近年、職場において多様な働き方や価値観がひろがるなかで、国籍や言語だけでなく、宗教文化の違いが日常の業務や働き方に影響を及ぼす場面が増えている。日本では宗教の話題がタブー視されがちであるが、たとえば昼食に何を食べるか、どのような服装をするか、あるいは会議のスケジュールをどう組むかといった些細なことにも、宗教的な価値観が関係してくることがある。
本コラムでは、全4回のシリーズを通して、日本人が職場において知っておくべき宗教の知識について紹介する。最終回である今回は宗教文化の中に織り込まれている習慣や習俗の基本的な違いに気付くことの大切さについて触れる。
これらは特定の宗教の戒律や教えとして守られているわけではないので、宗教的意味があるとは感じられにくい。年中行事や人生儀礼、あるいは何気ない行動パターンといったものに織り込まれているため、宗教的要素があまり目立たない。
当人もそれらが宗教性を帯びているとはさほど感じていない。しかしながら、無意識に実践していたことが、異なった社会状況や文化状況に置かれることで、実は自分が自然と育んできた宗教的価値観に気付いたりする。それゆえ、今までやっていたことに奇異の目を向けられたり、やりにくい状況に置かれたりすると、ストレスが生まれやすくなる。宗教文化の相互理解と言うが、実はこの点がなかなか気付きにくい。
今回は、暦や言葉、シンボルマークなどを取り上げるが、多くの宗教的、文化的背景を持った人たちが働くような職場では、こうしたことにも配慮するようになると、奥行きの深い多文化共生の手助けになるだろう。
旧暦と新暦
旧正月を祝う東アジアの国々
日本の正月は太陽暦(グレゴリオ暦)によって祝うが、韓国、中国、台湾、ベトナムなどは旧暦での祝いの方が盛大である。旧正月は韓国ではソルラル、中国や台湾では春節、ベトナムではテトと呼ばれている。
東アジア出身の人たちが同僚にいたら、本国に帰って家族で正月を祝う時期は、日本とは異なることを頭に入れておいた方がいい。旧正月は年によって多少前後するが、おおよそ太陽暦の正月から1か月ほどの遅れがある。だいたい1月下旬から2月中旬の間になる。ちなみに旧暦の元日は2025年は1月29日であったが、2026年は2月17日である。
日本がグレゴリオ暦を採用したのは1873年
日本は現在グレゴリオ暦という太陽暦を採用しているが、グレゴリオ暦に従って1年のリズムを刻むようになったのは、1873(明治6)年のことである。
旧暦による明治5(1872)年12月3日が、新暦による1873年元旦となった。つまり明治5年はほぼ11か月しかなかったことになる。この変更は突然になされたが、その理由には財政問題が絡んでいたとされる。
明治新政府はヨーロッパにならっていずれグレゴリオ暦に変えるつもりでいたが、1873年からの変更は急遽決定された。すでに旧暦での明治6年のカレンダーも出来上がっていた11月になって、突如改暦の詔書が出された。
旧暦は太陰太陽暦であったので、1か月は月の満ち欠けに従い、1年は太陽の運行を基準にした。だから毎月15日はいつも満月であった。12か月を1年とすると、太陽暦に比べて1年が11日ほど短くなる。それで2~3年に1回(平均して19年に7回)は閏月を加えて調整し、季節が大きくずれないようにした。この点が純粋な太陰暦であるイスラム暦との違いである。
明治政府の強引な改暦の理由
旧暦のままであったなら、明治6年は閏月を設けなければならないことが分かったが、これが大問題であった。江戸幕府の俸禄は年ごとに決められていたが、明治政府は明治4年に月給制を導入していた。閏月があるから明治6年には、13か月分の給与を支払わなくてはならない。財政がひっ迫していた政府はこれを避けるべくグレゴリオ暦を急遽導入したのである。
1873年から1年は常に12か月になった。政府はおまけに明治5年12月分の給与も支払わないことにした。余談だが、辻褄を合わせようと、明治5年12月1日、2日を、それぞれ11月31日、32日とする案を出す人もいたという。
旧盆と新盆
グレゴリオ暦を導入したことで、旧暦に従って行なわれていた年中行事にも一部混乱が生じた。従来通り旧暦に従うか、新暦によるかである。それが今でも尾を引いているのは、旧盆と新盆の並立である。
会社などのお盆の休暇は8月であり、帰省ラッシュになる。ところが僧侶によるお盆の棚経(たなぎょう)は、7月の新盆に行なう地域と旧盆の8月に行なう地域がある。棚経とは僧侶が檀信徒の家に行って経を唱える恒例の仏教行事である。
東京は新盆が多く、その他の地域では旧盆が多いのがおおよその傾向であるが、新盆か旧盆かは地理的にかなり入り組んでいる。それぞれの地で複雑な事情が関与したようである。
こうした違いに対しては「郷に入れば郷に従え」のようなやり方で対応している人が大半と思われるが、これが国による違いとなると、事前の知識も必要になる。
クリスマスについての留意点
宗教行事である人とそうではない人
