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心理的安全性の再考~導入企業の課題事例から~  

神谷俊
著者
株式会社エスノグラファー代表取締役 バーチャルワークプレイスラボ代表
SHUN KAMIYA

今回のコラムでは、心理的安全性をテーマに取り上げます。心理的安全性とは、チームメンバーにおける対人リスクの知覚を表す概念です。学術的には「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、批判したりしないと信じられる状態」と定義されています。

心理的安全性は、今から10年前にGoogle社の調査プロジェクト「アリストテレス(Aristotle)」にて、”チームの効果性を促進する要因”として注目を浴び、その後日本では働き方改革やエンゲージメント、個人の自律やイノベーションなどの文脈で注目されてきた概念です。前年、心理的安全性の権威であるエイミー・C・エドモンドソンが『恐れのない組織』を刊行したり、人事系メディアの主要トピックとして取り上げられたりと、いまだ多くの企業が関心を寄せている概念のひとつです。コミュニケーションにおいて意識している管理職の方や、ミーティングにおいて心理的安全性を高めるためのルールを設定しているという企業も多いのではないでしょうか。【図1】

Google Trendsにおける「心理安全性」検索ボリュームの推移
【図1】

一般的にも認知され、言葉の意味や取り組み内容は浸透してきたと言える心理的安全性ですが、当然ながら「万能薬」ではありません。実践すれば必ず状況が好転するものではなく、ときに組織のパフォーマンスを停滞させたり、集団を分裂させたりしてしまうリスクさえ有しています。

今回のコラムでは、この概念とより良く向き合っていくために、敢えて心理的安全性の「副作用」について取り上げたいと思います。心理的安全性という概念をより良く理解し、今後の組織づくりの参考にして頂ければと思います。

心理的安全性を導入した企業が抱えた課題

心理的安全性を高めることで、チームは学習レベルを高め、パフォーマンスの向上につながるとされています。ただし、場合によっては組織のなかに歪みや偏りを生み出すこともあります。以下では、弊社の顧客企業の事例をあげながら、心理的安全性を推進する企業にみられた問題事例を紹介します。

【問題ケース1】心理的安全性「だけ」が高まる

企業の取り組みをモニタリングするなかで、もっとも多く報告されるケースがこちらです。心理的安全性を高めるために、組織をあげて一丸となって「話やすい職場」「トーク・ストレートな職場」をつくってきたものの、期待していた成果がみられなかったというケースです。

たとえば、ある企業では心理的安全性に関して次の尺度(※1)を使用してアンケートでレベルを測定しました。心理的安全性の回答ポイントは上がったにも関わらず、その他のアンケート項目には変化がみられませんでした。変化がみられなかったのは、心理的安全性が高まることで効果を期待できる「チーム学習レベル」や「会議での発言レベル」などの項目です。同様の傾向は、他の企業でもみられました。心理的安全性の項目はポイントアップしているのに、創造性やチーム学習には影響がみられない。背景にはどのような要因があるのでしょうか。

心理的安全性の効果測定調査(アンケート)に利用した尺度(一部抜粋)
・このチームのメンバーは、情報を独り占めするのではなく他のメンバーと共有する
・このチームのメンバーは、仕事に関連する問題について情報を交換する
・このチームのメンバーは、たとえ少数意見であっても、皆の意見に耳を傾ける
・このチームでは、全体で情報を共有しようとする試みが実際に行われている
・このチームでは、ミスを犯すとあからさまに嫌がられることが多い(逆転)
・このチームでは、問題や新たな論点を提起することができる
・このチームでは、他のメンバーに助けを求めることが難しい(逆転)
・このチームには、私の努力を損ねるような行動を意図的にとる人はいない …等
※(逆転)は逆転項目(回答ポイントを反転して処理する項目)です
Edmondson et al.(2004)をもとに尺度構成
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これらの不可解な事象について、現場社員にインタビュー調査をお願いすると、徐々に問題の本質が見えてきました。いずれの企業の社員からも「自分の仕事が忙しいからチームの改善業務などには関わりたくない」「とくに改善や変革の必要性を感じていないので今のままでいい」といったコメントが確認されたのです。

