人間の脳は、「間違い」や「他者からの批判」を“痛み”として処理する仕組みを持っていることが示されています(※1)。だからこそ、人は“他者の視線”を恐れ、つい発言を控えてしまうところがあります。
このリスク回避的な態度を乗り越えるために重要だと指摘したのが、ハーバード大学のエドモンソン教授。彼女が提唱した「心理的安全性(psychological safety)(※2)」の概念は、その後、多くの企業で支持を集めました。実際、対話スキルや傾聴スキルの研修を導入し、チームの心理的安全性を高めようとする企業も増えています。
しかし、その結果は一様ではありません。エンゲージメントや組織学習において明確な効果を上げる企業もあれば、企業として一生懸命取り組んだのに、現場からは「むしろ話しづらくなった」という声が増えてしまう企業も少なくないようです。
このような違いが生まれるのはなぜか。共通してみられるのは、チームの状態に合ったアプローチが選ばれていないことです。とくに、上司と部下の関係が十分に築かれていない段階で、とにかく“対話”に注力しようとしたケースに課題がみられることが多いようです。
本コラムでは、心理的安全性を高めるための代表的なアプローチを整理し、チームの状態に合わせた実践のあり方を考えていきます。
心理的安全性を高める「関係的アプローチ」とは
みなさまの会社では、心理的安全性を高めるためにどのような施策を行っているでしょうか。1on1ミーティングの導入や上司・部下間の対話スキル研修、傾聴トレーニング、フィードバック制度の見直しなど──多くの企業がコミュニケーションの質を高めるような施策に予算を割いているように感じます。
こうした取り組みは、関係的アプローチ(relational approach)(※3)と呼ばれる考え方に基づいています。関係的アプローチとは、共感・理解・受容といった“人と人との関係性の質”を高めることによって、安心して発言できる場をつくっていこうという考え方です。【図1】
【図1】心理安定性を促す「関係的アプローチ」
たとえば、上司が率先して「何でも言っていいよ」といったメッセージを発信したり、会議冒頭で自分のプライベートな話を織り交ぜながらアイスブレイクを行ったりすることで心理的な距離を縮めたりする。
理論的にも、こうした関係的アプローチは、心理的安全性を高めるうえで一定の効果を持つとされています。メタ分析を行った研究では、上司の共感的な関わりやチーム内の信頼関係が、心理的安全性やチーム学習行動を促進することが示されており(※4)、組織開発の領域でも「まずは関係の質から見直していこう」という考え方が主流となっています。一見すると、非常にスタンダードで合理的なアプローチのように見えます。
部下曰く「上司の“あの感じ”しんどい」
しかし、現場で実践している様子を観察してみると、関係的アプローチが理論ほど単純に効果を生み出しているわけではないことに気が付きます。
上司が満面の笑顔で「今日は何でも言っていいよ」「批判はしないから率直に話してほしい」と促しても、場は静まり返ったまま。その後しばらく沈黙が続き、上司は耐え切れずに「ほら、何でもいいんだよ。たとえば、〇〇とか、もっと改善した方がいいって思うでしょ?」と促す。その後、また沈黙。そして、ようやく出た言葉は「それは、そう思います」。
ある企業では、上司と部下の関係改善を目的に“雑談”を導入しました。ところが数回で形骸化し、社員からは「上司の“あの感じ”しんどい」「“雑談”きつい」「上司に気を遣うだけの時間になっている」との声が出てきました。
関係的アプローチを導入しているにもかかわらず、関係が深まるどころか、むしろ距離感が遠ざかったように感じられる。そんな矛盾した状況が起きています。
なぜ、このような状況が起こるのでしょうか?
企業の人事ご担当者に意見を求めると「まだまだ上司のスキル不足なんです」「そんな状態なら、もっと精進しなくては」という声が返ってきますが、本当にそうでしょうか。より根本的なところにズレがあるように私は感じています。
関係的アプローチの限界と「偽りの安全」
部下へのインタビューを重ねると、興味深い心理が浮かび上がります。上司の“優しさ”に対する疑念や不安です。
「前までめっちゃ空気が重くて発言しにくかったのに、急に“キャラ変”して(キャラクターを変えて)“何でも言っていい”と言われても信じられないですよ。むしろ怖い」
「研修を受けてキャラが変わることってこれまでもよくあったんですよ。でも数日するともとに戻る。ここで本音を言ったら、あとあと評価に響くかもしれないし、上司の機嫌を損ねたくないですからね」
Edmondson(2018)は、このような状態を指して「偽りの安全(False Sense of Safety)」と呼びました(※5)。表面上は安心して発言できそうな雰囲気があっても、心理的には「本当に大丈夫なのか?」という警戒心が強く残っており、むしろリスク回避な態度・行動を強めてしまう状態です。
この現象の背後には、社会心理学でいう認知的不協和(cognitive dissonance)(※6)のプロセスが働いています。つまり、部下は「これまで評価される側として慎重に振る舞ってきた自分」と「急にフラットに話せと言われる現状」との間に大きな隔たりを感じ、戸惑いを覚えるのです。その戸惑いを埋めるために、「上司の本心は別にあるのでは」「試されているのでは」といった疑念・不安が生じ、結果として行動を抑制してしまいます。
ここに、関係的アプローチの限界があります。このアプローチは、「ある程度の信頼関係がすでに存在している」ことを前提としてより効果を発揮するモデルなのです。図2にあるように、関係的アプローチは成熟した関係性の中でこそ強い影響力を発揮します。つまり、関係が育まれていない段階では、効果を十分に引き出すことが難しくなってしまう可能性があるということ。
たとえば、
- 基本的にリモートワークで勤務しており、普段から雑談が少ない
- 異動が多く、一緒に業務に取り組んだ経験が少ない
- いつも上司の評価基準や意図に不信感を抱いていた
こうした状況では、「率直に話そう」という呼びかけそのものが“薄っぺらく”響きます。本質的な信頼の「舞台」が整っていないのに、そこに信頼関係があるかのような言い回しで、上司が微笑みかけても「演出(パフォーマンス)」だけが上滑りするのは自然なことなのかもしれません。実際の人間関係と、関係的アプローチの間にあるこのズレこそが心理的安全性を高められない最大の要因です。【図2】
【図2】状況別 影響レベルの推移
構造を整えることで、心理的安全性を高める
