
改姓はキャリアを含めた個人のアイデンティティに関わる問題。積年の課題を解決し選択的夫婦別氏制度の導入を目指して─立命館大学名誉教授 二宮周平氏
「働く女性にとっての『改姓』を考える」シリーズ企画の第3回目。第1回目は統計データ等から婚姻時の改姓は95%女性が行っていることや、そのことが働く女性のキャリアの断絶につながっている懸念、また対処的に「旧姓の通称利用」が広がっていることを確認し、第2回目は転職の支援を行うキャリアアドバイザーに転職時の氏名の扱いや「旧姓」が公の場で使えない問題点について話を聞いた。
第3回目となる今回は、法学者として婚姻に関わる男女不平等の現状に警鐘を鳴らされてきた立命館大学名誉教授の二宮周平氏に主任研究員である東郷がインタビューを実施。夫婦同氏制度の歴史的背景と問題点や、なぜ「旧姓の通称利用」では問題の解決にならないのか、また、選択的夫婦別姓の導入が進まない現状の課題について話をうかがった。

二宮周平(立命館大学名誉教授、法学博士)
1951年5月、横浜で生まれ、愛媛松山で育つ。大阪大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。定年退職後、特任教授を経て、立命館大学法科大学院授業担当講師。立命館で働き始めてから40年が経つ。選択的夫婦別姓、事実婚、同性婚、セクシュアルマイノリティの権利保障、婚外子差別の撤廃、子の意思の尊重、子のための面会交流・共同親権、生殖補助医療と出自を知る権利など家族法における個人の尊厳を中心に研究。主著として『家族法〔第6版〕』(新世社、2024)。現在、一般社団法人面会交流支援全国協会代表理事、日本離婚再婚家族と子ども研究学会会長、日本学術会議連携会員。
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法学からみた「婚姻時の改姓」
最高裁判事も「従前の氏の変更は、個人の人格の否定に繋がる」と指摘
Q:法学の研究者として、選択的夫婦別姓制度は導入についてどのようにお考えでしょうか?
また、そのように考えられる理由を教えていただけますか。
二宮:私は、選択的夫婦別姓制度の導入を望ましいと考えています。氏名は人格権の対象 だからです。昭和63(1988年)年に、ある放送局が、在日韓国人の氏名を本人の申し入れに反して日本語読みしたことの違法性が問題になった訴訟がありました。
最高裁は放送局は当時の慣行に従っただけで、ご本人に損害を与える害意がないことから、「違法性はない」と結論づけましたが 、判決文には「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成する」として、個人の氏名の人格権性を指摘しています。
しかし、現行民法では、夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称します。婚姻するためには、夫婦のどちらか一方が改姓しなければならないのです。これは、夫婦同氏を強制する制度であり、人格権の視点からすると、本人の意思に反して変更することを強要している制度です。夫も妻も生来の氏を称することを希望する場合に、どちらか一方に氏の変更を強制する夫婦同氏制度は、その者の人格権を侵害していると考えられます。
Q:夫婦同氏制度に法的な問題点はないのでしょうか。
二宮:その点については、令和4(2022)年3月の最高裁判決における渡邉惠理子裁判官の意見が参考になるでしょう。夫婦別姓を認めない民法などの規定によって法律上の婚姻ができず精神的苦痛を負ったとして国に賠償を求めた訴訟で、賠償を認めない点で裁判官5人全員の意見が一致し上告が棄却されましたが、渡邉裁判官は「意見」として 「規定は違憲」と述べられました。
「氏名は、個人がそれまで生きてきた歴史、人生の象徴ともいうべきものであり、婚姻時まで使用してきた従前の氏の変更は、個人の識別機能を喪失させ、また、個人の人格(アイデンティティ)の否定に繋がる」として、夫婦同姓を定める民法750条と戸籍法74条1号の規定は憲法24条(婚姻の自由)に違反すると考える」と指摘されています。
氏の変更を強制されない自由、婚姻の自由が保障されることが重要
Q:私自身の経験からも感じるのですが、婚姻によって氏名を変えざるを得ないことを疑問に思う人もいるように思います。
二宮:2020年8月、第5次男女共同参画基本計画策定専門調査会が行った意見募集では、ある20代の女性が「『この名前が、自分だ』と思える名前のままで生きていきたいという願いです。この感覚は主観的なものです。しかし、自分自身のアイデンティティを守りたいという切実な願いです。『これが自分の名前だ』と思える名前を、『旧姓としての併記』ではなく、自分の本当の名前として名乗りたいという願いがあります。」という意見を寄せています。
氏名は自己のアイデンティティに関わる大切な問題ですが、夫でも妻でも生来の氏を名乗りたい場合、生来の氏を名乗るためには、婚姻をあきらめるか、婚姻するためにどちらか一方が生来の氏を変更するという過酷な二者択一を夫婦同氏制度は迫ります。しかし、本来は、氏の変更を強制されない自由、婚姻の自由が保障される必要 があるのではないでしょうか。
