雇用環境が激変する中、これからの働き方はどうあるべきか!?選びながら、つむいでいく──『つむぐキャリア』というキャリアデザインを考える(対談:明治大学 飯田泰之氏)
テクノロジーの進化を受け雇用環境が激変し、働き方が大きく様変わりしつつある。私たちは、ビジネスキャリアとライフキャリアに存在する過剰な選択肢にどのように対処し、これからの時代のキャリアデザインをどのように描いていけばいいのか──。
マイナビがたどり着いた答えが、“選びながら、つむいでいく──『つむぐキャリア』”というキャリアデザイン。今回は、『つむぐキャリア』をまとめるにあたってご尽力いただいた専門家お二人の対談をお届けする。
(写真左)明治大学 政治経済学部 飯田泰之教授
(写真右)法政大学 キャリアデザイン学部 梅崎修教授
目次
環境変化に応じたキャリア意識の更新が求められる時代
梅崎:『つむぐキャリア』をまとめるにあたって、飯田先生には特にマクロ経済学の視点からさまざまなご提言、ご意見をいただきました。あらためてこの取り組みを振り返っていただけますか。
飯田:今、雇用環境が大きく変わりつつあります。IT化やAI化が進んだことで、ホワイトカラーの仕事が技術で代替可能になってきました。これまでの機械化は、どちらかというとブルーカラーの労働を代替してきたのですが、今回は少々様子が違うかもしれない。
その結果として、労働需要の内訳が変わりつつあります。転換期の日本の雇用・労働環境がこれからどう変わっていくのか。本レポートの問題意識はここにあります。
梅崎:労働者にとって、組織内で描けるキャリアパスの幅が狭くなってきていることが明らかになりました。もちろん、その実態については以前から指摘されていましたが、調査からは、それでも役職に就くことを楽観視している社員が多いということもわかりました。
飯田:人事コンサルタントの城繁幸さんの『7割は課長にさえなれません』(PHP新書)が出版されたのが2010年です。状況はその後より厳しくなっており、データをもとに「7割の人は課長にもなれない」という事実をつきつけられても人は「自分は例外なのではないか?」という想いは残るようです。
さらに、「管理職」のモデルとして自身の上司という、実際に部課長になった例ばかりに注目してしまうサバイバルバイアス(生存者バイアス)は、キャリアに対する楽観視の原因になっているようです。一つの企業でがんばり続けて昇進した上の世代しか見ていないので、転職などで会社からいなくなってしまった人のことが見えていないのです。
梅崎:自分たちの上の世代の競争環境と、今、自分たちが置かれている競争環境の違いが理解できていないから、上の世代と同じ競争環境に置かれていると感じるバイアスがかかっているのかもしれません。
飯田:昔のようにテクノロジーなしに人間を管理しようとする時代と、さまざまなテクノロジーを活用して人間を管理できる現代とを比較すると、今は中間管理職の必要性が下がっていています。この傾向は、今後さらに加速していくでしょう。そして急成長する企業が少ない以上、管理職のポストはますます少なくなっています。
梅崎:こういった問題意識は、人事研究の世界では1990年代から繰り返し指摘されてきたはずなんですが、それが具体的な行動に結びつかないのは、今いる環境にリスクがあるという情報だけでは人は動かないということなのかもしれません。
飯田:大学教員としての実感なのですが、若者の仕事やライフスタイルへの親の影響は小さくありません。そのため、親の時代のキャリアを(自分のキャリアを考える際にも)思い描く傾向があるのです。今、30歳の人だと、自分のお父さんが65歳くらいでまだ現役というケースもあるでしょう。すると、目の当たりにしているキャリアモデルがお父さんになってしまいます。
一世代かそれ以上、要は30年以上のタイムラグがあるキャリアを「典型的なキャリアパス」と勘違いしてしまいがちなのです。ようやく成果主義第一世代の子供たちが社会人になり始めていることで、良くも悪くも成果主義的な人事イメージが共有され始めていると言えるかもしれません。
梅崎:マルクス経済学の上部構造・下部構造という枠組みを当てはめると、人間の社会的意識(上部構造)は必ず遅れてしまうというか、社会意識とか職業観というものは、一度作られてしまうと意志の力で変えることが簡単ではない。難しい問題だと思います。
