年収の壁がなくなったらどう働く?年収の壁に関する政府の動きと学生・主婦の働き方
先日、2024年の最低賃金改定の目安が発表され、50円の大幅な増額が話題となっている。しかしSNSなどでは「年収の壁があるのでそう単純に収入アップにはつながらない」という声もみられた。年収の壁を気にしてシフトを削る人が多ければ、人手不足にも拍車がかかっていくという問題もある。
そこで今回は、年収の壁に関わる政府の動きと企業がその影響をどう感じているのか、また、非正規雇用で働く人々が現在年収の壁がある中でどう働き、年収の壁がなくなったらどう働きたいと思っているのかを探っていく。
目次
さまざまな金額で存在する「年収の壁」
年収の壁とは
年収の壁とは、扶養範囲内で働く労働者が年収を調整する金額のラインのことだ。現行の制度では、年収が一定額を超えて世帯主の扶養から外れると、社会保険料などの負担が発生し、かえって手取りが減少してしまう状況が起こる。そのため、このラインを超えないように働く人がおり、その金額が「年収の壁」と呼ばれている。
年収の壁には一般的によく知られている「103万円の壁」「130万円の壁」などの他にも、以下のようなさまざまなラインが存在している。
- 年収100万円…住民税の負担が生じる(税の壁)
- 年収103万円…所得税が課税される(税の壁)
- 年収106万円…一定の条件を満たすと勤務先の社会保険の加入義務が生じる(保険の壁)
- 年収130万円…家族の扶養から外れ、自身で社会保険に加入する義務が生じる(保険の壁)
- 年収150万円…家族の配偶者特別控除* が減少しはじめる
- 年収201万円…配偶者特別控除額* が0になる
* 配偶者に48万円(令和元年分以前は38万円)を超える所得があるため配偶者控除の適用が受けられないときでも、配偶者の所得金額に応じて、一定の金額の所得控除が受けられる場合があります。 これを配偶者特別控除といいます。(国税庁の解説より)
年収の壁に関わる政府の動き
近年、年収の壁が特に注目されている背景の1つに、年収の壁に関わる政府の施策などが実施されていることがある。まずはそんな政府の動きとその反響について見ていく。
社会保険適用の拡大(2022年10月)
年収の壁に関する政府の動きの1つは、2022年から段階的に実施されている社会保険適用の拡大だ。
従来の条件で「従業員数が501名以上の会社/雇用期間1年以上」だったものが2022年10月からは「従業員数が101名以上の会社/雇用期間2か月以上」に変更された。
このことでより多くの人が社会保険の加入対象の条件を満たしやすくなり、保障を受けやすくなった一方で、社会保険料の負担で手取りが減らしたくない人にとっては、社会保険加入条件に該当しないように就業調整をする必要が出てきたという課題もある。
この改正による良い影響と課題について見ていこう。
社会保険適用拡大によるメリット
まず、社会保険の対象が拡大し、社会保険に入りやすくなることは就業者にとって本来メリットがあることだ。社会保険への加入は、休業中に傷病手当金・出産手当金などが受給できるようになることや将来の年金額の増額にもつながる。
また、企業としても社会保険の適用拡大による良い効果が実感されている。適用拡大から約1年たった2023年7~8月調査では、社会保険適用拡大で「(やや)良い影響があった」という回答は31.5%で「(やや)悪い影響があった(6.5%)」を上回った。
影響の内容の詳細は参考値となるが、「従業員のモチベーション向上」が48.3%ともっとも高くなり、次いで「定着率の向上」で44.8%、「応募数の増加」「より長い労働時間働いてもらえるようになった」で41.4%となった。
社会保険の加入対象となる就業者が増えたことで、この職場で働き続けようという意欲の向上などにつながったという実感を持つ企業があるようだ。
社会保険適用拡大による企業の影響
上記のように、社会保険適用の対象が拡大されることにはメリットがある一方で、企業にとっては、社会保険適用の対象となった就業者が就業調整しようとするかもしれないという懸念もある。
2023年7~8月の企業調査によると、2022年の9月の制度実施前と比較して非正規雇用の社会保険加入者が「増えた」割合は26.8%、就業調整する人が「増えた」割合は16.3%となった。実際に、社会保険加入者が増えたり、年収の壁を意識してシフト等の調整をした人が増えたりした企業があったことがわかる。
【図1】で見たように、社会保険適用の拡大によって悪い影響があった企業は少なかったが、その中で悪い影響として全体の上位となったのは「人件費の増加(53.2%)」や「勤務時間の調整が難しくなった(49.1%)」だった。社会保険適用拡大の対象企業の回答数は少ないため参考値だが、「より短い労働時間を希望する人が増えた」という回答もみられる。
社会保険適用の拡大により加入対象者が増え、実際に加入者も増えたため、新たに社会保険に加入した人の社会保険料を半額負担するようになったことで人件費が増加していることなどが考えられる。
非正規雇用で働く人の社会保険加入意向
一方で、非正規として働く就業者は、社会保険に加入することやそのために社会保険料の負担が発生することについてどう感じているのだろうか。
