ベトナムの経済成長と労働市場の変化:アジアの新たな成長
目次
はじめに
ベトナムというとどういうイメージがあるだろうか?ホーチミンやホイアン、ハロン湾などは日本人にとっても人気の観光地であり、どちらかというと旅行先のイメージが強いかもしれない。実際、ベトナムは外国人観光客に対するビザ政策を緩和し、訪れやすい環境を整えたり、空港や道路、ホテルなどの観光インフラの整備に力をいれたりしている 。
しかし、ベトナムは近年、急速な経済成長を遂げており、観光地としてだけでなく、アジアの新たな成長エンジンとして注目を集めている。
本稿では、ベトナムの経済成長の背景とその重要性や新興産業の台頭、労働市場の変化、そして今後の展望と課題について解説する。特に、ベトナムの経済成長がどのように新興産業を生み出し、労働市場に影響を与えているかを探る。
本論に入る前に、まずベトナムの概要をまとめる。
ベトナムの概要
国名 | ベトナム社会主義共和国 |
首都 | ハノイ |
言語 | ベトナム語 |
面積 | 約33万平方キロメートル *日本の約88% |
人口(ベトナム統計局) | 1億987,686人(2024年中間発表) |
民族 | キン族が約90%、他、53の少数民族 |
宗教 | 仏教、キリスト教、イスラム教、カオダイ教等 |
体制 | 社会主義志向の市場経済、共産党一党制 国家スローガンは「独立、自由、幸福」 |
1人当たりGDP(2023年) (JETROビジネス短信 ) | 4,284.5ドル(前年より160ドル増相当と推定される) *GDP成長率は5.05% |
次にベトナムと日本の関係についてまとめる。
ベトナムに拠点を置く日系企業の数 (海外進出日系企業拠点数調査(外務省)) | 2023年10月1日時点で2,394社 *アジアの中では中国、タイ、インド、韓国に継ぐ数の多さ。 |
ベトナムにおけるODAの実績 (政府開発援助(ODA) 国別データ集 2023(外務省) ) | 439.59百万ドル(支出総額ベース) 日本が第1位(2位:フランス、3位ドイツ、4位:米国、5位:韓国) |
在留邦人数(2023年10月1日時点) (海外在留邦人数調査統計(外務省)) | 18,949人(対前年比-13.2%) |
在日ベトナム人の数(2023年12月時点) (在留外国人統計(出入国在留管理庁)) | 565,026人(中国に次いで2番目に多い) |
このように、各種の指標で見ると、ベトナムは日本にとって観光地としてだけではなく、経済的にも社会的にも関係が深いことがわかる。
ベトナムの経済成長の現状
ベトナムは近年、急速な経済成長を遂げており、その成長率は世界でもトップクラスである。先述したように、2023年のGDP成長率は5.05%となっている。
やや前年から下がってはいるものの、アジアの他の国と比較しても高い水準となっており(参考:中国5.2%、日本1.9%、タイ1.8%、韓国1.3% )、日本企業が1~2年の間に事業展開を拡大しようとする国としてインドやブラジル、南アフリカに次いで第4位となっている(「2023年度海外進出日系企業実態調査|全世界編」(日本貿易振興機構(JETRO) )など、日本においても注目されている。
経済成長率と主要な経済指標
ベトナムの経済成長は、コロナ後の国内消費の回復によるGDPの増加や製造業における輸出の拡大によって支えられている。(GDP成長率は表1参照)
2022年における輸出の主要品目は、1位は「電話機・同部品」で579億9,200万ドル(前年比0.8%増)、2位は「コンピュータ電子製品・同部品」で555億3,200万ドル(9.3%増)、3位は「機械設備・同部品」で457億4,700万ドル(19.4%増)だった。特に、電子製品の輸出は急増しており、サムスン電子などの大手企業がベトナムに生産拠点を設けていることが影響している。
また、この成長の背景には、改革開放政策の成功と外国直接投資(FDI)の増加がある。
ドイモイ(改革開放)政策の影響
ベトナムの経済成長には、1986年に始まったドイモイ(改革開放)政策が大きく寄与している。ドイモイ(Doi Moi)とは、共産党大会において提唱されたスローガンで「刷新」を意味し、ドイモイ(改革開放)政策とは、社会主義体制を維持しつつも緩和し、市場経済を導入して経済の成長を促す政策のことを示す。
