「勤労感謝の日」とは?古代の天皇祭祀の視点からその起源と意味を理解する-國學院大學研究開発推進機構 木村大樹氏

キャリアリサーチLab編集部
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勤労感謝の日とは?

毎年11月23日は、「勤労感謝の日」という国民の祝日のひとつとして定められています。昭和23年(1948)に制定された祝日法(国民の祝日に関する法律、昭和23年法律178号)の第2条では、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日とされました。

その「勤労」は、日本国憲法(昭和21年)の第27条が定めるとおり、すべての国民が権利として有し、かつ義務として負うものです。そのため現代の日本では、この日が、働くことそのものを尊び、また働く人々に感謝する日として広く認識されています。

では、この祝日が、戦前には「新嘗祭(にいなめさい)」という「祭日」(皇室で祭祀(さいし)〈「まつり」のこと〉を行う日)であったことをご存知でしょうか。新嘗祭は、古代から続く国家と天皇の祭祀であり、現在でも11月23日の夜から翌未明にかけて、皇居にて天皇陛下がみずからお祭りを行われています。勤労感謝の日の本質を理解するには、淵源である新嘗祭とその歴史を紐解く必要があるのです。

新嘗祭について

新嘗祭について

新嘗祭とは何か―天皇祭祀の中核

古代、天皇が毎年みずから行う祭祀(天皇祭祀)には、11月の新嘗祭と6・12月の神今食(じんこんじき)がありました。現在、神今食は行われていませんが、歴史のなかで変容してきた今日の宮中祭祀のなかでも、新嘗祭はもっとも重要な祭祀です。歴代の天皇が行なってきた新嘗祭は、神々や自然に対して、国家をあげてその恵みとしての1年の収穫に感謝する祭祀といえます。

明治時代になるまで、新嘗祭が行なわれたのは旧暦11月の2度目の卯の日(十二支の4番目の日)で、日付は固定されていませんでした。祭祀はこの日の夜間に行われ、天皇は「神嘉殿(しんかでん)」(現在は皇居・宮中三殿の西側に位置)という建物のなかで、純白の絹製の装束「御祭服(ごさいふく)」を身にまとい、全く同じ神事を「夕(宵)の儀」と「暁(あかつき)の儀」の計2度行います。

古代の文献では、夕の儀にあたる神事は亥一刻から四刻、つまり午後9時~10時半頃、暁の儀にあたる神事は翌辰の日の寅一刻から四刻、つまり午前3時~4時半に行うことになっており、まさに夜を徹しての重大な祭祀であることがわかります。

この1時間半の間に主に行われるのが、天皇がその年に収穫された稲の新穀(新米)の御飯を中心とする神饌(神に供える食事)を、皇室の祖先の神である天照大神(あまてらすおおみかみ)にお供えし、またみずからもそれを召しあがる(共食)、という神事でした。

神話にみる稲作と祭祀

神話にみる稲作と祭祀
イメージとしてマイナビにて作成

天皇と新嘗祭、そして日本人の勤労の原型ともいえる稲作には、神話の時代からの重要な関係があります。奈良時代に編纂された『古事記』や『日本書紀』の語る神話には、新嘗祭の思想的背景や稲作の神聖性が描かれているのです。

有名な「天岩戸(あまのいわと)(天石窟(あまのいわや))神話」では、天照大神が岩屋(洞窟)に閉じ籠ってしまうことになった原因として、弟・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天上の高天原(たかまのはら)で働いた乱暴を挙げますが、それは天照大神が営む神聖な田の稲作の妨害や、天照大神自身が「新嘗」を行うための御殿を穢(けが)すといった行為(=天津罪(あまつつみ))でした。天上世界において、稲作や祭祀が重視されていたことがわかります(『日本書紀』神代上、第七段本文)。

また、別の神話では、そもそもの稲の起源が描かれます。そこでは、保食神(うけもちのかみ)という神の死体から稲を含むさまざまな食物が誕生し、天照大神がこれらを採って「地上の人間たちが食べて生きていくものである」と喜び、その種子から天上で最初の田を営み耕作を行ったのでした(『日本書紀』神代上、第五段一書第十一)。

そして、時が下って「天孫降臨(てんそんこうりん)神話」において、天照大神は「我が高天原に作る神聖な田の稲を、我が御子に授けよう」という言葉(神勅)を託し、地上に降臨する瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)(天照大神の孫)に対して稲を授けました(『日本書紀』神代下、第九段一書第二)。これを受けて稲を地上にもたらした瓊瓊杵尊の4代目の子孫が、初代天皇である神武(じんむ)天皇となります。

神道では、この天照大神が託した言葉を「斎庭(ゆにわ)の穂(稲穂)の神勅」と呼び、重視しています。日本人の生活や文化に欠かせない稲作が、天皇の存在を介して、天上世界に由来し、神の意志によって広められたものと理解しているのです。

