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ヒューマンサービス業に求められる感情労働

塚本恵里香
著者
社会福祉法人愛信芳主会 理事長
ERIKA TSUKAMOTO

本コラムではヒューマンサービス業において注目されている「感情労働」についてご紹介します。感情労働とは「相手の中に好ましい感情が生まれるよう、自分の感情をコントロールすること」であり、キャビン・アテンダントや販売員、電話オペレーター、看護師、介護職員、保育教諭等の対人関係のスキルが顧客満足度を左右する業種にかかわる従業員に求められる感情のコントロールスキルを指します。
本コラムでは筆者が関わっている高齢者福祉業界に焦点を当て、前編[感情労働に着目するに至った経緯と、筆者がかかわる福祉業界における介護人材の現状]、後編[感情労働を踏まえた介護職員の思考の構造をリーダーおよび管理者が認識する必要性]で解説します。

福祉業界に関わって鍛えられた学び欲と課題認識

筆者が金融業界からこれまで全く関わりのなかった福祉業界に転職した際に、介護職員として現場にかかわるなかで「何も福祉系の資格を持っていないくせに」という衝撃的な一言をもらったときのことは今でもよく覚えています。当時の福祉業界はどのような資格を取得しているかで判断される傾向が強い業界であると感じました。業界内での資格の序列は[無資格<ヘルパー<介護福祉士<社会福祉士・精神保健福祉士/介護支援専門員]なのかなと、勝手ながら感じたものでした。
福祉業界に転身したばかりの私は当然ながら福祉のド素人です。一緒に働くスタッフはすべてが業界の先輩で、何事につけてもとても手慣れた様子で対応し、スタッフ同士の共通言語が飛び交う中で、その会話についていけず戸惑いました。そして福祉業務に対する良し悪しを判断するものさしを持ち合わせていないことに危機を感じました。先輩が言っていること、行っている介護が利用者様にとって最適かどうかがわからないのです。
そこでまずは自分自身が介護の実務を行いながらも、理論を習得する必要があると判断するまでに時間は要しませんでした。

当初の学びの手段は主に高齢者福祉にかかわる資格取得のための学びを通じて、自身の引き出しを少しずつ増やすことでした。とはいっても、福祉に関する国家資格も任用資格も取得したいと思ってすぐに取得できるものではないのです。自身の現場での経験年数に伴って受験できる資格が増えていきます。
そこで自分の経験年数に応じてひとつずつ資格取得をすすめ、これらの学びを通じ、現場での実務と理論を学ぶことで、福祉業界の学びを深めていった時期は非常に楽しかったことを覚えています。自身が腰を据えてかかわる覚悟を持った業界で、学びの死角をつくりたくなかったような感覚だったと思います。先行して少しずつ身についていった実務に理論という裏付けが得られることで、これでいいのかな?とこれまで思っていた介護に対し自信が持てるようになっていくことに手応えを感じました。
一方で、資格を持っていてもその資格にあぐらをかいて利用者様に寄り沿った介護ができていないと感じる光景も何度となく見かけました。そんな体験をした当時から変わらない思いは「目の前の利用者様にとって私たちスタッフがどのような資格を取得しているかは関係ない。ただ利用者様をお支えするのに十分な理論を踏まえて、最適な介護を柔軟に提供することが大切である」ということです。

なぜ感情労働に着目を?

その後、相談員・介護支援専門員・管理者として介護現場にかかわる中で、介護の技術、ケアマネジメント、ソーシャルワークの学びのみでは解決できない介護人材不足の課題があることを痛切に感じるようになりました。我が国は超高齢化に伴う深刻な介護人材不足に長年にわたり直面しています。令和3年度「介護労働実態調査」(公益財団法人 介護労働安定センター)によると我が国の介護職員の離職理由第一位は「職場の人間関係に問題があったため」です。【図1】

前職を辞めた理由(複数回答)/令和33年度「介護労働実態調査」(公益財団法人 介護労働安定センター)
【図1】前職を辞めた理由(複数回答)/令和3年度「介護労働実態調査」(公益財団法人 介護労働安定センター)