ドイモイ政策は以下の4つが大きな具体的な政策となっている。
1.資本主義経済の導入
2.国際社会への協調
3.国民の生活に必要な産業への投資(農業、食料品など)
4.社会主義政策の緩和
この政策により、ベトナムは市場経済を導入し、外国企業の投資を積極的に受け入れるようになった。国際関係の回復にしたがって、1990年代初め頃から経済の安定と成長にドイモイ政策の効果が現れ始め、日本においても1992年にODAを再開した。
また、社会主義政策の緩和により、1995年にASEANに加盟し、外国資本の企業がベトナムで活動できるようになるなどして、GDPは2000年以降、着実に増加している。
外国直接投資(FDI)の増加
外国直接投資(FDI)は、ベトナムの経済成長を支える重要な要素である。日本はベトナムの第三位の外国直接投資(FDI)供与国でもあり、2022年までに約700億ドルの投資が行われた。特に製造業やインフラ整備の分野で日本企業の進出が目立つ。
日本や韓国、中国などの企業がベトナムに進出し、現地での生産やサービス提供を強化することで、ベトナム国内での雇用創出や技術移転が進み、地域経済の活性化が図られている。
<用語解説> 外国直接投資(Foreign Direct Investment, FDI)
ある国の企業や個人が他国の企業に対して行う長期的な投資を指す。FDIは、単なる資金の移動にとどまらず、投資先企業の経営や運営に対する実質的な影響力を伴うことが特徴であり、その国に対する国際的な関心度や成長性を評価するバロメーターになっている。
新興産業の台頭
ベトナムの経済成長に伴い、新興産業が急速に台頭しており、特にIT・テクノロジー産業やサービス業が注目されている。
IT・テクノロジー産業の発展
ベトナムはアジアでもっともアクティブなスタートアップエコシステムを持つ国のひとつだ。特にホーチミン市やハノイ市では、多くのテクノロジースタートアップが誕生し、急速に成長している。これらのスタートアップは、ソフトウエア開発、デジタルマーケティング、フィンテックなどの分野で活躍しており、国内外の投資家から注目を集めている。
また、世界銀行によると、ベトナムのインターネット普及率は79%に上り、これは高中所得層の国・地域平均の76%を上回る。2023年に人口が1億人を突破したベトナムのインターネット人口は約8,000万人と推計される。
このようにベトナムは社会全体のIT受容度が高い傾向にあるが、その理由のひとつに人口に占める若い世代が多いことがあげられるだろう。
ベトナム統計局 によると、2024年の中間報告によると、0~14歳が全体の23.22%、労働年齢人口(15~64歳)が67.73%、65歳以上は9.05%で、男女ともに25~29歳のグループがもっとも人口が多い。
国連の定めた定義によると、65歳以上の割合が7%以上14%未満で「高齢化社会」となるため、ベトナムも高齢者化社会ではあるが、超高齢者社会(65歳以上が21%以上)である日本から見ると、「若い人々の多い国」という印象だ。
さらに、ベトナムのエコシステムの特徴として、国内市場を志向するスタートアップが多い。JETROが2023年2~3月に地場のスタートアップに実施したアンケート によると、投資家向けの説明で強調するポイントとしてもっとも多い のが「ベトナム地場の課題に対するソリューション(37.2%)」、次いで「巨大な成長を見込める市場性(23.3%)」だった。
つまり、ベトナムは若い世代が多く、これからの人口増加も見込めるため、自国向けであってもIT・テクノロジー産業がさらに発展していけると考えられているのだろう。
なお、新興産業ではないが、ベトナム経済の柱である製造業においてもIT・テクノロジー産業の発展の影響を受けている。先述したように、サムスン電子などの電気・電子製品を扱う大手企業がベトナムに生産拠点を設けており、これにより雇用機会が増加、また、製造業のデジタルトランスフォーメーション(DX)が進んでおり、効率化と生産性向上が図られている。
労働市場の変化
ベトナムの労働市場は、急速な経済成長とともに大きな変化を遂げており、特に地方から都市への労働移動や副業ブーム、そして海外労働市場への展望が注目されている。
