学校から仕事への接続と、一方通行でない学び直しを問う──法政大学キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎氏

キャリアリサーチLab編集部
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新卒一括採用に代表される日本型雇用が一般的な日本企業においては、キャリアの入り口として大学進学が「標準」とされる傾向があります。しかし、そんな日本社会においてもでも、約半数の若者は高校卒業後に大学以外の進路を選んでいます。高校卒業後に就職する人者、専門学校で職業的なスキルを身につける人者──実際には若者のキャリアの入り口はさまざまありますが、しかしそうした若者のその後のキャリア形成は、十分に可視化されてきたとは言えません。

AIの台頭やDXの進展が仕事の内容や求められるスキルを変えていく今、早期に職業的熟達を目指すルートや働きながら学び直すルートなど、働き始めるタイミング入口や学びのタイミングが一様ではないことの意味を問い直す必要があるのではないでしょうか。

学校から仕事への接続の構造と、一方通行では語れない学び直しの問題について、青年期教育とキャリア教育を長年研究してきた法政大学キャリアデザイン学部の児美川孝一郎教授に話をうかがいました。

本稿は連載「標準なき時代にワークキャリアの入り口を再考する」の第2回となります。

児美川孝一郎(こみかわこういちろう)法政大学キャリアデザイン学部教授

児美川孝一郎(こみかわこういちろう)
法政大学キャリアデザイン学部教授
1963年東京の生まれ。東京大学教育学部、同大学院教育学研究科博士課程を経て、1993年より法政大学に勤務。
2006年よりキャリアデザイン学部教授(現職)。2010年~2012年、同学部長。2021年~2023年、法政大学教育開発支援機構長。
専門は、教育学(青年期教育、キャリア教育)。日本教育学会理事、日本教育政策学会理事。主著に、『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)『若者はなぜ「就職」できなくなったのか』(日本図書センター)『自分のミライの見つけ方』(旬報社)『キャリア教育がわかる』(誠信書房)『新自由主義教育の40年』(青土社)『「教育改革」は何を改革してきたのか』(誠信書房)等。

バブル崩壊を機に「格差構造」に変化

Q:特に日本社会において、学校から仕事への接続の状況についてご解説いただくとともに、先生が課題に感じられていることを教えてください。

児美川:日本における学校から仕事への接続は、多くは新卒採用の仕組みを通じています。歴史的な流れを見ると、1990年代のバブル崩壊以前と以後では、国際的にも国内でも評価が大きく変わりました。

バブル崩壊前の日本型雇用における学業から職業への移行接続は、OECDをはじめとした海外の国々からも高く評価されていました。諸外国では1970年代以降、若年失業率が高く、新規学卒者がでも就職できない状況が続いていましたが、日本は円滑なトランジションができていて、しかも誰も取り残さずに移行できていると評価されていたのです。

ところがバブルが弾けて5、6年もしないうちに国際評価はが一転し、「積極的な労働市場政策を取らず、固定的で、労働力の流動化に対応できていない」という批判を受けるようになりました。

以前の日本型雇用の接続の良さは何といっても、若者たちに雇用が保障されていたことです。ただしその代償として、企業への従属や配置転換、転勤命令の受け入れを余儀なくされました。

そして、何より大きかったのはジェンダートラックの問題です。男性は終身雇用が保証されて定年まで在籍できる一方、女性は結婚・出産を機に退職することが暗黙の前提とされていました。組織がうまく機能するには、人員構成はずん胴型ではなくピラミッド型である必要があります。上位ポストには限りがあるため、途中で退出する人がいることが条件となってを前提として成り立っていたわけです。

1990年代半ば以降、総合職・一般職という単純で露骨なジェンダートラックはなくなりましたが、代わりに正規・非正規という大きな格差構造が生まれ、正規雇用に就けない人たちが出てきました。日本型雇用では正社員は組織内で育成されるすることが前提ですが、非正規雇用の方たちには十分な機会がを保障されずしないため、次のキャリアにつなげがるるための支援ができていないわけです。

