本コラム連載の第1回(キャリア継続の障壁 第1子出産の壁)では、多くの女性が第1子の出産前後にキャリアが中断している現状、原因とその対策について紹介した。
もっとも、キャリア継続の障壁は、「第1子出産の壁」だけではない。次なる大きな試練は、子供が小学校に入学するタイミングである。1995年から2010年までの「国民生活基礎調査」に基づく高久玲音一橋大学准教授の分析によると、子供が小学校に入学するタイミングで、母親の就労率は10%も低下していた(※1)。
また、「小1の壁」が理由で、母親が配置転換や転職等をして、収入の低い「ゆるい職場」に移るケースも多く報告されている。第2回のコラムでは、この「小1の壁」について考察する。
目次
「小1の壁」とは
一般的に、子供が成長すると、親は子育て負担が軽くなり、就労しやすくなるはずである。しかし、例外的に、子供の成長の節目で親の負担が逆に重くなるケースもある。代表的なのは、我々がよく耳にする「小1の壁」である。
「小1の壁」とは、子供が保育園から小学校へ入学する際、タイムスケジュールと子育ての内容が大きく変わったことで、母親が逆に就労しにくくなることである。ではなぜ、手のかかる未就学児よりも小学生を育てる親のほうが、仕事と家庭の両立が難しくなるのか。
地域によって多少の差異があるものの、子育て世帯の多い東京都練馬区を例にみてみよう。表1は保育園児と小学生の親負担を全般的に比較したものである。総じて見て、保育園はフルタイム共働き家庭でも利用しやすいサービス内容であるのに対して、小学校は専業主婦やパート主婦向けの内容になっていることが分かる。
預かり時間の変化と追加的負担の発生
最大の変化は、子供の預かり時間が短くなることである。保育園は、延長保育を利用すれば、朝7時から夜8~9時まで子供を預かることができる。一方、小学校は、早朝保育はなく、下校後の小学生を預かる「学童保育(放課後児童クラブ)」の終了時間(延長を含む)も、夜6時~7時と保育園よりも2時間ほど早い。
通勤時間や通常残業を含むと、夜8時以降の帰宅が多い都内の正社員にとって、この2時間の保育時間短縮は致命的な制約となる可能性がある。さらに、追い打ちかけるように、子供が小学校へ入学すると、会社の時短勤務から外されるケースが多い。
預かり時間以外の追加的負担も重くなる。保育園は、預かり時間外の追加的負担が殆どないのに対して、小学校は夏休み中の昼食弁当の用意や宿題等提出物の確認、平日昼間の行事参加等、親に多くの負担を求めている。また、意外と厳しいのは、保育園では夕食の提供も活用できるが、小学校は帰宅後に一息つく間もなく夕食を作るなど、精神的な余裕を失うことである。【表1】
「小1の壁」に拍車をかける学童保育の受け皿不足
政府は、2019~2023年度までの5年間で約30万人分の学童整備計画を打ち出しているものの、学童保育の待機児童数はなかなか減少しない(【図1】左)。子育て女性の就業率上昇とともに、学童保育の利用率は年々上がっており(【図1】右)、学童保育の定員拡充が需要に追い付いていない。
たとえば、2021年度に保育園に通っていた5歳児は約54万人(※2)であるが、2022年度の学童保育に登録した1年生は、その8割に当たる43.6万人(※3)である。言い換えれば、約11万人の新1年生は、入学後に保育の枠から外されることになる。
その11万人のうち、待機児童としてカウントされた者は、2,117 人(全体の2%)と必ずしも多くない。学童保育を必要としているにもかかわらず、入所を諦めて申し込みをしていない、いわゆる「潜在的な学童待機児童」が相当数に上ると見込まれる。【図2】
たとえば、2022年度において、学校在籍の1年生総数は前年度より9,351人減り、学童入所者数は約1.2万人増加した。それにもかかわらず、同年度の学童待機児童数(1年生)は108人増えた。言い換えれば、入所枠が拡大したことにより、「潜在的な待機児童」の一部が「待機児童」として顕在化したと思われる。【図3】
保育環境への不安で敢えて利用しない親も
保育環境への不安から、学童保育の利用を見送る親も少なくない。とくに大都市圏では、定員オーバーで大勢の子供たちがすし詰め状態となる学童クラブが散見され、職員の目が行き届かないことが問題になっている。その他、学童施設の老朽化問題や教育的配慮の低さを指摘する声も上がっている(※4)。
その背景にあるのは国や自治体の財政難である。限られた学童保育事業の予算の中、学童の受け皿拡大を最優先にし、厚生労働省は2019年に職員配置基準の規制緩和を行った。また、学童の定員を設けるかどうかの判断も、各自治体は実情に応じて判断することになっている。実際、東京都江戸川区のように学童保育に定員を設けず、希望者をすべて受け入れている自治体も現われている。
