戒律や宗教的慣習により定められた服装にはどんなものがあるか?【第3回】-國學院大學 神道文化学部名誉教授 井上順孝氏

井上順孝
著者
國學院大學 神道文化学部 名誉教授
NOBUTAKA INOUE

近年、職場において多様な働き方や価値観が広がる中で、国籍や言語だけでなく、宗教文化の違いが日常の業務や働き方に影響を及ぼす場面が増えている。日本では宗教の話題がタブー視されがちであるが、昼食に何を食べるか、どのような服装をするか、あるいは会議のスケジュールをどう組むかといった些細なことにも、宗教的な価値観が関係してくることがある。

本コラムでは、全4回のシリーズを通して、日本人が職場において知っておくべき宗教の知識について紹介する。第3回となる今回は、宗教の戒律あるいは宗教的慣習に基づく服装、その他身につけるものについて、どのような注意が必要かに触れる。

例えば、職場においてもオフィスカジュアルの範囲はどのように設定したら良いのか、社内イベントや式典へ参加する際の服装はどうしたら良いのか、制服などの企業規定をどうしたら良いのか、など服装の問題が出てくる可能性もある。戒律による服装等は、おしゃれや民族衣装などと区別がつかないこともある。それゆえそれほど神経質にならなくていいことが多いが、典型的な場合を知っていると適切な判断をしやすくなる。

ヒジャブも国によって変わる

ヒジャブ(へジャブ)、ニカブ、ブルカ、ブルキニの違いを示したイメージ画像/井上 順孝(2011).『図解雑学 宗教』ナツメ社より引用
井上 順孝(2011).『図解雑学 宗教』ナツメ社より引用

ムスリマとヒジャブ

宗教の戒律に基づく服装という話になると、多くの人がすぐ思い浮かべるのは、イスラム教徒の女性(ムスリマ)が髪を覆っている「ヒジャブ」ではなかろうか。ヒジャブは「隠す、覆う」といった意味のアラビア語から来ている。ヒジャーブ、ヘジャブなどとも表記される。スカーフとか、ヴェールと表現されることもある。

日本でもビジャブをかぶって歩いている女性を見かけることが増えた。多くは東南アジアからの観光客あるいは居住者と思われる。

ただ東南アジアから来たムスリマであると、戒律でかぶっているとは感じさせないようなものもある。女性がおしゃれとしてかぶるスカーフと、外観があまり違わないものも見受けられる。だが中東では「ニカブ」と呼ばれる目だけ出したものや、「ブルカ」と呼ばれる顔がわからないようにすっぽり隠したものなどがある。これらを見ると、厳しい戒律によっていると感じられてくる。

国ごとに違う主流のヒジャブ

ヒジャブにもさまざまなタイプのものがあり、どれが主流になるかは、国や地域ごとに異なる。これについての興味深い研究がある。2014年に米国ミシガン大学の社会調査研究所が行なった調査である。その結果を見ると、どの形状のヒジャブが好ましいと思われているかについて、国ごとに大きな違いがある。

調査ではヒジャブの6つのタイプを示して、どれが適切と思うかを、エジプトやイラク、レバノン、パキスタン、サウジアラビア、チュニジア、トルコの7か国で質問している。結果をグラフで示しているので、かなりの違いがあることがすぐ分かる。

たとえばニカブが適切と思う割合は、サウジアラビアでは6割以上だが、エジプトやイラクでは1割以下である。髪を覆わないのがいいというのは、レバノンでは5割前後、トルコでは3割少々だが、エジプト、イラク、パキスタン、サウジアラビアでは5%以下ときわめて少ない。

興味深く感じたのは、国ごとの違いが大きいのに対し、同じ国であればどれが適切かに関して、男女差がかなり小さいことである。女性の方があまり髪を隠さないタイプのビジャブがいいと思っているわけではない。

ジェンダー問題において論じられることが多いヒジャブであるが、それだけでは論じ得ないことを物語っている。宗教文化が当該社会の人たちに深く及ぼしている影響、という視点は外せない。

ブルキニ問題

21世紀になって「ブルキニ」という言葉が作られた。「ブルカ」と「ビキニ」を組み合わせた造語である。2000年代にムスリマでも海で泳いだりできるように、顔以外を覆った水着が考案されたが、こうしたものに対する名称になった。

ブルキニが広まると、それを身につけて泳ぐムスリマに対し、ヨーロッパのいくつかの国で批判が生まれた。ブルキニ姿で海やプールで泳ぐことが禁じられる例も出てきた。ただし禁止は宗教上の理由ではなく、衛生上の問題とされた。

日本でもブルキニは売られているが、ムスリマかどうかに関係なく、日焼け止め対策として身につける女性がいるようである。日本の場合、海女が着衣で海に潜る場合が多いため、ブルキニに対しても抵抗感が生まれにくいかもしれない。

イスラム教では裸を人目にさらすのは男性でも忌避

ムスリムは温泉に一緒に入らない

日本人にとっては、温泉はくつろぎの場であり、友人たちと一緒に裸になって入浴することにさしたる抵抗はない人が多い。なぜかお湯につかると、「極楽、極楽」と口に出す人もいる。

