認知宗教学は価値観の違いの奥にあるものに気づくための道しるべ-國學院大學 神道文化学部 名誉教授 井上順孝氏

井上順孝
著者
國學院大學 神道文化学部 名誉教授
NOBUTAKA INOUE

近年、職場でもプライベートでも、価値観の異なる人と接する機会が増えています。宗教や文化的な背景が異なる人と関わる場面も珍しくなくなり、その振る舞いや考え方に戸惑った経験のある方もいるかもしれません。

しかし、そうした他者の習慣を不思議に感じる私たち自身も、「なぜそうするのか」を説明できないまま続けている習慣を数多く持っています。正月の初詣、1周忌や3回忌などの法要、仏滅や友引へのこだわり。どれも多くの人がごく自然に行っていますが、その理由を改めて説明しようとすると意外と難しいものです。

自分自身が当たり前だと思っている行動や習慣を見つめ直すことは、価値観の異なる他者を理解する第一歩になります。本連載では、脳科学や認知科学の知見を取り入れた「認知宗教学」の視点を手がかりに、人はなぜそのように考え、行動するのかを探っていきます。

一見すると仕事とは遠いテーマのように思えるかもしれません。しかし、多様な人と協働する機会が増える今だからこそ、職場でのコミュニケーションや他者理解を考えるヒントが見えてくるはずです。

見過ごしがちな身近なことへの考察

認知宗教学は日本ではまだそれほど馴染みがないと思います。宗教社会学や宗教心理学だと聞いたことがあるかもしれません。これらと大きく異なる宗教の見方をするわけではありませんが、認知宗教学はここ四半世紀で急速な発展を遂げたニューロサイエンス(脳科学、脳神経科学)や、認知科学などで展開されている議論を採り入れているのが特徴です。

あらためて考えるとよく理由が分からないこと

認知宗教学が扱っているテーマは宗教全般にわたりますが、職場や日常生活における人間関係、あるいは振る舞いといったことにも直接的に関わっています。

我々が日常的にあまり疑問を持たず行なっている宗教的な慣習や習俗は、よく考えるとなぜそうするのかよく分からないことが少なくありません。少し例をあげましょう。

  • 正月になると、毎年約7割もの日本人が初詣をするのはなぜでしょうか。
  • 人が亡くなると葬式をし、さらに1周忌、3回忌、7回忌などと、死後も法要を重ねることが多いのはなぜでしょう。
  • 自分で決めるべき事にも、つい占いに頼ってしまう人がいるのはなぜでしょう。
  • 日本では4とか9とかの数字を嫌がる人がいますが、ある数字がいいとか悪いとか考えるのはどうしてでしょうか。

まだまだ挙げることができます。年中行事や人生儀礼など社会的に広がっている宗教的な儀礼だと、多くの人がやっているので、なぜそうするのかなどを深く考えずやっている人も多いことでしょう。

また、占いやカルト問題などは、そういう人もいるのだと、自分とはあまり関心がない事柄と受け止める人もいるかもしれません。

しかし高額な献金を強要するなど、傍目には怪しい教えを説いているとしか思えない教団の信者になる人が絶えないのも事実です。

宗教を最初から特別視しない

人間はいつも理性的あるいは合理的に考えたり行動したりしているわけではありません。2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは行動経済学の視点から、人間の陥りやすい心理的バイアスについて、とても興味深い指摘をしています。彼は経済行動のように、合理的に振る舞った方がよさそうなことにも、多くの人はそうではないことを示しました。

経済行動などに比べると、宗教はもともと非合理的なものとして見なされる傾向があります。科学では証明できないようなことを信じるのが宗教の特徴と考える人もいます。それゆえ、宗教習俗などのようにあまり合理的な理由のないまま、広くなされていることを見聞きしても、あえて疑問を抱くことをしないのかもしれません。

