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グローバル化が急速に進む日本。宗教文化を理解し、異なる宗教の考えを柔軟に受け入れていくことが求められる─國學院大學 神道文化学部名誉教授 井上順孝氏

キャリアリサーチLab編集部
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日本の職場環境も多様化が進み、国籍や人種・民族、宗教、価値観といったパーソナリティが異なる人が同じ職場で働くことが一般的になりつつあります。そこで、グローバル化する社会・組織の中で、宗教に対する基本的な理解や同僚・チームメンバーの信仰・価値観への理解、寛容な態度の必要性について、宗教社会学の研究者である國學院大學の井上順孝名誉教授にお話を伺いました。

井上順孝(いのうえのぶたか)
1948年生。東京大学大学院中退、東京大学助手、國學院大學教授を経て、現在國學院大學名誉教授/博士(宗教学)/(公益財団)国際宗教研究所・宗教情報リサーチセンター長/宗教文化教育推進センター長/アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員/元「宗教と社会」学会会長、元日本宗教学会会長
主な著書に『神道の近代――変貌し拡がりゆく神々』春秋社 2021年/『グローバル化時代の宗教文化教育』弘文堂 2020年/『世界の宗教は人間に何を禁じてきたか』河出書房新社 2016年/『本当にわかる宗教学』日本実業出版社 2011年 など

信仰との関わりにはグラデーションがある

信仰との関わりにはグラデーションがある

Q.日本で育った人、日本人は無宗教なのでしょうか。

井上:日本人は、よく無宗教と言われますが、それにはいくつか理由があります。一つは、宗教的な習俗は、生活の中で自然にやっているので、宗教的なこととは意識しないでいる方が多いこと。それは、どこの国でも実は同じで、あまり宗教と意識されずにずっとなされていることは多いわけです。

宗教というと、布教することや教義といった面にスポットが当たって、特別なものとして考えられることが多いですが、実際のところ、大半の人は日常生活の中で自然に向き合っているわけです。その観点で考えれば、特に日本人が無宗教と考えるのはおかしいと思います。

日本人の約7割は初詣をしますし、春と秋のお彼岸にはお墓参りをする人も多いです。私たちはそれを特別なこととは思っていないですが、厳密にいうと、それは無宗教の人がすることではないですよね。

また、宗教というと、キリスト教とかイスラム教とか、広く普及している宗教をイメージしてしまいますが、日本人の信仰との関わりにはグラデーションがあります。特別な意識がなく宗教的習俗を行っている人、意識的に習俗的なことを実践している人、非常に熱心に信仰に基づいた生活を送っている人など、といったグラデーションです。

その中で、日本人で非宗教や無宗教と言える人は、せいぜい2割ぐらいだろうと私は考えています。正確な統計が取れないので、これまでの調査を踏まえた私の感覚値ではありますが。要は弱い宗教性と言うのでしょうか、あるいは意識しない宗教性というものが、多くの人にシェアされているということだと思います。

さまざまな国で宗教に対するグラデーションが存在

Q.宗教や信仰に対してグラデーションがあるのは、日本独特のものでしょうか。

井上:ただし、このことは日本に限ってのことではありません。たとえば、アメリカはキリスト教徒が大半を占める国ですが、実はキリスト教徒でも聖書を読んだこともない人が結構います。教会には定期的に行っていても、聖書の内容を詳しく知っているわけではないということです。

余談ですが、だからこそ不確かな情報を基に陰謀論などが起こったりするわけです。基礎知識があれば、「それはおかしいのでは?」と気づけるはずですが、基礎知識がないと極端な主張に影響されてしまうことになります。この現象が今、世界的にも大きな問題になっています。

宗教の基礎知識を備えておれば、それはフェイクだとか、根拠がないと気づけるのですが、意外と基礎知識が不足している人が少なくありません。イスラム教徒やキリスト教徒なら、みんな一所懸命に教典を学んでいると思いがちですが、みんながみんなそういうわけではありません。

