タイパ・ファストの時代と「ネガティブ・ケイパビリティ」
目次
はじめに
コロナ禍以降注目を集めている「ネガティブ・ケイパビリティ」(negative capability)という言葉がある。この言葉が初めて使われたのは、イギリスの詩人ジョン・キーツ(1795-1821)が自らの弟たちに宛てた手紙の中においてだとされており、「事実や理由を早急に求めず、不確実さ、不思議さ、懐疑の中にいられる能力」と説明されている。
作家・精神科医の帚木蓬生は著書「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」においてネガティブ・ケイパビリティのことを「どうにも答えの出ない、どうにも対処できない事態に耐える能力」、あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」としている。
合理性や効率化によって発展や成長を遂げてきた現代の社会においては、不確実な状況や現象に対して、早急に答えや理由を求めることで、積極的に不確実な・不可解な事態に対処していく態度が求められてきた。こうした態度や能力は、ネガティブ・ケイパビリティの対概念として「ポジティブ・ケイパビリティ」とも呼ばれる。
そしてそのポジティブ・ケイパビリティを重視する現代社会の傾向は、答えを早々に求めようとするあまり、ある種短絡的な思考に陥る危険性もはらんでいた。その一方で、VUCAの時代と言われる現代においては、不確実な状況に対して早急に判断をせず、熟考を通して最適解に至る能力としてのネガティブ・ケイパビリティが求められているといえる。
タイパ・ファストの時代と「ネガティブ・ケイパビリティ」
VUCA時代の学生の特徴を表す言葉として「ガチャ」「タイパ」というキーワードがある。マイナビキャリアリサーチラボでも、配属ガチャ、タイパ就活に関する調査を行ってきた。
ネガティブ・ケイパビリティを、不確実で先行きの不透明な状況を前に、その不確実性や曖昧さに耐えることができる能力と捉えるとき、配属先が見通せないという不確実な状況への不安を表す「配属ガチャ」も、コンテンツ消費において事前にどのような内容なのかを事前に把握することで時間を無駄にしたくないという「タイパ」への意識も、いずれも不確実な状況への何らかの反応・適応策であると考えることができる。
この反応は不確実性を排除していきたいとするポジティブ・ケイパビリティの高さによるものと考えられる一方で、現代の大学生は不確実性や曖昧さに満ちたVUCA時代に生まれ育ち、そうした状況への耐性が身についている可能性がある。そういう意味においてはこの反応がネガティブ・ケイパビリティの高さによるものとも考えることもでき、判断が難しい。
社会人とネガティブ・ケイパビリティに関する仮説
本レポートでは、3,200人の社会人を対象に、ネガティブ・ケイパビリティとの関係を調査した結果をまとめている。本レポートの仮説は以下の2つである。
仮説1
仮説1:ネガティブ・ケイパビリティが高い人ほど、これまでの人生=キャリアへの満足度が高くなるのではないか
ネガティブ・ケイパビリティが高い人ほど、人生(職業人生、私生活含め)の重要な局面において早急な判断をせず、熟考の上により良い判断にたどり着くことで、結果として人生=キャリアへの満足度が高くなるのではないだろうか。また、ネガティブ・ケイパビリティが高い、あるいはポジティブ・ケイパビリティが高いことによって、持つ能力にどのような違いがあるのかも確認していく。
仮説2
仮説2:VUCAの時代に生まれ育った若年層(Z世代)は、他の年代層と比べてネガティブ・ケイパビリティが高いのではないか
不確実な社会情勢に対する反応・適応としてそうした状況への耐性が生まれ、ネガティブ・ケイパビリティが養われている可能性がある。
ネガティブ・ケイパビリティを測るための試み
本レポートでは、ネガティブ・ケイパビリティを以下の3つの要素へ分解した。
- 検討に費やす時間の多さ
- 検討する量・範囲の広さ
- 曖昧な状況への耐性
この3つをそれぞれ下記3つの設問にし、アンケート調査を行った。
Q.以下の各文A・Bを読み、あなたにあてはまるかどうかを判断し、それぞれについてお答えください(単一選択)