実際に就業制限をしている就業者に、就業中の職場での社会保険加入意向を聞いたところ、「社会保険料を負担したくないので、社会保険に加入しなくていい」が30.3%で最多となった。特に主婦とシニアでは約半数がこの回答となっている。
また、社会保険に加入しなくていいと思う理由について見ると、もっとも多いのは「手取り額の目減りを少しでも抑えたいから(42.3%)」となっている。主婦の回答では「配偶者の扶養から外れたくないから(50.6%)」「健康保険の扶養から外れたくないから(41.8%)」が上位となっている。
非正規雇用の就業者が社会保険に加入する上では、「働く時間を増やせないから(23.8%)」「あまり働きたくないから(22.2%)」などの就労上の事情よりも、扶養や手取りの減少がネックとなっているケースが多い様子がわかった。
2024年10月には社会保険適用の対象が「従業員数51名以上」の企業に拡大され、社会保険の加入対象者がさらに増える予定だ。社会保険加入による利点と手取りの減少の可能性について兼ね合いを検討する人もますます増えると考えられる。
年収の壁・支援強化パッケージ(2023年10月~)
そんな中、一定の条件を満たすと勤務先の社会保険の加入義務が生じる社会保険の壁を気にせず働くことができるようにと、2023年10月から政府が始めたのが「年収の壁・支援強化パッケージ」だ。
「106万円の壁」に対しては、就業者の手取り年収を減らさない取り組みをする企業に助成金の支給を行い、「130万円の壁」に対しては、収入が一時的に上がっても事業者がその旨を証明することで被扶養者認定が可能となる仕組みづくりをするなどの取り組みが行われている。(厚労省:年収の壁・支援強化パッケージより)
企業・就業者からの賛否
この取り組みは年収の壁を意識せず働ける環境づくりを行うという趣旨で、就業者個人ではなく企業への施策となっているが、企業と就業者はこの支援についてどう考えているのだろうか。
「106万円の壁」に対する企業助成について企業の意見を見てみると、賛成の企業が74.3%、反対の企業は25.7%となった。
賛否の理由を見ると、賛成の企業からは「労働意欲に合わせて働くことができるようになれば人手不足の解消につながる」「物価高騰で現在の年収では厳しいことがある」などの声がみられ、反対の企業からは「企業助成より個人に助成すべき」「助成ではなく社会保険料の発生する金額を引き上げればいいと思う」などのコメントがあった。
賛成理由 | 反対理由 |
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社会保障の充実によって労働者個々の健康維持や、緊急時の支援と助成など配慮が行き届いた秩序ある環境が整えられる [大阪府、製造(建設除く)] | 企業助成より個人に助成するべき [奈良県、インフラ] |
物価高騰で現在の年収では厳しいことがある。政府の政策で 少しでも個々の負担が軽減されるのを期待している。[奈良県、小売] | 助成ではなく社会保険料の発生する金額を引き上げればいいと思う[愛知県、製造(建設除く)] |
労働意欲に合わせて働く事が出来るようになれば人手不足の解消に繋がる[東京都、サービス] | 当該施策より、税体系の根本的な見直しが必要。細かい修正が積み重なり、非常にイビツになっている。[東京都、サービス] |
/非正規雇用に関する企業の採用状況調査(2023年7-8月)
一方で就業者としてはどう感じているのか見てみると、「106万円の壁」に対する企業助成について、賛成の回答は76.7%で反対派を大きく上回っており、賛成がもっとも高い属性はシニア層となっている。
賛成の理由では「働くのを抑えなくていいし、家計にもプラスになる」、反対理由では「もっと(年収の壁の)条件を上にしないと働く時間が増えないと思う」などの意見がみられた。
賛成理由 | 反対理由 |
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壁があることで働き渋りが起こり企業の人員不足が深刻化すると思うから [30代 男性] | ほとんど変わらないし、もっと条件を上にしないと働く時間が増えないと思うので [40代 男性] |
物価が高騰しているので、少しでも所得が増えることは望ましいと思うから [60代 男性] | 第3号被保険者制度は前時代的なものであるので廃止した方がいい [60代 男性] |
働くのを抑えなくていいし、家計にもプラスになるから[20代 女性] | 時給が高いパートは制限をしなくて良いが、時給が低い場合は厳しいと思う [60代 女性] |
//非正規雇用に関する求職者・新規就業者の活動状況調査(2023年7-8月)
企業・就業者ともに、意見の根底には年収の壁による手取りの減少や働き控えへの問題意識が見てとれる。施策への反対意見についても、年収の壁の問題を解決しようとすることには賛成の意識がありつつも、施策としてより良い形を求めたり、年収の壁自体の根本的な解決を求めたりする気持ちがあることがうかがえた。
企業の利用状況
