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リスキリングの前に、人生の「リ・デザイン」を!「ほどよく諦める」適応的諦観という考え方ー法政大学キャリアデザイン学部教授 廣川 進 氏

キャリアリサーチLab編集部
著者
キャリアリサーチLab編集部
廣川進 法政大学キャリアデザイン学部教授
アサヒグループジャパン株式会社 People & Culture 本部 キャリアオーナーシップ支援室 室長 林雅子

■プロフィール
(画像右)インタビュアー:廣川進 法政大学キャリアデザイン学部教授(文学博士)
(画像左)アサヒグループジャパン株式会社 People & Culture 本部 キャリアオーナーシップ支援室 室長 林雅子

今回のコラムでは「人生100年時代におけるキャリア施策・人的資本経営」と題し、企業の最前線で活躍されている有識者の方のお話を通して、各企業で取り組まれている施策と共に、本テーマについて掘り下げていきたいと考えています。

キャリアオーナーシップ支援室の立ち上げ

アサヒグループジャパン株式会社 People & Culture 本部 キャリアオーナーシップ支援室 室長 林雅子

廣川:初めに、林さんが主体となった、キャリアオーナーシップ支援室の設立と背景について教えてください。

:キャリアオーナーシップ支援室ができたのは2022年9月でまだ1年ほどです。私の中で「三重苦」と言っているのですが、35歳のときに管理職試験不合格や出向、主人の単身赴任を経験しました。その出向先が営業支援の新会社を設立するというもので、人事制度やスタッフの育成体系も担当していました。

初めての経験で、人材育成担当者向けのキャリア研修にも参加したのですが、そこで「キャリアの教科書」(著者:佐々木直彦氏)という本と出会ったんです。 その本には「雇われる能力」であるエンプロイアビリティを高めないといけないと書いてあったのですが、希望しない異動のタイミングだったこともあり、反発したことを覚えています。

当時は、自分のキャリアは会社が決めるものだと考えていましたが、この本との出会いをきっかけにキャリア支援をする機能を会社の中に作りたいと思うようになりました。そこで、社内の新規事業公募制度を使い、キャリア支援事業を提案したのですが、まずは人事部に異動となり、2022年にキャリアを考える部署としてキャリアオーナーシップ支援室が始動しました。

世代別から目的別へ、キャリア教育に向けた強化策とセカンドキャリア施策

廣川:ありがとうございます。次に、アサヒグループさんならではのキャリア教育の特徴を教えてください。

:2022年までは年代で区切った世代別のキャリアセミナーを展開していました。たとえば、30代は「キャリア迷子からの脱出」というテーマで、ベーシックにキャリアビジョンの描き方。40代はさらに「自分軸」を明確にしていくことをメインテーマにし、50代は「躍進行動」をベースにして、まだまだ頑張って会社で働くことを意識してもらえるような内容を実施しました。

2022年に実施した50代向けのセミナーの時に課題を感じたため、2023年のプログラムでは、年代別から目的別に大きく変更しました。理由は、50代の前半と後半といった年齢の差や役職の有無などによってセミナーに対する期待が大きく異なったためです。

また、廣川先生にお会いできたことが、年代別から目的別セミナーに変更しようと決心できたきっかけでもあります。50代は、「セカンドキャリアに向けてライフを含めた人生設計をしたい」と思っている人と、「まだまだ会社で頑張りたい」と思っている人に分かれるため、先生に相談して、思い切ってセカンドキャリアに振った内容で「人生のリ・デザイン」をテーマにしたセミナーをお願いしました。

30代、40代については、2022年の内容をベースとして、打ち出し方を「年代別」ではなく「目的別」にしました。年代別でやっていた時には、それぞれ違う目的を持った人が集まっていたため、グループワークをしても話が合わないということもありましたが、目的別にしたことで、同じような問題意識を持った集まりになったと思います。

新たな取り組みを受け入れられる風土の醸成

廣川進 法政大学キャリアデザイン学部教授

廣川:キャリアに対する考え方の変化をわかりやすく浸透させる活動は多くの企業で取り組まれていると思いますが、なかなか上手くいっていない現状があると思います。先ほど「躍進」から舵を振り切った時、受け入れる風土が醸成されていたのでしょうか。

:キャリアオーナーシップ支援室を作ったことが、会社からのメッセージとして伝わっているのではないかと思います。新設した際に、「社長の考えるキャリア自律とは?」というテーマで、社長と対談をして配信したのですが、その効果もあったと思います。

昼休みにキャリアオーナーシップ支援室のメンバーがキャリアについて雑談しているのをWeb配信すると、200人くらいが閲覧するようなこともありましたね。こうした経緯もあって、社員一人ひとりの意識が、少しずつ変わってきているのだろうと思います。

