「働き方と暮らし」の50年を振り返る【第1回】
マイナビは2023年8月に50周年を迎えた。この50年の間に社会は大きく変化してきたが、本コラムでは「働き方と暮らし」の変化に注目して、振り返っていきたい。
目次
人口・労働人口・家族の形の変化を振り返る
年齢階層別の人口推移
1970年時点では約1億人だった総人口は2010年まで増加し、一時は1億3,000万人に届くかと思われたが、その後は減少に転じている。
年齢階層別にみると、1970年には2,515万人だった「15歳未満」の人口は2020年には1,496万人と約1,000万人減少した。総人口が減少に転じたのは2010年以降だが、「15歳未満」だけに注目すると、1980年にはすでに減少に転じていることがわかる。
その一方で、「65歳以上」は増加し続け、1970年に739万人だったが、2020年には3,534万人となり、5倍ほどになっている。今更ではあるが、少子高齢化社が留まることなく続いている状況だ。【図1】
また、総人口と並んで語られるのが労働人口である。全体的には女性や高齢者の労働者が増えたことで、むしろ増加傾向にみえるが、2019年頃からすでに減少傾向になっている。【図2】
総人口のところでも述べたが、若者人口が減少傾向にあるということは、今度、労働力人口も同様に減少していくと考えるのが自然だ。
就労状況の変化
次に「就労状況」がどのように変化してきたかを確認する。就労者は大きく分けると、「自分で事業を行っている人(雇用する人がいない場合も含む)」と「組織に雇用されて働く人」にわかれる。
労働力調査によると、人数ならびに全就業者に占める割合ともに「自営業者」や「家族従業者」が年々減少し、「雇用者(組織に雇用されて働く人)」が増加している。今から50年前に当たる1973年には970万人いた自営業者は2022年には514万人と半数近くになっている。
一方で、1973年には3,615万人だった雇用者は2022年では6,041万人と1.7倍に増えている。つまり、1973年には全体の18.4%いた自営業者は、2022年にはわずか7.6%となり、反対に1973年には68.7%だった雇用者は2022年には89.9%となっている。【図3】
「働く人」と聞くと、「会社員」など組織に雇用される人をどちらかというとイメージしやすいと思われるが、それはあながち間違っていない。
夫婦の形の変化
では次に家族の形について考えるうえで、夫婦の形の変遷に注目する。1980年には専業主婦世帯が1,114万世帯に対して、共働き世帯は約5.5割の614万世帯だったが、2022年には専業主婦世帯539万世帯、共働き世帯はその2.3倍の1,262万世帯となっている。【図4】
2022年の労働力調査によると、正社員比率は男性で77.8%、女性で46.6%といまだに差が大きいが、夫婦ともに働いている状態が一般化しつつあるといえるだろう。
このように女性の社会進出が進んできたが、一方で「男性の家庭進出」が進んでいないという現状もある。先ほど、正社員比率の男女差はいまだ開いていると述べたが、その要因の一つとして「家事労働時間」の男女差がある。
「家事」に使う週当たりの総平均時間(分)について夫と妻で比較すると、2021年においては、共働き世帯では妻が195分、夫がその1割程度の24分だった。1996年の妻215分、夫7分に比べれば改善しているとはいえ、妻と夫の差はいまだ大きく、その傾向は10年以上変わっていない。専業主婦世帯と比較しても、共働き世帯の妻は2021年であれば100分程度、短縮されているが、夫の「家事」時間が増加しているわけではない。【図5】
このように、夫婦の形は専業主婦世帯主流から共働き世帯主流へと変化してきたが、妻と夫の家庭における時間の使い方はあまり変化していない現状がある。
単独世帯(シングル)の増加
もう一つの形として「単独世帯」がある。国勢調査によると、1995年は「夫婦と子供から成る世帯」が最多だったが、2010年以降は「単独世帯」がその数を抜き、最多となっている。「単独世帯」は1995年では約1,100万世帯だったが、2000年にはその倍の約2,100世帯になった。【図6】
