働き、暮らすまちへ 日野市の「多摩平団地(現・多摩平の森)の再生」(法政大学学院地域創造インスティテュート・梅崎研究室)

東郷 こずえ
著者
キャリアリサーチLab主任研究員
KOZUE TOGO

本稿は「地域活性化から創る新たなキャリアの選択肢」という連載企画の第2回となる。第1回は地域創生や地域活性化といった概念や地方で働くことのメリット、また地域活性化の手段として注目されているエリアリノベーションなどを解説した。

第2回となる本稿では、東京都日野市で実施された団地再生の事例を紹介する。

「地域×キャリア」を研究している法政大学の梅崎教授の研究室が主催する研究会に参加し、東京都日野市での取り組みについて日野市市役所の中平氏にお話をうかがった。本稿はその内容を基にまとめたものである。

「地域×キャリア」の可能性を探る~研究が目指すものとは

質問:梅崎先生の研究室では「地域×キャリア」の研究をされていると思いますが、労働経済を長らく研究されてきた梅崎先生が「地域」に注目したのはどのような理由があるのでしょうか?

梅崎:労働経済学や人的資源管理の研究というと、職業キャリアの調査を思い浮かべる人がほとんどだと思いますが、働くこととは別に「暮らし方」も重要ですね。そして、働くと暮らしは別々に選択できるものではなく、同時決定されるものなのです。

特に、いかに暮らすかということは、近年の休暇学やwell-being研究への注目からも推測されるように、働くことにも大きな影響を与えています。言い換えれば、地域を対象にすると、働き方と暮らし方の重なり方が見えてくるのです。ワーケーションや二拠点生活など、近年話題になるキーワードも「地域」という単位で調査研究の対象です。

質問:今回の研究会で日野市の団地再生の事例を取り上げたのはどのような理由があるのでしょうか?

梅崎:もともと団地という場所は、都市部の人口増加に対応する集合住宅で、同一世代が入居して同じタイミングでライフステージが変わるという特徴がありました。つまり、世帯が単一化しやすく、近年は急激な高齢化が進んでいます。

多摩平の団地は、リノベーションによって、世代の多様性や自然との共存、産業構造変化に対応する新規事業支援などのさまざまな取り組みが行われていることでも有名でした。その実態を勉強したいと思い、今回研究室のみなさまと、まちあるき+研究会を企画しました。

人生フルーツ』という建築家の津端修一さんご夫婦のドキュメンタリー映画があるのですが、知っていますか。多摩平団地は自然と共存する価値を大切にした津端さんの設計なのです。人生(キャリア)をフルーツのように豊かにするために、今にも引き継がれる設計者の想い、その想いを引き継ぐ活動に触れたいと思いました。

研究会の当日、JR豊田駅前で集合したときの様子。中央左でお話されているのが梅崎先生、右が日野市の中平氏
研究会の当日、JR豊田駅前で集合したときの様子。中央左でお話されているのが梅崎先生、右が日野市の中平氏

研究会「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる(多世代交流、グリーン環境、創業支援)」

お話をうかがった中平さん
お話をうかがった中平さん

中平 健二朗
日野市福祉政策課課長。1970年生まれ。國學院大學法学部卒。入庁以来、まちづくりや地域戦略、環境政策分野に従事し、多摩平団地の再生、住民参加型の公共空間「PlanT」の企画・開設、日野イノベーションビジョンの策定、リビングラボの推進など多様な施策に関わり、2019年にSDGs未来都市計画を策定し、都内で初めてSDGs未来都市に選定、以降も気候市民会議の開催など先進的な取組を牽引。GIS活用による政策立案においては米Esri社SAG賞を受賞。都市の未来を見据えた共創型まちづくりを実践している。

日野市の概況

日野市は都心から西に35キロメートル、東京都の多摩地域南部に位置する。日野自動車の本社など多くの企業の拠点がある工業都市であり、土方歳三や井上源三郎などの生家がある新選組のふるさととしても知られている。

