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仕事に没頭し、夢中になる働き方が「ウェルビーイング経営」につながるー慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼武蔵野大学ウェルビーイング学部長 前野隆司氏

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「仕事は辛いものだ」とされていた旧来の価値観が、大きく変わろうとしています。「働きやすさ」と「働きがい」の両立を目指す企業や「ウェルビーイングな働き方」を経営戦略として据える企業も増えてきました。

今回は、長年にわたって幸福学を研究し、ウェルビーイング学会代表理事でもある前野隆司さんへのインタビューを通して、「ウェルビーイング経営を目指す企業」が増えてきた背景や実際にウェルビーイング経営を実践されている企業事例について詳しくお聞きしました。

前野隆司(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼武蔵野大学ウェルビーイング学部長)

前野隆司(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼武蔵野大学ウェルビーイング学部長)
1984年東京工業大学卒業、1986年同大学修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て、現在慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。武蔵野大学ウェルビーイング学部長兼務。博士(工学)。専門は、システムデザイン・マネジメント学、ヒューマンマシンインタフェースデザイン、地域活性化、幸福学、幸福経営学など。健康経営の講演も増えている。

日本社会の注目を集める「ウェルビーイング」とは

まずは「ウェルビーイングとは何か」というところから、お聞きしたいと思います。最近はバズワードのようにウェルビーイングが取り上げられているようにも感じますが、どのように定義されているものなのでしょうか?

前野:「ウェルビーイング」という言葉自体は昔からありましたが、日本で注目されるようになったのはここ最近かもしれません。

1946年にWHOが行った健康の定義を引用すると『Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 』とされており、「健康とは身体的、精神的、社会的に良好な状態であって、単に病気または病弱ではないということではない」と訳されています。

つまり、体も心も社会的にも良い状態であること。これがウェルビーイングの正しい定義だといえるでしょう。

社会的に良好な状態とは?

「社会的に良好な状態」とは、具体的にどのような状態を指すのでしょうか?

前野:これはたとえば「孤独ではない状態」を指します。いじめられたりせず、より良い人間関係が築けている状態ということですね。社会的に困窮しているせいで孤独になっている方もいますから、「福祉」のような文脈で訳されることもあります。そうした広い意味も含めて、人間関係が悪い状況に陥っていないことも、ウェルビーイングに含まれます。

孤独というのは、心身へのダメージが非常に大きいものです。コロナ禍で在宅時間が増え、じわじわと孤独を感じていた方も多いかもしれません。あるいは、いじめやハラスメントなどの人間関係の問題も、放っておくと心の病につながります。運動不足になると健康が損なわれるのと同じですね。

ハピネスとウェルビーイングの違いとは?

「Happiness」も同様に「幸せ」と訳されますが、ウェルビーイングとはどのように違っているのでしょうか?

前野:「Happiness」はもう少しせまい概念です。図で表すと、Well-beingがHappinessを大きく包み込んでいます。

ウェルビーイング図

Happyは楽しくて、嬉しくて、ニコニコしている「感情としての良い状態」を表します。一方でウェルビーイングは「心の良い状態」ですから、誠実で利他的であり、視野が広くてやる気があるなども含めて表します。これは心理学の分野でも研究されている捉え方です。

かつて「辛いもの」だった仕事が、変わりつつある

「仕事は辛くて当たり前」だった時代の価値観が変わりつつあります。ワークライフバランスを重視する働き方や、仕事の中にやりがいを見出す働き方も認められてきました。そうした社会的な変化について、前野先生からはどのように見えていますか?

前野:「辛くても根性で働け!」と言っている上司は、大抵辛さを感じていないものです。なぜなら、そういう働き方で本人は成功してきたからなんです。時間とストレスがかかっても目標を成し遂げたことは、大きな喜びになるはずじゃないですか。集中して頑張って成功した体験は、本当に幸せを感じるものです。

「24時間働けますか」という時代に出世した人は、ある意味、幸せだったのかもしれません。ただそれを周りに押し付けてしまうと、2種類の人間が生まれることになります。

1つは「ワーカホリック」。ワーカホリックに陥った人間は使命感で仕事をやろうとするものの、辛くなって集中できなくなり、心の病を発症します。

もう1つは「ワークエンゲージメント」。ワークエンゲージメントが高い人間は仕事に没入するので、長時間集中して取り組んでも病気になりません。これは、ウェルビーイングの観点からすると、まったく問題ないんです。

ワーカホリックとワークエンゲージメントは一見似ている側面があると思います。最終的に仕事をポジティブに捉えられるかどうかは、「自己決定しているか否か」という点が深く関係しています。確かに、1人ひとりが「働き方」を選び、自己決定を尊重してもらえる環境であれば、仕事へのモチベーションも高まりそうです。一方で、多くの方にとって「組織の中での自己決定」が難しい現実もあるのではないでしょうか?