クリスマスは、イースター(復活祭)、ペンテコステ(聖霊降臨祭)と並んでキリスト教の3大行事のひとつである。日本ではキリスト教徒は全人口の1%程度だが、クリスマスは今や多くの日本人が楽しむ年中行事になっている。それゆえ深く考えないで「クリスマスを祝う」と言ったりするが、多少は気を使った方がいい場合がある。
米国では「メリー・クリスマス」ではなく「ハッピー・ホリデー」を使う人が増えている。ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性、政治的公正さ)の影響があったと言われる。特定の宗教行事を特別扱いしないといった意識になろうか。
その一方でイスラム教徒が多い国でも、クリスマスを宗教行事とは見なさないものの、イベントとして楽しむ人もいる。イスラム教ではイエス・キリストも預言者の1人として位置付けられている。その生誕を祝うことに抵抗感は少ないようだが、イエスを神の子と見なしてはいないので、その点は注意が必要である。
グレゴリオ暦とユリウス暦
西欧ではクリスマスはどの国でも同じ日に祝うかというとそうではない。ロシアをはじめとするオーソドクス(東方正教会)が主流である国の多くは、太陽暦でもユリウス暦を採用している。
ユリウス暦はグレゴリオ暦からほぼ13日遅れる。クリスマスが12月25日であることは同じだが、ユリウス暦の12月25日はグレゴリオ暦だと1月7日になる。つまり同じ日に祝われてはいないのである。
なお、ウクライナは以前はユリウス暦であったが、2023年から修正ユリウス暦を使用し、西暦と同じ日にクリスマスを祝うようになった。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻が関係しているとされる。
日本ではこうした事情はほとんど知られていないが、欧米で働くことになった場合は、こうしたクリスマスの違いはわきまえておいてもいいだろう。
日常生活の中のタブー感覚
吉凶禍福
吉凶禍福とは吉事と凶事、あるいは禍(わざわい)と福が、人生にはつきものであることを示す四字熟語である。中国の古典には「禍福は糾(あざな)える縄の如し」ということわざがあり、禍福は交互にやってくるといった考えを示している。
東アジアは吉凶感覚が強い文化圏と言えるが、非常に気にする人と、そうでもない人がいる。おみくじで吉と出れば嬉しい。凶と出れば少し落ち込む。たいていの人はそうである。おみくじであれば、引いた人の責任だが、相手に投げかけた言葉が気分を害するとなると、そうは済まされない。
職場に中国、台湾、韓国、あるいはベトナム出身者がいる場合、注意が必要である。これらの国々は古くは漢字文化圏に属していた。漢字の読みに吉凶の意味が担わされる場合がある。
文字の発音からの連想
中国人の同僚に置時計はプレゼントしない方がいいとされる。時計を贈るという意味の中国語(送鐘)の発音が死者を弔う意味の語(送終)に似ているからである。だが腕時計は別の字になるので問題ない。また梨を贈るのも避けた方がいいとされる。「梨」が「離」を連想させるからである。
日本では何かを選ぶとき、4と9を避ける人がいる。4が「死」に、9が「苦」に通じるという考えからきている。それゆえ、4号室を設けないとか4番をなくすといったやり方をとることがある。
韓国でも4は死を連想させるので、贈り物をするときは4個のセットにならないように注意した方がいい。発音がいずれも「サ」(死という単語と同じ発音ため)であるからである。
忌み詞(言葉)の文化
日本には古くから忌み詞(いみことば)と呼ばれるものがあった。死ぬとか無くなるというのが不吉なことの代表格である。不吉なことを連想させる言葉を避けるようになるのだが、不吉なことを連想させる語を使わないだけでなく、逆の良い意味の語に言い換える方法が流行るようになった。
よく言われてきた例を2~3挙げてみる。スルメの「摺(す)る」を避けて「アタリメ」と呼ぶ。良い意味の「当たり」に言い換えるのである。同様にすり鉢を「あたり鉢」と呼ぶ。猿の「去る」を避けて「エテ公」と呼ぶ。「得る」にしてしまう。梨の「無し」を避けて、「アリノミ」と呼ぶ。「有り」にしてしまう。
左手を避ける
右と左の使い分けを気にしなければいけない宗教文化がある。ヒンドゥー教やイスラム教では、食事のときや物の受け渡しのとき、あるいは握手などのとき、左手を使うのを避ける。左手は不浄であるとする観念による。食事は右手、排泄時の処理は左手と使い分けてきた。
日本人も握手は基本右手であるし、食事の箸も右手が普通である。最近はこだわらない人も増えているが、これらは礼儀作法、マナーとして教えられることが多い。
礼儀作法として右手を使うのと、不浄観念に基づいて右手を使うのでは、意味合いが少し異なる。それゆえヒンドゥー教徒やイスラム教徒と握手する場合は必ず右手でするようにする。日本人同士でもたいてい右手で握手するからさほど問題はなかろうが、右手にこだわる意味が異なることを心得ておきたい。
浄・不浄の観念は文化ごとに異なる
血液は人間の生存に必須のものだが、それが体外に出た場合に不浄ないし穢れと見なす宗教文化がある。日本でも古くは女性の生理による出血を穢れと見なした。今でも生理中の女性は神社に参拝してはいけないなどと主張する人がいる。