格差の中身は変わってきましたが、それまで続いてきた「どういう力をつければ就職できるかがはっきりしない」という構造はそのままです。接続の形は多様であるべきだと思っていますが、現状は本当の多様化とは言い切れず、格差的な種別化にとどまっているのではないでしょうか。

インタビューの様子
児美川孝一郎(こみかわこういちろう)法政大学キャリアデザイン学部教授

職業スキルより「融通」を求めたメンバーシップ型雇用の矛盾

Q:大学進学以外の入り口(高卒就職・専門学校卒就職・職業教育ルート)は、日本企業の中でこれまでどのように位置づけられてきたのでしょうか。

児美川:日本型雇用の特徴であるメンバーシップ型では、入職時点での職業的な知識・スキルは問わず、その後の企業内教育訓練で育成し、本人の適性を見きわめながらさまざまな部署で働いてもらうという仕組みが主流でした。そうすると、職業教育をしっかり受けてきた人材は、都合が良い場合もあれば、かえって扱いにくい場合もあります。融通が利かないからです。

欧米の企業が解雇を行うのも同じ理由で、「この能力で雇ったのだからこの仕事をさせる」という人に対しては、事業を縮小するなどしてその仕事がなくなってしまうとやめてもらうしかないわけです。しかし、日本の場合は「ではこちらの別の仕事をしませんか」と、異動させることで対応することができました。

日本のメンバーシップ型が求めるのは、潜在能力や訓練可能性、今日の言葉でいえばエンプロイアビリティであって、入社時点での職業スキルではありません。学校にいる間にどれだけ職業的な知識を身につけるかはそこまで重視されない。専門学校が成り立ってきたのは、理容・美容やトリマー養成など特定の職種に特化した業界直結型のがメインだったのではないでしょうか。

高卒就職が標準にならなかったのも同じ構造です。かつての高卒就職もメンバーシップ型の中に組み込まれていて、「この職種だからこのスキルで採る」という雇い方ではありませんでした。製造業でさえ、高校で機械を学んできた人が必ずしもその仕事に就くとは限らない。

高卒か大卒かよりも、メンバーシップ型かそうでないかという採用の仕方の違いの方が大きかったのです。日本では高度経済成長が終了して以降、メンバーシップ型が主流になったため、高卒・専門卒・職業教育ルートは標準の位置を占めることができなかった、ということではないでしょうか。

ただ、現在ではそのメンバーシップ型が揺らいでいるからこそ、さまざまな問題が生じているのは事実です。なお同じ構造は大学院卒でも起きていて、修士よりも上に行き過ぎると専門性が固定し過ぎて困るという企業側の感覚があります。日本でイノベーションが生まれにくい理由の一つといわれていますが、博士号まで取得して特定の専門的な仕事にこだわる人は「扱いにくい」と見られがちで、これは日本特有の現象であり課題と言えます。

学校と産業界のゴールが一致するとき、接続はうまく機能する

Q:多様な学校から仕事への接続が比較的うまく機能しているケースでは、学校・企業・地域(行政)にどのような共通点があるのでしょうか。

児美川:「接続がうまくいく」というのをどう捉えるかが重要で、学校で学んだことがそのまま職場で使えるというケースは、実はレアケースです。第三次産業では、学校でPBL(Project Based Learning)を経験したとしても、そこで身につけたものと現場で必要なものが完全に一致するわけではありません。

海外でも、ブルーカラー職や製造業、あるいは会計・財務・法務のように専門性がはっきりしている分野なら学校で学んだことが通用します。しかし、一般的なホワイトカラーの仕事を目指す学生はそうはいきません。だから、みんな一年間くらいの長期インターンシップにいって、経験を積み、その適性を認めてもらうことで初めて仕事に就くことができるわけです。

日本でうまくいっているケースを見ると、都市部よりも地方の方が多いようです。地方の場合、主要産業が明確で、その産業が必要とする人材に合わせて地域の工業高校での教育に力を入れたり、高専を誘致して中堅の技術人材を輩出したりしています。そういった地域では、学校側の養成のゴールと産業界側の採用のゴールが一致していて共有されている。それが強みになっています。