それでも、特別な信仰がない日本人とは礼拝に行く頻度が違うので、ついついみんな熱心に信仰をしていると思うかもしれません。キリスト教徒は教会に週1回は行きますし、ムスリムの場合はスンニ派が毎日5回、シーア派が毎日3回礼拝をします。しかし、日本では多くの人が神社に参拝したりお彼岸に墓参りしたりするのは年に数回程度で、宗教施設に行って宗教者に接したり儀礼をしたりする頻度はさほど多くありません。

それに比べるとイスラム教徒やキリスト教徒は宗教儀礼に関わる人が多いので、みんな熱心な信者だと思いがちです。しかし、実際のところはそれなりにグラデーションがあります。

宗教ごとの戒律や食のタブーを知らないとリスクを抱える危険性も

宗教ごとの戒律や食のタブーを知らないとリスクを抱える危険性も

Q.宗教に対する基礎知識の重要性についてお聞かせいただけますか。

井上:グローバル化が進むことで一番気を付けなければならないのは、いつどこでどんな宗教的背景を持っている人に出会うかわからないということです。海外から日本にやってくる人も増大していますし、海外に行く日本人も増えています。あらゆる場で多様な宗教や宗教文化との接点が増えてきているわけです。宗教に限らず、いろんな言語が飛び交い、いろんな文化に接し、多種多様な料理を食べる機会が出てきます。

宗教だけを特別扱いする必要はないのですが、宗教の場合は宗教ごとに戒律があったりしますので、そのことに無知でいると、いろいろなリスクを抱えてしまう危険性があります。

たとえば、日本でもムスリムが非常に増えてきましたので、やはりイスラム教の基礎知識は持っておくべきです。彼らにとって毎日の礼拝が非常に重要な宗教的実践であ ることや金曜日には集団礼拝をするためにモスクに行くこと、また食べ物のタブーがあることなど、彼らが守っている戒律や大切にしていることを知っておかないと、トラブルにつながってしまうかもしれません。食べ物では豚肉とアルコール類を避けることは最低知っておくべきことです。

ユダヤ教は 食に対してもっとも厳しい戒律がありますし、安息日という労働をしてはいけない日が決まっています。金曜日の日没から土曜日の日没までです。日本だと普段、ユダヤ教の人に接する機会は少ないと思いますが、海外に行くと、それこそニューヨークなどでは10人に1人はユダヤ人だと言われていますから、宗教的な基礎知識がないと戸惑うこともあるかもしれません。

基礎知識を持ち、宗教文化の違いを知ることが重要

Q.企業の対応について注意すべき点をお聞かせいただけますか。

井上:宗教に対する理解が不足していると、事業にも大きな障害をもたらすなどのリスクが生じたりします。食品メーカーがハラールに対する配慮を欠いて大きな損失を出したケースがありますし、テレビゲームで宗教関係の素材を不適切に使って大きな問題になったこともあります。日本だとゲームの内容などあまり気にされる方はいないと思うのですが、やはりそれぞれの宗教を大切にされている方にとっては耐えがたい描写があったりします。

強い思想を持った人だけが異議を唱えるというわけではなくて、それぞれの宗教を大切にしている人にとっては、何となくそれはやめてほしいという思いがあるので、大変な損害につながらないように、最小限のことは知っておくことが必須になっているわけです。

ただし、求められる知識レベルは、業種によって変わってきます。たとえば、観光業に携わっている方は幅広い知識が必要ですね。さまざまな国から観光客が来ますし、日本人も世界に出かけていますので。あとは教育関係の人にも必要が増してくると思います。小学校や中学校でもさまざまな宗教的背景を持った子供たちが増えていますから、給食などでも食に対する戒律に注意が必要です。

また、行政の窓口になるような人も知識は必須です。大きなトラブルになるケースはまだあまりないかもしれませんが、それは相手が、日本だから仕方がないと我慢しているケースもあるからだと思います。困ったなとか嫌だなと思っている人はたくさんいると思います。

企業で人事関係の仕事に就いている人も、食の戒律や安息日のことなど、基礎的な知識は持っておいた方がいいですね。大切なのは、そういう宗教的な問題があるかもしれないという気持ちを持つことなのです。宗教や宗派によって教えや戒律は全然違いますから、すべてを理解するのは無理だとしても、出身国による宗教文化の違いについては、大まかに知っておいた方がいいですね。

