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昭和に消えた仕事、生まれた仕事-昭和の仕事が語る、技術革新と社会の変化-大正大学地域構想研究所 主任研究員 中島ゆき氏

中島ゆき
著者
大正大学地域構想研究所主任研究員/大正大学地域創生学部兼任講師
YUKI NAKAJIMA

昨今、AIが人間の仕事を代替するという話題が注目を集めています。AIによる効率化や自動化が進む中で、多くの人が「AIによってどの仕事が奪われて、どの職業が消えていくのか」を考えるようになりました。

職業の変化は、その時代の社会や技術の進化、そして人々の価値観を映し出す鏡でもあります。昭和から平成、そして令和へと続く時代の流れの中で、職業がどのように変化し、その変化が現在および未来に何を示唆しているのかを考えることは、AI時代を生きる私たちにとって重要なテーマです。

特に、2025年は国勢調査の新しい調査年であり、afterコロナとして初めての調査が行われます。これは、令和の職業変遷を捉える最適なタイミングでもあります。この調査結果を未来の指標として活用するためにも、まずは昭和という基盤を振り返り、そこから現代や未来への洞察を得たいと思います。この記事では、昭和という時代に焦点を当てています。

激動の昭和後半「農林業国からサービス業へ」

昭和は戦後復興から高度経済成長、そして安定した消費社会へと変化した激動の時代です。この時代、人々の生活の変化が、どのように職業の変化に影響を与えたのかを考えていきましょう。

本記事は、「国勢調査」および「日本標準職業分類」から、昭和時代に急増した職業や現在では見かけなくなった職業について、統計データに基づいて解説していきます。なお、昭和時代は64年間という長期にわたることと、その間、統計上の職業分類に大きな変更があり正確な経年を比較できないことを考慮し、昭和35年(1960年)から昭和55年(1980年)の国勢調査データから、昭和の激動の後半20年間の変化を中心にみています。

さて、昭和のこの20年間は、日本の職業構造が大きく変化した時代でした。これまで農林・漁業従事者、すなわち一次産業が日本を支えてきた時代が終わり、高度経済成長を境に、製造業を中心に第二次産業が経済の主軸となり、自動車や家電産業の成長が労働者需要を押し上げました。それに伴い、販売・事務従事者といったサービス産業が急成長し、日本社会が消費文化やオフィスワーク中心へと移行していったことがうかがえます。

これらの変化は、日本が農業中心の国から工業化、さらには消費社会へと進化した軌跡を示しており、昭和は経済と生活文化が融合し、新しい日本の基盤が築かれた時代といえるでしょう。

昭和35年(1960年)の就業者割合
昭和35年(1960年)の就業者割合 ※筆者作成
昭和55年(1980年)の就業者割合

昭和55年(1980年)の就業者割合 ※筆者作成

国勢調査で新しく「誕生した仕事」

技術革新や社会の新しいニーズに応じて、昭和の後半に誕生した職業があります。それらは、従来には存在しなかった役割を担い、新しい働き方を象徴しています。

昭和の技術革新と社会の変化に伴い、国勢調査に新たに登場した職業がいくつかあります。その中でも「情報処理技術者」「せん孔機等操作員」「電子計算機等操作員」は、昭和45年(1970年)に初めて名前が登場した職業であり、コンピュータ技術の普及がもたらした新しい仕事の代表例です。

情報処理技術者

昭和45年(1970年)に初登場し、その後10年間で12万9,763人増加しました(増減割合:0.23ポイント)。これは、コンピュータが企業や行政の日常業務に導入され始めた時代背景がそのまま反映されています。情報処理技術者は、コンピュータシステムの設計や運用を担い、今日でいうITエンジニアの先駆け的な存在。この職業の登場は、日本の産業構造が高度化し始めた象徴ともいえるでしょう。

せん孔機等操作員

同じく昭和45年(1970年)に初登場した職業で、10年間で約5万1,956人増加(増減割合:0.09ポイント)。「せん孔機」とは、パンチカードに情報を記録する機械のことで、キーパンチャーとも呼ばれる作業を指します。当時、事務作業の効率化が進む中で、データ入力作業を担う専門職が必要とされました。