選択的夫婦別姓は、同姓にしたいカップルは同姓に、別姓にしたいカップルは別姓にできる制度、それぞれのカップルの幸福を増す制度であり、婚姻したい人たちの希望に最ももっとも適合する制度だと思います。
夫婦同氏制度の歴史的背景
民法改正によって家制度は廃止したが、男系の氏による夫婦同氏が標準に
Q:日本で夫婦同氏制度が定着した歴史的背景を教えていただけますでしょうか。
二宮:明治31(1898)年6月15日に公布された民法、いわゆる明治民法は、「戸主及ヒ家族ハ家ノ氏ヲ称ス」と定めました。氏は家の呼称です。妻は婚姻によって夫の家に入り、夫の家族となり、夫の家に属するがゆえに、夫の家の氏を称します。その結果、夫婦同氏になりました。
昭和22(1947)年12月22日の民法改正によって、家制度は廃止され、氏は家の呼称ではなく個人の呼称になったはずでした。しかし、家制度廃止に強硬に反対する人たちを説得するために、また、起草委員自身が家族は同じ氏を称するという当時の習わしをそのまま受け入れていたために、民法に夫婦同氏、親子同氏の規定を設けました。
かつ、戸籍は1組の夫婦と、氏を同じくする子を単位として編製されたので、夫婦・親子が同じ氏を名乗って1つの戸籍に記載されるようになりました。そして、夫婦の氏となった方を戸籍筆頭者とし、順次、夫・妻・子が記載されることになりました。その結果、夫婦と子どもというのが標準的家族像になり、氏はファミリーネームと認識されるようになっていきました。
この家族像は高度経済成長期の日本には適合的でした。1950年代後半から、日本は高度経済成長期に入りますが、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業型の家族が標準とされ、女性の多くは結婚を機に家庭生活に入りました。氏名には個人を識別し、特定する機能がありますが、家庭に入ってしまえばその必要はありません。「〇〇さんの奥さん、〇〇ちゃんのお母さん」という属性でこと足りるわけです。当時は、結婚したら女性が改姓するのが当たり前で、改姓は女の証とさえ言われました。
今でも結婚した女性の約95%が夫の氏を称しているように、実態としては、夫の氏=男系の氏による夫婦同氏であり、家制度の名残を感じざるを得ません。
選択的夫婦別姓の導入に関する議論
女性の経済的自立の傾向と対等性への希求が選択的夫婦別姓導入を後押し
Q:選択的夫婦別姓の導入の機運が高まった理由を教えてください。
二宮:1985年に男女雇用機会均等法が成立し、女性が男性と同様に正規の社員・職員として名刺を持って働く機会が増加しました。同年、政府が批准した国連女性差別撤廃条約16条(g)は、氏を選択する「夫及び妻の同一の個人的権利」を明記します。
結婚改姓は職業上の信用・実績の中断、自己のアイデンティティの喪失に繋がりますので、女性の経済的自立の傾向と対等性への希求が、選択的夫婦別姓導入の動きとなって現れたのです。同時に、自分の生来の姓を名乗り続けることに、妻・母・嫁としての役割ではなく、女性個人としての生き方、アイデンティティの尊重や対等な夫婦関係の形成などの願いが込められていました。
こうした社会情勢を踏まえて、1996年2月、法制審議会は、選択的夫婦別氏制度を含む民法改正案要綱を法務大臣に答申しました。しかし、それから29年が経ちますが、今なお国会に上程されていません。
その背景には、家族は同じ氏(それは男系の氏)を称すべきという家父長制的な家族観を強固に支持する人たちの影響があります。根強い岩盤のような思想です。
国連の女性差別撤廃委員会が、夫婦同姓を義務付ける法律の改正を求める4回目の勧告
Q:夫婦同氏制度を法律で規定している日本は、国際的には珍しいのでしょうか。
二宮:氏名は「人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成する」のですから、改姓を強制することは人格権の侵害になります。このことは、国連の人権条約機関(自由権規約、女性差別撤廃条約等)の共通認識です。国連の女性差別撤廃委員会は日本政府に対して4回も改善勧告を出しています。
第3次夫婦別姓訴訟弁護団の調査によると、調査対象95カ国中、別氏を原則とする国は33カ国で、夫婦同氏制度のある62カ国では配偶者双方が婚姻後に婚姻前の自己の氏を保持したまま、法的に婚姻することが可能になっています。同氏を強制している国は日本だけなのです。同氏、別氏を選択できる選択的夫婦別姓制度は、人格権の主体である個人の意思を尊重する制度であり、国際的な人権の基準にも合致します。
繰り返しになりますが、個人の識別特定というのは氏名の重大な役割です。そして、個人のアイデンティティに関わることです。だからこそ、本人の意思を尊重しなければならないというのは、各国の共通のルールです。
タイやトルコなどでは、裁判所が違憲と判断し、選択的夫婦別姓制度が導入されたり、結合姓が選べたりできるように法改正されました。しかし日本では、最高裁が憲法違反だと判断しないことが影響しているのか、法律の改正が進まない状況です。
