問題意識
企業の持続的な発展を見据えた時に、若手人材をいかにして定着させて育成するかは重要な課題である。未来の中核を担う人材が入社して間もなく会社を離れてしまったり、手塩をかけて育てた人材が組織の期待する習熟レベルまで達しなかったりした場合、企業の事業運営はたちまち困難になる。人手不足が深刻化し、若手人材の採用が難しくなる今の時代では尚更、新たに加わった若き人材にかける企業の期待は大きいだろう。
厚生労働省の2025年調査によると、新規学卒就職者の就職後3年以内の離職率は高卒が37.9%、大卒が33.8%。30〜99人の企業では高卒が45.2%、大卒が41.9%にのぼり、規模の小さい企業ほど離職率は高い傾向にある。この結果からも、中小企業における早期離職の問題は今後改善が求められる人材課題の一つであると言えるだろう。
では、若手人材の定着につながる人材育成に向けてどうアプローチすれば良いのだろうか。以下、定着・育成施策の工夫によって若手人材の離職を防いでいる株式会社陽和(以下:陽和)の事例から考察する。
調査企業
株式会社陽和
| 会社名 | 株式会社陽和 |
| 代表取締役社長 | 越出 理隆 |
| 設立 | 1958年4月 |
| 従業員 | 120名 |
| 所在地 | 福岡県北九州市小倉南区大字朽網3914番75 |
| 事業内容 | エンジニアリングプラスチックの精密切削加工等による工業用機能部品の製造 |
陽和は北九州市に本社を置く樹脂部品メーカー。耐熱性や耐薬品性、低摩擦性などの特性を持つプラスチックの一種「フッ素樹脂」に特化した加工技術を活かし、顧客の要望に応じたオーダーメードのものづくりを強みとする。それゆえ、製造業務には熟練の技術が求められるが、研修や学習を工夫することで多様な人材が活躍できる環境を整えている。従業員120名のうち約7割が製造現場で働く技術職で、そのほか営業・総務・開発などの総合職がある。
陽和の人材育成のベースにある考え方が「人の和」。従業員個々人の「人」と、その個々人が持つ特徴・能力を融合する「和」を大切にしながら、多様な人材が各ポジションで能力を発揮できる環境づくりに努めている。力を入れているのが、人材の定着と育成。特に若手人材の離職率が低く、1999年から2025年までに新卒入社した29名のうち、2025年11月時点で27人が在籍している。以下、陽和の人材マネジメントの特徴から、若手人材が定着して活躍するための要因を探る。
組織・施策の特徴
(1)熟練技術の可視化
1つ目の特徴は、熟練技術の可視化。陽和が手掛ける樹脂加工は「力加減」が出来栄えを左右し、繊細な作業が求められる。それゆえ、勘やコツといった経験値に頼られていた部分が大きく、ベテランの熟達者に業務が属人化していた。そのため熟達者が仕事を休んだり急に退職したりした場合に業務の代替が難しく、新入社員への技術習得にも時間と手間を要していた。
これを解消するために作成したのが「手順書」だ。加工機械を使った作業を細かく切り分け、作業ごとで異なる機械の設定を一つ一つ測定。作業風景の写真が付いた冊子に加えて、特に難しい作業は解説キャプション付の動画を制作した。
製造ラインの部署ごとに作成される手順書は、教える側の熟達者(教育者)の意見だけでなく、習う側の初任者(被教育者)にも意見をもらう。「わかりやすさ」を最優先に、一度作って終わりではなく、班ごとの技能レベルに合わせて内容を都度更新している。手順書は視覚的、かつ、繰り返し伝えることができる学習ツールとして、若手人材だけでなく障害がある方や外国人技能実習生にとっても理解と実践がしやすい仕様となっている。
(2)オーダーメード型教育計画
2つ目の特徴が、オーダーメード型教育計画。陽和では、1年ごとに各部署で「教育計画」が策定されている。これは業務に求められる技術をまとめた「力量マップ」に従ってつくられるもの。メンバーそれぞれが現在の経験・スキルの棚卸しを行い、個々の習熟度に合わせて1人につき1つの計画が立てられる。
