
なぜ今、社会人の学びが必要なのか?社会教育という観点から日本における学びを考える-社会構想大学院大学 川山竜二氏
人生100年時代を迎え、社会構造が急速に変化する現代において、社会人の学びの重要性はかつてなく高まっています。政府主導のリカレント教育やリスキリングが注目される中、本当に求められる学びとは何なのでしょうか。
なぜ今、社会人が学び続ける必要があるのか、日本人の学びに対する意識や現状、そして海外との比較を通して見えてくる課題について、社会人構想大学院大学の川山竜二先生にうかがいました。

川山竜二(社会構想大学院大学 実務教育研究科 教授・研究科長)
1986年生まれ。専門は、知識社会学・職業教育学。リカレント教育や高等教育における実務家教員の養成に関する理念・制度・理論を研究しつつ、実際に実務家教員の養成に注力している。特に、理論と実践を架橋する新たな知識として「実践の理論(反省理論)」に関する理論的研究を行っている。近年は、令和2年より制度化された社会教育士と社会教育に関する基礎理論とその育成の実践にも従事している。(社会構想大学院大学 社会教育主事講習主任講師)。著書に『実務家教員への招待』(編著、社会情報大学院出版部、2020)、『実務家教員の理論と実践』(編著、社会情報大学院大学出版部、2021)、『実務家教員のこれまで・いま・これから』(編著、社会構想大学院大学出版部、2024)などがある。
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平均寿命の伸びと学びの必要性

質問:近年、政府などが主導となってリカレント教育・リスキリングを推進しているなど、よく目にすることが多くなりましたが、なぜ今、社会人の学びが必要と言われているのでしょうか。
川山:政府も企業も、そして私たち自身も、社会人の学び、継続的な学びの必要性を強く意識するようになっていると感じます。その背景には、いくつかの大きな要因が挙げられると思います。
まず、平均寿命の伸び、いわゆる人生100年時代ということが言われるようになったことが非常に大きいでしょう。人生80年と言われていた時代には、教育を受けて、仕事をして、引退して余暇を楽しむという、リニア型(直線的)のモデルで人生を考えることができました。しかし、人生が100年となると、そのモデルは成り立たなくなってきます。
単純に寿命が伸びた分、余暇の時間が長くなるのかというと、必ずしもそうではありませんでした。実際には、労働力不足や個人貯蓄などの関係で仕事をする期間、労働生産人口に該当する年齢層の幅が広がっただけなのです。つまり、人生において仕事をする期間が長期化しているわけです。
知識やスキルの更新が必要となる
川山:一方で、仕事をする上で必要となる知識やスキルに目を向けてみると、科学技術や技術の進展によって、そのライフサイクルはどんどん短くなっています。仕事をする時間は長くなっているのに、必要な知識を更新するスピードを上げる必要に迫られています。これまでであれば更新しなくてもよかったかもしれない知識も、現代においてはそうはいかないわけです。
たとえば、少し前の話になりますが、パソコンが普及したことは、多くの方にとって大きなインパクトだったと思います。パソコンを使えないと仕事ができないという状況になり、パソコンスキルを習得することが当たり前になりました。技術革新は私たちの仕事で必要なスキルを大きく変え、常に新しいことを学ぶ必要性を生み出しています。
また、社会学者的な観点で見ると、社会の構造そのものが変化してきているということも言えるでしょう。知識は加速度的に増え続け、学問も細分化しています。一人ですべてを覚え、すべてのスキルを習得することは不可能に近い状況です。仕事内容も細分化が進み、それぞれの仕事に必要な知識やスキルが明確化される、いわゆるジョブ型の原型のようなものが現れてきています。
このような状況下では、専門的に携わっていたある領域の業績が悪化した場合、全く別の部署に異動したり、あるいは全く違う業種に転職せざるを得ないケースも増えてきます。その際に、学び直し、新しいスキルを身につけていないと、なかなか次の職を見つけることが難しくなるという背景があるのです。
学びに対する日本人の意識と大学教育の課題

