
生産性の向上が「働きがい」を後押しし、個人のしあわせも実現する(Sansan株式会社)
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個人と組織の「しあわせ」は、両立できるのか
労働環境や社会情勢の変化に伴い、「ウェルビーイング経営」が注目を集めている。「身体的・精神的・社会的な個人の幸福の追求」と、組織のあり方を両立させるにはどうすれば良いのか──そのヒントが「働きやすさ」と「働きがい」を実現している企業にある。
今回取材をしたSansan株式会社は、法人向けクラウド名刺管理サービスを手がけ、急成長を遂げてきた企業で、ユニークな社内制度を導入し、存在感を発揮している。社員の働きやすさ・働きがいが、企業経営にどのような影響を与えているのかについて、人事本部 Employee Success部 部長の平山さんに話を聞いた。

Sansan株式会社
設立:2007年6月11日
事業内容:働き方を変えるDXサービスの企画・開発・販売
【プロフィール】
人事本部 Employee Success部 部長 平山 鋼之介 さん
早稲田大学在学中の2000年より、インターネット関連事業の立ち上げを経験。2005年よりITCネットワーク(現コネクシオ)にて大手家電量販店の営業担当およびマネジメントに従事し、2010年に人事部へ異動。採用、人材開発、評価・昇格制度を担当した。2019年からはデジタルガレージ人事部副部長となり、グループ全体のHR関連業務を推進。2021年にSansan株式会社に入社し、人事制度や組織開発を中心とした人事戦略立案を担っている。2022年からはEmployee Success部長となり、採用以外の人事領域を管掌している。また、キャリアコンサルタント/メンターとして、社内外で累計300名以上のキャリア支援やコーチング、メンタリングを実施している。
ミッションへの共感がモチベーションを生み、働きがいを育てる

大学の社会人向け公開講座で、「仕事を楽しむ人の働き方、エンゲージメントを高めるとは」という授業をされたとお聞きしました。幅広い業務を担当されている平山さんですが、普段はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
平山:私はEmployee Successというポジションで、採用以外の領域を担当しています。人事制度や人材開発、組織開発などが主な業務範囲ですが、それぞれの施策を企画・運用していく際は、それぞれの目的や期待効果などを明確にした上で、従業員サーベイなども参考にしながら、施策の導入や継続を判断しています。
組織と個人の想いは、必ずしも一致するわけではありません。それでも「組織として目指すもの、大事にしたいもの」と「個人としての仕事のやりがいや成長」をいかに重ね合わせていくかが、重要だと思っています。
御社では「働きやすさと働きがいの両立」に取り組むことを非常に大切にされているように感じます。その背景には、どのような思いがあるのでしょうか?
平山:まずは前提として「働きがい≒従業員エンゲージメント」と「働きやすさ≒従業員満足(Employee Satisfaction)」は区別して考えるようにしています。
有名な「ハーズバーグの動機づけ・衛生要因理論」によると、衛生要因にあたる働きやすさや会社の方針、同僚や上司との関係といった従業員満足度に関連する内容は、不足していると不満の要因となるため一定レベルまでは満たしていく必要があります。その上で私たちが重視したいのは、「動機づけ要因」なんです。

平山:仕事そのもののやりがいや目標を達成した時の喜び、さらに成長への意欲。そちらへしっかりと軸足を置いていく方針をブレずに推進したいとSansanでは考えています。だからこそ、過度に「従業員満足度の追求」に偏らないよう気をつけています。
成果に向き合う中で成長し、仕事そのものが楽しいと感じられ、自分の市場価値が高まっていくこと。さらにできなかったことができるようになり、成長実感が得られること。そちらを重視したいと思っています。これらを後押しするための人事制度や施策には積極的に取り組んでいます。
当社は創業当初から、会社のミッションやバリューを起点に経営を進める「ミッションドリブン」をベースに成長してきました。Sansanのミッションやバリューに共感して入社した従業員にとって、「ミッションの実現にどのように貢献できるか、その中で自分自身も成長できているかどうか」は働き続けるモチベーションに直結していくのではないでしょうか。
「やる」「やらない」の明確な線引きを元に設計した人事施策

