近年、職場において多様な働き方や価値観がひろがるなかで、国籍、言語だけでなく、宗教文化の違いが日常の業務や働き方に影響を及ぼす場面が増えている。日本では宗教の話題がタブー視されがちであるが、たとえば昼食に何を食べるか、どのような服装をするか、あるいは会議のスケジュールをどう組むかといった些細なことにも、宗教的な価値観が関係してくることがある。
本コラムでは、全4回のシリーズを通して、日本人が職場において知っておくべき宗教の知識について紹介する。第2回となる今回は、食の戒律(宗教上守るべきとされていること)について解説する。
宗教に基づく食の戒律への知識は不可欠に
食べ物への姿勢の違い
グローバル化が進み、外国人を食事に招いたり、一緒に料理店に入ったり、パーティを開いたりといった機会は増えていくだろう。外国人の中にムスリムがいたり、ヒンドゥー教徒がいたり、ユダヤ人がいたりすると、食の戒律にまったく無知であるというわけにはいかない。むろん、事前に聞いておけば済むことが多いとはいえ、基本的な知識があれば思いがけぬトラブルを避けられるし、相手に嫌な思いをさせずに済むかもしれない。
昨今では国際会議に伴うパーティなどにおいては、肉料理の食材が何であるかを明示するやり方が一般的になってきている。豚肉や牛肉、鶏肉などを示すアイコンがそれぞれの料理の近くに表示される。戒律で食べられないものがある人はそれを見て避けられる。
外国人留学生が多い大学であると、学生食堂がカフェテリア方式になっていて、使われた肉が何であるか明示する工夫をしているところもある。カロリーやアレルギーを気にする人のためでもあるが、食の戒律を意識した場合もある。
実は日本の仏教にもある食の戒律
現代日本にはほとんど食の戒律がないと感じる人もいるだろう。健康のため食材を気にしたとしても、宗教的理由で特定の食べ物を避ける人はそう多くはない。だが、「精進料理」があるように、殺生を避ける観念も残ってはいる。江戸時代までは僧侶は肉食(にくじき)を避けるのが一般的であった。
現代では僧侶が焼き肉料理を食べても、戒律を破っているなどとは言われないが、こうなったのは明治以降である。1872(明治5)年に政府が「僧侶の肉食妻帯勝手たるべし」とする太政官布告を出した。それまでは浄土真宗以外は肉食妻帯を禁じられていたのだが、以降すべての宗派で僧侶が結婚し、肉食することが可能になった。
ところで、日本の禅宗寺院の入口には、よく見ると「不許葷酒入山門」と書かれた石碑が建っていることがある。「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と読む。臭いの強い野菜や酒を寺に持ち込むことを禁じている。少し詳しく述べると五葷(ごくん)と呼ばれる禁じられた臭いの強い野菜があり、具体的にはニンニクやタマネギ、ネギ、ニラ、ラッキョウを指す。修行の妨げになる食べ物を避けていると解釈していいだろう。
仏教徒すべてが肉食を避けてきたわけではない
一般に仏教の僧侶は肉食をしないと思っている人もいるが、僧侶が肉食を避けるようになったのは中国仏教の影響である。初期仏教では肉食が禁じられていたわけではなく、ブッダもお布施でもらった肉を食べていたことが知られている。ただ中国や台湾、韓国など一般衆生の救いを重視する大乗仏教(北伝仏教とも)が広がった東アジアの国々では、肉食を避ける戒律が広がり、それを守っている僧侶が多い。
決められた多くの戒律を守ることを重視する上座(部)仏教(南伝仏教とも)の僧侶は、一定の条件のもとで肉を食べることが認められている。具体的には、
- 僧侶がその動物を殺すところを見ていない
- 僧侶への布施のために殺されたものとは聞いていない
- その僧侶のためにわざわざ殺されたという疑いがないという条件である。
これを満たしたものは「三種浄肉」と呼ばれる。上座部の僧侶を会食に招く機会などは滅多にないだろうが、一応知っておいた方がいい。
知られるようになったイスラム教のハラールの概念
ハラール概念が日本で知られるようになったのは比較的最近
イスラム教の食の戒律を理解しようとするときは、ハラール(あるいはハラル、イスラム教において許されているもの)という概念が非常に重要になる。この言葉が日本で広く知られるようになったのは2014年頃である。私がセンター長を務めている宗教情報リサーチセンターでは、宗教記事データベースを構築している。新聞・雑誌からクリッピングされた主要な宗教記事を検索できるようになっている。
