なぜ転職を視野に入れるのか
転職を視野に入れてキャリアを捉える意識が広がっている。マイナビ転職活動実態調査(2025年)では、転職活動を行う人の姿勢や意欲には濃淡があり、様々にキャリアを思い描く様子がうかがえた。
だが、転職をして新たな環境を築くことの負担は決して小さくない。たとえ転職せずとも、転職活動をすること自体にも大なり小なりの資源を要する。自身の能力やキャリアの希望を照らし合わせながら、条件と一致する転職先の候補を見つけ出し、多くの場合は書類審査や面接などの選考を経験する。このプロセスも容易に行えるものではなく、とりわけ働きながら転職活動をするとなると労力を費やす。
なぜ負担にもなり得る転職を視野に入れてキャリアを捉えるのか。背後にある働く人の心理、そして不確実時代におけるキャリアの捉え方を考える。
曖昧さに対する備え
転職は組織やキャリアの境界を越えることを意味する。慣れた空間(それが本人にとって良いか悪いかは別として)を手放し、新たな空間における自己を構築するプロセスを経験しなければならない。
転職の文脈に限らず新規参入者が組織に加わり適応するプロセスを組織社会化というが、組織社会化には「歴史」「言語」「政治」「人々」「目標・価値観」「業務遂行能力」という6つの学習内容があることが先行研究で示唆されている(Chao, O’Leary-Kelly, Wolf, Klein & Gardner,1994)。 【図1】
| 歴史 | 組織のそれまでの伝統や歴史 |
| 言語 | 組織ならではの専門用語や略語 |
| 政治 | 組織で影響力のある人物や政治的事柄 |
| 人々 | 組織における同僚や仲間、ネットワーク |
| 目標・価値観 | 組織の価値観と自己の価値観の一致性 |
| 業務遂行能力 | 組織で求められる仕事の要領、技能 |
【図1】組織社会化の学習内容 ※Chao, O’Leary-Kelly, Wolf, Klein & Gardner(1994)をもとにマイナビ作成
つまり、新しい組織に入るということは、技能だけではなく、組織文化や形式知化されていない社内の諸事情に対しての順応も求められる。中途採用者は新卒採用者に比べて、すぐに能力発揮や成果を求められることも珍しくない。だとすれば、新しい組織に入る労力は決して小さくないだろう。
それでも多くの人が転職を望み、転職することを前提とせずに活動している。そこには将来のキャリアに対する「曖昧さへの備え」の意識があるのではないだろうか。一つの組織での安定したキャリアが保証されているとは言えず、人生における働く期間が長期化する中で、自分が何歳まで働き続けなければならないのかも見通しづらい。
不確実性が高い時代だからこそ、現在所属する組織や現在のキャリアの課題だけでなく、組織外にも目を向けながら、長期視点で自身のキャリアを捉える意識が広がっていると考える。【図2】
【図2】イメージ図:曖昧さへの備えの意識とキャリアの捉え方
サステナブルキャリアとの重なり
デジタル技術の急速な発展や経済のグローバル化により、あらゆる産業や仕事の勃興・衰退のサイクルが短期化し、仕事・スキルの価値が変化している。このような時代の不確実性を背景として生まれたのが、キャリアの持続可能性を重視する「サステナブルキャリア(sustainable careers)」である(Van der Heijden & De Vos,2015)。
De Vos et al.(2020)が提唱する理論モデルではサステナブルキャリアを構成する次元として3つが挙げられている。【図3】
| 成果 | 健康 | 肉体的健康、精神的健康、心理的ウェルビーイング |
| 幸福 | 主観的キャリアの成功、主観的キャリアの満足感 |
| 生産性 | 現在・将来の仕事の成果、エンプロイアビリティ |
| 次元 | 個人 | 個人を中心とし、キャリアに対する主体性や個人の価値観を重視する |
| 文脈 | 職場、労働市場、家庭、地域など幅広い環境との相互作用に着目する |
| 時間 | 時間経過に伴う個人・環境の変化を前提として長期視点で捉える |
【図3】De Vos, A., Van der Heijden, B. I., & Akkermans, J. (2020)をもとにマイナビ作成
一つは「個人」。個人をキャリアの中心と捉え、個人が外部環境との関係性の中でどのように行動するか、その行動に対してどのように意味付けを行うかを重視する。
二つ目は「文脈」。これは、キャリアを個人単体、個人と組織の関係としてではなく、職場・労働市場・家庭などの幅広い文脈の中で捉えることを意味する。
三つ目は「時間」。個人や環境は時間経過とともに変化することを前提とし、キャリアを一時点の静的なものとしてでなく、長期的かつ動的なものとして考えるアプローチである(De Vos et al.,2020)。 3つの次元をベースとして、健康・幸福・生産性の3つの成果がバランス良く実現されることを重視する。