ミッションを起点とした人事施策を設計する上で、特に意識したポイントがあれば教えてください。
平山:私たちは、人材の流動性が高いIT業界に身を置いています。業界全体の傾向として3年程度でキャリアを一区切りして、次にステップアップしてというケースが多いように感じています。こうしたキャリアの考え方が浸透していることを理解した上で、社員にも求職者にもSansanで働くことを選んでもらう必要があります。
そのためには当然「働きがい」を感じられなければと、必要な施策を導入してきました。そこで生まれたのが、生産性を高め、成果の創出を後押しするさまざまな社内制度です。逆に言えば、生産性の向上につながらない制度は「やらない」という選択をしています。
具体的には、どのような判断軸で「やる」「やらない」を決めているのですか?
平山:個人が感じる仕事のやりがいや自己成長、健康に関する制度はエンゲージメントサーベイや各種アンケートなどを駆使しながら、導入前・導入後の変化を数字で見て判断しています。
また、普段から一緒に仕事をする同僚や上司との関係性は「働きやすさ」や「働きがい」の両方の満足度を左右しますから、承認や称賛が交わされる仕組みや組織全体のカルチャー創造に好影響を与えるものも積極的に導入しています。
生産性を高めて仕事に向き合えれば、結果として仕事のパフォーマンスが上がり、会社としても嬉しいわけです。事業成長を加速するための支援は惜しみませんが、一方的に手当を支給するだけのような福利厚生は行っていません。
制度設計の根本には「一生懸命に働きたい。でも制約があってコミットしきれていない」という従業員に、しっかりと届く支援を取り入れようとの想いがあります。
意志決定をスピードアップさせるキーワードは「生産性」
従業員が働きやすくなれば生産性が高まり、また新しいビジネスチャンスが生まれる。そうした「循環」が生まれているように感じますね。
平山:「循環」を象徴する社内制度としては、異なる部門同士のメンバー三人で飲みに行く場合の飲食費を補助する「Know Me」があります。1人3,000円の補助を出しているのですが、部門を超えてつながりが深くなると、業務の生産性は間違いなく上がります。そういう意味では、3,000円は意味のある投資ですね。
他にも通勤による負担軽減のために、住宅費用の一部を補助する「H2O」(HOME to OFFICEの略)も、良い循環が生まれています。渋谷駅から2駅以内であれば月3万円までを会社が負担し、遠方通勤によって削られる体力を温存してもらおうとの狙いがあります。このように狙いたい効果が明確な制度施策は、どんどん実現するようにしています。
働く環境についても、コロナ禍における「オフィス回帰」を早々に提案したそうですね。こうした判断も、生産性の向上と関係があるのでしょうか?
平山:私たちの造語に近いですが「オフィスセントリック」と称して、オフィス出社を奨励しています。実は世の中がリモートワーク主導になり始めた2021年11月頃から「さて、ウチはどうする?」と検討し始め、「週3日出社、週2日在宅」をベースに出社を呼びかけました。
ただし、職種によってルールが異なっており、「在宅勤務でも生産性が落ちない傾向がある」というエンジニアやクリエイターは、週1日出社を選択することもできます。これもアンケートやエンゲージメントサーベイの結果から導き出しました。
特にクライアントワークを担当するビジネス職のメンバーは、出社によって生産性に大きな違いが見られました。社内における偶然の出会いが、コミュニケーションスピードを高め、密度も濃いやり取りができていると分かったんです。“セレンディピティ(思いもよらない幸運による偶然の産物)”を意図的に生み出すには、出社が良いことは明らかでした。
「基本的には出社を大事にしたい」と訴えたものの、最初は少しネガティブな反応もありました。長いコロナ禍でフルリモート勤務に慣れていた従業員にとっては、生活リズムを変えることへの不安もあったでしょう。そこで経営陣とも時間をかけて話し合い、社長の寺田から全員の前で想いを語ってもらいました。
「Sansanのミッションは、出会いからイノベーションを生み出すこと。そこには偶然の出会いも含まれている。それなのに、社内でメンバー同士が出会わずして、どうやってイノベーションを生み出すのか?」と。その上で、社内の共有スペースで開く飲み会「ヨリアイ」や、メンバー同士で集まって楽しめる部活動「よいこ」など、業務以外でも出社したことをポジティブに感じるような施策の活性化に注力しました。
結果論ではありますが、毎月実施しているエンゲージメントサーベイの中にある、自身のパフォーマンス発揮度のスコアが、在宅勤務(フルリモート)の時と比較して明らかに向上しました。フルリモートの頃は自身の本来のパフォーマンスと比較して60〜70%と回答していたビジネス職のメンバーが、一気に90〜100点近くまで上がるようになったイメージです。
当社は中途入社者の比率が高いこともあり、オンボーディングの際に先輩を頼りたくても、在宅だと気軽に相談しにくいといった事情も見えてきました。そうした状況から、「オフィス出社」によってリアルに従業員同士が関わるきっかけが生まれ、組織内が活性化されていると分かりました。実際に「施策を通じた出会いが仕事に役立っている」「仕事の上での相談も非常にしやすくなり、社内のネットワークが強化された」との声も上がっています。
企業経営と従業員のモチベーション向上は両立できるのか