廣川:その辺りの柔軟性も企業文化として備わっている印象でしょうか。または社風として変わってきたのでしょうか。

:社風はもともと柔軟性がある会社だと思います。多くの人は、意にそぐわない異動や単身赴任の場合、仕方ないと思いながらも「会社が好きだから」という理由で、会社に対して思っていることを言わず、行動を起こさない人の方が多いのではないかと思います。

ただ、私の場合、冒頭の「三重苦」の経験をしたことで、このままではいけないという危機感みたいなものがありました。そのおかげで、自分のキャリアを考えるきっかけにもなりましたし、「新規事業として提案をする」といった行動を起こすことにつながりました。

廣川:これは無理だと思ったら、別の道を探す人の方が新しい何かを見つけられるのかもしれないですね。社員のみなさんが林さんみたいに壁を乗り越えなくてもいいし、何かにぶつかった時に違う方向からアプローチすることもあっていいと思います。

:キャリアオーナーシップ支援室のメンバーとも、壁にぶつかった時にどうするのかについて話したのですが、別に乗り越えなくてもいいのではないかという話がでました。道を歩いていて目の前に壁が来たら、よじ登るだけがすべてではないと思います。

ミドルシニアに求められる「ほどよく諦める」適応的諦観

廣川:壁にぶつかったときは、戻ったり目標そのものを変えたりすることも必要だということですね。

:そうですね。キャリアのゴールイメージを明確に持っていれば、そこに行くための違う道を探すとか、戻るのも良いのではないかと思います。そこで研修を通して50代には、会社人生が終わった後のセカンドキャリアやセカンドライフも含めて考えてもらおうと振り切ってみたのです。廣川先生のお話の中の、ほどよく諦めるという「適応的諦観」はすごく納得しました。

廣川:ほどよく諦める、良い言葉ですね。それでは次に、ミドルシニア以降の人材に対するキャリア施策の考えについて伺えますか。

:50代になるとキャリアの将来が見えてくると思うのです。廣川先生のお話を聞いて、これから躍進しようというよりも現状に納得して、リセットして次に進むという考え方も重要だなと思いました。

そこで、ミドルシニア世代の人に対するキャリアセミナーを目的別にした上で、人生100年時代のリデザインというテーマで実施したんです。

日経MJのある記事(※日経MJ7月21日掲載記事)に、社内大学を作った企業の記事が掲載されていました。人生100年時代は、自分のキャリアデザインをしなくてはいけない、定年後に何をするかを考えたらその前から自分のキャリアをどうしていきたいか、設計する必要があるということです。

自分のキャリアを考えてもらう中で、世代を問わず何をやりたいかという想いや熱量を持つことがすごく重要になります。リスキリングはそのプロセスであって、わくわくするものでないと行動できないし、自分も企業も当然コストがかかる、まさにその通りだなと感じました。

廣川:これまでは、50代前半は部長や役員を目指し、50代中盤までは競争していた。しかし、先が見えてきている状態で、会社のロイヤリティや忠誠心があったとしても、少し引いた感じで状況次第で付き合い方を変える、というようなことを社員も考える必要がある時代だと思うのです。

:本当におっしゃる通りですね。2000年頃までは、社内で上を目指す、躍進するというキャリア観でもよかったと思います。ただ、現在は環境や状況が大きく変わってきており、ダイバーシティやグローバル化も進んでいる中で、定年後は悠々自適とはいえなくなっています。

人生100年時代に向けたキャリア施策とは

廣川進 法政大学キャリアデザイン学部教授
アサヒグループジャパン株式会社 People & Culture 本部 キャリアオーナーシップ支援室 室長 林雅子

廣川:では、人生100年時代の人生の支え方やキャリアの考え方について、林さんはどのように感じていらっしゃいますか。

:キャリアオーナーシップ支援室が、社員ひとり一人の意識を変えられるような働きかけをしていく必要があると思っています。人事部側ではハード面や仕組みを変えていく役割だと思っているので、両輪が大切ですね。

その取り組みの一環として、2023年の11月からアサヒグループ内共通でマネージャー育成プログラムを走らせています。会社によって呼び名も違うと思いますが、課長職くらいの中間管理職をメインに実施しています。また、キャリア研修を受講した50代の社員に、廣川先生の調査に協力していただいています。

廣川:そうですね。そこで得た調査結果も踏まえ、リスキリングの前に「もう一度自身の人生を見直す=リデザインする」という考えを発信していこうと思っています。政府から、リスキリングが重要との方針も示されていますが、ミドルシニアにいきなりリスキリングが重要だと伝えても、今までの経験や知識が否定された感じも出てしまうと思うのです。

:「リスキリングが大切だ」ということに対して、多くの企業がDXやデジタル系の習得を推奨するものだと思っていますよね。

ただ、これからはスキルを「見直す・強化する」ということも大切なのですが、まずは自分がどういう方向でキャリアと人生を歩いていきたいかを考えることが大事だと思います。その前提がないまま、リスキリングとはDXやデジタル系の知識スキルの習得だと思い込んで資格を取得しようとする人もいるので、まずはキャリアと人生の見直しが年代問わず必要不可欠だと思います。