けれども宗教的問題だから非合理的になるのは仕方がないとか、宗教はもともと非合理的なものであるといった考え方で済ませるのも問題がありそうです。宗教は非合理的なものであると言いますが、宗教以外にも人間は非合理的なことをいくらでもやっています。すべての思考や行動を人間共通の問題として考えようとするなら、宗教だけが他とは異なる特別な性格を持っているとする前提から出発する必要はありません。

人間はなぜこのように考えるのか、なぜこのように行動するのかと問いを立てる人は、古代から数多くいました。哲学者などはその典型です。人間の思考や行為全体に対する根本的な問いを、宗教的とされる思考や行為にも向けたとき、他にはあまり見られないような特徴的なことがあるのかという問いは必要です。ただ認知宗教学は宗教にだけ特別な分析方法があるという発想を持っていません。

見過ごされがちなことにヒントを見つける

先ほど挙げた例のうち、初詣や葬儀・法要は、日本社会で行なわれていることをあらためて考えることで生じる疑問です。周りに同じような宗教的な習慣で日常を送っている人が多いので、普段は「なぜ」という疑問もわきにくいでしょう。よく考えると不合理な習慣があっても、とくに問題視しないでしょう。

初詣でいろいろな神社に行く人はけっこういますが、神社ごとに祭神が異なることをあまり気にしていない人もいるでしょう。それをあまり不思議に思う人が少ないのは、似たようなやり方をしている人が周りにたくさんいるからです。

このように、今まであまり疑問に思われていなかったこともきちんと考え直す必要が強まってきました。もはや周りが皆同じような習慣習俗で生活しているわけではない時代になったからです。

初めて日本に来た欧米のキリスト教徒や、イスラム圏からのイスラム教徒は、日本人の神信仰のあり方に疑問を持つことがあります。それは神はただ一つと信じているからです。どんな神か分からないままに毎年の初詣をするとか、年によって神社に行ったり寺院に行ったりする日本人の行動に対し、少し不思議に感じる人もいます。

ほかにも現代の日本人は、亡くなった人は荼毘に付す、つまり火葬にするのが当然と思っています。それゆえ、ムスリムが土葬を守ろうとすると、嫌悪感すら示す人がいます。日本でも江戸時代はほぼ土葬であり、それが歴史的に見れば比較的新しい慣行であることはあまり意識されていません。

どの国の人も、宗教の歴史的な変遷には意外に知識が乏しいものです。現代的に行なわれる宗教的習俗が昔からそうだったとつい考えがちです。百年そこそこしか続いていない習慣などを、古代からずっと続いているように思いこんでいる人もいます。

仏滅には結婚式を避けるとか、友引には葬式をしないなどは、多くの日本人が心得ていることですが、外国人からすると奇妙なこだわりに思えるでしょう。これは六曜と呼ばれる先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の6種類の日の観念に従ったものです。

六曜は14世紀ごろに中国から日本に伝わったものですが、広く行なわれるようになったのは幕末以降のことです。どんな法則で決められているかも知らずに、ただ巷で言われていることに従っているだけです。

合理的根拠があると思っているわけでもないのに、多くの人が守るのが宗教習俗です。そしてこれはどの文化においても似たようなものです。宗教習俗の大半は合理性に欠けていると見なし、気にしないでおくこともできます。でもなぜそれが依然として現代社会でも多くの人の行動に影響を与えているのでしょうか。これが認知宗教学が強く関心を抱く点です。

違いの奥に潜む共通の仕組み

どの宗教文化にも見出されること

神社であっても寺院であっても初詣するという行動と、必ずキリスト教会に行くとかモスクに行くといった行動を比較すると、両者はかなり異なった信仰形態に見えます。しかし、神とか仏とか、あるいは精霊とか、自分が五感で確かめたことがないものに対して、なぜその存在や働きを信じるのかが、共通の謎として浮かび上がってきます。