夫婦別姓制度を導入しても戸籍制度に仕組み上の支障なし
Q:選択的夫婦別姓制度の導入によって、戸籍を利用した行政事務の遂行が難しくなることはありますか。
二宮:1996年の民法改正案要綱と並行して、戸籍のあり方も議論されました。民事行政審議会答申では、別姓夫婦も同じ1つの戸籍に記載すること、婚姻の際に、将来生まれてくる子の氏を父か母か定めておくこと等が提言されました。この案であれば、夫婦別姓制度を導入しても、現行の戸籍制度を維持することができます。子の氏になる方が戸籍筆頭者になり、1つの戸籍に、筆頭者、配偶者、子と順に記載することができるからです。身分関係の公的な証明が可能で、婚姻関係や親子関係を前提にする業務について、行政は戸籍で把握できるので、支障なく運用していけると考えられます。
一部に夫婦別姓になると子どもたちが困るんじゃないかと心配する方がいらっしゃいますが、それは夫婦同氏、親子同氏に慣れてしまって、それが当たり前だと思っている大人たちの個人的な感想に過ぎないと考えています。実際に夫婦別姓の家庭で育った子どもたちにアンケートを取ってみても、ほとんどが困ることはないと回答しています。
旧姓の通称使用でダブルネーム管理のコストや個人の識別の誤りのリスクが増大
Q:結婚後に旧姓を通称使用する女性が珍しくありません。旧姓の通称使用では問題は解決できないのでしょうか。
二宮:女性活躍が進むにつれて、旧姓の通称使用で困るという女性の声が大きくなりました。そのため政府は、住民票やマイナンバーカード、運転免許証、パスポートでの旧姓併記を認めるように政令を改正しました。しかし、旧姓併記は、その人が婚姻し相手方の氏を名乗っていることを、本人の意思に関わらず明示してしまいます。つまり、個人のプライバシーを侵害することに繋がります。
パスポートの場合は、「姓/Surname」の後に「(旧姓/Former surname)」を追記することになっているのですが、外国の入国審査官がその意味を理解していないと、トラブルになる可能性があります。
それに、パスポートに記載している氏名と航空券やホテルの予約時に使用した氏名、クレジットカードの氏名などと異なっていれば、その都度パスポートの「Former surname」の説明を求められることになるかもしれません。
旧姓を通称として使用することは、任意の便宜的な措置であり、専門資格や勤務先で通称使用が認められても、税や社会保険、預貯金の口座やクレジットカード、携帯電話の契約、法人登記や成年後見人の登記等では、戸籍姓を用いることが求められます。
個人には使い分ける負担を増加させ、氏の識別特定機能を混乱させ、通称使用をする人の社会生活を妨害し、社会的にはダブルネーム管理のコストや個人の識別の誤りのリスクを増大させることになります。
それに、今は多様な家族形態が存在します。事実婚やシングルファーザー・シングルマザー、同性カップルやトランスジェンダーのカップル、グローバル化が進んで外国人と結婚する日本人も増えています。本当にいろいろな家族の形があるので、夫婦同氏というのは、たくさんある家族形態の1つだけを反映している制度ではないでしょうか。
旧姓の通称使用では、たとえ、通称を公的証明書に用いることができるようにしたとしても、婚姻 の際に氏の変更を望まない当事者にとって、その氏を維持することができないという個人の人格に関わる本質的な問題を解決することはできません。これらの問題を一挙に解決できるのが選択的夫婦別氏制度なのです。
選択的夫婦別姓の導入に向けて
日本を代表する企業が選択的夫婦別姓制度の必要性を希求
Q:経団連をはじめとして日本を代表する企業のトップが、選択的夫婦別姓制度の導入の必要性を指摘しています。近い将来、制度が改められる可能性をどう考えておられますか。
(参考)「選択肢のある社会の実現を目指して」(2024年6月18日一般社団法人 日本経済団体連合会)
二宮:グローバルに事業を展開する企業や海外に社員を派遣する機会が多い企業は、経済活動をする上で日本固有の制度に不都合を実感する機会が多いのではないでしょうか。旧姓の通称使用は、従業員を管理する上でもコストがかかりますし、何より個人の識別、特定が難しくなる危険性が発生します。
また、海外の取引先から問題を指摘されることもあるかもしれません。合理性から考えると選択的夫婦別姓制度の導入を企業が希望するのは当然のことと言えます。
選択的夫婦別姓が議論され始めて、約30年が経過していますが、合理性よりもイデオロギーに固執する反対派の意見もあり、また、政党内で意見の一致がなければ、内閣提出法案として国会に上程できないという民法を改正するにあたっての 議決の方法にも問題があって、いまだに法改正に至らないというのが現状です。
しかし、石破首相は2024年12月5日、衆 議院予算委員会で「姓を変えなければならないことに、つらくて悲しい思いを持っておられる方々が大勢いることは決して忘れてはならない」と発言されました。当事者の声に耳を傾け、積年の課題を解決すべき時が来ています。
(参考)会議録第216回国会 予算委員会 第1号(令和6年12月5日(木曜日))