次のような例で考えてみる。組織での仕事に没頭することは、ワークキャリアにおける短期的な充実感に繋がる半面、ライフ的な視点では仕事以外の趣味や家庭に費やす時間、現在から将来にわたる健康を損なう恐れがある。反対に、私生活ばかりを重視した仕事スタイルは、ライフキャリアの幸福やゆとりに繋がる一方で、ワーク的観点では個人の仕事の幅を制限したり、スキル面での市場価値向上や組織における昇進の機会を妨げたりする要因にもなり得る。
このように、今だけでなく将来も、特定の組織における個人だけでなくさまざまな文脈における個人の影響も考慮しながら持続可能性を実現していくことが、サステナブルキャリアが目指すところだ。
サステナブルキャリアの動的で幅広にキャリアを捉える考え方は、将来のキャリアや組織外のキャリアにも目を向けて転職活動を行う人たちの「曖昧さへの備え」の意識とも重なる。ともすれば、転職活動の実態から見えた、将来や外界にまで視野を広げてキャリアを描こうとする意識は、不確実な時代における理にかなったキャリアプランニングの一つと見ることもできる。
不確実時代の安定とは
また、「曖昧さへの備え」を別の角度から見れば、新たな組織に飛び込む転職という挑戦的な行為を行っているが、実は、時間的・文脈的なキャリアの全体性の中で持続的な安定を求める防衛的・保身的な姿勢であるという見方もできるのではないか。
「安定志向」はかねてから新卒学生の就業価値観として定番化している。安定の対象はさまざまだが、組織の業績や事業の社会的需要が下振れしないこと、あるいは、組織に所属する自身の環境変化が小さかったり変化があっても見通しが立ちやすかったりすることが含意されているであろう。
しかし、「曖昧さへの備え」に含まれる安定志向は少し毛色が異なる。具体的には、自身や社会が変化することを前提として、あらゆる変化が起こったときにキャリア全体への影響を最小化し、振れ幅を小さくすることであると考える。
例えば、会社が傾いたとき、組織に求められる役割が変わったとき、思うように待遇が向上しないとき、結婚して生活リズムが変わったとき、育児に重きを置きたいとき、学び直しをしたいとき、体力的理由から仕事をセーブしたいとき…。こうした変化があった際に、自らの置かれた環境や資源の配分先を変えることで、キャリア全体の安定と平穏を保とうとする姿勢ではないかと考える。
このように、安定を、組織に身をゆだねることで実現しようとするのではなく、様々な状況に合わせて変化しながら自律的に獲得しようとする意識もうかがえる。これもまた、不確実時代のキャリアの捉え方の一面ではないだろうか。
転職を視野に入れる意義
転職活動の実態を紐解いてみると、転職活動に対するスタンスには濃淡があり、必ずしも転職実現や早期の転職を前提とせずに転職活動を行うパッシブ(控え目)な側面が見えた。また、転職することでキャリアの前進を期待するポジティブな視線があり、個人にとって転職が身近なキャリアの選択肢になっている可能性もうかがえた。
転職するかしないかは別として、また、転職活動に対する考え方や姿勢がどうであれ、転職を視野に入れてキャリアを捉えることは持続可能性の観点でメリットがあると思う。
例を挙げると、転職活動を通じてキャリアに関する希望や自身の強みが整理されたり、新たに見つかったりする機会が生まれる。組織の外の世界に触れることでこれまで知らなかった仕事や働き方を知ることに繋がるかもしれないし、逆に、当たり前と思っていた組織の特徴を魅力として再認識することもあるだろう。
また、選考を受ける中で、自身の社会における立ち位置や、更なるキャリアの充実に必要な要素が見つかる可能性もある。これからのキャリアを支えるヒントがあるかもしれない。それもまた転職活動を行う一つの意義であろう。
キャリアリサーチLab研究員 宮本 祥太
【参考文献】
Chao, G. T., O’Leary-Kelly, A. M., Wolf, S., Klein, H. J., & Gardner, P. D. (1994). Organizational socialization: Its content and consequences. Journal of Applied psychology, 79(5), 730.
Van der Heijden, B. I., & De Vos, A. (2015). Sustainable careers: Introductory chapter. In Handbook of research on sustainable careers (pp. 1-19). Edward Elgar Publishing.
De Vos, A., Van der Heijden, B. I., & Akkermans, J. (2020). Sustainable careers: Towards a conceptual model. Journal of vocational behavior, 117, 103196.
マイナビでは『サステナブルキャリア』の考え方をもとに、より実践的な表現で説明した「つむぐキャリア」という考え方を提唱している。