【1】「検討に費やす時間の多さ」を測る設問
A.何事もじっくり時間をかけて考える/B.即断即決型だ
【2】「検討する量・範囲の広さ」を測る設問
A.あらゆる選択肢の中から、より良い答えがないかを検討し、判断を下す/B.ある程度の選択肢の中から検討し判断を下す
【3】「曖昧な状況への耐性」を測る設問
A.正解がなかなか出ないはっきりしない状況にも耐えることができる/B.すぐに答えを見出したい
《回答・選択肢》
Aである / どちらかと言えばA / どちらかと言えばB / Bである
上記3つの設問を分析軸とし、同じアンケートで調査をしていた「これまでのキャリア(進路選択や職業人生など)全体いついて振り返ってどう感じているか」という設問とそれぞれクロス集計を行った。
「検討に費やす時間」とキャリアへの満足度
これまでのキャリア(進路選択や職業人生)に対して 「何事もじっくり時間をかけて考える」層は「満足している(非常に+まあ)」が39.5%、「即断即決型」層は「満足している(非常に+まあ)」 が37.9%と、大きな差はなかった。
しかし「満足していない(あまり+全く)」の割合を見ると、 「何事もじっくり時間をかけて考える」層は30.0%に対し、 「即断即決型」層は36.8%とやや差が見られた。判断に費やす時間が大きい方がキャリアの満足度への高いという関係は見られなかったものの、少なくとも判断に費やす時間が小さい方が、キャリアに対して不満足とする割合が高い
ことがわかった。
「検討する量・範囲の広さ」とキャリアへの満足度
これまでのキャリア(進路選択や職業人生)に対して、 「あらゆる選択肢の中から、より良い答えがないかを検討し、判断を下す」層は「満足している(非常に+まあ)」が45.1%、「ある程度の選択肢の中から検討し判断を下す」層は「満足している(非常に+まあ)」 が32.3%と差が見られた。
「満足していない(あまり+全く)」の割合も、 「あらゆるの選択肢の中から、より良い答えがないかを検討し、判断を下す」層は28.5%に対し 「ある程度の選択肢の中から検討し判断を下す」層は42.1%と大きかった。
検討する量が大きい方がキャリアへの満足度が高いという関係が見られた。
「曖昧な状況への耐性」とキャリアへの満足度
これまでのキャリア(進路選択や職業人生)に対して、 「正解がなかなか出ないはっきりしない状況にも耐えることができる」層は「満足している(非常に+まあ)」が47.4%、「すぐに答えを見出したい」層は34.0%と、差が見られた。
「満足していない(あまり+全く)」の割合も「正解がなかなか出ないはっきりしない状況にも耐えることができる」層は25.2%、 「すぐに答えを見出したい」層は38.6%と差が見られ、曖昧な状況への耐性が高いほど、キャリア満足度は高い傾向にあると言える。
ネガティブ・ケイパビリティが高い人が持つビジネス力について
3つの要素とキャリアへの満足度との関係を整理すると以下のようになる。
- 検討に費やす時間の多さ → キャリア満足度との関連は見られない
- 検討する量・範囲の広さ → 検討する量が多いほど、キャリア満足度が高い
- 曖昧な状況への耐性 → 曖昧な状況への耐性が高いほど、キャリア満足度が高い
→仮説1(ネガティブ・ケイパビリティが高い方がキャリア満足度も高い)が部分的に認められる結果となった
こうした結果を踏まえて、「2.検討する量」と「3.曖昧な状況への耐性」を下図のようにクロスさせ、「ネガティブ・ケイパビリティが高い群」と「ポジティブ・ケイパビリティが高い群」に分けることで、それぞれの傾向を分析する。
ネガティブ/ポジティブ・ケイパビリティが高い人が持っている能力
経済産業省が「未来人材ビジョン」で今後求められる能力として提唱したビジネス力「情報収集」「状況変化の把握」「的確な予測」「的確な決定」「問題発見力」「ビジネス創造」「革新性」「戦略性」「客観性」「説明力」「交渉力」に関して、「自分自身が持っていると感じるもの」を回答してもらった。
結果、ネガティブ・ケイパビリティが高い群は、ほとんどのビジネス力においてポジティブ・ケイパビリティが高い群より、その能力を持っていると感じていた。唯一ポジティブ・ケイパビリティが高い群の方が割合が多かったのは「交渉力」であった。