地方から都市への労働移動とデジタル経済の進展
ベトナムでは、地方部から都市部への労働者の移動が顕著となっている。都市部の製造業、IT・テクノロジー産業、サービス業の需要が増加しており、特に半導体やデジタル技術の分野での人材不足が深刻だ。企業は地方部からの人材確保のために、宿泊施設の提供や賃金の引き上げなど進めている。
特に製造業やサービス業では、労働力の確保が競争力の鍵となっており、企業は積極的に人材を引き寄せるための施策を講じている。
技術者育成とスキルアップ支援
技術者の育成は、ベトナムの経済成長を支える重要な要素である。政府と企業は協力して、技術教育プログラムや職業訓練を提供し、労働者のスキルアップを図っている。特にIT・テクノロジー分野では、最新の技術を習得した人材が求められており、企業は研修プログラムやインターンシップを通じて技術者を育成している。
こうした育成施策は企業にとっては人材不足の解決のために必要であることは言わずもがなだが、労働者側にとっても必要とされる施策となっている。
2023年のベトナムの失業率は約2.3%で低水準を維持している一方で、若年層(15-24歳)の失業率は7.99%に達している。日本のように新卒一括採用の慣行がないため、若年層は労働市場において必要とされるスキルや経験が不足していることが多く、技術職や専門職での就職が難しいことが理由としてあげられる。地方から都市部への移動が増加し、都市部での競争がより激しくなっていることも影響しているだろう。
ベトナムでは若者の失業率を改善するために、いくつかの対策が取られている。(ベトナム統計局 )
- 職業訓練と教育プログラムの強化
政府は若者に対して職業訓練や教育プログラムを提供し、労働市場で必要とされるスキルを身につける支援を行っている。これには、技術職や専門職に特化した訓練プログラムが含まれる。 - インターンシップと見習い制度の推進
若者が実際の職場で経験を積むことができるよう、インターンシップや見習い制度が推進されている。これにより、若者は実務経験を得て、就職の機会を増やすことができる。
副業ブームと柔軟な働き方の導入
都市部の若年層やミドルクラスの労働者の間では副業が急速に拡大しており、オンライン販売やフリーランス業務、コンテンツ制作などが主流となっている。
企業は従業員の副業を許容しつつ、労働時間管理や業務効率化を図るためのガイドラインを策定する必要がある。副業を支援することで、労働者のスキルアップやキャリア開発を促進し、企業にとっても利益をもたらす可能性がある。また、リモートワークの導入も進んでおり、柔軟な働き方が浸透しています。
海外労働市場への展望
ベトナム国外への労働者派遣は、日本や韓国の市場で引き続き需要が高く、特に介護や建設業での労働力不足が深刻化しています。
欧米市場におけるベトナム人技術者の需要も増加しており、特に半導体産業やデジタル分野での需要が高まっている。政府は国内での技術者育成に力を入れつつ、海外市場での労働機会を戦略的に活用することが求められている。
さいごに
本稿ではベトナムの経済成長と新興産業の台頭、ならびにそれに伴う労働市場の変化について説明してきた。ドイモイ(改革開放)政策の成功と外国直接投資(FDI)の増加により、ベトナムは急速な経済発展を遂げ、アジアの新エンジンとして注目されている。
特に、若い労働力の豊富さや、IT産業の発展が顕著であることは大きな魅力であり、日本企業の多くが注目していることと思われる。しかし、ベトナムの労働者にとって日本が必ずしももっとも魅力的な選択肢とは限らない現状も理解しておかなければならないだろう。
ODAの件数やFDIの額などを見ると、ベトナムと日本の関係は深いものだと思われるが、労働者の立場で日本企業に魅力を感じてもらうためには、日本においてもIT・テクノロジー産業において革新的な製品やサービスを生み出したり、副業やリモートワークといった柔軟な働き方を浸透させたりするなどの変化が必要となるだろう。
実際、ものづくりや1次産業の現場を支えてきた技能実習生の来日が減少傾向にあるなど、日本離れが進んでいるという指摘もある。 今後もよい関係を続けていくために、取り組むべきことは多くありそうだ。
マイナビキャリアリサーチラボ 主任研究員 東郷 こずえ