質問:日本人は、社会に出ると「学ぶ」ことを辞める人が多い印象がありますが、社会人の「学び」に関して日本の状況について教えてください。
川山:確かに日本人は社会に出ると「学ぶ」ということから遠のく人が多いという印象は、私も強く感じています。この背景には、日本人が「学び」というものを非常に狭く捉えてしまう傾向があるのではないかと考えています。
たとえば、リスキリングのような仕事に直結する学びだけが学びだと捉えがちです。しかし、子供を持った親が育児について学ぶことも、趣味で何か新しいことを始めることも、すべてが学びだと思います。

実際、令和4年の内閣府の生涯学習に関する調査によりますと、驚くべきことに、約4分の1の人が全く勉強していないという結果が出ています。本屋さんで雑誌を買って読むこと、通販サイトで電子書籍を購入して読むことも、立派な学びと言えます。しかし、それらを学びとカウントしたとしても、なお24%もの人が何も勉強していないと答えているのが、現在の日本の状況です。これは、ある意味で日本人が学びに自覚的ではないのかもしれませんが、いずれにせよ、社会人の学びは進んでいるとは言えない状況です。
日本の大学教育の考え方
川山:また、大学教育の現状を見てみると、依然として18歳人口を主な対象としている傾向が強くなっています。少子化が進んでいるため、この先、大学が生き残れないのではないかという議論がありますが、このような状況に直面しているのは韓国と日本くらいではないでしょうか。他の国を見てみると、社会人が大学に入学して積極的に学び直す文化が根付いています。
22歳以降の社会人が大学に戻ってくることは珍しいことではなく、少子化が直接的に大学運営の危機に繋がるということは、あまり聞かれません。アメリカなどでは、少子化自体は進んでいても、社会人の学び直しに対する意識が高いため、大学運営に大きな影響は出ていないようです。
この点から見ても、日本には学び直しに対する文化が、やや希薄なのではないかと感じます。もちろん、私たちは日常生活を送る中で、仕事に多くの時間を費やしています。厚生労働省の能力開発基本調査を見ると、能力によって処遇が変わる、つまり能力開発が給与などに反映されている企業は、残念ながらまだ多くありません。
能力と処遇が結びついていないのであれば、「勉強しなくてもまあ何とかなるか」と考えてしまう人もいるかもしれません。これが、学びへのモチベーションを阻害する要因の一つになっている可能性も否定できません。
全体的に見ると、リカレント・リスキリングという言葉は盛んに言われているものの、社会人の学びはまだまだ活発とは言えない状況だと感じています。さらに、リカレント・リスキリングといった「学び直し」を一括りに捉えること自体に問題があると私は考えています。
誰かが作ってくれた学びの場や知識をただ消費するだけでは、健全な社会の発展には繋がりません。知識を作る人、場を作る人が不足していると感じています。動画配信サイトなどの学びの場はたくさんありますが、本質的に学びの場が改善されているかというと、疑問が残ります。
学校教育以外の学びである「社会教育」の見直し
川山:そこで重要になってくるのが、社会教育という概念です。これは日本独自の文化と言えるかもしれません。法律的な定義としては、学校教育以外での学びはすべて社会教育とされます。体育やレクリエーション、公民館での活動、高齢者施設での趣味活動なども含まれます。つまり、非常に幅広い概念なのです。生涯学習という言葉もありますが、これは赤ちゃんから高齢者まで、生涯にわたるすべての学びを指す包括的な言葉です。その中で、学校教育を除いたものが社会教育と定義されています。
社会教育は、実は戦前から存在する概念ですが、戦後に一度リセットされました。その後、再構築されましたが、リカレント教育などの言葉が広まる中で、「社会教育」という言葉自体があまり浸透していないという側面もあります。しかし、その活動内容は非常に重要であり、学びの場をみんなで作り上げていく、学びのコミュニティを作っていくというイメージで捉えられています。
国も社会教育の重要性を認識しており、今後大きくリニューアルされる可能性もあると考えています。令和2年には、社会教育士という称号も作られました。これは、社会教育に関する専門性を有する人材を育成し、社会教育の振興を図るためのものです。これまで、社会教育主事という任用資格はありましたが、社会的な認知度が低かったため、社会教育士という名称を付与することで、その専門性を可視化しようという試みです。
日本の社会人の学びの現状は、必ずしも活発とは言えませんが、社会教育という視点で見ると、多様な学びの機会が存在しており、今後その重要性がますます高まっていくと考えられます。
日本に合った学び直しの仕組みを構築