この仕事は、現在のデータ入力作業の原型といえる職業です。ちなみに、現在は「データ・エントリー装置操作員」という名称で残っており、最新の国勢調査(令和2年(2020年))では14万8,270人が同職で働いています。昨今は、DX推進に伴い微増傾向のようですが、将来的にはAIにより代替されやすそうな職業といえます。

紙テープ穿孔タイプライタ
紙テープ穿孔タイプライタ
NEAC-WRITER(机上の タイプライター+リーダ(箱状)+ライタ(箱状)のセット)
NEAC-WRITER(机上の タイプライター+リーダ(箱状)+ライタ(箱状)のセット)

出典:一般社団法人 情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」

電子計算機等操作員

こちらも、同じく昭和45年(1970年)に初めて登場し、10年間で約8万962人増加(増減割合:0.15ポイント)。これは、コンピュータの操作を専門とする職業で、オペレーターとして企業や行政機関で活躍しました。当時の大型計算機や初期のコンピュータの操作を担当し、情報処理技術者とともに、デジタル化時代の黎明期を支えた職業です。

これら3つの職業の登場は、日本が高度経済成長期を経て、情報化社会へと進む重要な転換点を示しています。昭和35年(1960年)の調査時点には存在していなかった職業ですが、コンピュータ技術が産業や事務作業に普及し始めた昭和45年(1970年)は、日本がデジタル時代の入口に立った象徴的な年だったといえるでしょう。

昭和を象徴する、急増した職業

誕生した仕事がある一方で、昭和初期から存在していた職業が、経済成長や社会構造の変化に伴い需要を大きく伸ばした事例もあります。それらは既存の働き方を支えつつ、昭和後半の成長を象徴する存在でした。

次は、昭和の後半20年間で急増した職業のランキングをみていきます。前述と同じく、高度経済成長の見本を象徴するような職業が目立ちますが、特にその中から、日本社会の成長と変化を象徴する仕事をピックアップしてご紹介します。

■昭和に増えた職業

昭和35年から55年の20年間の
順位職業名増加数増加割合
1位一般事務員3,522,6574.83
2位外交員(保険を除く)1,338,9172.26
3位調理人1,064,4201.67
4位土木、舗装工854,4661.52
5位自動車運転者977,9331.33
6位会計事務員1,002,0361.19
7位理容師528,0060.93
8位給仕従事者545,5550.80
9位電気機械、機械器具組立工・修理工518,1130.80
10位看護婦、看護師333,2350.50
11位ミシン縫製工346,6830.49
増加割合計算方法:各年の該当就業者割合の増加ポイント(昭和55年の割合ー昭和35年の割合) ※筆者作成

外交員(保険を除く)

昭和45年(1970年)に国勢調査で初めて登場し、20年間で約133万人増加(増減割合:2.26ポイント)。家庭訪問型の販売を行う営業職として、家庭用電化製品や日用品の普及に大きく貢献しました。この職業は、消費拡大と流通の進展を支え、家庭と市場を直接結ぶ重要な役割を果たしたといえます。

自動車運転者

昭和35年(1960年)から昭和55年(1980年)にかけて約98万人増加(増減割合:1.33ポイント)。トラックやバス、タクシーなどの運転手が含まれ、物流の発展や都市交通の整備に伴い需要が急増。昭和のモータリゼーションの進展を支えた職業であり、公共交通と物流の基盤を築きました。

調理人

昭和55年(1980年)に「個人サービス職業従事者」という中分類が新設され、この中でもっとも急増したのが調理人です。昭和35年(1960年)には約42万人だった調理人が、20年間で約109万人増加(増減割合:1.74ポイント)し、総計約151万人に達しました。飲食業の発展や外食文化の広がりが背景にあり、喫茶店やレストラン、居酒屋などで働く調理人の需要が高まりました。

ちなみに、「個人サービス職業従事者」の分類の中には、調理人以外に理容師・美容師、クリーニング工、バーテンダー、給仕従業者なども含まれ、生活サービスのアウトソース化と娯楽が高まった時代を象徴しています。