土葬、火葬、さらには風葬、鳥葬とさまざまな葬法はありますが、死んだ人に対する葬儀をなぜ行うのか、またその人が死後も何らかの形で存在を続けると考えるのはなぜか。この疑問も宗教文化の違いの奥へと歩みを進めさせます。

多様な宗教文化の奥に潜む共通の考えや行動などに考えを進めると、人びとの言葉や行動への外からの観察だけでなく、脳の働きや、遺伝子の中に組み込まれた命令のようなものにも視野を広げる必要が出てきます。

人間の悩み、苦しみ、不安といったものはほぼ共通しています。この点では仏教で説かれる「四苦八苦」の教えなどは、人間の心への洞察がとても深いところまで至っていたことがあらためて感じられます。

「四苦」は誰しも免れない生・老・病・死の4つの苦を言います。生きていくこと、老いること、病になること、死ぬこと、これらが苦をもたらすことに、文化の違いはまずないでしょう。「四苦」に4つを加えて「八苦」というわけですが、加えられる4つは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦です。愛する人との別れ、嫌な相手と会うこと、求めたのに得られなかったこと、この3つがすべて苦をもたらすことは、どの時代、どの社会においても同じでしょう。

五陰盛苦はやや難解ですが、平たく言えば、五感を持つことがそれ自体、苦を生むということです。これなどはニューロサイエンスで追究されている議論に結びつけることができます。

どんな出来事が人間に非常な苦しみや恐れ、大きな不安をもたらすかについては、文化による違いはとても小さくなります。自分に危害を加えそうな事態が迫ると、直ちに恐怖や不安が生じます。大事にしているものをいきなり奪われると、怒りが起こります。

どんな状態が安心をもたらすかとか、どんなことが大きな喜びをもたらすかに関しても、共通性は高いと思われます。食卓に美味しそうな食べ物が並んだら、誰しも嬉しくなります。皆がニコニコしている席に招かれたら、安心します。

ただし怒りを示すときのジェスチャーは文化により異なります。あるいはもてなしにふさわしいと思う食べ物は文化ごとに違います。ともすれば、それに目を奪われてしまうのも避けがたいことです。宗教文化についての基礎知識が必要になるのは、この局面です。

遺伝子に組み込まれていることと文化によって形作られたこと

宗教の教えや実践などが、宗教ごとに著しく異なる面と、非常に似通った面とがあることをどう整理すればいいでしょうか。現時点でもっとも興味深いやり方と思われるのは、人間の遺伝子に組み込まれた仕組みと、宗教文化によって形作られた様式との、相互作用の結果として理解していくやり方です。

これは二重過程理論とか二重相続理論などとして、とくに21世紀になって多くの分野で注目されている発想法です。生得的か習得的か、生まれか育ちかという議論はよくされます。しかし現代ではほとんどのことは、両方の要素が関係していると見なすようになっています。その関係を細かく見ていく上で提起されているのが二重過程理論などなのです。

遺伝子の違いが人間の考えや行動にどう影響を与えるかは、まだほとんど分かっていません。しかしいくつか興味深いことが分かってきています。たとえばお酒に強い、弱いは遺伝子によることが分かっています。アルコールを分解する酵素に関わる2種類の遺伝子の有無が、お酒に強い、少し弱い、とても弱いの3つのタイプを生み出すのです。

少し弱い人は1種類の遺伝子のみで、飲むと顔が赤くなる傾向があります。東アジアにはそういう人が多いので、2種類の遺伝子があって酒に強いヨーロッパの人から「アジアンフラッシュ」と表現されたりしました。

宗教に関係することとしては、たとえば儀礼の中で恍惚感に至りやすい人とそうでない人には、遺伝子の違いを想定できそうです。ドーパミン受容体の遺伝子型は5つあるのですが、人によってその発現の仕方が異なり、これが感情表出にも関わるらしいのです。

