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病気をきっかけに意識したセカンドキャリア
ウェルネスコーチとして働く女性を応援していきたい

キャリアリサーチLab編集部
著者
キャリアリサーチLab編集部
働く女性のセカンドキャリアを考える

今回は、化学メーカーに勤務するかたわら、人々の健康で幸せな生活の実現に向けて、ウェルネスコーチとして活動する佐藤由香利さんにインタビュー。セカンドキャリアを考えたきっかけ、ウェルネスコーチになろうと思った背景について詳しくお話をお聞きしました。


── 化学メーカーで研究職をされていたそうですね。まずは、これまでのお仕事やキャリアについてお聞かせいただけますか。

ウェルネスラインチャート
佐藤さんのウェルネスライフラインチャート。40代前半に営業部門に異動、50代に家族を残して単身赴任。
ハードワークとストレスで健康状態は悪化し、50代前半で緊急入院する事態に。

中学の頃から化学に興味があって、中2のときに父を亡くしたのをきっかけに、「将来は手に職があった方がいい。自活できる女になろう」と思って、高校、大学と迷いなく理系の道を進みました。大学院では「天然物代謝物の構造解析」について研究していたので、将来は研究職に就きたいなと思っていたのですが、当時は今とは違って、女性にとって一般企業への就職にはとても高い壁がありました。最終的に、教授推薦で今の会社に就職して、研究者として働くことになりました。

「将来、困らないように仕事は定年退職までがんばる!」という気持ちで仕事をしていたのですが、当時は、まわりからは「いつ結婚するの?」とか「いつ辞めるの?」と、当たり前のように言われる時代でした。それに、結婚して子供ができたとしても、産休育休の制度が整備されておらず、年金や保険料が免除されなかったので、その分の貯金がないと簡単に会社も休めない状況でした。その後、制度は改善され、育児休暇中の年金は免除になり、少し給料がもらえるようになったので、自分は29歳のときに、社内の育児休暇第一号として休みを取らせていただきました。

しかし、復職してからは、組織が再編されたり、突然、上司が替わったり、あるいは業務内容が変わったりと、職場環境はどんどん変化し、それに対応するのが大変でした。結局、約18年間、研究職を続けたのですが、40歳過ぎで営業部門に異動することになります。営業部門の仕事は出張が多く、とてもハードな毎日でした。

その後、子供が成人したのをきっかけに単身赴任をしたのですが、家事から解放されたことで毎日長時間労働をするようになり、帰宅時間は遅くなるし、ときどき会社に寝泊まりするような日々を送っていました。それでも週末は家族と一緒にいたくて、車で片道300キロを運転して帰宅し、日曜日にはオーケストラの練習に参加して、その日の深夜にまた300キロを運転して単身赴任先に帰るような生活でした。

── かなりのハードワークをこなしていらっしゃったようですが、セカンドキャリアについて考え始めたのには、どんなきっかけがあったのですか?

病気になったのがきっかけです。ハードワークを続けていたことに加え、職場でのストレスも抱え、食事のバランスも悪く、激太りしてしまったのです。ある日、足のむくみと痛みがあまりにひどく、歩くのも大変になったので病院に行ってみると、深部肺静脈血栓症と診断されました。右足は血栓が詰まっていて、肺静脈にも血栓が飛んでいる状態でした。お医者さんからは「絶対に動いちゃダメ!」と言われて、緊急手術をすることに。さすがに主人は青ざめていました。

手術後は2カ月間、自宅で療養して職場復帰できたのですが、つくづく健康のありがたさを実感させられました。でも、「仕事も家庭のことも、こんなにがんばってきたのに、私の人生、なんだったんだろう?」って考えさせられてしまいました。自分はずっと研究所にいて、専門職として定年まで仕事するんだろうなと思っていたのですが、会社人生の真ん中、40歳過ぎて営業部門に異動し、ラインからも外れてみると、会社の中での自分の先が見えてくるんですよね。そのときは50歳過ぎでしたから、役職定年まで5年ほど、あと10年で定年になります。人生100年時代といわれるけれども、自分は定年後どう生きていくのか、自分には今後の人生の軸にできるものが何もないのではないか⋯⋯そんな思いを持ち始めました。

オーケストラ活動をする佐藤由香利さん
佐藤さんにとっての“サードプレイス”でもあるオーケストラ活動。子育てが一段落して復活した。
活動を通して新たな出会いがあり、人間関係の幅も広がったそうだ。

── セカンドキャリア研修では、どんな学びや気づきが得られたのでしょうか?

