マイナビ キャリアリサーチLab

「働き方と暮らし」の50年を振り返る【第2回】

東郷 こずえ
著者
キャリアリサーチLab主任研究員
KOZUE TOGO

前回のコラムでは人口動態などマクロな視点で「働き方と暮らし」を振り返り、最初の区分として「1973~1985年 第1次石油危機(オイルショック)から安定成長への移行期」の時代背景や当時の労働政策など振り返った。

本コラムはマイナビ50周年記念企画による『「働き方と暮らし」の50年を振り返る』シリーズの第2回目となる。今回は「1986~1991年(安定成長期からバブル経済期)」についてまとめていく。

1986~1991年(安定成長期からバブル経済期)

バブル時代

時代背景

この時期の特徴としては、安定成長から急激な経済拡大、そしてその後のバブル経済があげられる。前回のコラムで先述したように、日本経済は石油危機をきっかけに産業構造の転換と技術革新を進め、その成果が現れるようになる。特に自動車や電子機器などの製造業が世界的に競争力を持ち、大幅な対外収支黒字を背景として、日米貿易摩擦が激化していた。

こうした問題を解決するために、ドル高是正の協調介入を行ったプラザ合意が成立、アメリカ側の強硬な姿勢もあり、急速に円高が進み、日本経済は輸出業を中心として企業収益が悪化し、輸出競争力を低下することとなる。

コスト引き下げのために海外に工場を移転し、現地生産をするなどの対策がとられたことで、製造業が盛んだった地域では、工場が閉鎖されるなどして「産業の空洞化」と呼ばれる状況となるなど地域社会の経済に深刻な影響を及ぼした。

また、国際収支不均衡を是正するために日本では内需拡大政策がとられ、円高対策も念頭にいれた金融緩和策が実施された。その後、景気は回復し、株価、地価などの値上がりが発生、いわゆるバブル経済という状況となる。株価、地価の上昇だけでなく、個人資産なども増大し、社会全体が好景気を実感した時期となった。1989年12月29日に、記録された日経平均株価3万8915円87銭は現在においても最高値となっている。

次に産業構造に注目する。先述したとおり、円高下で輸出への依存度の高い製造業においては厳しい状況となったが、非製造業においては内需拡大の影響から拡大した。バブル経済期には土地や不動産価格が急騰し、大規模な開発プロジェクトが進行したこともあり、不動産や建設業が成長したほか、株式市場の活況や金融政策の緩和を背景に金融業も成長した。

また、所得水準の向上により個人消費が拡大し、サービス業や小売業の発展を促進した。 この時期は社会的にも大きな変化があった。日本国内では、昭和天皇崩御による「平成」への改元、消費税の導入などがあり、世界では、チェルノブイリ原発事故、天安門事件の発生、「ベルリンの壁」の崩壊、ソビエト連邦の崩壊、湾岸戦争の勃発、南アフリカのアパルトヘイト終結など、冷戦構造の変化や地域の勢力図の再編があった。

就職活動生の企業人気ランキングの状況

マイナビが実施している就職企業人気ランキングの結果から、このころの人気企業を確認する。該当期間の結果で上位10社までをリストにした。

文系学生では商社、金融が目立ち、理系学生では電気機械に加えて通信が目立つ。またこのころから航空、旅行会社等がランクインするようになっている。最新の結果(2024年卒版)と比べると、文理ともにまだサービス業は少ない印象だが、徐々に増えていく様子が読み取れる。

マイナビ就職企業人気ランキング 1986年~1991年
マイナビ就職企業人気ランキング 1986年~1991年

主な労働政策

この時期の主な労働政策は以下のとおりである。

✓1986年、「高年齢者等雇用安定法」が施行される。従来から60歳定年の一般化が労働行政の重要課題とされてきたが、今後は60歳定年(定年を定める際の60歳定年は努力義務)を基礎に65歳程度までの継続雇用を促進すること、定年退職者等に対する臨時的かつ短期的な就業機会を確保すること等、高齢者の雇用・就業に関する施策が総合的に推進していくことが求められた。定年退職者の臨時的、短期的な就業機会の確保、提供を行う仕組みとして、シルバー人材制度が創設された。

✓1987年、「地域雇用開発等促進法」が施行される。地域間格差の是正を目的としたが、特に、1985年以降の円高の影響を受ける輸出型産地、造船、鉄鋼などの構造的不況業種に強く依存している地域など、雇用情勢が厳しい地域の地域経済の振興と雇用の促進を目的として制定された。地域ごとの特性に応じた雇用創出や産業振興を支援し、地域社会の発展を促進するための施策を取り入れており、中小企業の支援や地域資源の活用を通じて、地域経済の健全な成長を図ることが重要視されている。

