ブックリスト・日常生活におけるキャリア教育~絵本の力について考える(3)~
—駒澤大学・内藤寿子氏
キャリア教育と絵本
日本社会において、キャリア教育という用語が初めて公的に登場したのは、1999年のことである。社会の構造的な変化に対応するために、中央教育審議会は教育のあり方の見直しを行っていた。最終的にまとまった答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」(1999年12月)では、下記のような提言がなされた。
・キャリア教育を小学校段階から発達の段階に応じて実施する必要がある。
・家庭・地域と連携し、体験的な学習を重視する必要がある。
・各学校ごとに目的を設定し、教育課程に位置付けて計画的に行う必要がある。
(文部科学省『小学校キャリア教育の手引き(改訂版)』より)
この答申を受けて、現在に至るまでの20数年間、教育機関ではさまざまな実践が積み重ねられてきた。職場体験をはじめとする勤労観・職業観を育成するプログラムはもちろんのこと、一人ひとりへのキャリア・カウンセリングの導入やキャリア・パスポート(※1)の作成などが小学校の段階から図られている。
※1:「キャリア・パスポート」とは、児童生徒が、小学校から高等学校までのキャリア教育に関わる諸活動について、特別活動の学級活動及びホームルーム活動を中心として、各教科等と往還し、自らの学習状況やキャリア形成を見通したり振り返ったりしながら、自身の変容や 成長を自己評価できるよう工夫されたポートフォリオのことである。(文部科学省「「キャリア・パスポート」の様式例と指導上の留意事項」より)
国語辞典の記述によれば、「キャリア」とは「職業・技能上の経験。経歴」(小学館『デジタル大辞泉』より)のことである。それゆえ、「キャリア教育=職業訓練」との認識も誤りではない。しかし現状をふまえれば、教育機関におけるキャリア教育とは、〈自分らしい生き方を考える場〉としての機能を有しているともいえよう。
そして、日常生活におけるキャリア教育―〈自分らしい生き方を考える場〉―に関していえば、文部科学省がこの用語を使い始めるはるか以前から、絵本というメディアは大きな役割を果たしてきた。
たとえば、本コラムの第2回で取り上げた『ぼちぼちいこか』(作・マイク・セイラー 絵・ロバート・グロスマン 訳・今江祥智 偕成社 1980年)は、自分にとっての適職を探す物語である。
最終ページに記された「ま、ぼちぼち いこか― と いうことや。(原文:and take it easy.)」という言葉は、初めての職場体験に緊張する小学生にとっても、慌ただしい就職活動の毎日をおくる大学生にとっても、励ましのメッセージになりうる。
また、日本語の魅力を再発見させてくれるこの絵本をもとに、言葉とアイデンティティという視点から〈自分らしい生き方〉について思索を深めることも可能なのである。
ブックリスト
第3回のコラムでは、キャリア教育につながる絵本をブックリストの形で紹介していく。これらの作品は、子供だけでなく大人にも、自分自身の生活や生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれるものである。気になった1冊を、ぜひ手に取ってみていただきたい。
『ただいまお仕事中』
(文:おち とよこ 絵:秋山 とも子 福音館書店 1999年)
月刊『おおきなポケット』に発表された連載(1994~95年)に加筆・増補をし、絵本化したもの。内容は、さまざまな職業に就いている人物への取材をベースにしている。
「大きくなったら どんな仕事をしてみたい?」という副題が示すように、教員や医療従事者からモデル、プロサッカー選手まで、28種の職業を見開き2~3ページで紹介。これらの職業は、1980年代~90年代実施のアンケートにあらわれた「男の子、女の子それぞれがやってみたい仕事ベスト10」を中心に選ばれたものである。
巻末には、「職業分類からなくなった仕事」「新しくくわわったり、名称がかわった仕事」のリストや資格に関する説明もあり、職業に関する幅広い知識をこの1冊で得ることができる。
『ただいまお仕事中』を読むにあたっては、この絵本が〈問い〉を立てるレッスンという特徴を持っている点に意識を向けていただきたい。作品の冒頭に置かれた見開きページを例に、少し具体的に述べておこう。