一方で、現在の法人に就職した理由の第一位は「資格・技能が生かせるから」という結果が出ています。【図2】

現在の法人に就職した理由(複数回答)/令和33年度「介護労働実態調査」(公益財団法人 介護労働安定センター)
【図2】現在の法人に就職した理由(複数回答)/令和3年度「介護労働実態調査」(公益財団法人 介護労働安定センター)

つまり、資格や技能が生かせる職場であると思って就職したにもかかわらず、それを上回る人間関係の問題により離職をしている現状があることがわかります。さらに、人間関係の悩みについて調査された結果「自分と合わない上司や同僚がいる」が20.2%でもっとも高く、次いで「部下の指導が難しい」が19.2%、「ケアの方法等について意見交換が不十分である」が18.3%、「経営層や管理職等の管理能力が低い、業務の指示が不明確、不十分である」が17.7%となっています。【図3】

職場での人間関係等の悩み、不安、不満等(複数回答)/令和33年度「介護労働実態調査」(公益財団法人 介護労働安定センター)
【図3】職場での人間関係等の悩み、不安、不満等(複数回答)/令和3年度「介護労働実態調査」(公益財団法人 介護労働安定センター)

ここで言う人間関係とは、単に肌が合う・合わないという問題ではないことがうかがえる結果が示されています。以上のことから、資格や技能を発揮するための介護職員が満足する人間関係を備えた介護現場の土壌を整えるという課題への取り組みなくしては、介護技術を発揮して介護の質を高めていくという次のステップに移行することはできないでしょう。
そこで持続可能な介護提供のため、介護の本質的な取り組みの必要性を感じたことから、大学の研究室で介護現場に関する研究を始めました。その中で介護現場における人間関係を整えるために必要な概念のひとつである「感情労働」に着目しました。

感情労働とは?

感情労働とは冒頭でも少しご紹介をしましたが、アメリカの社会学者であるA.R.ホックシールド(2000)が提唱した概念で「自分の感情を誘発したり抑圧したりしながら、相手のなかに適切な精神状態を作り出すために、自分の外見を維持しなければならない」ことと定義され、ヒューマンサービス領域においてサービス提供者側に求められる感情コントロールのためのスキルを指します。
具体的には、目の前の顧客が心地よい気持ちになれるように、サービス提供者は、たとえ自分の気持ちに反することであったとしても、笑顔をつくり顧客にとって好ましいふるまいを行うことを指します。感情労働が提唱された当時は、キャビン・アテンダントが理不尽な申し出をする乗客に対して、いかに自身の感情をコントロールして乗客の納得と満足を引き出すかについて注目された研究でした。その後、あらゆる研究者たちにより考察が深められ、多様な職種に対して検討が深められている概念です。

わが国では看護師に対する感情労働の概念が注目されたのちに近年、介護職員に対する検討が行われてきました。筆者は介護業務に就く中で、感情労働(本概念にたどり着くまでは、このような表現はしていなかったが)を周囲のサポートにより上手にコントロールできているケースや、反対に上手にコントロールできずに疲弊している場面を日常の業務の中で頻繁に体験し目にしてきました。
このことから、感情労働と人間関係に着目して、介護職員の離職率軽減の一助になる研究に取り組みたいと思い、感情労働を行っている介護職員の思考の構造について検証を進めました。

後編は介護職員の思考の構造の概要をご紹介したうえで、感情労働と人間関係を支援するポイントについてまとめていきます。


著者紹介
塚本 恵里香
社会福祉法人愛信芳主会 理事長
早稲田大学人間科学部卒業。金融業界に勤めた後、福祉業界に転職。福祉について詳しく学ぶため、早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程・博士課程修了(人間科学博士)。
資格:社会福祉士・精神保健福祉士・介護支援専門員・社会福祉主事・介護福祉士等。八王子市社会福祉審議会高齢者福祉分科会委員、八王子市福祉審議会高齢者施設整備審査部会副会長、八王子市サービス事業者連絡協議会委員、八王子市介護認定審査会委員、八王子市社会福祉協議会いきいきプラン八王子推進委員会委員、早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員、等

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