リモートワークの徹底と人材のグローバル化 ~多様性実現へ向けた、ある会社の挑戦~
コロナ禍がほぼ終息した今、在宅勤務の割合を減らし、オフィス出勤に舵を戻す企業が少なくない。一方でリモートワークは欧米では今も一般的であるため、優秀なグローバル人材の採用を増やしたい企業にとっては、国籍を問わずあらゆる社員が満足して働ける職場環境の実現と制度の構築に、悩みは尽きない。では実際にグローバル人材を雇用している企業は、具体的にどのような取り組みを行っているのだろうか。
PCやタブレット、スマートフォンなどの端末から自社情報に安全にアクセスできる、法人向けリモートアクセスサービス「CACHATTO」。テレワークを導入する約1,700社、80万ユーザーに利用される同サービスを開発・展開する「e-Janネットワークス株式会社」は、大手化学メーカーに勤務していた坂本史郎社長が2000年に立ち上げた企業である。坂本氏の経営哲学の下、同社自体がクライアントの見本となるべく、リモートワーク体制を徹底させている。
また同社は、世界各地から集まった社員が相互に信頼しあえる、多様性を重視した働き方を追求している。2023年10月に経済産業省がブルガリア・ポーランド・ルーマニアで実施(株式会社マイナビが受託運営)した「中東欧ITジョブフェア&カンファレンス」にも参加し、理系教育の水準が高い中東欧エンジニアとの今後の連携も模索している。
人材採用や開発体制のグローバル化とリモートワークや働きやすさの追求など、社内の多様性実現に向けた取り組みは非常に興味深く、他社にも参考となる点が多い。同社が歩んだこれまでの経緯と今後のビジョンについて、坂本社長にインタビューでお話を伺った。
目次
創業25年目で本社をWeWorkに移転
コワーキングスペースを本社としたことで変化はありましたか?
2024年2月、e-Janネットワークスは本社を東京・丸の内のWeWorkに移転しました。既存の自社オフィスを撤退したことで、あらゆる意味で身軽になり、柔軟な働き方を実現しています。私自身は週に2~3回出社していますが、これまでも社員の多くが在宅リモートで働いていたため、移転による業務へのマイナスの影響はありませんでした。
また、日本全国どのWeWorkでもチームが集まり仕事ができるようになった点も、移転の大きなメリットです。会社の制度として全社員に年4回、チームの懇親会費として一定金額を支給しており、リモートワークの継続とともに、日本各地で実際に対面してのコミュニケーションも促進しています。
「毎日新しいことに挑戦」できる会社を目指し創業
起業の経緯を教えてください。
私の父親は外交官で、仕事の関係で幼少のころから海外を転々としていました。そのため、さまざまな国籍の人が一緒にいることが普通に感じられる環境で育ちました。
大学卒業後は東レに入社し、7年目で米国の大学にMBA留学する機会を得ました。もちろん帰国後は国際部門に配属されるものと期待していましたが、実際には、愛知県の工場に配属されたのです。
米国でMBAを取得したのに想定外の部門に配属され、ショックだったのではないですか?
希望がかなわず意気消沈し、しばらくは投げやりな気持ちになっていました。そんな時に父が「東レが留学のチャンスをくれたのだから、お前も東レにチャンスをやれ。とにかく3年間やってみろ」とアドバイスをくれました。それで気持ちを切り替えることができたのです。愛知県の工場では素材開発に携わったのですが、これが非常に面白く、自分でも思いもよらず夢中になりました。当時のドコモ「iモード」の携帯電話の電子基板にも使われました。
その後、自分でビジネスプランを作成し、東レ本社に提出。社内の独立支援制度に合格し、会社が一部の資本金や貸付金を提供してくれて、2000年に東レを退職し当社を起業しました。このような自身の歴史があるからこそ、「毎日が新しい日」「慣れてしまってはいけない」「先入観を持たずにやってみる」ということを、この25年間心掛けてきました。
人間、同じことをやるのは楽ですが、苦労してでも毎日違うことに取り組むことに意味があると思います。2004年からは毎日、異なる内容のエッセイを書き続け、今では朝に全社員に日本語と英語で発信しています。しかし朝5時に出社、車は同じ駐車スペースに停める、というルーティンだけは変えられていませんが(苦笑)
多様性と相互リスペクトを基盤とするチーム組成と採用方針
国籍を問わず優秀な人材を積極的に登用していますが、その背景は?
e-Janネットワークスでは、日本人社員は約90人いますが、その他にもトルコやインド、スリランカ、フィリピン、韓国、中国、インドネシア、ベネズエラ、フランス、台湾など多様な国籍の社員が、日本国内で活躍しています。
一方でインドには現地法人を設置し、現地スタッフが約25~26人います。つまり当社グループ全体での外国人社員は合計で40人台、かなりの割合になっています。また、フィリピンの協力会社には、当社プロジェクトに関わるチームに8人のスタッフがいます。
出身国による得意分野の違いなどはありますか?