前野:実は「自己決定や主体性が幸福度に大きく影響する」という研究があります。自分で仕事を選んで取り組むのと、トップダウンで強制的にやらされるのとでは、同じ内容でもストレスのかかり方が違います。

行き過ぎた長時間労働はもちろんやめるべきですが、「本当はもっと働きたいのにできない」と希望する人のワークエンゲージメントを下げてしまうのは残念ですよね。日本の活力を削いでしまう可能性があります。

しかしながら、「ワーカホリックに陥っている人間」と「ワークエンゲージメントが高い状態の人間」の区別はしにくいのも事実。ですから今後、テクノロジーが進み「あなたはあと50時間働いても大丈夫ですよ!」と、個人ごとにAIが忠告してくれるようになると良いなと思っています。個人のやる気に応じて労働時間が選べるようになると、また新たな働き方へと変わっていきそうです。

幸福学の観点から「静かな退職」を考える

最近では「静かな退職」という言葉が話題になっています。「静かな退職」とは、キャリアアップや昇進をあえて目指さずに、必要最低限の仕事をこなす働き方を指しますが、ウェルビーイングの状態と比べて何が 違うのでしょうか?

前野:まったく違いますね。「静かな退職」は、私からみるととても残念に感じます。もしかしたら、上司や周囲との人間関係がうまくいかず、陰に隠れるようになっているのかもしれませんよね。静かにしないと傷ついてしまうから、ある種の「小康状態」を維持せざるを得ない。そうだとしたら、それは本当の幸せではありませんし、ましてやウェルビーイングでもありません。

本来は上司や同僚と仲良くなり「よくやったな」と承認してもらったり、自主的に個性を発揮して活躍を認めてもらったりする方が幸せなんです。いきいきと活気に満ちた方法で乗り越えていければ良いのですが、さまざまな理由から「小康状態」を選んでいるのだと思います。

厳しい言い方かもしれませんが、やはり「やりがいとつながり」がある方が幸せなんです。ウェルビーイングの定義にも挙げられている「社会的に良好な状態ではない」ということなのだと思います。「静かな退職」は不幸せではないかもしれませんが、「やりがいとつながり」が薄く、幸せでもない。そんなふうに見えます。

静かな退職の対処法とは

「静かな退職」は「一時避難」をしているように感じます。あまりにも辛い現実から、自分の心を守るために必要な行動を取っているのでしょうか。

前野:そう思いますね。本当は上司に直接交渉して職場を変革するとか、転職してより良い職場を探すことをおすすめしたいですが、どちらも強いエネルギーが必要になります。

ですからスキルを身につけたり、友だちとのコミュニケーションを増やしたり、何か明るい未来がつくれると良いのですが。隠れている穴から少しだけ出てみて、いろいろ動いてみるだけでも少しは変わります。「静かな退職」よりも「元気な副職」をするのはどうでしょうか?

楽しいのであれば仕事とプライベートも、無理に分けようとしなくても良いんです。本来は家に帰っても、仕事のことを考えたってかまいませんよね。

「楽しい気持ちで働けるのであれば、仕事とプライベートをあえて分けなくても良い」という考え方は、非常に新鮮に感じます。

前野:家でくつろいでいる時に「あ、面白いことを思いついた!仕事に活かせる!」とひらめいたとしましょう。それを「残業だ」とは思わないはずです。

その時、心はウェルビーイングな状態であるか──それが大切なので、仕事とプライベートを無理やり分けなくても良いと思うんです。もちろんメリハリをつけた方が心地よいなら別ですが「ライフワークバランスを、取らなければならない」と義務のように思っている時点で、何かがおかしい。「自己決定」が失われ、やらされ感が強くなってしまいます。

考えてみれば、私にも「〜しなければならない」と思い込んでいた苦しい時代がありました。他者と比べてしまうと辛くなるから、そうではない環境に身をおくようにし、自分にとってより良い場所へと移りました。自分自身のためにも、そうした努力はするべきだと思います。

「社員の幸せや働きがい、社会への貢献」を実現するウェルビーイング企業

ここまでウェルビーイングの考え方についてお聞きしましたが、ウェルビーイング視点を持ち、経営に活かしているような企業はあるのでしょうか。

前野:私は幸福学を研究していることもあり、「ホワイト企業大賞」の企画委員として毎年多くの素晴らしい企業と出会っています。「ホワイト企業」とは「ぬるい働き方ができる企業」ではなく、「社員の幸せと働きがい、社会への貢献を大切にしている企業」のこと。つまり、ウェルビーイング経営を実践している企業を表彰しています。

その中のひとつ、徳島県にある西精工株式会社はまさにウェルビーイング経営を行っています。毎年見学しますが、本当に社員がいきいきとしていて「月曜日が待ち遠しい」と言っているんです。社内アンケートでは社員の95%が「早く出社してみんなに会い、一緒に仕事がしたい」と答えているほど。「強いやりがいを感じている」という結果も出ています。

そうした社員のモチベーションを支えているのが、毎日の朝礼。全体朝礼を毎日1時間行っているんです。一般的には長いですが、実に楽しそうに取り組んでいます。主な目的は「理念の浸透のため」と「仕事の改善点を話し合うため」です。

たとえば「我々が作っている製品が世の中を幸せにしている。その一部を自分が担っている」と実感しながら、会社の理念を全員で唱和し、学びます。理念を浸透させることで団結力が高まり、やる気も高まっていくわけです。

やる気が高まったところで仕事の改善案を全員で考え、助言し合います。「こうした方が良さそうだ」とワクワクしながら進めていくうちに、同じ目標に向かって成し遂げていくチームができあがります。自然と仲も深まりますよね 。

さまざまなタイプの方が働く組織において、「毎日会いたい人に会える幸せ」の実現は簡単ではないかもしれません。社内の人間関係はどのように育んでいるのでしょうか?