以来、歴代の天皇は、天上から下された稲の毎年の収穫を、新嘗祭において天照大神に奉ることで、神勅に応え、感謝を捧げ続けてきました。昭和天皇以降の3代の天皇陛下は、皇居内に作られた水田で、みずからも稲をお育てになり、それを新嘗祭でもお供えされています。

天皇・国家の祭祀としての新嘗祭

神話の時代に淵源を持つとされる新嘗祭が、天皇や国家の祭祀として制度化されたのは、7世紀後半の天武天皇・持統天皇の時代と考えられています。この頃は、天皇が一代に一度おこなう祭祀である「大嘗祭(だいじょうさい)」や、伊勢の神宮で20年に1度おこなわれている「式年遷宮」などといった、神道にとって現代まで続く非常に重要な祭祀の制度が開始された時期でもありました。

大嘗祭は令和元年に現在の天皇陛下によって斎行され、記憶にも新しいかと思います。また、前回の式年遷宮は平成25年(2013)に第62回がおこなわれ、現在は次の令和15年(2033)に向けた準備や祭祀・行事がすでに始まっています。いずれも天照大神を対象とした祭祀であり、天皇の祭祀と神宮の祭祀は、日本の歴史のなかで常に密接に関連して行なわれてきました。

古代の国家が主催した祭祀には、稲作を中心とする農業の暦(農事暦)に沿って行なわれる祭祀が多くを占めます。国家祭祀の大綱を定めた「神祇令(じんぎりょう)」(『律令(りつりょう)』の一編)は、毎年恒例の13種19度(1年に2度行う祭祀が6種類ある)の祭祀を掲げていますが、その最初に行なわれるのが1年の「年」(穀物の稔りのこと)を祈る2月の「祈年祭(きねんさい)」、最後が1年の収穫感謝にあたる新嘗祭でした。旧暦2月は、稲の播種(種まき)に先駆けた時期であり、その年の豊穣を祈るのに相応しい時期といえます。

では新嘗祭のある11月は、1年のなかでどのような時期だったのでしょうか。新嘗祭や大嘗祭など、「嘗」という漢字を含む祭祀の名称は、もともと古代中国で皇帝が祖先に新穀等を捧げた秋祭りと考えられていますが、旧暦の11月は「仲冬」とも称し、秋ではありません。

これについては、古代には9月から11月が収穫の時期であり、その収穫に合わせて、9月中旬から11月末日までの間に租税を納める決まりになっていた(「田令」)、という理解があります。

古代国家が行なった一連の収穫感謝に関する祭祀では、まず収穫間もない9月に、まさに早稲(わせ)の「初物」である新穀(新米)が、伊勢神宮に鎮座する天照大神に対して捧げられました。これが神宮で毎年行なわれている恒例の祭祀でもっとも重要な「神嘗祭(かんなめさい)」です(現在は10月に斎行)。

そして11月、1度目の卯の日に、都周辺の特定の神社に対して国家のお供え物を奉る「相嘗祭(あいなめさい)」が行なわれます(現在の宮中祭祀にはない)。それが終われば、12日後、いよいよ「新嘗祭」において、天皇みずからが、宮中において天照大神にお食事を捧げ、自身も召し上がり拝礼をする新嘗祭がおこなわれます。

その11月が終われば、いよいよ1年間の稲作のお仕事にも片が付き、税も納め終わって、「今年もおつかれさまでした」と農閑期がやってくるわけです。

天下の公民と産業

古代、天皇が統治する天下の国家に住まう多くの人々は、「公民(こうみん)」や「百姓(ひゃくせい)」などと表記され、いずれも和訓では「おおみたから」と読まれていました。国家は、戸籍にもとづいて彼らに口分田(くぶんでん)という土地を支給し、その耕作の勤労による収穫の一部を徴税することで、国家の主要財源としたのでした(班田収授)。

古代において、稲作は単に人々の食糧を生産するだけではなく(むしろ庶民の主食は粟(あわ)などの雑穀)、国家の基幹産業でもあったのです。この重要な稲作が、神話では天上からもたらされたと伝えられ、広く列島内に伝播し、天下の公民の生業となりました。

だからこそ、後一条天皇の言葉(宣命(せんみょう))に「農は民の天なり。民は国の宝なり」(『朝野群載』)と表されるように、国力の基盤を支える民たちは、天皇・国家にとっての「宝」である「大御宝(おおみたから)」と称されたと考えられます。

一般民衆を表した「百姓」(数多くの姓の人々といった意味)という言葉は、のちに農業に従事する人々(「百姓(ひゃくしょう)」)の意味でも使われるようになりました。今でこそ全国民に占める農業従事者の割合は約1%と低いですが(農林水産省「食料・農業・農村白書」)、古代にはこの国に住む人々の多くが、長く稲作などの農業を生業としていたことがわかります。