開発メンバー間では英語を共通言語にしてスムーズな意思疎通を図っていますが、やはり出身国ごとに仕事をする上での特徴が見られます。日本人エンジニアは品質管理や正確な動きを重視し、インド人エンジニアは新しい技術を持ち込んで、とにかく試してみようとする技術開発力が強いです。
これに加えて当社が今後注力したいのはR&Dで、プロトタイプを作って市場にどんどん出していきたいと考えていますが、この点でも、外国人エンジニアチームに業務委託をしています。このチームでは世界中に散らばる外国人のネットワークを活用して、アイデアを具現化することを目指しています。
今後も、「生産・品質管理」「技術開発」「R&D」の3つを柱に、グローバルスタッフそれぞれの強みと特徴を活かしつつ、チームを組成して取り組んでいきたいと考えています。
採用方針では、日本人と外国人との間で何か違いはありますか?
コロナ後の需要後退もあり、現在は新規採用を抑制しているものの、多くのエンジニアは終身雇用を望まず市場流動性が高いこともあり、追加補充のための中途採用を適宜行っています。当社の場合、新卒については日本人を採用することが多いです。新卒の外国人の場合、会社が手続きを進めてビザを取得できた後に辞めてしまうケースが、過去にあったからです。
一方で中途で採用する外国人は、当社で大活躍してくれています。日本企業としては働き方がきわめて柔軟な当社に魅力を感じて定着するグローバル人材が多く、社員の労働環境を重視している当社への彼らのロイヤリティは非常に高いです。
たとえば出産や親の病気などで長期の帰国が必要な場合でも、現地で仕事ができる体制を整えています。日本人の場合も同様に、故郷に戻って長期で仕事ができるようにしていますし、会社として多様性を重視し、社員がお互いの価値観を認めあうことを大切にしています。
私は昔から海外で育ったこともあり、国籍などで差別することは絶対にしないように心掛けています。この点は社会人になって初めてわかることですから、新卒で当社に入社した場合は他社と比較できません。しかし中途入社の場合、他社を体験した上で、国籍を問わず実力を発揮できる環境を評価して当社を選んでくれているので、外国人定着率が高いのです。
日本のIT企業が海外企業と協業する際の課題
海外と連携した開発体制には、難しい点も多いのではないでしょうか?
やはり時差は大きな障壁となります。特に日本側の労働基準の観点から問題が生じます。プログラマーは夜型が多いと言われることがあり、欧米との時差にもフレキシブルに対応できるはずですが、日本のさまざまな法制度を遵守する以上、制度上困難となるのです。当社のような規模の会社では特に、規制のために成長が阻害される恐れがあります。
時差の大きい西欧や米国東海岸とは、日本と同じ時間帯でのオンラインミーティングが困難です。その点では、時差の少ないアジア地域と協業しやすいのは確かです。当社の場合、現地法人のあるインドとは3時間半の時差ですし、外部協力会社のあるフィリピンとはさらに楽に進められます。
時差以外に課題と考えられるものはありますか?
これまでのところ、東南アジアのオフショア会社は受託意識が強く、米国や欧州に比べてクリエイティブな考えが出にくい点は認めざるを得ません。もっと主体的にアイデアを提案してほしいと感じることが多々あります。その点、当社ではインド現地法人での主体的な活動促進に成功しています。
もともと当社の社員として日本に来ていたインド人エンジニアが母国に戻った際、彼を社長に据える現地法人設立を決断しました。トップだけでなく営業担当や技術者もインド人とすることで、仕事のあらゆる面での当事者意識を植え付けています。
現在6年目に入りますが、平均年齢26歳の若く優秀なエンジニアチームが、現地顧客のニーズに沿ったカスタマイズ製品を開発しています。
今後検討したい欧州への展開の可能性
2023年10月、経済産業省の「中東欧ITジョブフェア&カンファレンス」に参加されました。
当社からは私とスタッフの計2名が、他の参加日系企業のみなさまと一緒にブルガリアやポーランド、ルーマニアの3カ国を訪問しました。現地の若いテック系人材と多く出会いましたが、各国とも教育水準の高さを感じました。
私は中学時代をイギリスで過ごしましたが、日本の普通のレベルでも、イギリスの中学校では数学の成績がトップでした。米国や西欧の数学教育が年々低下していることは認識していますが、同じヨーロッパでも中東欧は、数学教育のレベルの高さが今も維持されていることに驚きました。またポーランドでは、戦火から避難してリモートで働き続ける、ウクライナ人の若く優秀な人材と多く出会えたことも印象的です。
アジアに続いて、将来的には欧州への展開も視野に入れられそうですね。
当社の主力はセキュリティ商品なので、GDPRをはじめ個人情報保護とセキュリティ基準の高いヨーロッパとは相性が良く、今後インドと同じ経営・開発手法が通じる可能性を感じました。そのためにはインド同様に、リーダーとなってプロジェクトを任せられるキーパーソンとなる技術者に出会うことが第一です。
2023年の経産省の中東欧ジョブフェアでは、3カ国それぞれで参加者によるコーディングコンテストが行われ、優勝者が日本への往復航空券という副賞を手にしました。2024年9月にルーマニアの優勝者が、10月はブルガリアの優勝者が、当社を訪問してくれました。特にブルガリアの優勝者は、コミュニケーション力、技術力、課題解決すべての面で突破力が高いと感じました。
グローバル人材と日本人社員とのコミュニケーション
グローバル人材が活躍できる労働環境を維持するための、社内での取り組みを教えてください。
当社では日本人社員と外国人社員間のコミュニケーションを円滑にするために、さまざまな工夫をしています。過去10年間、週1回の語学レッスンを導入し、中国語や日本語、英語を学ぶ機会を提供していました。コロナ禍で中断しましたが、この取り組みは言語を通じて異なる文化を理解し、尊重する重要な手段でした。
現在は、年に2~3回の「スプリング・ミーティング」や「セレンディピティ・デー」などのイベントを通じて、全社員が集う100人規模のリアルな交流の場を設けています。これらのイベントでは、全社表彰やコミュニケーションの促進を図り、多様なバックグラウンドを持つ社員同士が直接対話する機会を提供しています。
坂本社長が追求する「これからの働き方」
リモート体制でも社員が最高のパフォーマンスを発揮することは可能でしょうか?