高度経済成長期に急増した喫茶店と洋食文化が調理人需要を牽引
高度経済成長期に急増した喫茶店と洋食文化が調理人需要を牽引

これら3つの職業はいずれも、昭和の経済成長や消費拡大、都市化の影響を受けて急増しました。外交員や自動車運転者は、生活の利便性や物流の効率化に貢献し、調理人は外食文化の浸透と多様化を支える役割を果たしました。これらの職業の成長は、昭和の日本が経済的にも文化的にも豊かさを追求した時代であったことを物語っています。

昭和を象徴するファッション産業の立役者「ミシン縫製工」

増加11位の「ミシン縫製工」は昭和の時代を象徴する職業として、特別に面白い存在です。この職業は、日本のファッション産業を支えただけでなく、昭和の生活スタイルや文化を大きく変えた重要な役割を果たしたといえます。

国勢調査によると、昭和35年(1960年)にはミシン縫製工の従事者数は約27万人(全職業の0.62%)でしたが、昭和55年(1980年)までに約35万人増加し、62万人(1.11%)にまで増えました。この急増の背景には、経済成長に伴う生活の安定化や洋装の全国的な普及、そして既製服の需要拡大があります。ミシン縫製工は、洋服店や縫製工場で働きながら、日本の婦人服産業の発展に大きく寄与しました。

この職業については、2011年のNHK朝ドラ「カーネーション」にも描かれており、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。同作では国際的デザイナー・コシノ三姉妹の母がモデル。主人公の小原糸子がパッチ屋からスタートし、婦人服デザイナーとして成功する姿が描かれました。糸子がミシンを使いこなす場面は、当時の縫製工たちの仕事ぶりをリアルに再現し、視聴者に昭和の服飾産業の活気を伝えました。

ミシン縫製工は単に洋服を作る職業にとどまらず、昭和の「おしゃれ」の象徴であり、女性たちの社会進出や自立を支える存在でした。昭和の時代を映し出す鏡であり、現在の日本ファッション産業の礎を築いたこの職業は、昭和を象徴する代表的な職業の一つといえるでしょう。

ミシン縫製工は洋服を作る職業にとどまらず、昭和の「おしゃれ」の象徴に
ミシン縫製工は洋服を作る職業にとどまらず、昭和の「おしゃれ」の象徴に

消えた昭和の職業

昭和の時代、日本の経済や社会は劇的な変化を遂げ、多くの職業が新たに誕生する一方で、時代の波に押されて姿を消した職業も数多く存在します。以下の表は、昭和35年(1960年)の国勢調査で一定の就業者数を誇りながらも、昭和55年(1980年)には著しく減少し、令和2年(2020年)の国勢調査では職業分類から完全に姿を消した職業をまとめたものです。

これらの職業の消滅は、技術革新や社会構造の変化を如実に物語っています。昭和を象徴するこれらの職業が果たしてきた役割と、その背景にある時代の流れを探ってみましょう。

■消えた昭和の職業

国勢調査
職業分類名(昭和55年時)昭和55年 就業者数令和2年 就業者数
電話交換手99,762×
船大工8,713×
製糸工8,668×
現図工5,456×
洋がさ組立工5,068×
揚返工5,008×
映写技工4,226×
木製おけ・たる製造工3,632×
和がさ、ちょうちん、うちわ製造工3,046×
※筆者作成

船大工

昭和55年(1980年)には約8,700人が従事していた「船大工」ですが、令和2年(2020年)の国勢調査ではその姿が完全に消えました。この職業は木造船を建造する技術者で、伝統的な職人技を駆使して日本の漁業や物流を支えていました。しかし、鉄製やプラスチック製の船の普及、漁業の規模縮小などにより需要が減少。現在ではわずかな地域で伝統工芸としてその技術が保存されているのみです。