また、新嘗祭や大嘗祭でお供えされる神饌は、新米からなる御飯や御酒(みき)が中心ですが、鎌倉時代の記録によると、下記のようなさまざまな神饌がお供えされました。

  • 米の御飯、粟の御飯、米の粥・粟の粥
  • 鮮物(なまもの)(生物)-甘塩鯛(あまじおのたい)・鮨蚫(すしあわび)・雑魚鮨(ざこのすし)(近世に烏賊(いか)に変更)・醤鮒(ひしおぶな)(近世に鮭に変更)
  • 干物(からもの)-蒸鮑(むしあわび)・干鯛(ひだい)・堅魚(かつお)・干鯵(ひあじ)
  • 菓子(くだもの)(果物)-干棗(ほしなつめ)・搗栗(かちくり)・生栗・干柿
  • 蚫の羹(あつもの)・汁漬(しるひち)、海藻(め)の羹・汁漬
  • 白酒(しろき)・黒酒(くろき)

以上、名前だけでは詳細はわかりにくいですが、一見してとても海の幸が豊富であることに気付きます。海から離れた平城京(奈良)や平安京(京都)での祭祀において、豊富な海産物がお供えされたことの背景には、国家の貢納・流通システムの存在、そして海洋国家として漁業も重要な産業であったことなどが挙げられるでしょう。

このように新嘗祭は、稲作農耕や漁業採取など日本に住む多くの人々の生業・勤労を根底として、その恵みを天皇が国家を代表して神にお供えし、その年の稔りに感謝するともに翌年の稔りを祈る。こうして古代から現代まで行なわれてきたのです。

天下の公民と産業
イメージとしてマイナビにて作成

国民の祝日として

古代に始まり現代も行なわれている新嘗祭ですが、実は中世末期の寛正4年(1463)を最後に、応仁の乱からの戦乱の世以降、220年以上の断絶期間がありました。江戸時代中期の元禄元年(1688)に略式で再興され、本格的な復活は元文5年(1740)となります。

近代に入ると、東京で初めての新嘗祭が明治3年(1870)に行われました。そして明治6年、旧暦(太陰太陽暦)から現在の太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦が為され、その年の11月2度目の卯日が23日であったことから、以降現在まで11月23日が新嘗祭の日として固定されることになったのです。

明治6年以降、この日は冒頭に示したとおり国家の「祭日」でした。しかし、これを規定していた「皇室祭祀令」が第二次世界大戦後の昭和22年(1947)に廃止されると、「祭日」の枠組み自体がなくなり、翌23年、この日は新たに「国民の祝日」としての「勤労感謝の日」と制定されました。

この祝日名を決定するにあたっては、他に「生産感謝の日」「新穀感謝の日」「新穀祭」、あるいは単に「感謝の日」などの案が挙げられていました。そこで戦後日本の再建の基礎は国民の労働・生産にあるという思いから、深く議論が行われ、産業構造の多様化も考慮し、国民の「勤労」というすべての価値生産活動を尊び互いに感謝しあう、という意味を込めてこの名前となりました。まさに古代以来の新嘗祭の精神を、現代の「祝日」として引き継いだものといえるでしょう。

以上のように「勤労感謝の日」は、単に多くの会社や学校が「休日」となる日ではなく、古代から歴代の天皇によって行われてきた重要な祭祀が前提にある特別な「祝日」です。新嘗祭が終わるまでは、神様・天皇陛下より早くに新米を頂かない、という風習を残す家庭・地域もあります。また、全国の多くの神社では、同日に「新嘗祭」という同名の祭祀を行っています。

今年の「勤労感謝の日」は、これらに思いを馳せながら、自身や家族、知人、そしてすべての人々の勤労に「おつかれさま」「いつもありがとう」と労(ねぎら)い感謝してみるのはいかがでしょうか。


【参考文献】

  • 岡田莊司『古代天皇と神祇の祭祀体系』吉川弘文館、2022
  • 岡田莊司「稲作祭祀にみる神話と歴史の循環体系」(『現代思想』2025年9月号、特集「米と日本人」青土社、2025)
  • 木村大樹「11月 新嘗祭」(岡田莊司編『事典 古代の祭祀と年中行事』吉川弘文館、2019)
  • 木村大樹『古代天皇祭祀の研究』吉川弘文館、2022
  • 塩川哲朗『古代の祭祀構造と伊勢神宮』吉川弘文館、2018
國學院大學 研究開発推進機構 助教・木村 大樹氏

【著者プロフィール】
木村 大樹(國學院大學 研究開発推進機構 助教)
1987年生まれ。熊本県出身。2018年、國學院大學大学院文学研究科博士課程後期を単位取得満期退学。その後、國學院大學研究開発推進機構PD研究員(2018年~)、國學院大學兼任講師(2020年~)などを経て、現在は同研究開発推進機構 助教。学位は、國學院大學大学院のみが授与する「博士(神道学)」(2021年)。専攻は古代神道史・天皇祭祀で、特に大嘗祭における天皇の所作などについて研究している。単著に『古代天皇祭祀の研究』(2022年)、分担執筆に岡田莊司編『事典 古代の祭祀と年中行事』(2019年)、岡田莊司・小林宣彦編『日本神道史〈増補新版〉』(2021年)(いずれも吉川弘文館)などがある。

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