東京のように多様な産業が混在する大都市では、そもそもゴールを一致させること自体が難しい。だから汎用的な能力が求められ、「コンピテンス」「社会人基礎力」といった抽象的な概念に落とし込まれていくのですが、抽象化するほどマッチングの精度は下がります。

大学になると学びの対象としての産業が広くなり過ぎますが、高校であればまだ地域との接点を作りやすい。たとえば、東京であっても大田区の町工場と地元の工業高校の間であれば、インターンシップを組み合わせて、目指すゴールを一致させる関係性を作ることができます。地域の商業高校と地元の商店街・銀行との関係も、かつては成り立っていました。地方銀行などは、地域への愛着が深い地元出身者を採用した方が定着しやすいはずなのに、今はそうなっていない。非常にもったいないと感じます。

最近の動向でいうと、企業の高卒求人はかなり増えていて、倍率はかつての最高水準に近づいています。ただ人事担当者に聞くと、「大卒が採れないから」というのが多くの場合の本音で、高卒人材の価値を本質的に見直した動きとは言えないケースも少なくありません。

一方で、継続して高卒採用を実施してきた企業は見方が違います。「高卒の方が定着してくれる」「将来の幹部候補として期待できる」と評価していて、とりわけ製造業では地元の工業高校への信頼が厚い。工業高校の出身者は機械や現場作業への抵抗がなく、即戦力としての素地ができていて、その点が大卒とは違うというのです。ニーズとどうマッチするかによって、高卒・大卒の位置づけは変わってよいのではないかと思います。

インタビューの様子
児美川孝一郎(こみかわこういちろう)法政大学キャリアデザイン学部教授

多様性を本気で認め、「全員同じタイミング」の発想をやめられるか

Q:職業キャリアの入り口に関して、多様性を前提にした採用・育成を企業が進める場合、どの点から整えるべきでしょうか。期待したいこともあわせてお聞かせください。

児美川:一つは、多様性を本気で認められるかどうかです。同期入社の社員に一斉に同じ研修を受けさせ、横並びで評価していくというこれまでの発想をやめられるかどうか。成長のペースも、適性を見極めるタイミングも、個人ごとに違うのは当然だという前提に立つしかありません。

学校教育も同じ問題を抱えていて、年齢ごとに学年を上げていく仕組みに無理が生じているからこそ、不登校が35万人(小中学生)にものぼっているわけです。企業もこれまでは学校に近いやり方をしてきましたが、それをやめて個人を見て、それぞれのペースと適性に合わせられるかどうかが問われています。

もう一つは、社員の囲い込みをやめることです。「最後までうちにいてほしい」という前提でしか育成しない場合、教育の中身がどうしても自社向けの内容に限定されます。企業社会全体で若者を育てるという発想に転換しないと、若い人は育たないと感じています。他社に適性があるならそこで力を発揮すればよい、その代わり他社からも自社に来てもらう、そういう相互性で考えることが大切です。

欧米はまさにその考え方です。転職は当然のこととして、若者がより適性のある場所に移っていくことを前提にしています。アメリカのエンプロイアビリティという概念も、「企業はいつ社員をレイオフするかわからないからこそ、在職中に他社でも通用する能力を社員につけるのが企業の責任だ」という考え方です。

そういう力をつけておけば解雇する権利もある、その代わりやめた社員も困らない。無理に引き留めて「静かな退職」を増やすことや、自社でしか通用しない人間を作っていることの方がよほど危ういと思います。

入り口の段階からそれぞれ違っていいという発想も、もっと広まるべきでしょう。全員を一斉に並べて同じ原則で処遇しようとすると多様性は限られます。大卒・高卒・専門卒と採用チャネルを分けて、それぞれのなかでも個人に応じた異なるやり方で向き合っていく方が、企業にとっても豊かな選択肢になるはずです。