正しい情報を見極める力、宗教情報リテラシーが求められる

正しい情報を見極める力、宗教情報リテラシーが求められる

Q.宗教に対する理解を深める上で大切なことは何でしょうか。

井上:これからの時代は、同じ企業の中でさまざまな国から来た人と一緒に仕事をすることが当たり前になっていくと思いますが、面と向かって宗教のことを聞くのは難しいこともあるでしょう。しかし、何か気になることがあったら、何か気を付けるべきことは何だろうと、詳しく調べてみる意識を持つべきだと思います。

ただし、インターネット上の情報をあまり当てにしないようにしてほしいです。宗教を扱った動画サイトなどには、不確かでいいかげんな情報を基に、面白おかしく誇張された内容があふれていますから。娯楽性を求めるのではなく、ぜひ信頼できる学者が執筆した書籍や動画コンテンツを見つけるようにしてください。重要な事柄の場合は事典の参照がもっとも有効です。もっと図書館を活用すべきです。正しい情報を見極める力、宗教リテラシーや宗教情報リテラシーが求められています。

グローバル化が進むということは、日本で作った製品やコンテンツが直ちに海外に出て行くことになります。国際結婚も増えていますから、日本で育った人であっても、配偶者の宗教を重視し、戒律を守りますと言う人も出てくるわけです。日本は人口減少が続いているので、間違いなく日本で生活する外国人はこれからも増えていくでしょう。さまざまな国から来る人がいるわけで、それぞれの宗教的背景とそれに伴う生活文化を知っておく必要性が高まっています。

争いやトラブルを防ぐために、リスクセンシティブであることが重要

Q.宗教に対する理解が不足すると、どのような問題が起きる可能性がありますか。

井上:世界各地で他宗教やその信徒に対する憎悪や偏見が高まり、差別的な言動や行為を行う、いわゆるヘイトが起きています。日本も今後は外国人が増えることで、同じようなヘイトが起きる可能性が高まっています。

そうならないように、リスクを察知して必要な行動を起こせるように、リスクセンシティブである必要があるのではないでしょうか。無駄な争いや知らないがゆえに起こってしまうようなトラブルを防ぐようなシステムが求められているわけです。その一つの試みが、宗教文化教育です。2011年に宗教文化教育推進センターが設立されています。何かが起きてからでは遅いのです。世界で起こっているいろいろな事例に目を配ってみると、もはや修復など無理だろうと思われるまで深刻な状態になっています。

そんなことが東アジアで、とりわけ日本で起こらないようにしなくてはなりません。少なくともそういうことが起こらないようなシステムを日本は模索すべきだと思います。ある宗教だからとか、ある戒律を守っているからというだけで、批判するような視線が強まってしまう状態になるのは絶対に避けなければなりません。

異なる宗教の考えを柔軟に受け入れていくことが求められる時代に

異なる宗教の考えを柔軟に受け入れていくことが求められる時代に

Q.異なる宗教を持つ人たちと一緒に仕事をする上で大切にすべきことは何でしょうか。

井上:直接、相手の宗教を聞くのは抵抗があると思いますので、食べられないものがあるかとか、休みのときは何をしているのかとか、日常生活のリズムの中から感じ取って少しずつ相手に対する理解を深めるのがベターでしょう。

そのためにも、自分の宗教文化に対する理解が重要となります。ここでポイントとなるのは、自分の意識の中にないものは相手には聞くことはできないし、理解もできないということです。たとえば日本ではお葬式や墓参りを大切にしているなという認識があるなら、相手がどんなことを大事にしているのかなという思いやりが生まれるはずです。

日本は食の戒律がほとんどありませんが、実際には精進料理もあるし、地方によっては食のタブーもあります。42(死に)や9(苦)を避けるなど、縁起が悪いと特定の数字を気にしたりする人もいますよね。自分たちがやっていることを自覚すると、相手にも似たようなものがあるのではないかと配慮ができるはずです。

基本的な知識を備えた上で、自分たちが見えなかったもの、知らなかったことに接したときに、自分のことを見直して、相手のことをフレキシブルな考えで理解し、それにどう対処していくかを考える、これからの時代は、そんな意識と姿勢が重要です。

片山久也
登場人物
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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