飯田:1990年頃の労働者が考えていた典型的なキャリアや家族像は、『クレヨンしんちゃん』の家のイメージかもしれません。だから、我々が『サザエさん』の家庭に抱いていた違和感を、今の若者たちは『クレヨンしんちゃん』に感じているのではないでしょうか。
AIの登場で人間が担うべき仕事と能力が変化
梅崎:『つむぐキャリア』では、人手不足や昇進・昇格の年齢構成についてマクロ的な分析を行っていただきましたが、人手不足と年齢構成の掛け算でキャリアパスはどのように変わっていくとお考えですか。
飯田:特殊な環境にある今のアメリカ経済を例にすると、コロナ禍の2年間でGDP(国内総生産)の4分の1にあたる財政出動(※1)を実施し、退職した場合の失業保険の給付率を大幅に上げたので、高齢者が一気に引退してしまいました。しかし、需要が伸びているので、アメリカの賃金指数を見てみると、低所得者ほど賃金の伸びが大きいという状況になっています。
この状況は、これから日本が辿るであろう20年先の未来を見せてくれたような印象があります。この先、現場の労働力が足りなくなるのは確実だと思います。しかし、これは悪いことばかりではなく、現場労働の待遇が上がると中流層とそれ以外の層との格差が縮まっていくことになります。
1980年代にも同じようなことが起きて、大学卒のサラリーマンよりも現業の労働者のほうが給料が高いという状況も観察されました。問題は、いわゆる中流階級候補である大卒ホワイトカラー組が、その状況をどう捉えるかだと思います。かつては、このような格差の是正をなんとなくこのことを「おかしい」と感じてしまう人も多かった。
社会学や労働経済学で、職業ごとの社会的評価をスコア化した職業威信スコアというものがあります。そして裁判官、弁護士、医師など職業威信スコアが高い職業は賃金が高くてしかるべきだと考えがちです。一方で、職業威信の低い職業で高給取りの人がいると奇異に感じがちです。しかし、これからは職業威信の順位と収入の順位の関係は大きく崩れていくでしょう。これをストレスだと感じる人もいるはずです。
梅崎:むしろポジティブな側面と考えられるのは、AIで仕事がなくなると言っても、一般的な肉体労働やサービス労働が全部AIに置き換わるわけではないことです。AIに置き換えられない、ある種の必要な肉体労働は残るわけですね。
その人はどういう強みを持っているのかを考えると、勘が良いとかきめ細かいサービスが提供できるとか……、豊臣秀吉が木下藤吉郎の時代に、主君の織田信長のために草履を懐に入れて温めたというエピソードに象徴されるような気配りができる人だと思います。
飯田:ファイナンシャルプランナーという職業がありますね。かつてはお客さまに資産形成の最適解を提示すれば良かったのですが、今ではインターネットで検索すればすぐに答えが出てきます。情報提供そのものには価値はなくなってしまったわけです。かと言って、ファイナンシャルプランナーの仕事がなくなるわけではありません。では何が残るかというと「お客さまと一緒に悩んであげる」という役割なんですね。
この「一緒に悩んであげる」という労働は、非常にホスピタリティの高い労働です。この傾向が強まっていくと、これまで知識労働(※2)だと思われていたものが、より感情労働(※3)に近づいていくのかなと思います。知識労働はもはや人間の仕事じゃなくなってしまう時代が到来するかもしれません。
梅崎:AIを使いこなすためのAIに指示ができる超クリエイティブな仕事と、逆に、AIに置き換えようがない人間らしい仕事が残っていく気がします。私たちが思っているような単純か複雑かといった形ではなく、求められる能力も変わっていくのではないでしょうか。
飯田:最適解が存在するタイプの仕事はAIに任せて、最適解ではなく「納得」が重要な仕事は人間が担うような時代になると思います。仕事の中での時間配分は変わってしまいますが、それぞれの仕事の本質、コアの部分は、意外と変わらず残るんだと思います。
※1 税金や国債などの財政資金を公共事業などに投資すること
※2 知識を資本とする労働のこと
※3 相手を心理的にポジティブな状態に導くため、自分の感情を誘発・抑圧する労働
自律的なキャリア開発に感じる限界とは
梅崎:『つむぐキャリア』では、雇用環境の変化に伴い、企業内のキャリアパスが変わり、新しい能力が必要となっていることを解説しました。しかし、その能力を身に付けるために、会社が組織的に何かをしてくれるわけではないということになると、能力開発を自分でできる人とできない人の格差が広がっていくような気がします。