宗教文化は宗教ごとの違いだけでなく、同じ宗教でも時代や地域でさらに細かく異なります。それゆえ、ある人が持つ宗教的な信念、大事にしている宗教的行為、さらに宗教的習俗への関わりなどは、遺伝子からの影響と文化の影響を受けているので、その組み合わせの複雑さは想像を絶します。互いに了解し難い局面が多々生じるのも当然です。

考えや行動は一人ひとり皆異なるのだとする見方を、常に携えることがとても大事です。多様性を認めると言いますが、多様性がどこに根差しているかをはっきり踏まえておくことで、次にどう考えたらいいかの整理がしやすくなります。

異なった宗教、あるいは宗教文化を受け入れるのが難しいのは、たいていがこのメカニズムに気づいていないことにあります。遺伝子の働きと文化的に継承されたものの働きの相互作用として考えると、多くの事柄が複雑ではあってもかなり理解可能なものになってきます。

どんな場面に参考になるか

取り上げたいテーマ

ここまで大前提のようなことに触れました。それを踏まえながら、認知宗教学の視点が日々の生活や仕事に具体的に、どのように参考になるかをなるべく具体的な場面に即して考えていきたいと思います。

次回から次のようなテーマで述べる予定です。多様な価値観を持つ人と接するとき、身の回りに起こること、増えていることなどを念頭に置きながら述べていきます。

  1. 宗教に関する事柄が話題になったとき、踏み込むべきこととそうでないことの境界線をどう考えたらいいか。
  2. 宗教の戒律を守って生活している人がいたときは、何に注意を向けて接したらいいか。
  3. 信仰はそれぞれが大事にするものだとしても、警戒すべきこともある。それはどのようなことか。

ここで目指すのは認知の仕方を常に更新して、さまざまな状況に対応できるようにすることです。人間は他人の心は言うまでもなく、自分の心さえもよく分かっていません。それゆえ他人の心の動きに理解を深め、自分の心の動きにも自覚を深めるにはどうしたらいいか。

これを考え続けることが、人間関係を円滑にする上でも必須になります。宗教や宗教文化に向かい合うときも、遺伝子の働きについての基礎知識を持ち、文化の違いに目を養うことが欠かせません。

常に他の文化現象を参照しながら宗教文化も考える

他の文化現象を念頭に置きながら、人間に共通するかもしれない宗教的な問題は何かという視点に立つと、宗教文化の違いを超えてお互いの理解の道を探ることができます。

やや荒っぽいたとえになりますが、たとえばこういうことです。朝、牛乳を飲む食文化もあります。味噌汁を飲む食文化もあります。ジュースを飲む食文化もあります。たんに水の場合もあります。それは多様でそれぞれ習慣になっていることは違います。しかし人間の体は一定の水分を必要とするので、どんな文化でも何らかの形で水分を摂ることを教えています。

五味と言われているのは、甘味、塩味、酸味、苦味、旨味です。文化によりどのような味の好みがあるかは異なります。日本では梅干しも好きな人が多いです。しかし他の国では食べようとすらしない人も多くないでしょう。ただ甘いものだけはどの文化でも好まれます。人間の甘味受容体は1種類だけです。甘いものが多くの文化に共通して好まれる理由はそこにあります。

これに対し苦味受容体は25種類あります。苦味は危険な食べ物の検知に関係するので、細かく発達したと思われます。それでも何を苦いと感じるかは文化差や個体差があります。苦味の混じった食べ物を供するときは、甘味に比べ、好みや文化の違いに少しだけ細かく神経を使った方がよさそうです。

宗教や宗教文化に関わることにも、似たようなことを見出せます。多様な宗教現象の奥にある人間にほぼ共通する心理や情動反応、身体の使い方、そうしたものに目を向けることで何が見えてくるか。認知宗教学はこうしたことに強い関心を持ちます。

これから述べていくことの背景をもう少し詳しく知りたいという方は、私が2025年に刊行した『認知宗教学から見る現代宗教』(法藏館)を参考にしてもらうとありがたいです。

片山久也
担当者
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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