制度を設計し、導入した後も定期的に効果が出ているかどうかを検証されている様子が印象的です。実際に企業経営に良い影響を及ぼした取り組みはありましたか?
平山:生産性が高まった事例としてもっとも分かりやすいのは、2023年から女性社員向けに始めた「低用量ピル処方」です。オンラインでの処方診療にかかる費用を、全額会社が負担しています。
重いPMS(月経前症候群)に苦しむ従業員に休暇を付与する会社は多いと思います。しかし、中には「休みをもらうよりも体調を整えて働きたい」という方もいるかもしれませんよね。そこで希望者を対象に会社が費用を負担し、元気に仕事と向き合ってほしいとの願いを込めて始めました。もちろん制度を使うかどうかは、個人の自由です。
最初はトライアル導入で、30名限定でスタートし、「月に2日は動けなくなり、生理休暇を取得していた」という社員が、薬を飲み始めて体調が整い、休まずに働けるようになったとすぐに報告がありました。
他にも健康上の理由で業務効率が下がる「プレゼンティーズム」のスコアが70から90まで回復するなど、はっきりとした効果が見られました。時給換算で考えると、着実に生産性が向上したと言えたので、経営陣も導入を即決しました。やらない理由はありませんから、決定までも非常に早かったです。
代表の寺田と働き方や人事制度について相談した時に「我々はミッションやビジョンを一緒に果たそうとして事業に邁進している。ならば、人事が考えるべきはQOW(クオリティ・オブ・ワーク=仕事の質)向上では?」と言われて、確かにそうだなとハッとしました。
仕事の質を高めることこそ、人事として向き合うべきこと。会社として生産性を上げる取り組みができれば、その分だけ個人の成長の機会ももたらされますし、報酬として還元もできますからね。
働く上で経験する「成長の機会」が、キャリアをつくる
とても納得感があり、私もハッとさせられました。個人のしあわせと、会社組織の成長を両立させるための「一つの答え」を提示いただいたように感じますね。
平山:やはり、会社によってもそれぞれの成長フェーズがあるじゃないですか。当社は事業ごとにそれぞれのフェーズが異なっており、アーリーステージのベンチャー企業のような事業もあれば、一定程度の規模に成長しているフェーズの事業もあります。その中で各社員は個人のキャリアビジョンやプライベートの事情(育児や介護、本人の病気など)を抱えながら、同じ目標に向かって一緒に働いているわけです。
会社として目指す方向や大切にしたい価値観と、各個人にとっての働き方や働きがいが一致していることが理想であり、その重なりを大きくするためにできることは人事としても可能な限り行いたいと思っていますが、どうしてもそれが難しいケースも出てきてしまいます。
働き方を選ぶのと同じように、どんな会社で働くかを考える選択肢は個人にあります。Sansanは働きがいと自己成長、そして仕事そのもののやりがいを大切にしていますから、スピード感を持って裁量のある環境でチャレンジしたい方にはそういった機会を提供することはできると思っています。
一方で、「ワークライフバランスを最優先にしたい」とか、「定年までのんびりと働きたい」という方には、ミスマッチであるということを正直にお伝えすることも、お互いを尊重するという意味では重要だと思っています。
最後に、これからチャレンジしてみたいことがあればぜひお聞かせください。
平山:すでに実行している施策が、当初の目的に沿って正しく運用されているかをチェックする動きはこれからも続けていきます。新たにチャレンジしたいこととしては、女性社員比率を高めるための投資ですね。課題解決に向けたテーマを設定し、女性社員の支援により力を入れたいと考えています。
もう一つはマネジメントを含めた社員の成長を加速させる仕組みづくりです。従業員数が増え、業務が複雑性を増してきたことはもちろん、生成系AIなどの新たなテクノロジーの台頭によりインプットの必要性が年々高まっています。組織と社員の成長にはマネージャーの影響が非常に大きいので、マネジメントのレベルアップにつながる育成機会も意図的につくっていきたいです。
「後から振り返ってみると、あの時は大変だった。でもそのおかげで今の自分がある」と思えるような仕事が、本当の意味で自分を成長させてくれるでしょうし、本人のキャリアをつくっていくのだと思うんですよね。
当社ではウェルビーイングという言葉をあえて使っていませんが、そうしたキャリアの積み重ねを実現することが、「働く上でのウェルビーイング」につながるのではないでしょうか。

編集後記
ウェルビーイング経営は必ずしも「従業員にとって優しい経営」という意味ではない──改めて、そう感じた取材となりました。Sansan株式会社では非常にシビアな視点で生産性向上に焦点を当て、事業成長を加速するために必要な制度を選択し、導入しています。
「生産性の向上」は企業経営に大きなインパクトを与えるとの認識があるからこそ、迷いのない判断ができているのでしょう。従業員の満足度を高めて終わりではなく、さらに一歩先の「事業成長」にまでつなげられているかを調査し可視化して、検証。成果が出ていなければ取りやめる可能性も大いにあります。
「何をすれば従業員がいきいきと働き、会社経営がうまくいくか」がデータとして蓄積されているため、新たなイノベーションも起きやすく、新規事業が生まれるきっかけにもなっているようです。このように従業員の「働く質」を引き上げ、日々進化を続けていくことこそが、「ウェルビーイング経営」を成功させるカギになるのではないでしょうか。
執筆:林 美夢