近年、企業におけるダイバーシティ経営の重要性が高まる中で、注目している概念に「エモーショナルインテリジェンス(Emotional Intelligence:以下、EI) 」がある。エモーショナルインテリジェンスとは、自己や他者の感情を理解し、適切に対応する能力を指し、組織内の人間関係やチームの協働において極めて重要なスキルである。
多様な価値観や背景を持つ人材が共に働く現代の職場では、単に制度やルールを整えるだけでは不十分であり、感情のマネジメントが組織の健全性と生産性を左右する。特に、心理的安全性やエンゲージメントの向上といった観点からも、エモーショナルインテリジェンスが果たす役割は大きい。
本稿では、エモーショナルインテリジェンスの基本的な考え方から、ダイバーシティ経営との関係、そして実践的な活用方法までを解説し、多様性を生かす組織づくりのヒントを提示する。
エモーショナルインテリジェンスとは
エモーショナルインテリジェンス(EI)とは、組織における対人関係を円滑にし、 メンバー同士の相互理解を深めるために自分自身や他者の感情を正確に認識し、適切に理解・調整・活用する力を指す。Salovey & Mayer(1990)が理論として発表し 、Goleman(1995)によって広く知られるようになった。
Goleman(1995)はEI を「人生や仕事における成功を左右する重要な能力」と位置づけ、IQ(知能指数)とは異なる「感情の知性」として注目を集めた。
EIは主に以下の5つの構成要素からなるとされている。
- 自己認識:自分の感情や思考を客観的に理解する力
- 自己管理:感情を適切にコントロールし、衝動的な行動を抑える力
- 動機づけ:内発的な動機に基づいて目標に向かって努力する力
- 共感:他者の感情や視点を理解し、適切に反応する力
- 社会的スキル:良好な人間関係を築き、維持する力
これらの力は、個人の対人関係能力やストレス耐性、リーダーシップに大きく影響を与える。特に組織においては、EIの高い人材がチームの調和や生産性を高めることが多くの研究で示されている。たとえば、Goleman(1998)は、EIがリーダーシップにおいて重要な要素であると述べている。
EIの捉え方には生得的な資質である特性とみる特性モデルと後天的に学習・訓練によって高めることが可能である能力モデル、さらにその両方の考えを取り入れた混合モデルがある。
どちらかというと、後天的に高めることができる能力のひとつとして考えられることが多く、近年では、企業研修や教育現場においてもEIを育成するプログラムが導入されており、リーダーシップ開発やチームビルディングの一環として活用されている。
エモーショナルインテリジェンスが求められる理由
先述したように、EIは、個人の成長だけでなく、組織全体の健全な運営や多様性の尊重にも深く関わるスキルといえる。
エモーショナルインテリジェンスが高い組織の特徴とメリット
エモーショナルインテリジェンス(EI)が高い組織には、いくつかの共通した特徴がある。まず、メンバー間の信頼関係が強く、率直なコミュニケーションが日常的に行われている点が挙げられる。
また、EIの高いリーダーは、部下の感情やニーズに敏感であり、共感的な姿勢で接する。そのため、自分の意見を自由に述べたり、失敗を恐れずに挑戦したりできる心理的安全性の高い職場環境をつくり出す。これにより、従業員は自分の意見を安心して表明でき、失敗を恐れずに挑戦することが可能になる。
EIと組織活性化の関係を調査した研究では、メンバーのEIが重要であることはもちろんだが、特に、EIの高い管理者が率いる組織では、メンバーが「この集団であればなんとかできる」と感じるコレクティブ・エフィカシーが向上し、チームの一体感が高まることで、組織全体の活性度が向上する傾向が示されている。(藤原, 2003)
この研究でさらに興味深いのは、管理者のEIが高い場合、その管理者と部下の直接のコミュニケーション満足度が高いだけでなく、組織上層部とのコミュニケーション満足度も高かった。つまり、EIの高い管理者は、経営と直属部下のパイプ役としての管理者の役割を果たしているといえる。
こうした特徴を踏まえると、EIの高い組織は従業員のエンゲージメントや定着率にもポジティブな影響を与えると考えられる。
ダイバーシティ経営におけるエモーショナルインテリジェンスの必要性
また、EIの高い組織は、変化への適応力やイノベーション創出にも優れている。多様な価値観や意見を受け入れる文化が根付いているため、新しいアイデアが生まれやすく、異なる視点を融合させた創造的な解決策が導き出されやすいためだ。これは、ダイバーシティ経営の本質である「多様性を生かす」ことと密接に関係しているといえる。
ダイバーシティ経営とは、性別や年齢、国籍、障がいの有無、価値観など、多様な背景を持つ人材を受け入れ、その力を生かすことで組織の競争力を高める経営手法である。
しかし、ただ多様な人材を集めるだけでは、真の意味でのダイバーシティは実現しない。多様性がもたらすのは、創造性や革新性といったポジティブなものだけではなく、価値観やコミュニケーションスタイルの違いによる摩擦や誤解が生じることもある。こうした摩擦を乗り越え、組織としての一体感を築くために必要なのが、エモーショナルインテリジェンス(EI)である。
EIは、異なる価値観を持つ他者の感情や立場を理解し、共感しながら建設的に対話するための基盤となる。EIの高い人材は対人関係において柔軟かつ適応的に行動できる傾向があり、組織内でのストレス軽減や人間関係の質の向上に寄与することが示されている(河田,2020)。
このような能力は、異文化間や多様な価値観が交差する職場において、摩擦を未然に防ぎ、協働を促進するうえで不可欠である。