『ただいまお仕事中』は、数十人がひしめく街角を俯瞰した見開きページに始まる 。「みんなどんな仕事をしているのかな? まわりのおとなを、かんさつしてみよう」というキャプションが付いており、ヘルメットを被り図面を持った人物や、幼児から「せんせい つかれた…」と話しかけられている人物が描かれている。では果たして、このページはどのような意味を持ち、読者に何を伝えているのだろうか。
キャプションを参考にすれば、この見開きページは、会話などから仕事を推測させるクイズ―絵本の世界に読者が主体的に参加するための仕掛け―だといえる。また、服装をはじめとする視覚的要素を通して、絵本の内容を概観させるこのページは、インデックスとしての機能を担っているともいえよう。が、それだけでなく、『ただいまお仕事中』を開いた時、最初に出会うこの街角の様子は、読者が実感を伴って、社会という眼には見えないものをとらえるための〈問い〉として大きな意義を有している。
〈自分らしい生き方〉とは、社会において自らが果たす役割を意識的に選択することである。たとえば、『ただいまお仕事中』が伝える職業に関する幅広い知識は、将来に向けてのよりよい選択の手助けとなる。
しかし、個人が社会的存在であるという具体的なイメージが持てなければ、どのような知識も無意味な情報の羅列に変わってしまうだろう。つまり、職業選択というテーマを絵本で描くにあたっては、まず「社会とは何か?」という認識を読者と共有する必要があるのだ。
『ただいまお仕事中』の場合は、冒頭に置かれた街角のページを通して、それぞれの役割を担った個人が、社会という有機体を作り上げていることを描き出す。この視覚的要素は、仕事とは孤立したものではなく、関係性の中で初めて存在しうるものであるとのメッセージを読者にはっきりと伝えている。
本コラムでは第1回から、絵本の視覚的要素に注目し、このメディアの魅力や価値に焦点を当ててきたが、もちろんそれは、『ただいまお仕事中』にもあてはまる。
いま一度述べれば、この作品の視覚的要素は、読者一人ひとりにとって、自らの視点から〈問い〉を立て、〈自分らしい生き方〉について思いを巡らせるためのヒントになりうる。
街角の見開きページは、多種多様な読みを試みるよう呼び掛けてくる。ヘルメットを指さして、「何のお仕事かな?」と子供に問いかけてもよいだろう。人びとが行きかう様子から、社会における個人のあり方を探究することも可能だ。
さらに、「見開きページに描かれていない仕事とは?」という問いを立てれば―「介助者と一緒に車椅子で移動する人」や「ベビーカーを押しながら通勤する人」が描かれていない点などに着目すればー、現代日本におけるバリアフリーや少子化の問題について、考察を深めていくこともできる。特にここで最後にあげた、不在の存在/不可視の存在を示唆することで思考を促すという〈問い〉の立て方は、大人こそが磨くべきスキルなのではないか。
『ただいまお仕事中』の紹介を終えるにあたり、作品に描かれたもう一種の〈問い〉についても少し取り上げておきたい。先に述べたように、『ただいまお仕事中』では28種の職業が取り上げられているが、それぞれの説明にも〈問い〉が巧みに取り入れられている。
一例をあげれば、島津郷子への取材をまとめた「マンガ家」のページには、5つの質問―「どんな子が向いていますか。」「いままででいちばんうれしかったことは?」「もうかりますか。」「こまったことはありましたか。」「もうやめたいと思ったことは?」―が記されている。これらの質問への回答は具体的で、読者に対して憧れの仕事の現実を明確に伝えるものだ。
子供が、自らの力で職業観を育んでいくためには、ある職業に対する憧れが出発点になりうる。しかし、憧れを実現し、〈自分らしい生き方〉に結びつけていく過程では、ポジティブな側面からだけでなくネガティブな側面からも、ある職業を見つめることができる冷静な眼を養わなくてはならない。『ただいまお仕事中』に描かれた〈問い〉のバリエーションは、このようなアドバイスを読者に伝えてくれる。
そして、『ただいまお仕事中』という絵本からのアドバイスは、就職活動中の大学生を含めた大人にも気付きを与えてくれるはずだ。たとえば、企業説明会などで手に入れるべきは、基本給といった公表されている数字などの情報だけでなく、実は、働きやすさや職場の雰囲気といったデータ化されにくい不可視の情報であろう。
見えないものを見えるようにするためには、企業のネガティブな側面をも透視する眼を養い、〈問い〉のバリエーションを身に付けておく必要があるのではないだろうか。
以上、キャリア教育につながる絵本という視点から、『ただいまお仕事中』を紹介してきた。次に、この絵本とあわせて読むことをお薦めする作品を3冊あげておきたい。