学術的には、新しい取り組みや改善を進めるためには、メンバーの認知的・感情的・身体的なコミットメントが求められると言われています (※2 )。つまり、チームの心理的安全性を高めても、メンバーがチームにおける業務改善や情報交換、学習や創造的な業務に関心を持っていなければ、その後の成果につながらない可能性があるということです。たとえば、以下のような場合は心理的安全性を高めても成果にはつながりにくいと考えられます。

・個人主義:個人の役割・目標が明確で、チームや他者に対する関心が低い場合
・リソースの枯渇:改善を進めるためのリソース(時間・気力体力等)が枯渇している場合
・無関心:改善や変革に向けたビジョンがない、あるいはあっても社員が無関心の場合

職場環境においてこれらの要素が強くみられる場合は、心理的安全性を進めても効果にはつながりにくいことが考えられます。心理的安全性「以外」のポイントを見直すことが優先的に求められます。

【問題ケース2】管理職の消耗が進む

心理的安全性の効果測定を進めるなかで、比較的多くの企業でみられるのが「管理職の消耗感」に関する問題です。

心理的安全性にはリーダーのコミットが求められるとされています。チームのリーダーは地位や年次に関係なく、他者に貢献を果たすようにメンバーに働きかけ、動機付け、フィードバックをすることが求められます。心理的安全性の浸透には、リーダーの包括性(leader inclusiveness)が必要です(※3)。

そのために、心理的安全性を推進するうえでチームリーダーである管理者にかかる心理的・業務的な負荷は大きくなります。とくに負荷が高まるのは、個々のメンバーへの関わりが増加することです。心理的安全性を適切に機能させるためには、個々のチームにおける役割を定めたり、チームへの参加を求めたり、感謝や期待など心理的な「報酬」を提供することが求められます。具体的には、1on1などの個別面談を実施することで、これらの包括性を効かせていくことが必要となります。

さらに、リーダーを消耗させるのは、リーダー個人の心理的安全性は担保されにくいという点です。心理的安全性の主役は、メンバーです。リーダーは”黒子”となり、メンバーの自律的な振る舞いを支援することが求められます。それゆえに、リーダー自身が部下やチームに対して感じている本音をありのままに表明することは、かなり難しいでしょう。チームの心理的安全性を高めるためには、リーダーは自身の意見や感情を抑え、チームを主語に語り、リーダーとしてチームに貢献し続けることが求められます。

実際に、職場でリーダーたちにインタビューをしてみると、次のようなコメントを頂くことがあります。

「目標達成は到底難しいと思っているが、それは部下には絶対に言えない」
「心理的安全性を高めるべきか疑問を持っているが、部下には促すようにしている」
「失敗を奨励するのは重要だが、それをリカバリーするのは自分になるので正直困る」

このようにリーダーは、自己抑制や表面化しない心理的な葛藤を抱えています。その帰結として、心理的安全性のポイントが高い組織では、管理職の消耗感やバーンアウト傾向が特徴的にみられることも少なくありません。

チームの心理的安全性を高めるために、管理者だけに負荷が集中してしまうという構造は、健全なシステムとは言えません。自社において心理的安全性が高まっているメカニズムに注目し、持続可能なモデルを構成できているのかを問い直すことが求められます。

【問題ケース3】組織の保守的な意識が高まる

心理的安全性によって創造性やイノベーションが誘発される。このようなビジョンを持って積極的に心理的安全な場づくりを推進している組織もあると思います。

ただし、心理的安全性が高まったことで建設的な議論が抑制されてしまったというケースも少なくありません。新たな意見や問題提起を期待して発言しやすい場を構成してきたが、その結果「あれは危険だ」「あの施策はやめた方がいい」「もっと慎重に進めたほうがいい」といった保守的な意見の方が増してしまったという企業もいらっしゃいました。

心理的安全性は言ってみれば「レンズ」のようなものです。心理的安全性を高めれば、個人の抱えている信念や価値観、職場の文化などが、個人の発言を通してより表出されやすくなります。つまり、「保守的な組織」は保守的な発言が、「真面目な組織」は規律的な発言が促されやすくなります。

これらのアウトプットが促されることで、メンバーは企業にとって好ましくない学習を進めてしまうリスクも考えられます。結果として、自社の保守的な文化を改善しようと心理的安全性を導入した企業において、むしろ挑戦性や創造性が低下したというケースは比較的良くみられます。