では、関係性がまだ深まっていない段階ではどうすればよいのでしょうか。その答えのひとつが、構造的アプローチ(structural approach)です。構造的アプローチとは、制度や手続き、役割やルールといった“枠組みの設計”によって心理的安全性を確保する考え方です。つまり、「関係性」ではなく「仕組み」を設計することで、場に安心感をもたらすアプローチです。【図3】
【図3】心理的安全性を促す「構造的アプローチ」
この構造的アプローチは、チーム内の関係性が未熟な状態であるときほど強い影響をもたらすことが分かっています。たとえば、医療チームを対象にした研究では、チームメンバー間の関係性が未熟な段階で、「構造」を精緻に設計する方が心理的安全性の向上に大きく寄与することが分かっています。
具体的には、明確な役割分担や発言ルール、そしてフィードバック手順を制度化することで、上下関係の影響を最小化し、メンバーが安心して発言できる環境が整うと報告されています(※7)。次のような小さな工夫でも効果は生まれます。【図4】
【図4】構造的アプローチの代表的な実践ポイント
たとえば、会議の冒頭で「本日の目的は結論を出すことではなく、各自の視点を出し合い、認識をそろえることにあります。なので、それぞれの視点が違うということを感じられるのがとても大事です」と明言するだけでも、参加者は意見を出しやすくなります。
とくに効果が高いのが「方法設計」です。付箋やホワイトボードを使って意見を可視化することで、“誰かの発言”という認識は薄れ、意見の内容そのものに注目しやすくなります。それと同時に、賛否を表明しやすくなり、発言もしやすくなっていきます。
構造的アプローチの本質は、「関係性」を急遽育もうとするのではなく、関係性が十分に整わずとも「自由に議論ができる仕組み」を設計することにあります。関係性を深めることは大切ですが、それを待たずともできることがあります。それが、安心して語り合える「構造」をつくるという発想です。
目の前の人と共に心理的安全性を育てていく
最後に強調しておきたいのは、本コラムが関係的アプローチを否定するものではないということです。関係的アプローチも、構造的アプローチも、どちらが優れているかではなく、チームの状態に合っているかが鍵になります。
重要なのは、目の前の人をよく観察することです。チームの空気やメンバーの心理を丁寧に読み取り、その成熟度に応じてアプローチを選ぶ。それこそが、心理的安全性を本質的に育むための第一歩だと思います。
心理的安全性という言葉はインパクトがあるがゆえに、私たちはつい「安心させなければ」「信頼を築かなければ」とコミュニケーションスキルに焦点を当ててしまいがちです。しかし、本来の目的は、人が主体的に考え、発言し、協働できる状態をどう作り出すのか?です。ならば、手がかりは流行する方法論の中ではなく、いつも目の前の人たちの反応や表情の中にあるはずです。
チームの状態に目を向けるとき、はじめてどのようなアプローチが求められているかが見えてくるでしょう。チームのメンバーと共に、本質的な場づくりを進めていくことが大切です。
※1 Eisenberger, N. I., & Lieberman, M. D. (2004). Why rejection hurts: a common neural alarm system for physical and social pain. Trends in cognitive sciences, 8(7), 294-300.
※2 Edmondson, A. (1999). Psychological safety and learning behavior in work teams. Administrative Science Quarterly, 44(2), 350–383.
※3 Frazier, M. L., Fainshmidt, S., Klinger, R. L., Pezeshkan, A., & Vracheva, V. (2017). Psychological safety: A meta-analytic review and extension. Personnel Psychology, 70(1), 113–165.
※4 同上
※5 Edmondson, A. C. (2018). The fearless organization: Creating psychological safety in the workplace for learning, innovation, and growth. John Wiley & Sons.
※6 Festinger, L. (1972). A theory of cognitive dissonance. Social psychology: Experimentation, theory, research, 254-257.
※7 Nembhard, I. M., & Edmondson, A. C. (2006). Making it safe: The effects of leader inclusiveness and professional status on psychological safety and improvement efforts in health care teams. Journal of Organizational Behavior: The International Journal of Industrial, Occupational and Organizational Psychology and Behavior, 27(7), 941-966.
【著者紹介】
神谷俊(かみや しゅん)
株式会社エスノグラファー代表取締役/バーチャルワークプレイスラボ代表
企業や地域をフィールドに活動。定量調査では見出されない人間社会の様相を紐解き、多数の組織開発・製品開発プロジェクトに貢献してきた。2020年4月よりリモート環境下の「職場」を研究するバーチャルワークプレイスラボを設立。大手企業からベンチャー企業まで、数多くの企業のテレワーク移行支援を手掛け、継続的にオンライン環境における組織マネジメントの知見を蓄積している。また、面白法人カヤックやGROOVE Xなど、組織開発において革新的な試みを進める企業の「社外人事(外部アドバイザー)」に就くなど、活動は多岐にわたる。2021年7月に『遊ばせる技術 チームの成果をワンランク上げる仕組み』(日経新聞出版)を刊行。