前野:やはりコミュニケーションですね。もちろん人間ですから、苦手な人もいるでしょう。ただ毎日1時間の朝礼で密なコミュニケーションをしているうちに「あれ?苦手なあの人も、意外と話してみると平気かも」となってくるんですね。

発生した課題を放置せず、解決するまできちんと対話をする。その姿勢がベースにあるから「単なる仲良しグループ」では終わらず、最後まで相手と向き合っています。朝礼で必ず顔を合わさざるを得ないので、自ずと解決に向かって進んでいくと言っても良いかもしれません。

社員がウェルビーイングな状態でいつづければ、業績も連動して伸びやすくなるということなのでしょうか? 

前野:そうなんですよ。本当の意味でより良い人間関係を築けるので、1人ひとりがウェルビーイングな状態になり、本質を突いた議論ができるようになります。そうなると業務改善が進み、仕事もはかどります。その結果、製品のクオリティも高まり、業績が上がります。こうした好循環が起こるようになりますから、実は不況にも強くなります。

社員が幸せでいると、お客様にもそれが伝わり、会社のファンになってくれるんです。そうなると業績が苦しい時にもお客様が助けてくれるようになります。正反対の状況であるブラック企業は、不景気になれば簡単に潰れます。しかしウェルビーイング経営を導入した企業は、社員の団結力が高いため「なんとかこの苦境を乗り切り、会社のためになんとか頑張ろう」と粘り強く頑張る傾向があります。

ですから業績が苦しくて商品が売れないからといって、単純に値引きはしない方が得策です。社員の給与水準を維持するために、値引きはせず、良いサービスを引き続き提供する。そうすると、お客様も「良いサービスを変わらずに提供してくれるならば、一緒に乗り越えたい」と応援してくれるようになるんです。

ウェルビーイング経営の共通点とは?

ウェルビーイング経営を実現している会社の「共通項」はありますか?

前野:共通点としては「社長が情熱的で、その想いが社内に“生の声”として伝わっていること」。「社員に幸せになってほしい」という想いを持ち、全社に浸透させています。

意外なのが「ウェルビーイングになる仕組みの設計」よりも、社長の存在がキーポイントになっているところです。実は、トップが「幸せな会社をつくるためのカギ」を握っています。仕組みはなるべくつくらず、自由裁量である方が良いですね。仕組みで管理するよりも、理念によって行動が促される方が仕事にやりがいを感じやすくなります。

さらに、会社理念にも共通点がありました。理念の中に「自分たちの幸せを大切にしている」と明記されていたんです。「お客様の幸せのために」と言ってしまうと、自己犠牲の精神が働く可能性があります。それが長時間労働を生み、お客様の都合が優先されて苦しくなるんです。

全国的にも「社員の幸せ」を経営理念に盛り込む企業は、とても少ないです。それでも「自分たちの幸せ」と入れた方が、良い会社になると思いますよ。そうなれば「自分たちの幸せ」について、自分ごととしてどうすべきかを考えるようになります。結果として「やりがいとつながり」のある働き方を自分自身で選択できるようになり、多くの人がウェルビーイングな人生を送れるようになるでしょう。

今、世の中はESGや社会課題への意識が高い企業に投資し、応援しようという気運がありますよね。かつて存在していたブラックな常識はすべて裏返り、美しい未来的な常識が出てきているのではないでしょうか。ウェルビーイング経営は、そうした美しい未来を描く幸せな企業を増やし、新しい時代を切り拓く可能性を持っていると思います。

編集後記

「ウェルビーイング経営」とは、「自分で決めることができない人」にとっては非常に厳しい選択を迫られます。 ウェルビーイング経営においては“働きがい”が重視されるため、「キャリア構築の目指す方向」を自分で考え、選び取らなくてはなりません。

働きやすさだけを求める人材にとって「本当に成し遂げたいこと」を言語化し、行動へと移していくことは簡単ではないでしょう。ウェルビーイング経営とは、決して「企業が優しく無理なく働ける職場環境や仕組みを用意すること」ではないのだと、改めて気付かされた取材となりました。

ウェルビーイング経営を実現している企業では、社員自身が「挑戦したいこと、夢中になれることは何か」について考えつづけます。それがワークエンゲージメントを高め、仕事に没頭できるようになり、結果として生産性を高めていきます。そこにより良い人間関係が加われば、自然と好循環が生まれやすくなります。

体と心、そして信頼できる人間関係が1つになったウェルビーイング企業が起点となって、新しい未来の社会をつくっていくのかもしれない。そんな希望を感じました。

執筆:林 美夢

片山久也
登場人物
キャリアリサーチLab編集部
HISANARI KATAYAMA

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