当社は完全リモートで、自宅はもちろん、全国各地のWeWorkでの就業も可とする日本でもかなりフレキシブルな労働環境です。共働きの社員の場合、パートナーの会社のリモート率が低いことがほとんどのため、必然的に当社社員が保育園の送り迎えなどの子育てや家事にメインで従事しなくてはならないという話をよく聞きます。
社員のライフスタイルを考えると、フィジカルとリモートのバランスを再度検討する時期かもしれません。実は創業当初、働く時間も完全に自由にしていたのですが、そうするとメンバー間のコミュニケーションに困難も生じました。そこで最低限の規律のためにも、コアタイムのあるフレックス制を導入するなど試行錯誤してきました。やはり人には、ちょっとはルールが必要ですね。
コロナ禍から日本でも一気に普及したリモートワークですが、最近、オフィス勤務に戻す企業も増えているようです。
日本の経営者には、社員にお金を渡して「あなたの時間を買います、だから会社に来なさい」という概念がまだまだ強いです。しかしこの考え方は、多くの国ではもはや通用しません。このままではいつまでたっても、グローバル人材の多様性を、理解も許容もできないでしょう。
私は、リモートでも全社員が最高のパフォーマンスを生み出せる会社を目指しています。リモートワークに必須のセキュリティツールを提供する当社は、会社そのものが、新しい働き方の実験台といえるからです。
毎日同じことを繰り返して安心してしまうと、その人からはクリエイティビティが失われてしまいます。私はこの会社を「思考停止状態」にはしたくない。型にはめず、全社員が常に自分の頭を働かせ、新しいことにチャレンジし続けられる状態を保っていきたい。そのためには、性別や国籍を問わず多様なバックボーンを持つ人材が気持ちよく働ける会社、リモートワークが普通の環境で「ワクワクする働き方」を追求していくことが重要だと考えています。
取材後記
筆者はマイナビの欧州拠点代表として2023年、経産省から中東欧では初となるIT人材ジョブフェアの企画・運営を受託したが、参加いただいた十数社の日系企業の1社として「e-Janネットワークス」の名前をリストに見つけたのが、同社について知った最初の機会だった。
プログラム1日目のブルガリアのソフィアで坂本社長と初めてお会いしたが、特に印象に残っているのは、各国の現地メディアの取材に坂本氏が流ちょうなイギリス英語で答えていた点である。会社そのものの経営方針について、加えて社長ご本人の経歴や創業の経緯に興味が募り、今回初めて取材を申し込んだ。
同社がリモートワークに必須の業務用ソフトウエアを開発していることはもちろんだが、坂本氏の歩んできたこれまでの経験が、グローバル人材の積極登用と社員の裁量に基づくフレキシブルな労働環境の追求に結びついていることを知った。
坂本氏が全社員に毎朝送信しているエッセイの内容は、ノルマ達成に檄を飛ばすような命令形のものとは正反対だ。日々の仕事や全社行事で印象に残った社員の良かった点、会社方針の背景にあるさまざまなストーリー、また趣味の車などプライベートなエピソードと関連した自身の考え方など。
これらはすべて日本語に加え英語でも書かれている。多様性と自主性が尊重される職場環境に、グローバル人材が高い満足度で定着している背景には、社長と社員との相互理解が進んでいることがあるに違いない。
日本人と外国人とでは、キャリア形成そのものへの考え方にまだ大きな違いがあるものの、自身の知見を最大限に活かして業務パフォーマンスを発揮したいと考える点は同じだ。ダイバーシティの深化を志向する日本企業は、同社の取り組みも一つのヒントに、これからの労働環境や社員のグローバルなキャリア形成のあり方を検討できるのではないだろうか。
キャリアリサーチLab 主任研究員 島森 浩一郎