ネガティブ/ポジティブ・ケイパビリティが高い人が仕事で発揮している能力
同じく上記項目に関して、「自分自身が仕事で発揮できていると思うもの」を回答してもらった。
結果、ネガティブ・ケイパビリティが高い群は、ほとんどのビジネス力においてポジティブ・ケイパビリティが高い群より、その能力を持っていると感じていた。ここでも、唯一ポジティブ・ケイパビリティが高い群の方が割合が多かったのは「交渉力」であった。
ネガティブ/ポジティブ・ケイパビリティが高い人が仕事で評価されている能力
さらに上記項目に関して、「仕事で自身の評価につながっていると思うもの」を回答してもらった。
結果はこちらも同様で、ネガティブ・ケイパビリティが高い群は、ほとんどのビジネス力においてポジティブ・ケイパビリティが高い群より、その能力を持っていると感じていた。ここでも、唯一ポジティブ・ケイパビリティが高い群の方が割合が多かったのは「交渉力」であった。
Z世代とネガティブ・ケイパビリティ
年代別に、ネガティブ・ケイパビリティが高い群とポジティブ・ケイパビリティが高い群の割合を比較すると、20代前半はネガティブ・ケイパビリティが高い群の割合が54.8%と最も低く、次いで50代後半が低く65.5%だった。ネガティブ・ケイパビリティが高い群が多かったのは30代後半および40代前半で82.4%となった。
→仮説2(VUCAの時代に生まれ育った若年層(Z世代)は、他の年代層と比べてネガティブ・ケイパビリティが高い)が棄却される結果となった
これらの年代を世代に分類すると、20代をいわゆる「Z世代」だとすると、30代は「ゆとり世代」、40代~50代前半は「就職氷河期世代」、50代後半は「バブル期世代」という分類が可能だろう。
就職氷河期世代~リーマン・ショックのタイミングである50代前半~30代後半の年代で比較的ネガティブ・ケイパビリティが高い群が多いことから、経済不安が比較的強い世代において、ネガティブ・ケイパビリティが高くなる傾向があると考えることもできる。
おわりに
ネガティブ・ケイパビリティが高い人、ポジティブ・ケイパビリティが高い人でそれぞれのビジネス力について比べると、ネガティブ・ケイパビリティが高い人は、ほとんどビジネス力において「持っている」「仕事で発揮できている」「仕事で評価されている」と感じている割合が高く、ポジティブ・ケイパビリティが高い人は「交渉力」のみ「持っている」「仕事で発揮できている」「仕事で評価されている」と感じている割合が高かった。
次世代の働く人に求められる能力として、いずれのビジネス力も重要であるが、早急な判断をせずに不確実な状況に身を置く能力であるネガティブ・ケイパビリティが高い人ほど、「情報収集」「的確な予測」「問題発見力」などにおいて力を発揮していると認識しており、「ビジネス創造」「革新性」などの項目においても自己評価が高いという点は、ネガティブ・ケイパビリティが次世代の働く人の持つべきビジネス力の背景(あるいはそれらのビジネス力の根底部分の能力)として存在している可能性も考えられる。
一方で「交渉力」についてはポジティブ・ケイパビリティが高い人の方が自己評価が高かった。交渉を通して物事を積極的に対処・前進させていくという能力は、早急な判断を避けるネガティブ・ケイパビリティが不得意とする領域であろうことは想像に難くない。
ビジネスを創造する局面ではネガティブ・ケイパビリティが、ビジネスを推進させる局面においてはポジティブ・ケイパビリティがそれぞれ力を発揮し、相互に補完しあうことが重要であると考えられる。ネガティブ・ケイパビリティが高い人とポジティブ・ケイパビリティが高い人という属性による得意・不得意の差ではなく、それぞれの能力が求められる局面・ビジネスシーンの違いが今回の分析から明らかになったといえよう。
またZ世代の特徴として、20代前半が特に他の世代と比べてネガティブ・ケイパビリティが低い(ポジティブ・ケイパビリティが高い)ことがわかった。ガチャやタイパといったZ世代の行動の特徴が、不確実な状況に対してそれを排除していきたいとするポジティブ・ケイパビリティの高さによるものと推測できる結果となった。
キャリアリサーチラボ研究員 長谷川洋介