『ぼくのママはうんてんし』
(作:おおとも やすお 福音館書店 2012年)
2002年に「看護師」に統一されるまで、性別をもとにした「看護婦」「看護士」という名称が存在していた。またさかのぼれば日本社会において、法律上、看護に関わる国家資格が「女性の資格」として位置づけられていた期間も長い(「参議院法制局 変わる女性の資格」より)。それゆえ、職業における男女平等という考え方が浸透しつつある現在においても、「看護=女性の仕事」というステレオタイプはいまだに強固である。
4人家族の物語である『ぼくのママはうんてんし』は、「のぞむの ママは でんしゃの うんてんし。パパは びょういんに つとめる かんごし。いもうとの あゆみは、のぞむと おなじ かしのきほいくえんに かよっている。」というフレーズに始まる。
育児を分担し、ぞれぞれの職場で〈自分らしい生き方〉を貫く両親の姿は、職業に対するステレオタイプから読者を解放してくれる。
また本書には、母親の誕生日に特別なプレゼントを届けようとする子供たちの奮闘が描かれている。力を合わせて、困難を乗り越えていく姿にも注目していただきたい。
『おかし』
(文:なかがわ りえこ 絵:やまわき ゆりこ 福音館書店 2013年)
『ぐりとぐら』(福音館書店 1967年)の著者による絵本。「ふたごの妹、はることはなこのおにいさん」である「なおき」の生活を通して、「おかし=食」がコミュニケーションツールであるということを伝えていく物語だ。
幼い頃の「なおき」は食べるだけの立場であったが、成長していくにつれ、「おかし」との関り方にも変化がおとずれる。絵本の裏表紙に描かれた視覚的要素―「NAOKI」という文字入りの白衣を着たパティシエ―は、日常的な経験の積み重ねこそが、職業選択につながっていくのだということを読者に教えてくれている。
月刊『たくさんのふしぎ』版(2010年3月)には、この絵本の誕生秘話が付されている。「なおき」のモデルは、「お菓子をつくる人になる」という幼稚園時代からの夢を実現させた、あるパティシエである。フランスでの修行を経て開業した店舗には、自分の名前を付けているという。
『おかし』を読みながら、絵本の主人公が実際に作ったお菓子を食べるといった体験は、日常生活における参加型のキャリア教育にもなるのではないだろうか。
『女の子だから、男の子だからをなくす本』
(文:ユン・ウンジュ 絵:イ・へジョン 監修:ソ・ハンソル 訳:すんみ エトセトラブックス 2021年)
韓国の教育現場で生まれた作品。「世の中を性別でわけて考えることから子どもたちの自由を守る」(「訳者あとがき」より)ために出版された。
このようなテーマを描く場合、ジェンダー平等といった用語が使われる場合も多いが、『女の子だから、男の子だからをなくす本』では「ステキな人になるためには、なにをどうしたらいいんだろう」というように、平易な語り方(翻訳)が採られている。小学3年生以上の漢字にはルビも付されており、本書は、子供がひとりで読んでもキャリア教育―〈自分らしい生き方を考える場〉―となりうる。
翻訳作品ではあるが、職業とステレオタイプをめぐる記述(前掲『ぼくのママはうんてんし』とも重なる要素)をはじめ、日本に生活基盤を持つ読者が共感できる内容となっている。特に「男の子たちへ」と題された章は、子供を育てる立場の方々に一読していただきたい。
「どうどうと負けてもいい自由」や「こわいと言ってもいい自由」があると説く本書の記述からは、子供が日々の生活の中で感じている抑圧を追体験できる。また、〈自分らしい生き方〉を阻み我慢を強いる抑圧が、大人にとっても無関係ではないということに思いが至るはずである。
——以上、今回のコラムでは、キャリア教育につながる4冊の絵本を紹介した。独自の特徴を持ったこれらの作品は、日本の出版文化の豊かさを象徴している。また、それと同時に、絵本というメディアが、日本におけるキャリア教育に寄与してきた歴史の証拠だといえよう。
連載の最後となる第4回のコラムでも、引き続きブックリストの形式を取り、絵本と現代日本社会との接点についてお伝えしたいと考えている。
著者紹介
内藤寿子(ないとう・ひさこ)
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。2010年より駒澤大学に着任。現在、総合教育研究部日本文化部門教授。専門は日本文化。映画や雑誌、絵本など、いわゆる大衆メディアと呼ばれるものを題材に、近現代日本文化および日本社会について考察を行っている。