製糸工と揚返工

昭和初期から日本を代表する主要産業の一つであった「衣服・織物製品製造」。昭和30年代(1960年代)には、その生産高が世界第2位を誇り、世界全体の生産高の18%を占めるまでに発展しました。この産業は日本の誇る一大産業として、昭和55年(1980年)には約119万人が従事し、当時の製造業従事者の半数を占めていました。

特に注目すべきは、繭から生糸を作り出す「製糸工」と「揚返工」です。「揚返工」は、繰糸女工(糸取り)、再繰女工(揚返し)、仕上げといった工程に細分化され、それぞれ特徴的なスキルが必要でした。そのため、国勢調査の職業分類でもこれらが個別に区分され、集計されていたほど重要な職業とされていた様子がうかがえます。

しかし、化学繊維の台頭や国内養蚕業の衰退により、製糸工と揚返工の需要は急激に減少しました。当時、製糸工場では多くの女工がこれらの作業に従事しており、近代日本の基盤を支える象徴的な存在でしたが、令和に入るとこれらの職業は国勢調査の職業分類から姿を消しました。

昭和の繊維産業は、単に経済を支えるだけでなく、日本の近代化と女性の労働力の場を象徴する存在であり、その歴史は日本の産業発展の一時代を物語っています。

映写技工

映画全盛期の昭和を支えた花形職業の一つが「映写技工」でした。しかし、その全盛期は比較的短く、昭和35年(1960年)には約2万人(20,990人)が従事していましたが、昭和45年(1970年)には約6,500人、昭和55年(1980年)には約4,200人へと激減。その後、現在では職業分類からその姿を消しました。

映写技工は、映画館で映写機を操作し、観客に映画を届ける重要な役割を担っていました。しかし、家庭用ビデオデッキの普及や映画館のデジタル化が進む中で、フィルム映写機の操作技術は不要となり、この職業も消滅していきました。特に、映写機の操作技術は映画文化を象徴する技能であり、手作業によるフィルム操作は当時の映画体験を支える重要な要素でした。技術の進化により失われたこの職業は、昭和という時代の映画文化を語る上で欠かせない存在といえます。

昭和を象徴し、技術革新とともに消えた職業「電話交換手」

急増から消滅へ-技術革新の影響-

昭和の職業変化で「電話交換手」は欠かせない存在です。昭和55年(1980年)の国勢調査では約10万人(99,762人)が従事していました。1980年代後半には自動交換システムの普及により急速にその数は減少、平成17年(2005年)の国勢調査ではわずか15,025人を記録したのを最後に、統計上から姿を消しました。

電話、すなわち通信は時代変化の象徴

昭和の職業変遷を振り返ると、時代の変化が生活様式や価値観をどのように変え、それが職業や仕事にどれだけ影響を与えたかが明確に浮かび上がります。その中でも「通信技術」の変化は象徴的な存在です。昭和から平成、そして令和へと、各時代における通信技術の進化が職業の変化に直結し、時代の流れを映し出してきたのです。

通信技術は1980年代の電話普及からインターネットの登場へと急速に進化しました。電話回線を通じたデータ通信により、情報処理技術者やウェブデザイナーなど新しい職業が誕生しました。さらに、2000年代以降、スマートフォンの登場により、アプリ開発者やデジタルマーケターといった仕事が急増し、職業の多様性が加速しました。

通信の発展は移動手段や物流の変化とも密接に関連しています。電話によるリアルタイムの情報共有は、自動車運転者や外交員などの職業の需要を生み出し、経済活動の効率化を支えました。インターネットが普及し、電話回線を通じてデータが扱えるようになると、情報処理技術者やITエンジニア、ウェブデザイナーなどの新しい職業が誕生しました。

そして、スマートフォンの登場は、アプリ開発者やデジタルマーケターといった新たな仕事を生み出し、職業の多様性を加速させました。これにより、昭和から令和への技術の進化が職業や生活様式をいかに変えたかが明確になります。

さらに、1990年代後半のスマートフォンの普及で、通信手段はさらに激変。電話は多機能な「情報端末」へと変化しました。スマホは、人々の生活を根本的に変え、仕事の在り方にも大きな影響を与えたのです。