だが、イスラム教徒だと男性でも、皆と一緒に温泉に入ることは避ける。男性にも着衣に関する宗教的な戒律があって、へそと膝の間の身体の部分は、他人に見せてはいけない。だから裸になって一緒にシャワーを浴びるのも嫌う。厚意のつもりでムスリムを温泉に誘うのは避けなくてはならない。

相撲とりになったムスリムもいる

とはいえ、この戒律も多少は融通がきくようである。かつてエジプト出身の大砂嵐という力士がいた。2015年には最高位の西前頭筆頭にまでなった。ラマダン(太陰暦であるイスラム暦の第9番目の月)のときには場所中でも断食の戒律を守っていたようである。

まわしだけを付けて土俵にあがることは、厳しくいえば戒律に背いていることになるが、そこは大目に見られたのであろう。サウジアラビアなどに比べると、やや戒律の緩やかなエジプト出身ということも関係したかもしれない。

服装で宗教が推測できることもある

独特の宗教服

ヒジャブ以外で、身にまとったものからその人の宗教が推測しやすいのは、日本国内だとカトリックの修道女(シスター)の装いくらいであろうか。だが世界的には、その人の宗教が分かるような姿で日常生活を送っている姿を多く見かけることは珍しくない。

そうしたもののうち、代表的なものを知っておくだけでも、留学したり国外勤務をしたりすることになった場合に、相手の宗教を推測する上ではとても役に立つ。

頭にかぶったものは目立つ

頭にかぶるもので特徴的なものとしてよく知られているのは、ユダヤ人男性の「キッパ」、シーク教徒男性の「ターバン」などである。ターバンの中には切らずに長くなった髪が束ねられている。キッパは丸い帽子で印象的な形である。深くはかぶらない形が多く、色はさまざまである。

シーク教徒は日本にも少数いる。だが、私の知り合いのシーク教徒もそうだが、ターバンをかぶってはいない。しかしインドに行けば、かぶっている人を時々見かける。もっとも若い世代では少なくなる傾向にあるとされる。髪とひげを切らないという教えを守る人は少なくなっているという。

シーク教徒はインドでは全人口の1.7%程度である。少ないようだが、インドの人口は今や14億人を超えて世界一なので、シーク教徒も2千万人を超えている。シーク教の聖地のあるパンジャーブ州には特に多く、6割ほどである。

独特な服装と独特な生活形態を守る人たち

北米にはアーミッシュやメノナイトと呼ばれる、独特な生活習慣を守っているキリスト教の一派がいる。中でも独自の宗教共同体に住む人たちは、自動車に乗らない、電気を使わないなど、近代文明に背を向けたような生活を送っている。

この共同体に住む女性は、白あるいは黒のボンネットをかぶっている。こうした頭部にかぶったものは目立つので、特徴的なものはその人の属する宗教を一目で類推する手段ともなり得る。

また戒律に沿った服装をする人は、その宗教への信仰心が篤い人が多いと推測されるので、そのように心得て対処するのがいいだろう。

特徴的な髪型

何かを頭にかぶるわけではないが、独特の髪型をする人たちもいる。比較的知られているのが「ラスタファリアン」である。ラスタファリ運動を信奉する人たちは中南米に多い。

ジャマイカが発祥のこの信仰は米国にも広がっている。彼らは旧約聖書の戒律に基づき髪を切らないので髪が長くなる。その髪を束ねた独特の髪型がドレッドロックスと呼ばれる。

日本にもドレッドロックス専門店が東京などにいくつかある。ちなみにレゲエ音楽が好きな人はボブ・マーリーの名前を知っていると思うが、彼はラスタファリアンである。

近代で変わった宗教家の服装

宗教家の儀礼時の服装と普段の服装

宗教施設で儀礼が行なわれるときは、神道や仏教、キリスト教では、それぞれの宗教家に決まった服装がある。着衣によって、その人が神職、僧侶、あるいは神父、牧師であると参列者には分かる。けれども日本の場合は、日常生活において、外出時は宗教家としての服装でないのが一般的である。

僧侶が普段の生活で僧衣を着ないというのは、世界的には少数派である。上座部仏教である僧侶は外出時にも僧衣を身につける。僧侶は女性に触れてはいけないことになっているから、バスの中で僧衣の人を見かけたら、女性は距離を置くようにする。僧侶が戒律を破るような事態になることをあらかじめ避けるためである。

僧侶と平服

大乗仏教が広まった中国や台湾、韓国でも、僧侶は常に僧衣を着て生活する方が一般的である。実は日本の僧侶も江戸時代までは日常生活でも常に僧衣を着ていた。それが平時ではそうしなくてもよくなったのは、明治5(1872)年の太政官布告が出されたからである。

前回の記事では、僧侶の肉食妻帯が明治5年に許可されたと述べたが、その同じ太政官布告で、法用以外では一般の服を着用しても構わないと但し書きがあった。最初は抵抗もあったようだが、だんだん日常生活で他の人と同じ服装をする人が増えた。