飯田:1950年代から1980年代くらいまで、現在とは比較にならないほどのスピードで日本が変化していったのに、個々人のキャリアがそれほど大きな問題に直面しなかったのは、分業を前提に社員の得手不得手に応じて会社が業務を割り振ってくれていたからです。
しかし、これから長期雇用・社内分業・人事ローテーションというのを昔のやり方に戻すというのは、事実上不可能でしょう。そこで、個々人が自分のライフプランとキャリアデザインを自律的に考えて実行することが求められる――と言われることが多いですが、それはほとんどの人にとって無理なことなのではないかな。あまりにもハードルが高い要求なように感じます。
梅崎:企業内の長期勤続慣行が崩れたとしても、人が経験とともに学習していくことは変わりません。この経験の順番を、今までは会社が全部やってくれるのが当たり前でした。しかし、自律的にキャリアを考えろと言われても、仕事の経験の順番を自分で選べるわけではありません。まず、個人の認識能力には限界がありますし、仕事はさまざまな社内の関係性の中で成り立っているものですから。
飯田:自分個人で能力開発をしようとすると、選択可能である対象があまりにも多いので、選べなくなってしまう可能性があります。一人の人間がいくつもの能力を持つというのは大変ですし、分業せずに個々人がさまざまな能力を育てることが効率的だとも思えないです。
結局のところ、ある程度専門性を高めて、場合によっては会社を移動したりしながら、専門性の利益と分業の利益を生かしていく必要があります。それを実現するために出された答えが「自律」という概念ですが、現実的な「自律型キャリア」は「全てを自分でコントロールするキャリア」とイコールではない。
梅崎:仕事の多様化によって、能力形成における選択の幅が広がりました。また、家族や居住地などもセットで考える必要が出てきました。選択肢が増えて(選択過剰)になってしまって、選択することが難しくなってきています。
飯田:さまざまな問題が絡み合っています。夫婦を例に考えると、妻のキャリア、夫のキャリア、あるいは子供の教育などで平均以上を求め始めると、どんどん選択は難しくなってしまいます。その掛け合わせが増えれば増えるほど、選択肢は足し算ではなく掛け算で急激に増えてしまうんですね。だからこそ、その選択肢が多い場所、つまり東京などの都市圏を選ぶほうが無難ということになってしまいます。
選択の結果に左右されないコミュニティの重要性
梅崎:コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授が発表した「ジャムの実験」では、ジャムの種類を変えた環境で購買行動を調べています。人間は検討できる選択肢が増えると逆に選択し難くなるということを明らかにしました。人生の選択はジャムの種類とは比較にならないほど膨大なバリエーションがあります。実際には、人間の脳の処理能力を超えていると思います。
飯田:会社が一方的にお仕着せでキャリアを与えていた時代が不自由で窮屈だからと、「すべて自分で選択していいよ」と言われても、実情としては選べなくなってしまうわけですね。その中間、ちょうどいいやり方を考えたくなります。
その際のベースの一つになり得るのが、会社のようなしっかりした組織ではないけれども、完全にフリーでもない、そんな中間のコミュニティが存在して、その中で仕事の紹介とか職のまわしあいなどができる環境があるといいと思います。
梅崎:日本の社会(特に高度経済成長期)では、都市に出てきた人たちのコミュニティへの帰属意識が薄かったので、会社というコミュニティでの結びつきが強くなりました。しかし、会社というコミュニティが縮小してきてしまうと、それに代わるコミュニティを作り直す必要があります。
その意味で、地域というコミュニティの重要性を再認識しています。キャリアというのは時間概念ですから、選択に伴って分岐していきます。分かれていくというイメージですね。一方、地域は空間的なものなので時間が経過しても「選択は折り重なる」というイメージです。だからこそ、地域ではコミュニティを作りやすいのかなと思います。
飯田:小学生でも中学生でも、自分の地域の学校への帰属意識があります。地域のつながりは直感的にわかりあえますが、ネット上のコミュニティはある瞬間にスッとなくなってしまう可能性があります。
キャリアデザインの新しいコンセプト、『つむぐキャリア』とは?