また、先述したとおり、EIは「心理的安全性」 の確保にも深く関わる。経済産業省「企業の競争力強化のためのダイバーシティ経営」(2025) では、心理的安全性の高い職場環境が、イノベーション創出や従業員のエンゲージメント向上に寄与することが明記されており、その実現には共感的なマネジメント、すなわちEIの高いリーダーシップが重要であるとされている。
さらに、EIは無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス )への気づきにも繋がる。たとえば、「女性は家庭を優先すべき」「外国人は日本の商習慣に馴染みにくい」といった固定観念は、本人が意識しないまま判断や行動に影響を与える。EIの高い人材は、自分の感情や思考の背景にあるバイアスに気づき、それを乗り越えるための内省力を持っている。
このように、EIはダイバーシティ経営を「制度」から「文化」へと昇華させるためのかぎとなるスキルである。多様な人材が「自分の居場所がある」と感じられる組織をつくるには、EIを備えたリーダーとメンバーの存在が不可欠だといえるだろう。
エモーショナルインテリジェンスを高めるための実践的アプローチ
エモーショナルインテリジェンス(EI)は、後天的に育成可能な能力だとする考えに基づくと、個人と組織の両面からのアプローチが考えられる。
EIを構成する「自己認識」「自己制御」「共感」「対人関係スキル」などの能力は、教育や研修を通じて高めることができるとされている(Goleman,1998)。
EIを高めるために、まず、個人レベルでは、自己の感情に気づき、それを適切に表現・調整する力を養うことが重要である。大学生と社会人を対象にEIの構造を比較した研究において、EIの発達には「内省的知能」や「対人的知能」といった非認知能力の育成が不可欠であると指摘している。この研究では、EIの高い人ほど自己理解力が高く、他者との関係性においても柔軟かつ適応的に行動できる傾向があることが示されている(河田, 2020)。
また、組織レベルでは、EIを育む文化や制度の整備が求められる。たとえば、定期的な1on1ミーティングやフィードバックの場を設けることで、上司と部下の間に信頼関係が生まれ、感情に関する対話が促進される。
さらに、EIを高めるための研修プログラムの導入も効果的である。保育・教育現場におけるEIの育成に関する研究において、感情の認知と制御を支援する教育的アプローチが、共感性や自己肯定感の向上に寄与することを示している。この研究では、EIの育成には「感情・思考・行動」の統合的理解が必要であり、体験的な学習が有効であるとされている(長瀬, 2020)。
また、EIを評価制度に組み込むことも、組織文化の変革に寄与する。たとえば、成果だけでなく「チームへの貢献」や「共感的な対応」などを評価項目に加えることで、EIを重視する姿勢が組織全体に浸透しやすくなる。これは、ダイバーシティ経営においても重要な視点であり、多様な人材が安心して働ける環境づくりに直結する。
このように、EIの育成は個人の努力だけでなく、組織全体の仕組みや文化によっても支えられる。多様性を生かす組織を目指すのであれば、EIの育成は「人材開発」ではなく「組織開発」の一環として戦略的に取り組むべきといえよう。
さいごに
エモーショナルインテリジェンス(EI)は、多様な人材が共に働く職場において「感情のインフラ」ともいえる存在である。相互理解と信頼に基づく関係性を築くために、その基盤を支えるのがEIといえる。
経済産業省の「ダイバーシティ経営企業100選」報告書では、イノベーションを生み出す組織の共通点として「多様な人材が活躍できる風土づくり」が挙げられており、その中核には心理的安全性や共感的なマネジメントがあるとされている。これらはまさに、EIの高い組織が持つ特徴と一致する。
今後、人的資本経営やESG投資の観点からも、EIの高い組織は「人を活かす力」を持つ企業として評価されるようになるだろう。また、多様性を生かす経営の実現には、EIを単なる個人スキルではなく、組織文化として育む視点が求められるのではないだろうか。
■参考文献
Bhoumick, P. (2018). It’s Really Matter: Review of the book, Emotional Intelligence: Why it can matter more than IQ’by Daniel Goleman. Research Journal of Humanities and Social Sciences, 9(3), 639-644.
Goleman, D. (1996). Emotional intelligence. Why it can matter more than IQ. Learning, 24(6), 49-50.
Goleman, D., Welch, S., & Welch, J. (2012). What makes a leader? (pp. 93-102). New York: Findaway World, LLC.
藤原美智子. (2003). 調査報告 管理者のエモーショナル・インテリジェンスと組織活性化の関係. 人材教育: HRD magazine, 15(10), 48-51.
河田美智子. (2019). 大学生版エモーショナル・インテリジェンス尺度作成の試み―若年就労者の組織へのスムーズなトランディションの促進要因として―. 商学集志= Journal of business, Nihon University, 88(4), 69-94.
長瀬啓子, & ナガセケイコ. (2020). [研究ノート] 小学校に繫がるエモーショナル・インテリジェンス―保育内容 (環境・言葉・人間関係) を通して―. 東海学院大学紀要, 14, 147-155.