僧侶であり、教員であるという人が身近に何人もいるが、教壇に立つとき僧衣を着る人はまずいない

女性神職と巫女を間違う人

教え子で女性神職になった人が何人もいる。その人たちから、神社の境内にいるとよく巫女と間違えられると聞いた。一般には神職は男性という思い込みがまだけっこう根強いといえる。

戦前、女性神職はいなかった。戦後になって少しずつ増えてきた。そういう事情から仕方のない面があるが、もし神職は男性のみと認識している人がいたら、これからはあらためてほしい。企業によっては、さまざまな機会に神職にお祓いを依頼することがあるので、女性神職の存在は知っておくべきことである。

女性神職と巫女との違いは装束で分かる。赤い袴を着て白い小袖を身につけていたら巫女である。女性神職は唐衣(からぎぬ)など場合に応じて決まった装束を身につけている。

戒律とマナーの境界領域

時代と社会の変化で変わる面

宗教的な戒律とその社会におけるマナーは一部が重なり、相互に影響を及ぼしている。境界線が曖昧な場合もある。どちらも時代や社会の変化と共に、ときには比較的短期間で変容することもある。

時代による変化は、日本において宗教に関わりのあるとされる社会的な習慣やマナーを、振りかえってみるとすぐ分かる。

喪服の変化

日本で葬儀のときの喪服というと、現在はほぼ全員が黒い服をまとう。しかし江戸時代は葬式のときは白い衣服が主流であった。

これが変化するのは明治後半である。1897(明治30)年に、明治天皇の嫡母(ちゃくぼ)にあたる英照皇太后の葬儀の折に参列した欧米の人たちは、黒い喪服を着ていた。これに影響を受け、徐々に葬儀に黒色の服が導入され、1915(大正4)年に出された「皇室令」では宮中参内の喪服は黒と定められた。

喪服が黒というのが一般化したのは第2次世界大戦後である。つまり一般的には百年に満たない習慣ということになる。

習俗は近代に生まれたものが多い

このパターンは結婚式にもほぼあてはまる。神前結婚式が広まる1つの契機は1900年にときの皇太子、のちの大正天皇の結婚式が宮中でなされたことである。これがいわば上流社会で少しずつ広まり、戦後になって広く行なわれるようになった。

なお結婚式は1990年代に神前結婚式に代わってキリスト教式がもっとも多くなった。ウェディングドレスの方が好まれたということでもある。さらに現在は人前結婚式という宗教色のないものも増加傾向にある。

東アジアの喪服

日本は近代になって喪服の色が変わったが、中国では現在も葬儀では白い服が主流である。現地での葬儀に参列することになるようなことは滅多にないかもしれないが、心得ておいた方がいいだろう。

韓国では日本同様、洋装の場合には喪服は黒色が主流になっているが、伝統的な白い服を着る人たちもいる。

衣服の戒律をどう守るかは時代で変わる

ヒジャブが国により主流の形態が異なると冒頭に述べたが、同じ国でも時代によってその使用が変わることについても研究がある。

20世紀後半に、いったん女性が西洋風の服装をする割合が増えたが、またヒジャブを身に着け、以前の衣装に戻る例もエジプトやイランの研究などから報告されている。服装に関する宗教的戒律の守られ方が、短期間に変わることは珍しいことではない。

変わらない部分と変わる部分への気づき

冠婚葬祭の際の衣服のマナーが時代と共に変わるように、戒律による服装も変化する。また自国と国外に行った場合とで守り方が異なることもある。

それぞれの宗教の服装に関する戒律は、マナーに近い部分があると受け止めて、互いに不快な思いをしないように努めたいものである。

服装に関する戒律の場合は、その背後に宗教的な価値観が潜んでいる。ヒジャブであれば「貞淑を守り、美を目立たせてはならない」である。ターバンであれば「神から与えられたもの(髪やひげ)を切らない」である。

マナーも戒律の守り方も、時代と共に変わり、ローカルルール的なものが生じるのは同じである。とはいえ、戒律の背後にある宗教的な価値観は、基本的にそうそう変わるものではない。なぜそのような装いをしているのかの意味まで知っておくと、職場での服装を判断する場合の基準になったり、戒律に従った相手の服装を理解する手立てになろう。


國學院大學名誉教授 井上順孝氏

井上順孝(いのうえのぶたか)
1948年生。東京大学大学院中退、東京大学助手、國學院大學教授を経て、現在國學院大學名誉教授/博士(宗教学)/(公益財団)国際宗教研究所・宗教情報リサーチセンター長/宗教文化教育推進センター長/アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員/元「宗教と社会」学会会長、元日本宗教学会会長
主な著書に『認知宗教学から見る現代宗教』法藏館 2025年/『神道の近代――変貌し拡がりゆく神々』春秋社 2021年/『グローバル化時代の宗教文化教育』弘文堂 2020年/『世界の宗教は人間に何を禁じてきたか』河出書房新社 2016年/『本当にわかる宗教学』日本実業出版社 2011年 など

片山久也
担当者
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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