そんな頃に、女性技術者フォーラム(JWEF)の役員に就任しました。会社とは違う場所、そしてキャリアを持っている女性たち、前例や制度がない中でがんばってきた女性たちとの出会いは、とても刺激になりました。

自分としては特別セカンドキャリアを意識してはいなかったのですが、セミナーでも行ってみようかなと思って、いろいろ調べてみました。でも、どのセミナーも自分のイメージとは違っていました。金額も安くないし、そこまでコストをかけて勉強する必要があるのかと疑問に感じたのです。そんなときに出会ったのが、Next Storyのセカンドキャリア研修です。やりたいことはあるけど、どう整理したらいいかわからないという自分にとって、これからの人生やキャリアについて考えるためのヒントがたくさん得られる研修でした。

セカンドキャリア研修では、まず定年後のお金のことから整理します。退職金や年金でどんな生活ができるのか、趣味を楽しむにはどれくらいお金が必要なのかを考えます。その上で、あらためて自己分析をして、これからの人生をどう生きていきたいのかを見つめ直します。そして、生活するための仕事(ライスワーク)、好きなことや趣味(ライクワーク)、生涯続けていきたいこと(ライフワーク)の3つの視点で整理して、理想の働き方、収入目標、それを達成するためのマイルストーンを立てるのです。

自分の場合は、生活をしていくには経済的に困ることはないものの、オーケストラ活動やスキーなど、やりたいことや趣味を60代以降も継続するためには、プラスαで収入を得る必要があることがわかりました。

── セカンドキャリアでウェルネスコーチの道を歩もうとお考えになったのには、どんな背景があるのでしょうか。

インタビューに応じる佐藤由香利さん
深部肺静脈血栓症で緊急手術を経験した佐藤さん。健康のありがたさを実感し体質改善に取り組み、今では50キロのバーベルを担いでスクワットができるほど体力もアップ。

深部肺静脈血栓症はなんとか乗り切れたものの、安静にしていたらどんどん太ってしまいました。「痩せないとまた別の病気になってしまう!」と一念発起してホットヨガにチャレンジしてみました。でも、滝のように汗はかくけれども体重はなかなか落ちない。そんなときに、ユニークなCMで有名なパーソナルジムのキャンペーンを発見。体験だけのつもりで行って体内年齢を測ってもらうと、なんと75歳! これでは母より先に私が死んでしまうと思い、意を決してがんばってみることにしました。

基本は低糖質の食事と筋トレで、毎日どこかが筋肉痛の状態が続きました。でも、びっくりするくらい痩せました。女性技術者フォーラムに行っても、誰だかわかってもらえないくらい。1年前と比較すると15キロも痩せましたから。でも、あまりに一気に痩せたので、まわりの人には病気では⋯⋯と心配される始末。これではいけないと思って、栄養素を意識した食事をして、カラダの中身から改善することを心に誓いました。効果はてきめんで、プロポーションのコンテストに出場できるほどスタイルも良くなって、とても健康的なカラダになりました。

このときの経験が、ウェルネスコーチという道に進んだきっかけになりました。ダイエットを指導してくださったトレーナーが自分にはとてもあった良いコーチだったんです。一人ではできないことも、プロの正しい指導があれば、結果はついてくる。自分みたいな不健康な状態でも、正しい運動と食事をすれば、健康なカラダになることができるということに気づきました。まわりを見渡してみると、医療保険が破綻するほど健康を害している人が増えている。自分に知識があれば、母が亡くなる前にもっと適確に食事のアドバイスができたかもしれないという後悔もありましたし、オーケストラの指揮者の先生がコロナが原因でなくなったことも大きなショックでした。「自分の経験を活かして、多くの人に健康になるための正しい知識と方法を伝えたい!」そのことが収入につながればいいなと思うようになり、自分の次のステップとして、ウェルネスコーチになることを目指すことを決意したのです。

── ウェルネスコーチになるために具体的に準備なさっていることを教えてください。

地元でウェルネスコーチとして活動中の佐藤由香利さん
地元の公民館にてウェルネスコーチとして活動中の佐藤さん。
コンサルタントやアドバイザーではなく、一緒にがんばっていける存在になりたいと言う。

自分の健康管理のために毎日の食事の記録を5年間取っています。食事の写真、内容、体重などを記録し続けたのです。これが自分にとっては大きな財産になりました。太ったときの食事、痩せるときの食事を理解するためのエビデンスになったのです。また、ウェルネスコーチとしてさらに専門的な知識を得るために、関連するさまざまな資格の取得にも挑戦しました。もともと勉強が好きだったんでしょうね。健康管理士一般指導員の資格を皮切りに、健康管理能力検定1級、食育アドバイザー、上級食育アドバイザー、幼児食インストラクター、フルーツ&ベジタブルアドバイザーと、次々に資格を取得しました。

