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企業文化で「待ちの採用」から「攻めの採用」に代わる
~シグナリング理論による「組織適合」・「職務適合」情報の発信~
–大分大学・碇邦生氏

碇邦生
著者
九州大学ビジネス・スクール講師 合同会社ATDI代表
KUNIO IKARI

変化する採用の常識

ここ10年で人事領域の変革はさまざまな分野で行われてきたが、その中でも採用はもっとも大きな変革を遂げてきた1つだ。日本だけではなく、世界規模で見ても、採用はあらゆる面で変化している。

たとえば、ここ数年、採用が重要な経営課題として認識されるようになっている。経団連による新卒一括採用の抜本的な見直しの提言やDeNAの南場智子会長のように大企業の経営者が自社の採用変革について語る機会も増えてきた。

そのほかにも、採用に関するテクノロジーの活用や、採用経路の多様化(従業員からの紹介のリファラル採用、企業が直接求職者をスカウトするダイレクト採用等)などの多くの変化が起きている。これらの変化によって、採用は広告を出して求職者からの反応を待つのではなく、直接候補者にアプローチする攻めの姿勢が取られるようになってきた。

これらの変化の進む先にあるのは、待ちの採用から攻めの採用への転換だ。これまでは、求人を出して応募者が集まるのを待つ必要があった。それに対して、攻めの採用では応募者を待つのではなく、さまざまな採用経路を活用して求職者に直接アプローチを図る。

強力な企業文化が攻めの採用を作る

攻めの採用では、企業文化や従業員の働き方、キャリアのような、従業員の労働環境に関係するソフト面の整備が重要になる。

インターネットの普及により、従業員の働き方やキャリアは社外からも評価されるようになってきた。端的なものはブラック企業だ。ひとたび悪評が立つと、採用活動の難易度は跳ね上がる。反対に、「働きがいのある会社」ランキングのような高評価を受けると応募者が集まりやすくなる。そのような中、企業文化は求職者にとって重要な判断材料となっている。

また、企業にとっても企業文化を明示することは大きなメリットがある。たとえば、企業文化に共感した求職者のみが応募することで、母集団の質が向上することが期待できる。企業文化への共感を軽視すると、採用のミスマッチも増える。挑戦心旺盛な企業文化を持ったIT企業が、働き方改革の先進的な取り組みをPRしたところ、企業文化とは合わない私生活重視で安定志向の学生から応募が増えて困ったという話がある。

このようなミスマッチを防ぐためにも、企業文化を軸として、自社にとって好ましい人材だけを応募してもらう採用に注目が集まっている。

好ましい人材だけに応募してもらうシグナリング理論

どのように自社にとって好ましい人材だけに応募してもらい、好ましくない人材を募集段階から避けるのか。基本的な理論となるのは、マイケル・スペンス教授(米国)によって提唱されたシグナリング理論だ。シグナリング理論では、豊富な情報を持つ方が情報を持たない者に対して、情報をわかりやすく明確な「シグナル」として発信することで、情報の格差が合理的に解消される。

たとえば、採用試験で応募者を判断するときに、高学歴である人材は真面目に勉強をして成果を出してきたと考えられるので、「真面目に取り組んで成果を出す人が欲しい」と考える企業にとっては合理的な「シグナル」となる。

採用活動では、企業は「自社にとって好ましい人材」について明確でわかりやすい「シグナル」を発することで、条件に合った求職者を惹きつけ、適さない求職者からの応募を防ぐ。それでは、どのような「シグナル」を発するべきだろうか。

「組織適合」と「職務適合」のシグナルを設定する

採用研究では、選抜時に応募者が入社後に成果を出すかどうかを見極めるために使用する基本となる2軸がある。応募者と組織の間で価値観や文化の適合度を見極める「組織適合」と入社後に任せる予定の職務の遂行に役立つ経験や専門性を有しているかを見極める「職務適合」だ。

求人でシグナリング理論を活用するということは、応募者が募集の意思決定をするときに自分で自分のことをその求人に適しているかどうかを問いかけ、選抜することになる。いわば自己選抜と言える工程のガイドラインとなるように、組織適合と職務適合を促すシグナルを発する必要がある。