✓1987年、「労働基準法」の改正が行われた。労働時間の短縮が労働者の生活の質的向上、長期的にみた雇用機会の確保、内需拡大等の観点から重要な課題となるとともに、国際社会における労働時間の水準と照らし合わせて改善の必要があったこと、また、労働基準法制定時に比べて、第三次産業の割合が大きくなったことにより労働時間に関する法的規制をより弾力的なものとする必要が生まれたことを背景に、法定労働時間の短縮(週40時間制、当面46時間)が定められた。ほかにも「変形労働時間制の導入」「事業場外労働および裁量労働における『みなし労働時間制』の整備・導入」が定められた。

この時期は社会経済情勢が大きく変化してきた時期でもあり、就業者の労働環境を整え、ゆとりある職業人生を実現していこうとする動きがみられた。

1988年に閣議決定された「第6次雇用対策基本計画 」では、「構造調整期において雇用の安定を確保し、これを基盤としたゆとりある職業生活の実現を目指すこと」を課題として設定されている。この中で、経済構造転換下における雇用の安定や高齢者、女性、外国人の雇用に関する対策、労働時間の短縮の推進などが盛り込まれた。

暮らし方

前回のコラムで示した国勢調査の結果によると、1980年代後半から1991年頃にかけては専業主婦世帯が減少し、共働き世帯と同程程度の水準に近づきつつある転換期となっている。【図1】

専業主婦世帯と共働き世帯の推移/労働力調査(総務省)
【図1】専業主婦世帯と共働き世帯の推移/労働力調査(総務省)

先述したようにサービス産業の拡大に伴い、パートタイマーとして働く女性の雇用者が増加したためである。なお、一般世帯における1世帯あたりの世帯人員は1990年で2.99人となり、3人を下回り始める。【図2】

一般世帯における1世帯当たりの人員/国勢調査(総務省)
【図2】一般世帯における1世帯当たりの人員/国勢調査(総務省)

このころから単独世帯が増加傾向にあるが、このころはまだ「夫婦と子から成る世帯」が最も多く、1985年では単独世帯の1.6倍、1990年では1.9倍となっており、「会社員と夫と専業主婦かパートの妻、そして子供」というのが一般的な家庭の姿だったと思われる。【図3】

世帯の家族類型別一般世帯数/国勢調査(総務省)
【図3】世帯の家族類型別一般世帯数/国勢調査(総務省)

次に時間の使い方(1週間あたりの時間)について1991年と2021年で比較する。男性は有業、女性は有業と無業の3区分で比較したところ、共通していたのは「睡眠」「休養・くつろぎ」などいわゆる“オフ”の時間が1991年のほうが2021年よりも少ない点だった。反対に、有業者においては「仕事」の時間が男女ともに1991年のほうが多く、また、数字は小さいが「交際・付き合い」の時間についても1991年のほうが多かった。【図4】

1週間あたりに各活動に費やす時間/社会生活基本調査(総務省)
【図4】1週間あたりに各活動に費やす時間/社会生活基本調査(総務省)

バブル経済期のピークは1990年だが、当時は残業も厭わない働き方やいわゆる“飲みニケーション”などもあり、繁華街もにぎわっていたと伝えきく。特に有業者においては、プライベートよりもオンタイムのほうが重視されがちだったと推察される。一方、2021年はコロナ禍ということもあり、どちらかというと外よりも家のなかでの時間が大切にされる時期でもあった。そうした特殊な環境下ではあったものの、人々が生活のなかで大切にする価値観が大きく変化したと思われる結果だった。

さいごに

本コラムではオイルショック後の安定成長期からバブル経済期にあたる1986年~1991年を振り返った。「ジャパン・アズ・ナンバーワン:アメリカへの教訓」が出版されたのは1979年とこの期間よりも前の話ではあるが、日本経済が黄金期真っ只中といえる時期だろう。

その後、次回のコラムでテーマにしていくが、バブルが弾け、日本経済は長い低迷期に入ることを考えると、「あの頃はよかった」と振り返る人も少なくないだろう。しかし、先述した「時間の使い方」が示すとおり、『働き方と暮らし』という側面では華やかさの陰でマイナス面もあったのではないだろうか。

次回は、バブル崩壊後から20世紀の終わりにあたる1999年までを振り返る。

マイナビキャリアリサーチラボ 主任研究員 東郷こずえ

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