昭和の花形職業であった『電話』『通信関連』の仕事から、現代のインターネットやスマートフォンへの進化は大きな変化を遂げました。この通信技術の進化は、人々の働き方や生活スタイルそのものを大きく変え、ひいては職業の役割も変化させたのです。このことを考えると、これからの時代、新しい「通信技術」の進化がダイレクトに職業変化につながるとみて間違いないのではないでしょうか。

技術革新が描く未来-AIが変える仕事と新たな可能性-

さて、本シリーズで昭和から令和への職業変遷を振り返ることで、技術革新が生活や働き方をどのように変化させてきたかを考えてきました。そして今、AI技術の進化やafterコロナの時代において、私たちの仕事や生活は再び大きな転換期を迎えています。過去を振り返ることで、これからの変化を受け入れ、新しい可能性を切り開くためのヒントを得られるのではないでしょうか。

職業変遷からみえてくるのは、単なる仕事の変化だけではなく、技術革新や社会の移り変わりが私たちの生活や価値観にどう影響を与えてきたか、という興味深い物語です。そして今、AIやデジタル技術が急速に進化する中で、これまでにないぐらい大きな変化が起きそうだともいわれています。

最近では、「AIに仕事を奪われる」といった話題をよく耳にしますよね。しかし、実際にはそれだけではなく、AIは私たちの生活を便利にしながら、これまでになかった新しい仕事を生み出す可能性も秘めています。

たとえば、AIを使って人々がもっとクリエイティブに働けるようになる環境が整えば、それを支える新しい職種もどんどん出てくるはずです。AIを活用する専門職だけでなく、AIを日常で使いやすくするサポートや、それを通じて新しいサービスを生み出すアイデアを考えるような役割も増えていきそうです。

実際に最近はAIを活用したさまざまなサービスが続々と登場してきています。キーワードは、AIがもたらす「人のつながり」にあるような気がしています。たとえば、職業紹介サービスやマッチングアプリ、AIを活用した学習プラットフォーム、医療介護分野でのAIによる患者や家族間のコミュニケーション支援、AIを用いた共同制作プラットフォームetc…。

昭和の時代もそうだったように、技術革新が社会に与える影響は決して一面的なものではなく、私たちに新しいチャンスをもたらしてくれるものでもあります。大事なのは、AIがもたらす変化を「代替される」という視点だけで捉えるのではなく、「こんな新しいことができるかも!」という前向きな創造を膨らませることにありそうです。(よくいわれますが、昭和初期にiPhoneの登場を考えた人はいたでしょうか?)

これから先、AI時代の仕事がどのように形作られていくのか、私たちの手でどんな未来を作れるのか。そんなことを考えるのって、ちょっとワクワクしませんか?本シリーズで時代を振り返りながら、今の時代を生きるヒントとして未来を描いてみるのも面白いかもしれません。

ところで、2025年は国勢調査の実施年です。今年はafterコロナで最初の調査年になりますので、その影響を捉えることができそうです。また、これまでの分析で使った国勢調査の職業分類は、「日本標準職業分類」をベースにしています。職業分類は時代の変化を反映して改定されてきましたが、現在も日本標準職業分類の見直しが進んでいる最中です 。技術や社会構造の変化に合わせ、職業の定義も変化していく過程をみることで、これからの社会を読み解く手がかりとなるのではないでしょうか。


著者紹介
中島 ゆき(大正大学地域構想研究所主任研究員/大正大学地域創生学部兼任講師)
法政大学修士課程修了(政策学修士)。広告業界に長く在籍し、そのうち約11年編集長職を勤める。多くの企業のプロモーション戦略やマーケティング分析に携わり、現在は、これまでの経験を生かし自治体のマーケティングやプロモーションコンサルタント業に従事。2010年より法政大学地域研究センター研究員、法政大学兼任講師、2015年より現職。専門は地域経済学、地域マーケティング。現在は、マーケティング手法の一つとして地域のポジショニング分析を基盤とし、地域資源評価、地域分析などを中心に、自治体のまちづくりコンサルタントとして各地の地域活性化プロジェクトに関わる。

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