむけたくなるような状況だと言えるのかもしれません。

そして、相手を否定したり、貶めたりするような表現や事実とは異なる中傷合戦などが横行している時代なのだと感じられます。だからこそ、あえて、すべての相手に敬意を持とう、だれであっても敬意を持とう、そこから、敬意に基づく表現をしていこう、ということを述べておきたいと思うのです。

そんなことをして意味があるの?と問われたら、必ず意味はあるはずだと答えておきましょう。それがどういう意味なのかは、一人ひとりおそらく異なるので、こうしたら必ずこうなる、というようなことではありませんが、少なくとも、だれに対しても敬意を持てるような自分になれたら、それだけでもその人にとっては大きな成長や成果が得られることだけは間違いないでしょう。

もちろん、願いとしては、だれもがお互いに敬意を持って、その上でさまざまなコミュニケーションが行われることであり、結果として、適切な敬語表現も生まれ、敬語ではない配慮の表現も生まれ、形に縛られない気持ちの籠ったコミュニケーションが展開されていくことなのです。

そうした敬意のあるコミュニケーションが、学校からも、職場からも、広がっていくことで、より良い社会が創られていくことを願うものです。


早稲田大学大学院日本語教育研究科教授/蒲谷宏氏

【著者紹介】
蒲谷 宏(かばや ひろし)
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は、日本語学、日本語教育学。早稲田大学大学院日本語教育研究科教授。文化審議会国語分科会委員等を務める。
著書に、『敬語表現』(1998共著)大修館書店、『大人の敬語コミュニケーション』(2007)筑摩書房、『待遇コミュニケーション論』(2013)、『敬語マスター』(2014)、『敬語だけじゃない敬語表現』(2015)、以上大修館書店、等がある。

片山久也
担当者
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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