組織適合と職務適合のシグナルを設定するとき、まず取り掛かることは組織文化の明示化だ。組織文化の明示化から始めるべき理由は組織適合では単純だ。組織適合では、組織の価値観や文化と適合した個人を探すため、組織文化を明らかにしないと選抜時の判断基準が曖昧なものになってしまう。

シグナルとしては、明示化された組織文化を基にして、従業員のブランディングを行う。たとえば、人材輩出企業として有名なサイバーエージェントやDeNAには、成長意欲が強く、起業家精神やイノベーション志向が強い人材が自然と集まる。近年では、メルカリのように従業員ブランド構築の専門チームを設立する動きもみられる。

また、職務適合も組織文化から始めるべきだ。その理由は、職務適合のシグナルは「従業員価値提案(Employee Value Proposition)」という形で提示されることが多いためだ。従業員価値提案とは、企業が従業員に対して提供する価値(目的意識、処遇・報酬、キャリア、成長機会、生活の質等)を指す。どのような価値が提供されるのかは、組織文化に大いに影響を受ける。堅実な組織文化を持つ企業では提供する価値も堅実なものになり、先進的な組織文化を持つ企業では提供する価値も先進的になりやすい。

採用において、企業は従業員価値提案を明示し、応募者と合意する。この合意によって、応募者は入社後に高い貢献意欲を持って職務に取り組むことができる。たとえば、マーサーでは、処遇(契約面)、キャリア・生活の質(経験面)、目的意識(感情面)のフレームワークで従業員価値提案を整理している。

組織文化から従業ブランディングと従業員価値提案を作り、シグナルとして採用に応用するという一連のプロセスをまとめると下図のようになる。求職者は2つのシグナルから、組織適合と職務適合という2つの側面から自己選抜をするようになる。 

組織文化を軸にした、採用で来て欲しい人材だけを誘引するプロセスをあらわした図

知名度の低い企業ほどシグナリング理論を活用すべし

シグナリング理論の活用をもっともお勧めしたいのは、知名度が低いために採用に苦戦している企業だ。大量の母集団形成を前提とした採用は、知名度の高い企業や業種にとって有利なようにできている。しかし、シグナリング理論をベースにした採用は大量の母集団を必要としない。

強力な組織文化を持ち、その組織文化から従業員ブランディングをすることで、その組織で働きたいという応募者を惹きつけることができる。その応募者は従業員ブランドに惹きつけられているので、非常に強い志望意欲を持っている。

たとえば、ECサイトを運営するザッポス(米国ラスベガス)は、このような仕組みをうまく採用に活かしている。同社は、2014年に求人公募の廃止を発表し、代わりに就職志望者のコミュニティ「ザッポス・インサイダー」を立ち上げている。登録者は今すぐに転職したいと考えていなくても良く、将来のある時点で働きたいと望む可能性のある人たちのコミュニティを作っている。

強力な企業文化を作り、その文化に共感するファンを増やすことで、攻めの採用に切り替えることができる。それが母集団を必要としない採用の在り方だ。そのために、企業作りに取り組んだうえで、対外的に発信していくことがこれからの採用に求められている。


著者紹介  大分大学経済学部講師  合同会社ATDI代表 碇 邦生

2006年立命館アジア太平洋大学を卒業後、民間企業を経て神戸大学大学院へ進学し、ビジネスにおけるアイデア創出に関する研究を日本とインドネシアにて行う。15年から人事系シンクタンクで主に採用と人事制度の実態調査を中心とした研究プロジェクトに従事。17年から大分大学経済学部経営システム学科で人的資源管理論の講師を務める。現在は、新規事業開発や組織変革をけん引するリーダーの行動特性や認知能力の測定と能力開発を主なテーマとして研究している。また、起業家精神育成を軸としたコミュニティを学内だけではなく、学外でも展開している。日経新聞電子版COMEMOのキーオピニオンリーダー。

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