ユダヤ教は血の穢れについてはもっとも厳しい宗教と言える。女性は出産や生理のとき、穢れの状態にあると見なされる。ヘブライ語聖書には、生理中の女性は7日間穢れた状態にあると明記してある。
ただユダヤ人も正統派、保守派、改革派など、戒律へのスタンスは異なる。米国などに多く住む改革派だと、生理中の女性を穢れた状態と見なさない。
イスラム教徒は猫が好きで猫カフェは好まれる。預言者ムハンマドは猫が好きだったからという。ところが犬は不浄な動物と見なされて遠ざける。犬好きの英国人にとっては怒りたくなるような感覚であろう。
個々の動物に対する不浄・穢れの観念の相違を見ても、これはまさに文化的産物である。理由づけはいろいろなされているが、合理的な根拠があるわけではない。清潔にすることは衛生的な観点からの理由付けがあるが、穢れとしてしまうことに関しては、文化的な違いに根差すと捉えるしかない。
シンボルマークも、ときに注意を要する
卍のマーク使用に対して起こった議論
地図記号で神社は鳥居のマークを用い、寺院は卍のマークを用いる。しかし、21世紀に入り、寺院のマークを卍から別のものに変えた方がいいとする議論が起こった。ナチスドイツが用いた「ハーケンクロイツ(鉤十字)」を連想させるという理由である。結局寺院のマークは変更されなかった。
日本少林寺拳法では、拳士たちはかつて道着の左胸に卍のマークを付けて、練習したり試合に臨んだりしていたが、2000年代にこれを「双円」のマークに変えた。国際的な広がりにふさわしいことを目指したとされる。変更の理由はいくつかあるようだが、ハーケンクロイツの連想を避けることも関わっていたのは確かである。
卍とハーケンクロイツの混同は誤解に基づいているとはいえ、企業が国外向けの案内に仏教のシンボルマークを描きたいと考えたときには、法輪のようなマークを使うのもひとつのやり方である。
十字軍の評価はキリスト教とイスラム教で真逆
日本では十字軍は肯定的な響きを持っている。1960年代にはザ・フォーク・クルセダーズという音楽バンドがあり、人気を博した。クルセダーズすなわち十字軍が日本で肯定的に捉えられるのは、近代以降、西欧キリスト教文化に馴染んできたからである。
これに対して、イスラム圏の人びとにとっては、十字軍はいわば悪魔の象徴である。2001年9月11日に米国で起こった同時多発テロのあと、当時のジョージ・ブッシュ大統領はテロとの闘いを宣言した。
その際に「この十字軍(クルセード)、このテロ行為に対する戦争は、時間をとることになるだろう。」と述べた。批判を受けて取り消したが、十字軍に対する受け止め方が、西欧とイスラム圏で正反対であることが頭になかったに違いない。
赤十字と赤新月
白地に赤い十字のマークは赤十字社のシンボルである。しかし十字がキリスト教の十字軍を連想するとしてイスラム諸国は別のマークを使うようになった。白地に赤色の三日月を配した識別マークは赤新月(せきしんげつ)と呼ばれ、これを用いる組織は「赤新月社」と呼ばれる。
名称は違っても活動目的は同じであるから、赤十字社、赤新月社などは国際赤十字社の名のもとに連携して活動を行なっている。
赤新月を用いる国は中東にほぼ集中しているが、マレーシア、バングラデシュ、ブルネイなど東南アジアの国にもある。マークの違いだけなので、それを知っていれば緊急の場合の対処に惑うことが少なくなる。
むすび
以上のように、日常生活に織り込まれた宗教的なタブー、避けた方がいい言葉や行動などはなかなか多様である。職場において多くの場合は、知らなくてもさほど人間関係に悪影響はないと思われる。ただ冠婚葬祭のような儀礼の場、パーティなどの会合や贈答の機会があったときには、やはり宗教によっては気を使うことを心がけたい。
食べ物や服装などに関する明確な戒律、行動規範とともに、こうしたものもグローバル化が進む時代には配慮の心を育むのが好ましい。人間関係に意図せざるトラブルを生まないようにすることにつながる。
誰もが、生まれたときから自然に身につけた文化は大事にしているのだという、当然のことに対する配慮を失わないことを根底に置いて考え、行動することを心がけておきたい。
井上順孝(いのうえのぶたか)
1948年生。東京大学大学院中退、東京大学助手、國學院大學教授を経て、現在國學院大學名誉教授/博士(宗教学)/(公益財団)国際宗教研究所・宗教情報リサーチセンター長/宗教文化教育推進センター長/アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員/元「宗教と社会」学会会長、元日本宗教学会会長
主な著書に『認知宗教学から見る現代宗教』法藏館 2025年/『神道の近代――変貌し拡がりゆく神々』春秋社 2021年/『グローバル化時代の宗教文化教育』弘文堂 2020年/『世界の宗教は人間に何を禁じてきたか』河出書房新社 2016年/『本当にわかる宗教学』日本実業出版社 2011年 など