この教育計画も、被教育者の仕事やキャリアパスの希望を取り入れながら、教育者である部署のリーダーと被教育者が協働で策定する。教育計画は今後1年の成長だけでなくその先のキャリアを考える指針としても役目を果たし、教育を受けるメンバーが「自分が組織のどの位置にいるのか」「今後どのようなスキルを身に付ける必要があるのか」「自分はどこに向かって頑張るのか」を考えてもらうことも目的とする。
陽和の教育に関する基本姿勢は「自分で考えてもらう」スタイル。先輩や上司が正解を与えるのではなく、自らで課題や解決策を考えることを促す。そのほか、新入社員には他部署の年齢が近い先輩が「メンター」に付き、キャリアの相談役として月1回の面談などを行っている。いつまでサポートしてもらうかは本人次第。メンター開始から1年が経った段階でメンティーの新入社員に継続するかどうかを会社側が確認し、継続を望む場合に2~3年続けるという。
(3)休みやすい仕組みづくり
3つ目の特徴は、休みやすい仕組みづくり。陽和では「休みやすさ」が従業員の離職防止に繋がると考え、組織一体でその仕組みを実現している。例えば、数年前に残業時間が増えて従業員の不満が高まったことを機に、残業削減に向けて機械に自動化装置を導入したことがあった。
陽和には異なる部署同士が協働して事業を進める文化があり、営業部署が新規顧客を獲得し新たな製品開発が必要になった際には、製造部署に十分な説明を行い、新製品の効果や製造部署全体の業務への影響などの意見を交わしながら意思決定を行う。
この自動化装置導入の際も製造部署と開発部署が双方から意見を出し合い、より多くの工数を削減するためのアイデアを装置に反映させた。結果、大幅な残業時間の削減に繋がり、さらに休みが取得しやすい体制が強化されたという。
男性育児休暇や有給休暇の取得率は90%を超える。他にも、仕事以外のプライベートの時間を大切にしてもらうための取り組みにも力を入れており、従業員の家族旅行の費用の補助や有給取得を促す「エンジョイホリデー制度」などユニークな施策を展開。年末年始や夏季休暇の長期休暇もゆとりを持たせ、誰もが気兼ねなく休日を取れる環境を整えている。
(4)企画参加型の社内イベント
4つ目の特徴が、企画参加型の社内イベント。陽和では年1回の恒例行事として「職場レクレーション」がある。これは社内にある十数の部署が各々で立ち上げるレクリエーションで、「日帰り温泉旅行」「サバゲー」「鍾乳洞探索」などバラエティー豊かな企画が部署単位で実施されている。社員全体の従業員に占める参加率は95%。ほぼ全員が参加し、部署内のメンバーが仕事以外でコミュニケーションをとる機会となっている。
また、陽和には10代の高卒社員から78歳のベテラン従業員まで幅広い世代が在籍し、パートの女性スタッフや外国人技能実習生、障害がある方ら多様な人材が活躍している。その従業員が一堂に集うイベントが、「陽和会」という社内有志のイベント運営組織が主催する年2回の催しである。
花見や忘年会など季節ごとに催しが開かれ、普段顔を合わせることはあっても話をすることは少ない他部署の従業員と繋がるきっかけにもなっている。このように従業員同士が仕事以外の“オフ”で繋がり、立場を越えてフラットに交わる場が頻繁にある。
| 特徴 | 内容 | 狙い・効果 |
| 熟練技術の可視化 | ・写真・動画を駆使した手順書の作成 ・細分化したタスクを数値として見える化 | 熟達者への業務属人化の解消と、未経験人材や外国人人材、障害がある方らにわかりやすく技術を伝える |
| オーダーメード型教育計画 | ・1人1人の習熟度に応じた個別の教育計画 ・力量マップに従い現在の立ち位置を可視化 | 個々人のスキルの棚卸しを行い、自身の現在地や今後のキャリアの方向性を考えてもらう |
