社内における職務転換の有効性~実践編:中小企業におけるキャリア自律型施策の事例~
目次
はじめに
前回のコラムでは、企業の人材獲得・定着に向けて、働く個人が自らの働き方やキャリアを選択できること、中長期の視点で複線的なキャリアルートを描ける環境をつくることの有効性を紹介した。
ただ、実際に自律的なキャリア形成を可能にする制度を導入するのは簡単でなく、人事リソースが限られる中小企業にとっては尚更ハードルが高い(※1)。たとえば、前回のコラムで紹介した「社内公募制度」は公平公正な社内選考を行うために公示や選考基準の設計を細やかに行う必要があり、さらに選考のオペレーションの負担も大きい。「限定正社員制度」も雇用形態の変更が絡むため、容易に制度設計できるものとはいいがたい。
では、人材の採用や定着の課題を抱える中小企業はどのようなかたちで施策を展開することができるだろうか。自律的にキャリアを選択できる仕組みはさまざまあり、従業員のキャリアルートに広がりと奥行きをもたせる方法は一つではない。
本コラムでは、工夫ある取り組みで人材獲得・定着に繋げている企業の実例を紹介し、そこから、実用性の高い施策の特徴や導入に向けたヒントを探る。
発展型自己申告制度(ケースNo.1)
熊本県益城町に拠点を置く白川電機株式会社熊本製作所では、自己申告制度を独自に発展させたジョブチェンジの仕組みを取り入れている。
これは、社員に3回まで希望職種への転換を申告する機会を付与する制度。社長へ直接相談することもできれば、制度運用のために作成した事前申請書類を会社へ提出してもらうかたちでも転換の申告ができる。
どの職種へ、どのタイミングで申告するかは本人次第。申告者の希望は今のところ100%実現してきたという。主力である半導体製造装置関連の製造職のほか、設計・営業・経理・総務・購買などさまざまな部署で違った職種の選択肢があり、対ヒト・対モノの幅広い仕事へ挑戦できる。
制度の根底にあるのは「向いている仕事をしてもらう」という従業員に対する経営者の考え方だ。仕事は実践してみてはじめて向き・不向きがわかるもの。仕事を続ける中で新たにやりたいことが見つかることもあれば、最初は前向きに取り組めていた作業でも時間とともに苦手意識が生まれモチベーションが下がることもある。さらには、生活との両立のために働くスタイルを変える必要性が出てくるかもしれない。
そんなキャリアの中での「個人の変化」があった時に、社内でジョブチェンジできる枠組みがあれば、自分に合った職務が見つかることにも繋がり、会社を辞めることなく自分の可能性を広げられる。会社にとって最大のリスクと考える「退職」の選択肢を排除しながら、働く人それぞれにマッチしたキャリアを構築してもらうのが制度導入の大きな目的という。
この制度を活用して、職種をまたぐジョブチェンジや、育児との両立に向けて体力的負担を減らすための異動を実現した従業員もいる。さらには、人材獲得の面でも副次的な効果が生まれているようで、この制度だけが直接の要因ではないものの、ここ2年間で多くの中途採用実績に繋がっていると代表は話す。
脱・職種固定型人事(ケースNo.2)
鹿児島県鹿屋市の有限会社鹿屋電子工業では、社内新規プロジェクト公募と社内ジョブチェンジ制度をセットにした枠組みを導入している。
「会社を辞めても通用する人材になってほしい」という育成理念のもと、主力事業である電子部品関連の製造職だけでなく、さまざまな職務に挑戦してもらい、その中で新しいスキルや経験を習得してもらうのが導入の狙い。「職種を限定しない方が働く人の可能性は広がる」という経営者の考え方がベースにある。
社内新規プロジェクト公募は、会社側が『地方創生』という大枠のテーマのみを定め、具体的な事業アイデアや参画メンバーを募る形式だ。社内ジョブチェンジ制度は、既存事業から新規事業への異動だけでなく、既存事業間の異動も希望できる。
さらに、中途採用において、職種を限定しない「オープンポジション」での人材募集にも取り組む。人材活用に“脱・職種固定型”の考え方を取り入れることで、働く人が職種や部署の枠を超え、横断的に仕事内容や業務レベルを変更できるようになっている。
この制度によって従業員が自分主体で新たな部署に移ったり、新たなスキルを身に付けたりする機会が生まれ、既存組織にはない新たな事業・職種も生まれた。オープンポジションでの採用も実を結んでおり、ほかにも外国人学生や副業人材などの新規人材獲得にも繋がっていると代表は語る。
ポイントは「社内」×「タイミング」
2社の事例は、自律的にキャリアを選択できる枠組みの中でも『職務転換』に関する施策だ。これらの事例には次のような共通点がある。
- 社内で自ら職務を転換できること
- 自らのタイミングで転換を申し出ることができること
2つの施策はともに、性格・価値観・指向・モチベーション・スキルといった従業員がもつ多様な「個人特性」が考慮されており、個人の就労ニーズが現在時点だけでなく将来的に変化した場合も想定されている。中長期的な視点であらゆるキャリアの変化に柔軟に対応できる点に、大きな意義があると感じる。
「仕事を選ぶ余地」があれば
仕事に主体性を求める若年層
職務転換の主体が誰であるかは働く人にとって関心が高く、今の若年層は特に主体性を求める傾向がある。