単独世帯が大きく増えた理由は2つある。一つは晩婚化・未婚率の増加によるもので、もう一つは子供が独立して家をでたあとに単独世帯になった高齢者の増加である。特に、高齢者の単独世帯の増加は著しく、今後もその割合が増えていくと予想されている。【図7】
このようにいくつかの指標だけでみても、この50年で労働や家庭の在り方が大きく変化してきたことがわかる。 これ以降は、1973年から2023年までの50年を6つの期間に分け、その時々の「働き方と暮らし」を取り巻くTOPICSをみながら、その時代に生きていた人々の状況を振り返っていく。
1973~1985年
第1次石油危機(オイルショック)から安定成長への移行期
時代背景
この時期は第1次石油危機(1973年)によって原油価格が高騰し、インフレが進行した。原油価格の引き上げや供給量の削減が決まったことで、あらゆる物の値段が上がるのではないか、という不安が社会にまん延し、各地で物の買い占めが行われる事態となった。いわゆる「オイルショック」だ。
リアルタイムでなくとも、トイレットペーパーを買おうと多くの人がスーパーに押し寄せている映像などをみたことがある人も多いだろう。この時起こったインフレは金融引き締めなどの総需要抑制政策によって終息に向かったが、それ以前のような高い経済成長率に戻ることはなく、高度経済成長期は終わった。また、1978年に第2次石油危機が起こったが、インフレは軽微なもので終わり、日本は安定経済成長へと移行していく。
次に産業構造の変化に注目する。石油危機による原油価格の上昇は、エネルギーを大量に消費する大量生産型の素材産業の収益を圧迫し、多品種少量生産型の加工産業の優位性を高めることになった。その一方で、円高になったために、日本は高付加価値分野にシフトすることになった。そのため、繊維、化学肥料、造船、アルミ精錬業などは構造的に不況業種となり、自動車、電気機械といった産業が拡大した。
さらに就業構造の変化に注目すると、1973年の石油危機まで第1次産業就業者が低下する一方で、第2次産業・第3次産業就業者の割合が増加していたが、1974年以降は第2次産業就業者の割合も低下し、第3次産業就業者が50%を超えることになる。
就職活動生の企業人気ランキングの状況
マイナビが実施している就職企業人気ランキングの結果から、このころの人気企業を確認する。調査開始が1978年のため、1978~1985年までの8年間の結果で上位10社までをリストにした。
ひと言で傾向を言い表すのは難しいが、文系学生ではマスコミ、総合商社が目立ち、理系学生では電気機械が目立つ。最新の結果(2024年卒版)と比べると、文理ともにまだサービス業は少ない印象だ。
主な労働政策
この時期の主な労働政策は以下のとおりである。
✓1973年、「第2次雇用対策基本計画」で初めて、定年延長の目標(60歳)、ならびに達成期限(1976年度)が明記された。この時の計画の課題は「ゆとりのある職業生活をめざして」とされている。また、「雇用対策法改正」により、定年延長促進のための事業主に対する援助制度が発足した。
✓1974年、「雇用保険法」が制定され(施行は1975年4月)、従来の失業保険に加え、失業予防等を「雇用安定事業」「能力開発事業」「雇用福祉事業」がスタートすることになった。
✓1979年、「第4次雇用対策基本計画」で1985年度までに60歳定年が一般化するように努めるべきと明記される。この時の計画の課題は「安定成長下において完全雇用を達成するとともに来るべき本格的な高齢化社会に向けての準備を確実なものとすること」だった。
✓1985年、「男女雇用機会均等法」が制定され(施行は1986年4月)、雇用における男女の均等な機会と待遇の確保を図るとともに、女性労働者の就業に関して妊娠中および出産後の健康の確保を図るための措置を推進することとされた。1985年の女子差別撤廃条約の批准に当たり、国内法を整備する必要から策定されたものである。
✓1985年、「労働者派遣法」が制定され(施行は1986年7月)、職業安定法により原則禁止されていた労働者供給事業について、全13業務、派遣期間9ヶ月(ソフトウエア1年)につき、許可・届け出制により例外的に事業を認めることになった。