このデータベースで調べてみると、2010年から2012年までは、ハラール(あるいはハラル)の語を含む新聞記事等の数が1年間に数十件であったのが、2013年に127件、2014年に288件、2015年に266件となっている。以後やや減少するが、この記事数の変化から、2014年前後にハラールの概念が日本社会で急に注目されるようになったと推測できる。
ハラールとハラーム
ハラールは食べ物だけに関わる概念ではない。「許されたもの」といった意味で、食べていいものだけでなく、行為一般についての概念である。反対に許されていない、つまり禁じられたものがハラームである。飲酒や賭博などはハラームに当たり、ハラームに当たる行為をした場合は罰せられることになっている。どう罰せられるかは一律ではないが、ともかく強く禁じられたことである。
ただ、禁じられていないといっても、礼拝や断食など義務とされること、推奨されること、どちらでもいいこと、離婚や避妊など禁止されないが望ましくないことといった区別がある。食べ物に関してはむしろハラームを知っておいた方がいい。飲酒と豚肉はハラームと、とりあえずは肝に銘じておきたい。
ハラール食品を入手する方法を知っていた方がいい職場もある
ハラール食品やハラールレストランといった言葉も広がっている。ハラール食品であることを認証するのがハラール認証で、多くの認証団体がある。世界で300以上、日本でも30以上の認証団体がある。日本でもアラビア語でハラールと書かれているのは共通するので、日本にいるムスリムはそれを確認して食材を買う。また数は少ないがハラールレストランもあり、そうした料理店ではムスリムも安心して注文することができる。
ムスリムが多く集まるような会議やパーティを開く機会があるかもしれないような職場にいたら、ハラール食品を売っている店や、ハラールレストランのいくつかを知っておくと便利だろう。個人的には福岡モスクでハラール料理をご馳走になったり、デリバリーでハラールフードを頼んだりした経験は何回もあるが、いずれも美味しかった。
ヒンドゥー教徒の食の戒律は意外に複雑
日本在住のヒンドゥー教徒も少しずつ増えている
日本に在留するネパール人の数はどんどん増えている。法務省出入国管理庁の統計を見ると、2024年6月末時点で国別では第6位になっていて、206,898人である。またインド人は13位で51,345人である。インドやネパールはヒンドゥー教徒が多数を占める地域である。
インドもネパールもヒンドゥー教が約8割だが、その他の宗教の信者も一定数いる。インドにはイスラム教徒も14%余りいる。絶対数でいえば約2億人にのぼる。またシーク教徒も2%弱いる。ネパールには仏教徒やイスラム教徒などがいる。
ただ日本で働くネパール人やインド人の大半はヒンドゥー教徒なので、まずはヒンドゥー教徒の食の戒律の基礎知識を持っておくに越したことはない。
牛は神聖視されてきた
ヒンドゥー教徒は牛肉を食べない。これはイスラム教徒が豚肉を食べないのとは少し理由が異なる。イスラム教では豚は汚れた動物であったが、ヒンドゥー教では牛は神聖な動物である。インドでは牛が神聖視され、乳だけでなく尿や糞も大切にされる。
ヒンドゥー教には五酪(パンチャガヴィヤ)と呼ばれるものがある。牛乳やヨーグルト、ギー、尿、そして糞である。尿は薬として用いられることもある。新型コロナ感染症が世界的に流行していた2020年3月にヒンドゥー至上主義者の一部が、牛の尿を飲むと感染症に効果があると主張し、SNS上で広がる出来事があった。日本人の感覚からすれば仰天の主張だが、牛に対するヒンドゥー教徒の感覚ではそうではないと考えられる。
日本ではこうしたことまで考慮しなくていいだろうが、たとえばインドに勤務することになったら、知っておいた方がいいことになろう。
ベジタリアンが多い
ヒンドゥー教徒は牛肉を食べないだけでなく、ベジタリアンがけっこういる。これは輪廻の観念と関係があるとされている。現世で人間として生きていても、過去世では人間でなかったかもしれない。あるいは過去に人間であった人間が現世で動物になっているかもしれない。極端な話で言えば、飼っている羊が死んだ祖父かもしれない。そんな考えも影響しているようである。
一般的にカーストが上になるほどベジタリアンが多いとされる。カースト制度は法的には廃止されたものの、社会的な通念としては存続している。とくに農村部では色濃く残っているとされる。これもインドで働く場合に心に留めておくことに入ろう。