大切なことは、心理的安全性によって自社の「何が」強化されているのかを良く観察することなのでしょう。心理的安全性を推進すること、そのものよりも、推進によって生まれた変化に注目する姿勢が求められます。

媒介要因としての心理的安全性

3つのケースで心理的安全性の課題を提示してきました。いずれのケースにおいても、共通しているのは、組織内のメカニズムをとらえる視点が不足していたことです。

心理的安全性の権威たちは、心理的安全性を媒介要因としてとらえるべきだと主張しています(※4)。複数の要素と関わりながらその効力を発揮する概念であるということです。たとえば、もっとも知られた権威であるエイミー・C・エドモンドソンは心理的安全性を次のようなイメージで説明しています(※5)。【図2】

学術領域で検証されてきたチームにおける心理的安全性の位置付け(エイミー・C・エドモンドソン
【図2】

図内の赤い矢印に注目すると「心理的安全性」に対して、「組織文化」「チームの特性」「チームにおけるリーダーシップ」などが影響を及ぼすことが示されています。さらに、「心理的安全性」の成果として「パフォーマンス」を見込むのであれば「信頼」「学習」など他の要因についても考慮する必要があるということが分かります。メカニズムのなかに埋めこむことで、心理的安全性の本質がよりみえてきます。心理的安全性は多様な要因との相互作用のなかで効果を生み出すものであり、それだけを高めるアプローチをしても期待した結果にはつながりにくいと言えるでしょう。

効果を生み出すためには、より俯瞰してチームや組織の活動をとらえる必要があります。たとえば、心理的安全性を高めるうえで先行要因となるリーダーシップや、組織文化、職務役割などの側面にも注意を払う必要があります。これらの「パーツ」が整備されていなければ、心理的安全性を導入しても、その効力を引き出すことが難しくなるためです。

心理的安全性は、今多くの企業が関心を持っている概念のひとつと言えます。他社の成功事例を目にして導入に前向きな姿勢を示す企業も多いでしょう。ただし、「自社において最優先で取り組むべき事柄なのか?」は冷静に考える必要があります。「その前に整備すべき点はないのか?」について再考することが求められます。最善のアプローチは、組織を俯瞰し、現場を観察し、「いま本当に必要なこと」を探究し続ける姿勢から生まれます。


<参考文献>
(※1)Edmondson, A. C., Kramer, R. M., & Cook, K. S. (2004). Psychological safety, trust, and learning in organizations: A group-level lens. Trust and distrust in organizations: Dilemmas and approaches, 12(2004), 239-272.
(※2)Kahn, W. A. (1990). Psychological conditions of personal engagement and disengagement at work. Academy of Management Journal, 33, 692–724.
(※3)Nembhard, I. M., & Edmondson, A. C. (2006). Making it safe: The effects of leader inclusiveness and professional status on psychological safety and improvement efforts in health care teams. Journal of Organizational Behavior: The International Journal of Industrial, Occupational and Organizational Psychology and Behavior, 27(7), 941-966.
(※4)Edmondson AC. 1999. Psychological safety and learning behavior in work teams. Adm. Sci. Q. 44(2):350–83.
(※5)Edmondson, A. C., & Lei, Z. (2014). Psychological safety: The history, renaissance, and future of an interpersonal construct. Annual review of organizational psychology and organizational behavior, 1(1), 23-43.

著者紹介
神谷俊(かみや・しゅん)
株式会社エスノグラファー 代表取締役
バーチャルワークプレイスラボ 代表

企業や地域をフィールドに活動。定量調査では見出されない人間社会の様相を紐解き、多数の組織開発・製品開発プロジェクトに貢献してきた。20年4月よりリモート環境下の「職場」を研究するバーチャルワークプレイスラボを設立。大手企業からベンチャー企業まで、数多くの企業のテレワーク移行支援を手掛け、継続的にオンライン環境における組織マネジメントの知見を蓄積している。また、面白法人カヤックやGROOVE Xなど、組織開発において革新的な試みを進める企業の「社外人事(外部アドバイザー)」に就くなど、活動は多岐にわたる。21年7月に『遊ばせる技術 チームの成果をワンランク上げる仕組み』(日経新聞出版)を刊行。

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