廣川:リスキリングはキャリアの目標に至るための技術や方法だと思います。その前に自身の価値観や人生設計をもう一度見つめるという「リデザイン」が大切ですね。リスキリングの前にリデザインし、目標を定めてからビジョンを描き、方向性をだいたい定めることが必要なのではないでしょうか。

また、リデザイン自体も早めにやっておくことが大切で、会社側の支援も大事かなと思います。たとえば、異質な体験をしたり、時間と空間とつきあう人を変えたりするのも良いと思いますね。土日の使い方や日常のパターンを変えてみることもおすすめです。

さまざまな体験を通して自分のキャリアの可能性について試行錯誤するなら、リデザインの研修会などは40代前から必要なのだと思います。

:そうですね。当社では、節目で自身を振り返ることをしており、そのほうが何か起こった時に困難や壁への耐性が高まるのではないかと思います。自分をよく理解しておくと、意にそぐわない環境変化が起こったときでも、その変化の受け止め方が大きく変わると思うのです。

新たな時代に向けたレジリエンス強化とリデザインを

廣川:危機の状態はむしろ、次のステージに上がる時に必要で、40代までに何も危機が起きなかった人ほど逆に危ないとさえ思います。

:危機感が起こったほうが前向きな行動に移せる、ということであれば、前向きな行動を起こすために、自分なりの危機感を作り出していくという話になりますよね。良し悪しの両面あると思うのですが、ワクチンのような取り組みも大切なのかなと思います。

まとめ

最後に今回の対談を踏まえて、ポイントを整理いたします。

若い世代に向けた配置転換とキャリアの棚卸し

配置転換や異動はある程度若いうちに実施することが重要です。たとえば、いきなり50代になってからではなく、比較的若いうちにやったことがないことや人・仕事・土地で苦労する経験が糧になります。

営業一筋という50代が全然違うところ行くとしたら、途方に暮れてしまうのではないでしょうか。30代・40代で得た経験によって見えてくるキャリアの道筋もあります。

経験を通じた“適応的諦観”と“個人ペースのレジリエンス強化”

個人と組織双方において、さまざまな経験を積むことが大切です。一つの方向だけにステップアップするのでなく、ほどよく諦めるという「適応的諦観」によって、自身の行動やこれまでの結果を俯瞰的にみつめることができます。

そうすることで、自身のペースで自分なりのレジリエンスが養われると思います。そして、あえて危機的な状況を自ら課すことも大切です。

異質体験を通しての“リデザイン”からの“リスキリング”を

仕事以外でいつもと違った時間や空間にいったり、自身を少し引いてみたりすることで、価値観や人生設計を見直すリデザインができます。それを踏まえた上で、リスキリングをしていくというこが大切なのかもしれませんね。

個人を支える企業側の支援や集合研修、ワークショップを通して、一人ひとりのキャリアを振り返るサポートやカウンセリングをするなど、個人のペースに合わせて併走することも大切なのだと思います。


廣川進 法政大学キャリアデザイン学部教授

廣川進 (ひろかわ すすむ) 
法政大学キャリアデザイン学部教授(文学博士)
公認心理師、臨床心理士、シニア産業カウンセラー、2級キャリア・コンサルティング技能士、日本キャリア・カウンセリング学会前会長
ベネッセコーポレーションに18年勤務。育児雑誌ひよこクラブ創刊に携わり、人事部でヘルスケア部門等の業務も経験。社会人大学院(大正大学臨床心理学専攻)、同博士課程を修了し2001年退社。大正大学臨床心理学科教員を経て2018年から現職。他にも海上保安庁(惨事ストレス・メンタルヘルス対策)や企業で、カウンセラー、コンサルタントとして関わっている。主著に「失業のキャリア・カウンセリング」金剛出版、「心理カウンセラーが教える「がんばり過ぎて疲れてしまう」がラクになる本」ディスカヴァー・トゥエンティワン、「キャリア・カウンセリングエッセンシャルズ400」金剛出版、「これで解決!シゴトとココロの問題」(労働新聞社)。

林雅子(はやし まさこ)
アサヒグループジャパン株式会社 People & Culture 本部 キャリアオーナーシップ支援室 室長
産業カウンセラー、2級キャリア・コンサルティング技能士、国家資格キャリアコンサルタント、キャリアデザイン学修士
大学卒業後、1991年アサヒビール入社。営業、グループ会社出向経験を経て、2008年アサヒビール人事部キャリア開発・女性活躍推進担当部長、2014年 グループダイバーシティ推進副室長、2022年9月より現職。キャリア面談、セミナー等のキャリアオーナーシップ支援策を通じてアサヒグループ国内社員のキャリアオーナーシップ支援に携わる。

アサヒグループジャパン株式会社 People & Culture 本部 キャリアオーナーシップ支援室 室長 林雅子

(コラム編集・構成:水須明)

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