2024年5~6月の企業調査によると、「106万円の壁」と「130万円の壁」のそれぞれへの対策を併せた「年収の壁・支援強化パッケージ」の名前や内容を知っている企業は74.9%、そのうち内容を知っている企業は45.7%だった。さらに、この施策を認知している企業の中で、利用している・または利用予定の企業は30.7%となっている。
この施策を認知している企業のうち約4割は利用を検討しており、必要性を感じていると考えられるが、就業者に支援が届くのにはまだ時間がかかりそうだ。
年収の壁と非正規雇用で働く人々の意向
年収の壁について社会保険の加入対象者が変わったことで「106万円の壁」を気にする必要がある人が増えていることや、政府の企業助成が始まったがまだ導入には至っていない企業も多いことがわかった。
「年収の壁」解消のための政府の施策に関するコメントでは、「就労意欲にあわせて働くことができれば人手不足の解消につながる」という意見もみられ、企業調査でも6割の企業が「年収の壁によって就労促進の妨げになり人手不足の一因になっていると感じることがある」と回答したが【図12】、実際に非正規雇用労働者はどの程度、年収の壁を意識して働き、就労意欲に対して実際の就業を調整しているのか。最後に年収の壁と就労意欲などについてのデータを見ていく。
年収の壁に合わせて働く学生・主婦
非正規雇用労働者の中でもアルバイト・パートで働く人が多いことから、アルバイト就業者の就業調整状況について見ると、就業調整をしている人の割合は31.5%だった。属性別に見ると大学生(40.4%)と主婦(54.0%)の割合が特に高く、就業調整している人が多いことがわかる。
具体的にどの程度の年収に調整しているのかをみると、全体では「103万円の壁」を意識して働く人がもっとも多くなっている。学生と主婦について見ると、学生は「100万円の壁」と「103万円の壁」(税の壁)を、主婦は「100万円の壁」「103万円の壁」(税の壁)と「130万円の壁」(社会保険の壁)についてそれぞれ意識している人が多いようだ。
さらに、月収の平均値を見ると高校生は4万4,876円、大学生は5万9,749円、主婦は8万8,313円となっている。主婦の平均月収「8万8,313円」は年収を計算すると105万9,756円となり、平均値でも年収が「106万円の壁」のラインに収まる金額になっていることがわかる。
年収の壁がなくなった場合の理想の収入
平均月収を見ても、特に主婦においては年収の壁(特に社会保険の壁)を意識して働いていることが推察できるが、もしも年収の壁がなかった場合、就業者はどのように働きたいのだろうか。
就業調整の有無に関わらず、アルバイト・パート就業者に年収増加に関する意向を聞いたところ、年収を上げたいと回答した人は79.6%となり、多くのアルバイト・パート就業者が収入アップを望んでいることがわかる。
具体的にどの程度の年収増加を希望しているのか見てみる。年収の壁が撤廃され、労働時間を増やせば手取りを減らさず年収アップできるようになった状況を想定して、どの程度年収を上げたいかを聞いたところ、「2倍以上(19.5%)」がもっとも多く、「労働時間が増えるのであれば、年収アップは望まない」という回答は8.2%に留まった。
年収の壁を気にする必要がなくなった場合、労働時間を増やすことになっても年収を増やしたい考えの就業者がほとんどであり、年収を2倍やそれ以上など大幅に増やしたい人もいることがわかった。
年収の壁がなくなった場合の雇用形態や転職についての意向
次に、雇用形態や転職についてはどのように考えているのかについて見ていく。 まず就労意欲と雇用形態の転換希望について聞いたところ、アルバイトとして働く人では「(現在の雇用形態のまま+雇用形態を転換して)もっと働きたい」という回答は54.6%と半数以上で、属性別に見ると高校生・大学生が特に多いことがわかる。
雇用形態を転換したい人は全体で14.7%おり、特にフリーターでは約2割がアルバイト・パートからの雇用形態の転換を希望している。
年収の壁が撤廃されたときにもっと働きたいと思う理由について聞くと、上位になったのは「貯金をするため(59.8%)」「自分で好きに使えるお金を増やしたいため(55.2%)」だった。
アルバイトの目的では「自分の生活費のため」が1位となっているが、もっと働きたい理由としては「自分の生活費」は4位となっている。年収の壁が撤廃された場合には生活費よりも貯金や自分の趣味のための費用としてプラスアルファの収入を得たいという考えだと推察される。
まとめ
年収の壁がなくなった場合、貯金など生活費以外のプラスアルファの収入のために、勤務時間が増えたとしても収入を上げたい人や、雇用形態の転換を考えている人もいるとわかった。つまり、逆に考えればそういった就労意欲は現在、年収の壁を意識した就業調整によって抑えられているのではないだろうか。
年収の壁が撤廃されて就業調整をする必要がなくなり、就労意欲の通りに働けるようになることは、就業者個人の収入増加やキャリアアップに留まらず、社会全体の労働力の増加や、正社員と非正規社員の格差の是正にもつながる可能性がある。
社会保険の加入によって保障を受けながらも、加入による費用負担と手取りの減少を気にせずに、自身や家族にとってより良い働き方を選択できるようになることを期待したい。
キャリアリサーチLab編集部 沖本麻佑