全体的に目立つのは「高齢者」「女性」に関する内容だろう。1973年に発生した 第1次石油危機をきっかけにこれまでの高度成長期から低成長期へとフェーズが転換した。高度経済成長期には女性の労働力化が進んだが、景気後退下で一時的に女性の非労働化による労働力率の低下が目立った。
また、大きく産業構造が変化するなかで目立ったのが、55歳以上の男性の高年齢雇用者の減少だった。再就職が困難な高齢者の雇い入れ促進が図られると同時に、60歳まで定年を延長することにより、雇用が継続される施策が講じられたのだ。
「少子高齢化」が叫ばれるようになって久しいが、日本の高齢化(65歳以上の人口が全人口の7%を超える)は1970年にすでに始まっており、当然ながら労働者の高齢化も課題視されていた。1976年に発表された「昭和51年労働経済の分析」(厚生労働省)には、「II.安定成長下における労働経済の課題」のなかで「4.高齢化社会と勤労者生活」という章がある。
そこには「現時点でのわが国の企業の負担する法定福利費は、諸外国に比較して必ずしも高くない。(略)法定外福利費については、財産形成に関する援助費用、退職金費用の増加などの変化もみられるが、今後労働者の高齢化に配慮した合理的な対応が求められる。」と記載されている。「超高齢者社会(65歳以上の人口が全人口の21%を超える)」を迎えた現在ほどの深刻さは感じられないが、すでにその予感はあったのだろう。
暮らし方
まずは家族の形について現在と比較しながらまとめていく。
先述したように国勢調査によると、1980年時点では専業主婦世帯が1,114万世帯と、共働き世帯614万世帯の1.8倍だった。【図4】また、もっとも多い世帯の家族類型は「夫婦と子供から成る世帯」で、その数は1,508万1,000世帯、2020年の最新調査でもっとも多い単独世帯の2.8倍だった。【図6】
なお、一般世帯における1世帯当たりの世帯人員は1975年で3.28人、1980年で3.22人、1985年では3.14人だった。徐々に、減少傾向がみられるものの、2020年の最新調査の2.21人と比較すると「約1人分」多い。【図8】
また、当時の結婚(初婚)の年齢を妻と夫それぞれで確認したところ、1980年では妻は20~24歳が最多で51.1%、夫は25~29歳の割合がもっとも高く51.3%だった。2021年と比較すると全体的に年齢が若く、また20代に偏っており、20代で結婚する割合は1980年では、妻は88.2%、夫は73.0%だった。2020年においても20代で結婚する割合は高いが、いずれの区分(5歳刻み)においても半数を超えることはない。【図9】
以上のことより20代で結婚をし、「会社員である夫、専業主婦である妻そして子供」という家族をもつことが、もっとも一般的であったことが読み取れる。
さいごに
本コラムでは1973~1985年をピックアップし、「働き方と暮らし」について振り返ってきた。この時期、「オイルショック」のために混乱した時期はあったものの、それほど大きな不景気に陥ることなく人々の生活は持ち直した。
しかし戦後の高度成長期は終焉を迎え、産業構造は大きく変化した。また、この時期に増加し、就業者の半数を超えるようになった第3次産業は「情報通信業」や「卸売業・小売業」「宿泊業・飲食サービス業」など多岐にわたり、第1次産業、第2次産業が主に「モノ」を生み出す産業だとすると、第3次産業は人々の生活を支える「コト」を提供する業種だといえる。
つまり、日本人の生活スタイルは戦後の混乱期を乗り越え、物質的な豊かさだけでなく、精神的な充足も重視するようになったともいえる。ある意味で「日本が大きく変わり始めた時代」といえるだろう。先述したように、本コラムはシリーズ企画として、1973~2023年までをいくつかのパートに分けて振り返っていく。次回は1986~1999年頃までをバブル崩壊前後に分けて振り返っていく予定だ。
マイナビキャリアリサーチラボ 主任研究員 東郷こずえ
※就職企業人気ランキング(1978年~1985年)の結果に誤りがあったため修正しております。
ご迷惑をおかけして申し訳ございません。2023/11/28
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