都市からの適度な距離や多摩川と浅川の二つの河川の合流点であるという、自然資源と都市機能のバランスをとりやすい立地を生かしたまちづくりを目指している。

  • 人口:188,785人(住民基本台帳ベース:2025年4月1日時点)
  • 世帯数:95,005世帯 面積:27.55キロ平方メートル
  • 面積:27.55キロ平方メートル

多摩平団地(現・多摩平の森)の歴史

地域の記憶を生かす、理念を持ったかつての団地設計

多摩平団地は1958年10月に完成した。当初の特徴としては、元の地形や土地の歴史を尊重した設計、景観(遠景、近景までの住宅地景観)へのこだわりがあげられる。中平氏の言葉を借りると「黎明期の団地はこうした理念に基づいて作られていた」とのことだ。

人口増加の波、住居供給が優先された“ニュータウン”事業

しかし、こうした方針が覆る事態が起こる。それが人口増加の波に対処する形で、実施された「ニュータウン事業」の始まりである。

1960年代に始まる高度経済成長期に、東京、大阪といった大都市圏では人口が増え続け、その増加する人口に対して、住宅の供給が優先される形で団地の建設が行われるようになった。元の土地が持つ地形などの特徴に配慮することよりも、効率的に建設することが求められるようになる。

今回取り上げられている多摩平団地は「黎明期の団地」であるが、その後、建設された団地の多くはこのニュータウン事業のなかで建設されたものとなる。いわゆる「団地」に対して、現在抱かれている画一的な建物が大量生産されるような都市開発といったイメージはこのころに形成されたものだろう。

住宅の老朽化、住民の高齢化による団地再生の必要性

黎明期の団地として、設計者のこだわりを持って建てられた多摩平団地であったが、徐々に住宅の老朽化、居住者の高齢化が進行していった。そして、建設から30年が経過した1990年に団地の建て替え計画が公表された。

「対立から対話へ」多摩平団地建て替え三者勉強会

当時、同じような状況であった他の地域では多くの対立関係があり、なかには裁判に発展しているケースもあった。日野市も例外ではなく、1990年に立て替え計画が公表された後、住民と市、都市整備公団の間での対立関係が解消しないまま、1996年まで計画はストップしていた。

しかし、ただ反対しているのでは住民の意向を無視した建て替えが行われてしまうという危惧から、自治体(住民)から日野市、住宅・都市整備公団に対して「三者勉強会」による対話の場が提案された。住民は、相互の立場の理解と学習、対話を重ねながら、前向きに街づくりを進めることを選択したのだ。

中平氏は「住民、住宅・都市整備公団、日野市の三者のバランスが非常に重要で、二者間だとどうしても対立関係になりやすい。でも三者であれば、たとえば二者で疑義が生じたときに、もう一つの立場で客観的な立場から助言して、三者の合意を目指すこと、この関係を持続することでよいバランスをとることができた。」と語った。

三者勉強会成功の立役者の存在

この三者勉強会は1996年から130回以上実施され、団地再生事業の重要な要素となったが、この三者勉強会が成功した立役者の存在がある。それが、当時の自治体の自治会長と自治事務局長の存在である。

中平氏の言葉を借りると「地域のフィクサーのような存在」で、1,000戸以上あるような団地の住民のさまざまな意見をまとめ、住民の意見として話し合いの場に持ってきてくれたとのことだ。

日野市、住宅・都市整備公団も住民の意向を無視した建て替え事業を進めることは本意ではなかったが、個々の住民の意向や要望をバラバラに聞いて対応するのは現実的ではなかった。しかし、住民が組織化し、責任を持った意思表明活動をする団体(アドボカシーグループ)となることで、課題解決に向けた建設的な対話が可能となった。

「都市計画」「まちづくり」というと自治体の政策で決まっていくもの、というイメージが強かったが、ここに地域の住民が主体的に参加し、一緒にまちづくりをしていった点が非常に興味深い。

団地再生事業の転換期

こうして始まった団地再生事業だったが、「住宅・都市整備公団」が、1999年に「都市基盤整備公団」と名前を変え、さらに、2004年には独立行政法人「都市再生機構(UR)」となることで転換期を迎える。

