<著者>文芸批評 奥憲介
会社員として勤務する傍ら、文学評論を行う。文芸誌、新聞、ウェブメディア等に批評・エッセイを寄稿。営業、人事、教育、総務など幅広い実務経験をもとに、「働くこと」と文学に関する論考も執筆している。著書に『働く文学―仕事に悩んだ時、読んでほしい29の物語』(東海教育研究所、2017年)、『「新しい時代」の文学論――夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス、2023年)
働くことは簡単に割り切れない
働くことには、さまざまな側面があります。普通はそれらを一つひとつに切り分け、分析しながら理解しようとします。しかし、そんなにきれいに整理できるものなのでしょうか。実際には、それぞれの要素は複雑につながり合って、簡単には割り切れません。
また、働くことは本来とても私的な営みです。だからこそ、あれこれと悩んだり迷ったりすることも多いし、自分が本当は何を感じているのかさえ、わからなくなることもある。理論やハウツーを読んでも、どこか実感に届かないのはそのためかもしれません。
働くことが、不完全で曖昧な人間の営みである以上、理論や分析だけでは説明しきれないものが残ります。そして、その「残ったもの」の中にこそ、自分にとって大事な何かが潜んでいたりします。
小説は、そうした人間の曖昧さや不完全さを抱え込んだまま生まれてきます。架空の物語でありながら、ときに現実以上に深く心を動かし、自分でも気づかなかった感情を照らし出してくれる。優れた文学作品は、「私」という個別性や時代を越えて、普遍的なものを見せてくれることがあります。
この連載では、働く人が登場する文学作品を手がかりに、「働くこと」とは何かを考えていきたいと思います。
佐伯一麦『ア・ルース・ボーイ』に見る”働くことの意味”
「だらしのない」少年が働きはじめる
P+D BOOKS『ア・ルース・ボーイ』佐伯一麦
まず取り上げたいのが、佐伯一麦の『ア・ルース・ボーイ』(1990/小学館)です。作者の佐伯さんは週刊誌記者や電気工などさまざまな仕事を経験しており、その実感が作品にも色濃く反映されています。
進学校に馴染めず、「ア・ルース・フィッシュ(だらしのないやつ)」という烙印を押された主人公・斎木鮮は高校を中退します。一方、ガールフレンドの上杉彩もまた高校を辞め、子どもを身ごもっていた。二人は赤ん坊を連れて家出をして、都会の片隅で「ままごと」のような生活を始めます。
赤ん坊は鮮の実子ではありません。それでも彼は、新しい家族を引き受けようともがきながら、電気工の見習いとして働き始める。仕事を覚え、これまで知らなかった世界に触れる中で、少しずつ自分自身を見つけていきます。
「ルース」という言葉には、「だらしない」だけでなく、「自由な」「解き放たれた」という意味もあります。お金も学歴も人脈もない少年が、幼い家族とともに人生に向き合い、働くことを通して自立していく。その姿を描いた作品です。
この小説は、働くこととは何かを考えるとき、大事な示唆を与えてくれます。
仕事との出会い、人との出会い
鮮はまず職業安定所へ行きます。そこに並ぶ無数の職業を見て、自分はこれから何者にでもなれるし、何をしてでも生きていけるのだと興奮を覚える。高校時代には感じられなかった自由の匂いのようなものを感じるのです。
しかし現実は甘くはない。何もできない鮮は、面接で次々に断られてしまう。そんな彼のもとに、仕事との出会いは偶然訪れます。路上で出会った男に声をかけたことがきっかけで、アルバイトを始めるのです。
一人で電設会社を営む沢田は、「高校中退でもいいのか」と尋ねる鮮に、「そんなこと全然気にしないよ」と言う。その言葉に救われるような思いを抱き、鮮は働き始めます。
沢田に教わりながら、鮮は少しずつ仕事を覚えていく。危険な作業に戸惑い、失敗を重ね、疲労に打ちのめされながらも、仕事の感覚が少しずつ身体に馴染んでいく。金ノコの刃を何度も折る鮮に、沢田は「刃はいっぱい用意してあるんだから、心おきなく折ってくれ」と声をかけてくれます。
ともに汗を流し、重い物を運び、ときには酒の飲み方まで教わる。鮮は次第に沢田を兄貴分のように信頼していく。働くこととの出会いのそばには、いつも「誰か」の存在があります。
初めての給料日の翌日、沢田は鮮のために真新しい腰道具を用意する。そのベルトを締めた瞬間、鮮は胸の高鳴りを覚えます。
ぼくは変わることができた
仕事に慣れてきた鮮は、あるとき、「明るい光の下でも生き生きと呼吸ができるようになった。ぼくは、確かに変わった。変わることができた」と気づきます。
彼が感じたのは、働くことを通して自分の中の何かが変わったという実感でした。その背後には、「だらしないやつ」とレッテルを貼られ、追い詰められていた高校時代の自分がいる。鮮は、ようやく苦しかった過去の自分から解放されつつあることを知るのです。
物語の最後、沢田と鮮は学校の天井工事をしています。天井裏には複雑な配管やケーブルが張り巡らされている。鮮は、地面の下にも壁の中にも、自分の知らない世界が広がっていることに驚きます。
想像もしたこともないであろう世界。その世界で生きはじめた自分をぼくは強く実感した
この言葉には、鮮のさまざまな思いが込められています。明るい光の下で呼吸できること。知らなかった世界に触れる喜び。そして、過去の自分を乗り越えたいという切実な願いです。