現在は、自分が住んでいる地域をベースに、高齢者を対象にウェルネスコーチとして活動しています。コンサルタントやアドバイザーではなく、伴走し一緒にがんばる「コーチ」になりたいと思っています。健康状態は人によってさまざまです。栄養過多の人もいるし、特定の栄養が偏っている人もいます。地域によって食材も違うし、生活環境も多種多様です。そういった方たちにいつまでも健康で暮らしていただくために、自らの経験と培ってきた専門知識を活かして、一人ひとりの生活に合った提案をしています。今はまだ、会社勤めをしていますので活動は土日が中心ですが、会社を定年退職したあとは曜日に関係なく、多くの人により健康で、より幸せでいられるように、ウェルネスコーチとして活動していけたらいいなと思っています。

── セカンドキャリアに悩み、迷う女性たちに向けてアドバイスをいただけますでしょうか。

インタビューに応じる佐藤由香利さん

働く女性は、仕事でがんばるだけでなく、家族のために自分を犠牲にすることがたくさんあります。出産して、子育てして、家族のことで悩んで、気が付いたら中年になって将来のことに不安を感じ始める⋯⋯。時には「私はこんなにがんばっているのに」とか「〜〜してあげているのに」と、ついつい見返りを求めたくなる気持ちもわかりますが、感謝をもらうことだけに価値を置くのではなく、徐々に気持ちを切り替えてもいいのではないかと思います。マインドセットを変えて、将来の自分の何かを始めてもいいのではないでしょうか。

環境を変えてみることで、新しい出会いが生まれます。そのことで自分の視野や考えの幅が広がります。今悩んでいることが吹っ切れることもあります。自分にとっては、オーケストラでの活動はとても貴重でした。もしオーケストラに参加していなかったら、仕事のストレスで鬱になっていたかもと思うほどです。会社でも家庭でもない第3の居心地の良い場所、サードプレイスを持つことはとても重要です。ぜひ、みなさまにもサードプレイスを持つことをおすすめします。

そして、変化を恐れず、ぜひいろいろなことにチャレンジしてほしいです。キャリアチェンジという言葉がありますが、キャリアというのは無理して変えるものではなく、積み重ねるものだと思います。私の場合も、大学で学んだ専門知識は今も役立っていますし、会社での仕事の経験も自分の大きな財産になっています。キャリアは、“切り替える”と考えるから悩むのではないでしょうか。チェンジもシフトも意識する必要はないのではないかと思います。自分がこれまで積み上げてきたものを活かして、こらからの人生をどう生きていくかを考えることが大切です。健康づくりもセカンドキャリアに向けて一歩を踏み出すのも、いくつになっても遅すぎることはありませんよ。

佐藤由香利(さとう・ゆかり)/ ウェルネスコーチ

佐藤由香利(さとう・ゆかり)/ ウェルネスコーチ
1989年化学系メーカーに就職。研究所にて合成品の構造解析、品質管理のための分析方法の開発に約18年携わる。その後、開発営業、品質保証、品質管理、製造などの部門を経験。
ウェルネスコーチとしての活動に向け、健康管理士一般指導員、健康管理能力検定1級、上級食育アドバイザー、食育アドバイザー、幼児食インストラクター、フルーツ&ベジタブルアドバイザーを取得した。
趣味は多彩で、神奈川県の厚木交響楽団にてビオラ奏者として活動中。スキー(SAJ1級)の他に、ホットヨガ、筋トレ、健康に関する情報収集なども楽しんでいる。働く女性のためのセカンドキャリアNext Story第2期生。


編集後記:赤松 淳子/マイナビキャリアリサーチLab 副所長
「働く女性のセカンドキャリアを考える」シリーズ第3回は現在セカンドキャリアに向けて動き出した、ウェルネスコーチの佐藤さんにお話を聞きました。
当日はオーケストラの練習日、「一緒にインタビューを受ける気持ちで」とお母さまの形見の衣装をチョイスしてくださった佐藤さんは、「やりたいことを見つけた」前向きなエネルギーにあふれる女性でした。印象的だったのは「キャリアチェンジなんてしない、すべては積み重ね」という言葉。そしてオーケストラやJWEF、地元の活動などいくつものサードプレイスを持つ佐藤さんは、複数の場所・複数の自分の可能性を体現されています。ミルフィーユのようなキャリアって女性たちにふさわしい!そんなことを感じたインタビューでした。 ※所属は取材時点のものです。

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