| 休みやすい仕組みづくり | ・残業削減、エンジョイホリデー制度 ・組織一丸で「休みやすい風土」を醸成 | 気兼ねなく休める環境づくりによって従業員の離職防止と、ワークライフバランスの実現につなげる |
| 企画参加型の社内イベント | ・職場レクリエーション、陽和会 ・従業員自らが企画して行う社内イベント | 部署内外の多様なメンバーの人となりを知り、コミュニケーションのきっかけを生み出す |
分析
円滑な実践と深い内省
陽和の人事施策の特徴を紐解いてみると、若手人材の定着・育成を機能させための2つの要因が見えてきた。1つは、学習における「円滑な実践と深い内省」である。熟練者が上意下達で一方的に技術を伝えるのではなく、初任者の意見を反映させつつ、業務の可視化・標準化を行っている。習う側にとって理解と実践がしやすいかが起点となることで、個々の技能レベルに応じてノウハウ・コツを学習することができる。
また、教育者やメンターと被教育者が綿密にコミュニケーションをとりつつも、ただ単に正解を伝えるのではなく、自分なりに考える「内省」のプロセスを経て実践してもらう風土も特徴の一つだろう。
理論的考察・職場における能力向上
職場における能力の向上に関する研究では、能力向上の要素として「業務能力向上」「他部門理解向上」「他部門調整能力向上」「視野拡大」「自己理解促進」「タフネス向上」の6つがあげられている(中原,2021)。
手順書からコツを習得する、他部署と共同で職場改善をする、内省によって解決策を導く、仕事の棚卸しをして教育計画を立てる、といった陽和の特徴には、随所に能力向上に求められる要素が含まれている。それが若手人材を含む従業員の能力向上を促していると考えられる。
| 業務能力向上 | 仕事に必要なコツ・ノウハウを把握して自己判断で業務をする能力 |
| 他部門理解向上 | 他部門の立場を理解し他者の意見を尊重しながら仕事を進める能力 |
| 他部門調整能力向上 | 複数の部署・他者と調整しながら仕事を進めていく能力 |
| 視野拡大 | 自分の仕事をより広い視点で多面的にとらえる能力 |
| 自己理解促進 | 自分自身と自分の仕事を冷静に振り返り、理解を深める能力 |
| タフネス向上 | 仕事をする中で生じるストレスや葛藤に対処する能力 |
中原(2021)をもとに作成
恒常的組織参画と共創
もう1つの要因は「恒常的組織参画と共創」である。陽和では、学習・交流・支援を目的としたあらゆる人事施策の決定や実行の場面で、個々の従業員が積極的に関与している。
さらに従業員が“置いてけぼり”で組織の決定に従うかたちでなく、ともに考えてともに創造する仕組みが随所に埋め込まれており、それぞれが当事者意識で組織活動に参加することに一役買っている。ここに若手人材の定着と育成のヒントがある。
理論的考察・従業員体験
従来、人材マネジメントにおける諸施策は「何をするのか(What)」に焦点が当てられてきた。しかし、人事施策を講じる会社側の意図や目的が必ずしも従業員側に同じように受け取られるとは限らず、認識の違いによってかえって施策の効果が薄まるといった問題が浮上した。このような矛盾に対して、近年では「なぜするのか(Why)」を重視する考え方が議論されており、企業と従業員の関係性を根本から再構築するためのアプローチとして「従業員体験(EX:employee experience)」が注目されている。
EXは組織における従業員の一連の経験であり、組織が従業員に対して行う人事施策を「従業員がどのように感じるか」という従業員の視点から捉える。先行研究では、ビジネス環境が変化や人材獲得競争が激しくなる中、人材の定着・従業員のエンゲージメント向上・イノベーション創出に向けてEXが重要であることを前提に、EXを機能させるためには、対話によって従業員と従業員のニーズを深く理解したり、従業員が平等な立場で組織活動のプロセスに参加したりすることが重要であると指摘している。(Plaskoff,2017)。