ヒンドゥー教徒のベジタリアンは、何を避けるかにいろいろなタイプがある。たとえばベジタリアンでもネギ・ニンニク類は欲望を高めるとして食べなかったり、根菜は植物の本体と考えて食べなかったりする人がいる。乳製品はおおむね食べる。
インドで生活するときは、少し詳しく知っておいた方がいいだろうが、日本でヒンドゥー教徒を食事に招いたり会食したりするような場合は、あらかじめ食べられないものを聞いておくのがいい。
ユダヤ教のコーシャについての知識も必要な国もある
もっとも複雑な食の戒律を持つユダヤ人
ユダヤ教の食物規定はカシュルートといい、その規定に沿った食べ物がコーシャである。その規定の内容は他の宗教の場合に比べると、格段に厳格でかつ複雑である。規定の根拠は聖典であるヘブライ語聖書の「出エジプト記」「レビ記」「申命記」などに具体的に記述されているので、戒律の内容が変わりにくい。
主な具体例をあげる。地上に住む生物のうち、蹄(ひづめ)が分かれていて反芻(一度飲みこんだ食物を再び口中にもどし、よくかんでから飲み込むこと)する動物は食べていい。牛や鶏はこれに当たるから食べていい。ラクダやウサギは蹄が分かれていないので食べてはいけない。豚は反芻しないので食べてはいけない。
海に住む生物のうちウロコとヒレを持つ魚は食べていいので、多くの魚は食べていい。しかし貝類は食べていけないし、ウナギはウロコがないとみなされ食べてはいけない。
ただし料理法は時代とともに変わるので、聖典に記載されている規定がどう適用されるかについては、これまでもラビの解釈に従うなどしてきた。たとえば、「子山羊をその母の乳で煮てはならない」とあるが、世界各地で販売されているチーズバーガーを食べないユダヤ教徒がいる。牛肉と牛乳が原料として用いられているとみなしてのことである。
「子山羊をその母の乳で煮てはならない」とする戒律を「親と子を一緒に料理したものは食べない」と解釈すると、親子丼も避けた方がいいことになる。鶏と卵が一緒に料理されているからである。
ユダヤ人も派により考え方には大きな差
ユダヤ教にはいくつかの派がある。一般的には改革派、保守派、正統派、超正統派に分けられる。また宗教的戒律に従わないユダヤ人を世俗派と呼んだりする。世俗派であれば食の戒律も関係なくなるが、超正統派であるときわめて厳格に守る。ただし、超正統派の人たちと日本で出会うことはまずない。
ユダヤ人は世界の人口でいうと、ムスリムの100分の1以下である。日本でも滅多にお目にかからない。だがニューヨークに行けば、おおよそ1割がユダヤ人と言われている。コーシャレストランもいくつかある。その1つに入ったことがあるが、店にはコーシャ認証の張り紙があり、中にいたお客は皆ユダヤ人だったと思われるが、キッパと呼ばれる帽子をかぶって食事をしていた。
ユダヤ人の食の戒律は、日本国内ではほとんど気にする機会がないと考えられる。だがとくに米国に行ったらそうでもなくなる。国外勤務がありうる職に就いた場合は知っておいた方がいいことである。
食の戒律に出会う機会の増加
モルモン教の食の戒律
キリスト教徒であると通常は食の戒律は気にしなくていいが、19世紀前半に米国で形成された末日聖徒イエス・キリスト教会(一般にはモルモン教と呼ばれる)の信者の場合だと、食の戒律を厳格に守る人が多い。アルコールを飲まないし、コーヒーや紅茶も飲まない。
モルモン教徒は米国で2%ほどを占めるが、日本にも公称で10万人以上の信者がいる。戸別訪問で勧誘していた時期もある。日本に住むムスリムとモルモン教徒の数で考えると、ムスリムに出会う確率の半分ほどになるが、一応知っておいた方がいいだろう。
ジャイナ教徒は厳しいベジタリアン
ジャイナ教は古代の宗教と思っている人もいるようだが、現代世界には数百万人の信者がいる。多くはインドに住んでいるので、インドから日本にやってくる人の増加につれ、少数とはいえジャイナ教徒も来日している。神戸にはジャイナ教寺院がある。ジャイナ教徒は「不殺生戒」を厳しく守る人が多いので、基本的にベジタリアンだと考えていい。
まとめ
ここまで各宗教ごとに食の戒律を説明してきた。仕事などで国外で生活するときには、その国の主要な宗教の食の戒律は否応なく知らなければならなくなることがある。
だが、グローバル化の進んだ現代において国内の職場でも、食の戒律を重んじる人と食を共にする機会がますます増えると考えられる。今回の記事を参考に食の戒律への関心と知識を養うきっかけとしていただきたい。