ここに働くことの本質があります。仕事の種類や形態、立場や役割ではなく、その人が働くこととどのように関わり、どんな意味を見出すのかによって、働くことのあり方が決まるということです。
沢田に導かれながら、鮮は働くことを通して新しい世界を発見し、社会との関係を結んでいきます。それは親や教師からの自立であり、同時に社会へつながっていく回路でもある。この作品は、働くことを通して一人の人間が社会的存在になっていく、その原初的な過程が丁寧に描かれています。
働くことの中に「自分」はいるか
この作品が示しているのは、働くことが、どう生きるかという問いにつながっているということです。
鮮は、働くことを通して新しい生へ踏み出すことができた。彼が得たのは、「自分自身でいられる自由」だったのだと思います。
働くことは私的な営みです。しかし、自己完結してしまっては、生きることへの答えにはたどり着けない。どんな仕事でもいい。働くことを通じて自分を外へ開き、他者や世界とのつながりを感じることで、初めて自分自身を実感できるのだと思います。
一方で、仕事は自分のためではなく、人のためにするものだという考え方もあります。確かに、お金をもらうということは、誰かの役に立つということです。また、自分の実感よりも、他人に認められたい、評価されたいと思うのも自然な感情でしょう。
しかし、そのことと、働くことの中に自分の生き方を見出すことは矛盾しません。むしろ、自分の生と重なっているからこそ、その仕事を大切に思えるし、真摯に向き合うことができる。そして、その先に他者へのまなざしも生まれてくるのです。
森絵都『風に舞いあがるビニールシート』に見る”偶然の転機”
そのことを描いた作品があります。森絵都の短編小説集『風に舞いあがるビニールシート』(2006/文春文庫)です。森さんは児童文学でも知られ、この作品で直木賞を受賞しました。
偶然の中にある物語
文春文庫『風に舞いあがるビニールシート』森絵都
『ア・ルース・ボーイ』で鮮が仕事をはじめたのは、人との偶然の出会いからでした。しかし、この「偶然」には深い意味があります。心理学者ジョン・D・クランボルツは、「計画された偶然性」という理論を提唱しました。キャリアの多くは予期せぬ出来事に左右されるという考え方です。偶然と呼ばれる出来事の背後には、実はさまざまな要因が潜んでいることを明らかにした点で画期的でした。偶然が起こることと、その偶然を引き寄せ、自分のものにできることは別なのです。
『風に舞いあがるビニールシート』に収められている「犬の散歩」という短編も、そのことを描いた作品です。主人公の恵利子は、捨て犬の里親探しをするボランティアの女性です。友人に誘われて訪れた犬猫の収容センターで、殺処分を待つ犬たちを見た瞬間、彼女の中の何かが反応する。単なる一時的な同情心ではありません。自分はもうこの犬たちに関係してしまったのだということに気づくのです。
自分には関係ない、と目をそむければすむ誰かやなにかのために、私はこれまでなにをしたことがあるだろう
彼女は、自分の無力さや、世の中のことを見ないふりをしてきた生き方と向き合うことになります。自分の人生をどこかで変えたいという思いが、犬たちを見たときに形になったのです。
森さんは「転機は、よくある一齣(コマ)のような顔をして恵利子の日常にもぐりこんだ」と表現していますが、その転機は、ただの偶然ではなく、一人の女性の生き方の物語の一部であったことを描いています。
偶然が転機に変わる。その人の中に長く潜んでいたものが、ある瞬間に化学反応を起こし、形となって現れる。その瞬間は偶然のように見えても、背後には、その人が積み重ね、求め続けてきたものがあるのです。
働くことはどう生きるかにつながっている
彼女は変わっていきます。外食を一度我慢すれば、犬たちに缶詰めを買ってやれる。エステに行くお金があれば、もっとたくさん買える。それまでとは違う価値の尺度で、彼女の日常は少しずつ動き始めます。犬たちのためにボランティアを続けようとアルバイトを始めた彼女は、こう語ります。
それまでぐらぐらしていた毎日が、なんだか急に、なんていうか、信頼に足るものに思えてきたんです。世界を……っていうか、自分を、少しだけ信じられるようになったっていうか
それまで彼女は、誰かの物差しや世の中の基準で自分の生き方を測ってきました。しかし今は違う。自分が本当に大切だと思うもののために動いている。その実感を通して、彼女は少しずつ自分自身を取り戻していきます。世界と自分とのつながりも、以前より確かなものとして感じられはじめるのです。
働くことの意義やキャリア形成という言葉で語るには、あまりにもささやかな物語かもしれません。しかし、ボランティアであれ、アルバイトであれ、有名企業の仕事であれ、主婦であれ、学生であれ、本質は変わりません。ここには、働くことを通して自分の人生を引き受けようとした、一人の人間のかけがえのないドラマがあります。
働くこととは、自分がどう生きるかということとつながっている。単に収入を得るためでも、肩書きや成功のためでもない。自分が何に心を動かされ、誰とつながり、どんな世界を生きたいのかを探していくことができる。だからこそ働くことには、その人の生き方そのものが現れる。働くことは、本当はとても豊かな営みなのです。