梅崎:『つむぐキャリア』では、これからのキャリアデザインの考え方として、“つむぐ”という言葉を使って意図的にイメージ先行で表現しています。膨大な数の選択肢であっても、選択肢の間が「なんとなくいい感じに調和している状態」をゴールにすればいいのではないかという考え方です。
人間というのは、合理的な意志決定をしようとするものの、合理的ではない意思決定や行動をしてしまう存在です。一つひとつの選択では、自分では正しいものを選べたと思っても、人生全体をトータルに考えると、破綻があり、どこかであきらめざるを得ない瞬間がやってきます。こういった人間という存在に対して経済学の視点から何かアドバイスできることはありますか。
飯田:経済学でいう合理的な選択を簡単化すると、選択の枝分かれをしていった一番先(ゴール)から過去の時間に戻って、決定木の枝分かれを把握して、最適な点までさかのぼっていくという解の求め方になる。しかし、これは実際には不可能です。
そうすると、すでに選択してしまった事柄と調和するのは何かという視点で新たな選択をすることが重要ではないでしょうか。それが、今回のレポートの基本概念である『つむぐキャリア』ということだと思います。
梅崎:経済学や社会工学の思考で言えば、起点があって終点があって、その時間の中で終点から全部解いてくという感じだと思いますが、人生の選択でいうと、起点と終点があるのではなくて、「途中」があるだけです。
つまり、いきなり「途中」から始まっていると考えたほうが、人生感覚には合っています。探っていけば起点(たとえば、生まれた)はあるはずですが、起点には自分は関わっていないから、気がついたらもう選んでいたという感覚です。起点に戻ってやり直せればいいのですが、実際は戻ることはできないので、選んでいたものは次に生かす資源と考えて、それと調和させるように次を選んでいくということですね。
エンジニアリングと対比される言葉としてブリコラージュ(Bricolage)がありますが、これは、すべてを事前に設計(デザイン)するのではなく、大工仕事のように寄せ集めてつくる、あり合わせで工夫するという意味です。この言葉を思い浮かべました。
飯田:『つむぐキャリア』という視点で考えると、次の“つむぎ”の意志決定をして人生を選択していくという作業は、巨大な艦船を操作している感覚に近いものだと言えるのではないでしょうか。船の針路を急に変えることはできないのと同様に、人生においても5年後をイメージしながら今の選択をする必要があります。
自分のライフキャリアを楽観視している人が多いですが、5年前行動を意識すべきだと思います。人生と重ね合わせて考えると、5年前というのが一つのキーになるかなと思います。仕事の内容が変わるとか、昇進するとか、だいたい5年で変化が起きますから。
梅崎:完全で最適な選択に向けて合理性の限界を追求するのではなくて、適度な遊び感覚みたいなものを持ちながら前を見て選んでいくというのが、本当の意味での自律と考えていいのではないでしょうか。
飯田:メディアなどで注目を集めるキャリア論というのは、すべてを神様の視点で俯瞰して見ながら選択するというイメージですが、そんなことをできるわけはないと思います。成功を収めている人の話というのは、あたかも全部を見て選択したかのようなストーリーで紹介されがちですが、取材をした側がわかりやすく解釈して紹介しているように感じます。
梅崎:選択した後に、あとからその意味を与えるというのも、“つむぐ”という言葉のビジョンです。選んだことの価値が後になって高まることもあるのではないかと思います。そういう感覚を持ったほうが人生の満足度は高くなると思います。
飯田:自律力を高め、そして5年先を見ながら、今の選択をして、選択の結果を調和させていくという感覚ですね。自律という言葉を意識し過ぎると、すべてを合理的に計算しなくてはいけないのかと考えてしまいますが、実際はもう少し感覚的なものであるという認識を持つといいかもしれません。
梅崎:『つむぐキャリア』のレポートは完成しましたので、今後は、実際に“つむいでいる人”というのはどんな人なのか探りたいです。マイナビキャリアリサーチLabを通じていくつかの具体的な事例を紹介しようと考えています。飯田先生は今回の取り組みの結果、今後の課題として感じておられることは何かありますか。
飯田:『つむぐキャリア』という概念の抽象性が高いので、やはり肉付けは必要だと思います。一つはインタビューを通じて具体例を肉付けしていくナラティブな分析です。また、今後、必要なデータや情報も浮き彫りになってくると思いますので、クオンタティブ(定量的)な分析を合わせてやっていく必要があると思います。
梅崎:今回は、飯田先生に経済学の知見をもとにさまざまなご意見をいただきました。今後もさまざまな専門家を招いてさらに『つむぐキャリア』の議論を深めていきたいと考えています。
梅崎 修(うめざき おさむ)
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
マイナビキャリアリサーチLab 特任研究顧問
1970年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。2002年から法政大学キャリアデザイン学部に在職。専攻分野は労働経済学、人的資源管理論、オーラルヒストリー(口述史)。人材マネジメントやキャリア形成等に関しての豊富で幅広い調査研究活動を背景に、新卒採用、就職活動、キャリア教育などの分野で日々新たな知見を発信し続けている。主著「「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン(共著)」「大学生の学びとキャリア―入学前から卒業後までの継続調査の分析(共著)」「大学生の内定獲得(共著)」「学生と企業のマッチング(共著)」等。
飯田 泰之(いいだ やすゆき)
明治大学 政治経済学部 教授
1975年生まれ。東京大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学専任講師・准教授、明治大学准教授等を経て、2022年より現職。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、内閣府規制改革推進会議委員、自治体戦略2040構想研究会委員などを歴任。専門はマクロ経済学・経済政策。主な著書に「思考の型としての経済学」「マクロ経済学の核心」「日本史に学ぶマネーの論理」「地域再生の失敗学(編著)」「これからの地域再生(編著)」など。