海外ではあまり報告されない「小1の壁」問題
小学生の放課後保育サービスの不足は、日本に限らず多くの先進国でみられる問題である。6歳~8歳の児童が放課後保育サービスを利用する割合は、日本(2022年度)は36.9%であるのに対して、EU平均(2019年頃)は33.3%である。
国別で比較すると、北欧諸国(デンマーク77.7%、スウェーデン76.9%)と一部の東欧国(スロベニア76.0%、チェコ55.3%)の利用率が高いが、主要国(フランス26.8%、英国24.1%、ドイツ18.8%、イタリア6.8%)の利用率はいずれも日本より低い。また、これらの国は日本に比べて、学童保育の平均利用時間が短い。【図4】
ただし、これらの国でもっぱら議論の焦点となっているのは、放課後保育サービスの不足がもたらす子供の問題行動の増加や子供の健康、発達等への影響である。子供が小学校へ上がるタイミングで女性のキャリアが中断されたり、収入が低下したりするといった「小1の壁」現象に関する報告が皆無に等しい。
むしろ、海外では子供が小1に入学するタイミングで母親の就労が増加すると示唆する研究が多い。とりわけ、学童保育の受け入れ拡大や利用料の引き下げといった保育改革が、女性の就業率や労働時間、年間収入に及ぼす影響や男女格差の縮小への貢献について盛んに検討されている(※5)。
「小1の壁」の解消に向けて
北欧諸国の水準には及ばないものの、日本の学童保育は他の主要先進国に比べて、サービスの普及度は高く、利用料金も月額3,000円~7,000円程度と低く抑えられている。それにもかかわらず、他国よりも日本の母親が「小1の壁」を強く感じているのはなぜだろうか。日本企業の独特な「残業慣行」と学校の「親参加文化」が主な理由として考えられる。
残業慣行
終身雇用を重んじる日本企業にとって、正社員の慢性的残業は雇用の調整弁としても機能している。また、成果よりも労働時間投入を評価するような日本企業の賃金制度も残業を誘発している。そこで、残業慣行の見直しや学童保育の預かり時間の延長、短時間勤務制度の適用対象拡大などが対応策として考えられる。
親参加文化
専業主婦の多い時代に築き上げられた小学校の親参加文化は、今も続いているところが多い。PTA冊子の発行やベルマーク集め、学区のパトロール、運動会の手伝い、平日での保護者面談、学校提出物の確認等、日本の小学校では親の参加が頻繁に求められ、フルタイム就業の親にとっては対応しきれない部分がある。「小1の壁」の解消に向けて、親参加の範囲縮小が急務と言える。
学童保育以外の放課後プログラム(学習・趣味関連教室)
その他、英語教室や宿題指導教室、IT教室、ロボット教室等、学童保育以外の放課後プログラムを充実させることも「小1の壁」解消につながると思われる。現在は、くもん教室や英語学童Kids Duoなど、民間のアフタースクールが利用可能であるが、公共の学童保育などと比べると価格が割高であったり、自宅から遠かったりするなどの理由で利用をためらう家庭が多い。無料または低料金で利用できる良質な放課後プログラム(学習・趣味関連教室)を充実させる支援も同時に検討すべきである。
以上は女性のキャリア継続の妨げとなる『小1の壁』の問題について、先行研究や既存統計を基に論じた。次回は更年期障害がキャリア継続に与える影響である『更年期の壁』について考察する。
<参考資料>
※1:高久玲音(2019)「小学校一年生の壁と日本の放課後保育」『日本労働研究雑誌』No.707、pp.68-78
※2:厚生労働省「保育所等関連状況取りまとめ(令和3年4月1日)」。保育所を利用している3歳以上児童の人数(1,636,736人)による概算値である。
※3:厚生労働省「令和4年(2022 年) 放課後児童健全育成事業(放課後児童クラブ)の実施状況」
※4:日本教育新聞「課題山積の放課後児童クラブ。施設不足や保育の質低下をどうする?」(2020.2.1)
※5:Felfe, Christina, Michael Lechner and Petra Thiemann(2016)“After-school Care and Parents’ Labor Supply.” Labour Economics, 42.10.1016
著者紹介
周燕飛(しゅう えんび)
国立社会保障・人口問題研究所客員研究員、(独)労働政策研究・研修機構主任研究員などを経て、2021年より日本女子大学人間社会学部教授。大阪大学国際公共政策博士。労働経済学、社会保障論専攻。著書に『母子世帯のワークライフと経済的自立』(JILPT研究双書)、『貧困専業主婦』(新潮社)など。2021~22年度社会保障審議会児童部会臨時委員。