「22歳で学びを終える」国から、生涯学習できる社会へ

Q:一度働いた後に「学ぶ」機会を持つことの価値もあると思います。「学び」と「仕事」の一方通行でない、柔軟な接続についてどのようにお考えでしょうか。

児美川:世界の国々の教育と仕事・雇用の関係を整理した研究によると、日本や韓国は学校で学ぶ時代が22歳までで、その後は働く時代とくっきり分かれています。一方、学びと仕事の往復を繰り返す国もあります。

日本はこれまで人生前半期に教育を集中させ、そこで得たものでその後の人生を生きていくというモデルでやってきましたが、それが通用しない時代になっています。必要に応じてその都度学び直せる環境を、個人の責任ではなく社会全体で保障できるかどうかが、今後の大きな課題です。

社会人の学び直しをどう捉えるかについて、二つの方向性があると思っています。一つは、即戦力的な職業直結の知識やスキルを身につけたいというニーズです。もう一つは、社会人として経験を積んだからこそ求める、幅広いものの見方や考え方、いわば教養や幅広い専門性です。前者は情報化社会ですから多くはオンラインでも身につけられますが、後者はそうはいきません。教養的なものや、学問的な裏打ちのある知は、独学では限界があります。

私は教育学が専門で、現職の教員が大学に学びに来る機会に携わることがありますが、彼らが求めているのは教育技術や指導内容のノウハウではないのです。教育原理を知りたがっています。現場でのやり方は自分たちでわかる。理論的にはどうなっているのか、原理的にはどうなのか、海外ではどうなのか、そういう知を持ち帰ってこそ、現場で自分なりに応用できると。これは社会人の学び直しとして本来のき姿ではないでしょうか。

リスキリングという言葉には正直なところ違和感があります。もちろん必要性に駆られて「即戦力的な職業直結のスキル」を身につけること自体は悪いことではありません。ただ、リスキリングが示す「スキルの付け替え」だけでは職業分野の再配置にとどまってしまうともいえると思います。

本来の生涯学習というのは、学校と仕事の間を往復しながら生きていくためのものだと思っています。そういう時代と環境をどう実現するか、そのことを社会全体でどう保障するかが問われています。

そのためには企業の役割は大きい。私が勤務する大学でも、社会人向けの大学院を夜間に開講していますが、働きながら通う人にとっては相当な負担です。せめて週4日勤務を認める制度など、企業側の柔軟な対応が必要です。

イタリアやフランスでは「教育有給休暇」が法制化されていて、一定期間、有給で休暇を取って学ぶことができます。社会保障として設計されているので企業だけが負担するわけではありませんが、労働力の質を高めることへの社会的な投資として、こうした仕組みを持つことが、一人当たりの生産性を高めていく上でも不可欠だと思います。

欧米の経営者を見ると、理系の博士号を持ちながら文系の学位も持っているといった方が珍しくありません。経営層の人が戦略的にダブルメジャー(二つの専攻)を取ったり、博士号を複数持っていたりします。そういう幅広さがビジネスでも実際に生きているのです。日本ではそういうことは大事だね、と話題にはなっても、本気で実現しようとする人はあまりいません。

もう一つ付け加えるとすれば、大人がまず学ぶ姿を見せるということが大切だと思います。親が学ぶ、教員が新たな資格取得のために学ぶ、その姿を子どもや若者が見る、その循環が大切です。生涯学習が義務と感じられたり、苦役になっては意味がありません。

楽しんで学んでいる大人の姿を見せることが、次の世代の学びへの意欲につながるのではないでしょうか。欧米の大学では高齢者が嬉々としてキャンパスを歩き、教室に座っている光景が珍しくありません。日本でも社会人学生は非常に熱心で、同じ教室にいる若い学生に大きな影響を与えています。そういう場を増やしていくことが、一方通行でない学びと仕事の接続を実現する道の一つだと感じています。

東郷 こずえ
担当者
キャリアリサーチLab主任研究員
KOZUE TOGO

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