独立行政法人化に伴い、新たな住宅の供給ができなくなり、当初建て替え予定だった概ね3分の2が民間事業者等へ譲渡、または賃貸されることとなった。

過去には近隣の工場跡地で大規模マンションの計画・開発が進められた結果、一部地域では環境や都市インフラの許容量を無視した開発が行われ、周辺住民とのトラブルや、保育園・小学校のキャパシティひっ迫といった事態が発生した。

そのため、日野市は一定規模以上の民間開発が周辺に大きな影響を与えることから、市民・行政と開発事業者の対話・調整の仕組みとして、2006年に「まちづくり条例」を制定した。この条例に基づき「まちづくり重点地区」として位置付けることで、事業者と行政の協議を前提とした計画的なまちづくりを誘導する仕組みを構築した。

これは、行政のみで計画を定めるのではなく、UR、住民をはじめとする多様なステークホルダーとビジョンを共有し、街の環境維持・管理に加え、土地の記憶や住民の思いを継承することを目的としたものであった。

多様な都市機能の誘導(多世代居住ニーズへの対応)

ここからは、団地再生の結果、地域に生まれた変化について解説する。

多世代居住誘導による人口バランス

建物の老朽化、住民の高齢化をきっかけに始まった団地再生は、持続可能なまちづくりを目指して「多世代」がバランスよく居住する地域を目指していた。そのため、大型の商業施設、病院や介護施設、保育園や児童館といったさまざまな世代が必要とする機能を集積して、どの世代にとっても住みやすいまちづくりを行った。【図1】

【図1】多摩平地区のまちづくり 駅前通りを軸とした機能集積/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成
【図1】多摩平地区のまちづくり 駅前通りを軸とした機能集積/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成

特に居住エリアである「ルネッサンスエリア」は興味深い。ここにはもともと団地だった3棟の建物が建っているが、それぞれ特徴のある居住施設として再生されている。

  1. 高齢者を対象とした「サービス付き高齢者住宅 小規模多機能型高齢施設」
  2. 勤労世代・子育て世代を対象とした「菜園付き住宅」
  3. 若年層を対象とした「シェアハウス」

このように、それぞれの棟が異なる世代をターゲットとしたコンセプトを持っているのだ。

先述した②菜園付き住宅の「菜園」の様子。菜園スペースは奥まで続き、想像以上に広い。居住棟とほぼ同じくらいのスペースに見えた。管理人がいて、菜園づくりのサポートをしてくれる。
先述した②菜園付き住宅の「菜園」の様子。菜園スペースは奥まで続き、想像以上に広い。居住棟とほぼ同じくらいのスペースに見えた。管理人がいて、菜園づくりのサポートをしてくれる。

その結果、地域の人口は高齢者中心であった既存住民に加えて、勤労世代や子育て世代中心の新規住宅の住民が合流する結果となり、全体的に子育て層から高齢者まで多様な世代がバランスよく配置された人口バランスが実現した。【図2】

【図2】多世代居住誘導による人口バランス/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成
【図2】多世代居住誘導による人口バランス/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成

官民、そして住民が双方で提供する多世代交流の場

このように考えると、日野市のまちづくり施策はそれまで課題だった勤労世代や子育て世代、そして子ども達の流入を促進することができ、成功したといえる。

ただ、中平氏はそれだけで成功とはいえないという。箱を作り、そこにバランスよく人が配置されたとしても、住民同士の交流がなければ、かつての都市開発で見られた既存住民と新規住民の対立などが生じる可能性があり、「まち」としては完成形ではない。

そこで、日野市、民間事業者、そして住民が協業する形で多世代が交流できるような場、機会を多く用意している。具体的な事例は以下のとおりだ。

多摩平の森ふれあい館(日野市、URの共同所有建築物)
…施設内には図書館、子ども家庭支援センターなどの公共施設に加えて、家庭・家事をサポートするNPOの拠点や一時保育施設や児童館、ホールやカフェ、調理室、音楽室などがあり、まつりや発表会など地域の交流に利用されている。【図3】