| 従業員とニーズの深い理解 | 従業員同士の深い対話によって、従業員の仕事・職場・人間関係に関する真のニーズを発見・理解すること |
| 広範で包括的な思考の採用 | 体験と人の全体性に焦点を当て、入社前から退職後までの一連の広範な時間軸で、かつ、心理的・社会的・経済的・身体的など様々な視点で捉えること |
| 無形のものの具体化 | 組織における従業員の一連の出来事で経験する感情・思考・行動のような無形物を整理し、可視化できるもので表現すること |
| 徹底したプロセスへの参加 | 特定の部署やリーダーだけでなく組織のあらゆる従業員が平等な立場としての解決策の決定プロセスへの参加を徹底すること |
| 反復と実験 | 実験とフィードバックを繰り返し、試行錯誤しながら、組織と従業員のニーズに最適となる解決策を実現すること |
| プロセスへの信頼と評価 | 楽観的視点な視点で従業員からアイデアを募り、試作し、検証するという従業員参加型のプロセスそのものを重視すること |
Plaskoff(2017)をもとに作成
EXの観点から陽和の特徴を捉え直してみると、陽和の施策は「従業員がどのように感じるか」という、施策を受ける側の従業員それぞれの視点から設計がなされていると言えよう。
具体的には、スキルを習得する「学習」の場面、学習成果を発揮することで課題解決を図る「実践」の場面、職場環境をより良くする「改善」の場面、従業員同士が仕事以外で繋がる「交流」の場面のような、組織活動のあらゆる状況下で、組織と個人間あるいは教育者と被教育者間の双方的やりとりがある。
これによって一人ひとりが意思決定プロセスに関わる機会がある。立場を越えて組織に参画できる経験や共創の機会が多いことは、人材の定着に貢献する重要な要因であると考える。
従業員の組織参画・共創
まとめ
陽和の様々な取り組みには、講じられる側の「受け手」がどのように感じるかという視点が含有されている。その中で、組織と個人、学習における教育者と被教育者の間で双方向的なやりとりを通じて学習が形作られ、従業員それぞれが組織活動のあらゆる場面で自分の意見を表明したり組織をともに創ったりすることを体験できる。これによって若手人材が「当事者意識」で自分の仕事や組織活動に向き合うことができる点に定着・育成のヒントがあるのではないか。
特に、新入社員は組織の前提を理解しておらず、組織の全体像を把握していないがゆえに、周囲との間に大きな情報格差を感じて、自分の意見を発信することに躊躇してしまうこともあるだろう。その意味では、誰もが安心して自分の考えを伝えることができて、何かあった時には気軽に周囲へ相談ができる風土を、組織が意識的に醸成していくアプローチは重要だと考える。
例えば、陽和の事例のように、メンター制度や社内イベントの形式で組織内の様々な人と繋がり実務以外の話を交わす機会をつくることは有効策の一つかもしれない。
また、風土醸成には経営者の態度・行動の影響も大きい。陽和では越出代表が毎朝、工場を歩き回り、従業員に声を掛けたり、声を掛けられたりする習慣があるという。フラットに対話する姿勢をトップが示すことで、立場に関係なく自分を出しやすい雰囲気が生まれることもある。ボトムアップによる現場目線の人事施策の展開と合わせて、トップダウン的に組織風土を体現していく姿勢もまた、組織に人を惹きつけ離さないための要素であろう。
キャリアリサーチLab研究員 宮本 祥太
【参考文献】
Plaskoff, J. (2017). Employee experience: the new human resource management approach. Strategic HR review, 16(3), 136-141.
中原淳. (2021). 職場学習論 新装版. 東京大学出版会.