質問:雇用制度や労働環境、社会の成り立ちの違いなど、制度や仕組みの違いなどを踏まえて、諸外国と日本が異なる点について教えてください。
川山:雇用制度や労働環境、そして社会の成り立ちといった根本的な違いが、学びに対する意識や行動に大きく影響していると考えられます。
まず、労働環境がもっとも大きな違いの一つでしょう。都市のつくられ方そのものが日本と海外では異なっていると感じます。たとえば、日本の大学設置基準を見てみると、校舎の広さなど物理的な要件が細かく定められています。そのため、都市の中心部に大学を設立することが難しく、多くの大学が郊外に位置しています。もちろん、近年は規制緩和の動きもありますが、依然としてその傾向は強いです。
一方、海外、特にヨーロッパなどの古い都市を見てみると、街の中心部に大学があることが多いのです。大学を中心に街が形成されていると言っても過言ではありません。つまり、学びの象徴のようなものが、都市の中に溶け込んでいるのですね。
これに対して、日本の都市は駅を中心に発展してきました。これは、発展の仕方の違いなので、一概に良し悪しは言えませんが、駅を中心に都市が形成された結果、学びを象徴的に行う場が、都市の中心には少なくなったと言わざるを得ません。その代わりに、公民館のような施設が、小学校区や中学校区に一つずつ設置されるようになっていますが、利用頻度という点では、そんなに馴染みがある場所ではありません。
また社会の成り立ちとして、アメリカなどの場合は、退役軍人に対する手厚い学び直しの制度が整っています。軍隊で経験を積んだ人々が、社会に戻ってから大学などで学び直すことが奨励されており、学び直しがしやすい環境にあると言えるかもしれません。
日本と海外の評価基準・制度の違い
川山:仕事上の評価基準の違いも無視できません。海外では、必要な能力が明確に言語化され、ジョブディスクリプションとして共有されていることが多いです。そのため、どのようなスキルを習得すればキャリアアップに繋がるのかが明確であり、学びのモチベーションにも繋がります。しかし、日本では、能力とは直接関係のない要素で評価されることも少なくありません。
さらに、解雇規制の違いも大きいと考えられます。日本の雇用慣行では、労働者は比較的解雇されにくい環境にありますが、それゆえに、労働者のスキルが企業のニーズとミスマッチした場合でも、企業は容易に解雇することができません。これは労働者保護の観点からは重要ですが、企業の競争力低下や、いざ企業が経営難に陥った際の対応の遅れに繋がる可能性もあります。
一方、欧米諸国などでは、解雇規制が比較的緩やかな代わりに、労働者が解雇された際のセーフティネットが充実しています。失業した労働者は、国からの手厚い経済的支援を受けながら、再就職のための学び直しに専念することができます。このようなフレキシキュリティ(※)と呼ばれる制度が、リカレント教育を社会全体で支える基盤となっているのです。
日本の場合、解雇規制が厳しく、失業に対する不安が大きいため、安易な転職や学び直しに踏み切れないという側面があるのではないでしょうか。このような社会全体の構造が変わらない限り、海外のようにリカレント教育がスムーズに機能するのは難しいかもしれません。
ただし、日本で解雇規制を撤廃することは容易ではないため、日本流のリカレント、日本社会の特性に合った学び直しの仕組みを構築していくことが今後の課題となるでしょう。その中で、日本型で長年続いてきた社会教育に、新たな可能性を見出すことができるのではないかと考えています。
※フレキシキュリティ:労働市場の柔軟性と労働者の生活保障を両立させる雇用政策のこと。デンマークやオランダなどで導入されている。
前編では、社会人の学びについて、日本の現状と海外の状況についてお話を伺いました。後編は、仕事(業務)に直結しない学びの意味や効果について詳しくお話しをうかがいます。