【図3】多摩平の森ふれあい館コミュニティと多世代交流の拠点/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成
【図3】多摩平の森ふれあい館コミュニティと多世代交流の拠点/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成

〇さくら集会所(自治会の活動拠点としての集会所)
…団地の敷地内にある自治体の事務局所在地、URの集会室が自治会が常駐する拠点になることは事例として珍しい。ここで住民以外も参加できる「夕涼み会」などのイベントが実施されている。

〇イオンモール多摩平の森
…商業施設だが、日野市の「まちづくりマスタープラン」や「まちづくり条例」に基づく重点地区まちづくり計画のなかに位置付け、地域の賑わいを創出する施設として複数の「広場」や、散策できる公園スペースなどが設置され交流拠点としての役割を担っている。また、イオン株式会社と日野市で協定を締結し、まちづくり分野での連携をはじめ、さまざまな施策分野で連携を深めている。【図4】

【図4】イオンモール多摩平の森交流拠点としての機能、さまざまな活動の場/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成
【図4】イオンモール多摩平の森交流拠点としての機能、さまざまな活動の場/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成

ポストベッドタウン に向けた産学官民の共創の場づくり

ベッドタウンから「働き、暮らす」まちへ

日野市は1958年に第一次首都圏整備構想の衛星都市として指定され「職住近接の自立都市」を目指したが、その後、ベッドタウン化が進むにつれて「良質な住環境の形成」に比重が置かれ、地域のなかでは「職」と「住」の関係性は希薄化してきた。

しかし、この団地再生に端を発したエリアリノベーションで改めて「職」と「住」の再結合を図るべく、「産業連携センター “PlanT”」が計画され、2015年にオープンした。ここでは、地域のさまざまな人や組織、制度、機会などの要素が「仕事」をテーマに結びつく拠点の役割が期待されている。

この施設にはセミナースペースやコワーキングスペースとともに、無料で利用できる「オープン&コラボレーション」スペースも設けられている。これらの場所が地域人材の交流や共創のきっかけを作る場となっており、地域の企業、大学、自治体、そして社会人のつながりによる相乗効果を目指した各種イベントなども開催されている。【図5】

【図5】「PlanT」で実施されたビジネスチャレンジセミナーの様子/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成
【図5】「PlanT」で実施されたビジネスチャレンジセミナーの様子/研究会資料「エリアリノベーションで交ざる地域をつくる」日野市 中平氏作成

コロナ禍以降、テレワークが推進されるなかで、テレワークの場として利用されることも増えているとのことだが、中平氏は「今後はより共創の場としての機能や、創業支援の場にしていきたい」と語った。

編集後記

今回はマイナビキャリアリサーチLabで特任研究顧問をつとめていただいている法政大学の梅崎先生にお声がけいただき、日野市でのフィールドワークと研究会に参加させていただいた。

まちづくりを担当されてきた中平さんの実務経験に基づく解説を聞きながらのフィールドワークでは、その街がたどってきた歴史、その記憶に触れることのできる貴重な経験となった。

第1回の記事でも説明したが、かつては「仕事」の場を起点として「住む場所」を選択することが一般的だったこともあり、地域によって「仕事をする場」と「住む場」の役割を決められてきた。特に日野市は「ベッドタウン」としての役割を担ってきたのだろう。

徐々にではあるが、人々や社会の価値観は変化し、同じ地域でも「仕事をする場」でもあり「住む場」でもあるという状況は珍しくなくなっている。だからこそ、地域の変容によって、キャリアを形成する場が広がり、その分、キャリアの選択肢が広がっていくのだと感じられる貴重な1日となった。

梅崎修
登場人物
法政大学キャリアデザイン学部教授
OSAMU UMEZAKI

関連記事

コラム

選択過剰な時代のキャリア形成「つむぐキャリア」を実現するために必要なことは?

コラム

地域活性化で創る新たなキャリアの選択肢

研究レポート

地方移住で満足度の高い働き方をするためには、どうすれば良いのか