マイナビ 2025年卒 大学生インターンシップ・就職活動準備実態調査(11月)で、入社後の「仕事内容が変わる異動」の希望について就業前の学生に聞いたところ、「自分の希望が叶えられるのであれば異動があっても良い(社内公募制等)」が42.1%でもっとも高かった。これは「それまでの経験が活かせる仕事であれば異動が合っても良い」「異動はしたくない」などの他項目を大きく上回る。【図1】
新卒社員が配属先に対して抱く不安を表現した「配属ガチャ」という流行りの言葉も、自分の意思で仕事を決めたいとする若者の職業観を表す一つだろう。
就業経験がない学生にとっては、キャリアにおける仕事の変更や人事異動を具体的にイメージできていない可能性もある。それでも、職務の決定に自らの意向が反映されることは、キャリアを長く築くという観点でプラスに働くことが期待できるだろう。
転職意向に影響する仕事内容の不満
仕事への関わり方は人材定着にも影響する。20代正社員を対象とした「仕事・私生活の意識調査2024年」では、職場環境のあらゆるネガティブ要因への対処法を調査した。すると、「仕事そのものに満足していない」と答えた人の対処では、『転職活動をして職場を変える』が43.6%に上っており、他の職場環境のネガティブ要因よりもスコアが高くなった。【図2】
この結果から、仕事内容への不満は転職意向(離職意思)に与える影響が大きいことがうかがえる。だがそれは、裏を返せば、働く人が仕事に不満やネガティブさを感じる時でも、社内で職務を転換できる仕組みがあれば、同じ組織でキャリアを続けられる(企業にとっては、人材に長く働いてもらえる)可能性が十分あるということではないか。
会社が従業員の担当職務や人員配置を決めるという基本路線は当然あるとして、その中でも、個人が自らの意向をちょっとでも反映できるような「仕事を選ぶ余地」があれば、人材の定着に良い効果をもたらすことがあるのではないだろうか。
灯台下暗し ~既存環境の充実を~
先に紹介した2社の施策には、もう一つ共通点がある。
- 施策が既存社員のキャリアの可能性を広げることを目的に導入されていること
白川電機株式会社熊本製作所は人材流出抑止に重きを置き、従業員に前向きにキャリアを築いてもらうための一つの手段として発展型自己申告制度を導入した。有限会社鹿屋電子工業は人材の成長と自己実現の機会を提供するために、横断的に新たな分野へチャレンジできる脱・職種固定型の考え方を取り入れている。ともに「既存の社員」や「既存の職場」の充実に着目しているという特徴がある。
人事施策の導入は、多くの応募者を引きつけ新しい人材を採用するためのいわば「予見的」な側面もあるが、この2社のように、足元の環境や目の前の従業員に焦点を当てた現在への「対処的」な目的として施策を取り入れることは一つ有効かもしれない。予測がつきにくい将来の人事よりも、目下にある課題・目標に対して取り組む施策の方が、対処すべき事柄が明確でアプローチもしやすいはずだ。
そこから生まれた施策を対外的にうまく発信することができれば、会社が従業員のキャリアに真摯に向き合う姿勢をアピールする好材料になるし、自社でキャリアを描く姿を求職者にイメージ・共感してもらうきっかけにもなり得る。つまり、既存社員向けの施策にとどまることなく、新規人材獲得の呼び水となる可能性を秘めていると思う。
まとめ
言うまでもなく、2社がこのような制度を導入できるのは、自社の従業員を信頼し、個々のキャリアの考え方を尊重しているからこそ。人材を貴重な資本として捉え、価値を最大限に引き出そうとする人的資本経営にも通ずる考え方だろう。会社が率先して施策を打ち、働く個人が自律的にキャリアを構築できるような「場」を用意することは、働く人が当たり前に転職するようになった今の時代の企業人事に求められる大事な要素だと考える。
新規人材の獲得を喫緊の課題とする企業も少なくないが、土台や戦略なしに激しい採用競争を戦うのは難しい。思うように採用成果をあげることができない、人員確保へ何から手をつけていいかわからない…。そんな企業があれば、まずは、既存社員のキャリアの充実に目を向けてみてはどうだろうか。
実践的な方策としては、①社内で ②自らのタイミングで職務転換を目指すことができる施策をお薦めしたい。仮に制度としての設計・運用が難しい場合は、まずは従業員の仕事に関する自己申告の機会をつくり出し、個々の働くニーズに向き合いながら、実現可能な希望から一つ一つ叶えることから始めるのもいいかもしれない。
職種をまるごと変えることはできなくても、作業内容・仕事で関わる人(人間関係)・役割・就業スタイル(業務量・時間)などが少し変わるだけで、働く人の仕事に対する考え方が変わりキャリアの可能性を広げることに繋がることもある。
大切なのは、個人のキャリア方針に変化があった時に、それに対処できる選択肢が社内にあるということ、であると2社の事例の取材を通じて実感した。”働くことを選べること”。ここに、定着・採用に繋がる人事施策のヒントはあると思う。
マイナビキャリアリサーチLab研究員 宮本 祥太
企業の雇用施策に関するレポート(2024年版)では、企業規模が小さいほど、現在実施している人事施策の種類が限られる傾向がみられる。働き方やキャリアの多様化を期待できる各種制度(限定正社員制度・週休3日制・副業・兼業制度など)の導入率も、規模の大きな企業に比べて低い。【図3】