マイナビ キャリアリサーチLab

連載『高齢化社会における定年後のキャリアを考える』
第1回 定年は「あがり」ではなく、やり切った後の「終わり」として切り替える—九州大学ビジネス・スクール講師 碇邦生氏

碇邦生
著者
九州大学ビジネス・スクール講師 合同会社ATDI代表
KUNIO IKARI

日本的人材マネジメントと自律的なキャリアの相性の悪さ

1990年代にキャリアの概念が日本で本格的に注目を集めるようになって以来、従業員が自律的なキャリア意識を持つことは多くの日本企業にとって課題だ。自律的なキャリア意識が高まることで、労働生産性の高まりや、能力開発の積極的な取り組み、ワークエンゲージメントの向上など、組織にとって望ましい結果をもたらすことが多くの研究で示されている。

一方、負の影響も危惧されている。離職のリスクが高まることや職務とのミスマッチが起きたときの意欲の低下といった、望ましくない結果が生じる可能性もある。

特に、年功制とまではいかなくとも、長期雇用を前提としてインセンティブが発生しやすい人事制度を設計している企業は多い。そのため、雇用の安定性を重視して、従業員の自律的なキャリアを手放しで推進しにくいジレンマがある。

加えて、人事異動とジョブローテーションで従事する職務や身に着けられる専門性が会社都合で決まることが多い組織では、意思を持ってキャリア開発するよりも、目の前の仕事に取り組んだ方が合理的だ。自分が希望する仕事ができるかどうかはわからず、できたとしても数年で異動してしまい、専門性を身に着けるところまではいけないこともある。それであれば、キャリアは個人の思うようにいかないものだとあきらめ、流れに身を任せようと考えるのは自然だといえよう。

つまり、長期雇用に基づいたインセンティブの設計と会社都合の人事異動が重要な人事システムであることが、従業員が自律的なキャリアを持つことを抑制する要因となっている。

しかし、これまではジレンマを抱えたままでも、不具合を起こした部分をマイナーチェンジすることで大過なく乗り切ることができた。たとえば、社内公募や異動希望制で個人の意志を反映できる施策を導入するなどの対応をしていた。

だが、現代のビジネス環境で問題が大きくなってきたのは、高齢化と健康年齢の長期化が原因だ。

キャリアを自分事として捉えることができない11の考え方

企業からの期待と個人の意識

人生100年時代といわれるように、現代人の平均寿命は延び、同時に健康年齢も長期化している。しかし、伝統的な日本企業の人事システムは60歳で定年を迎え、そのまま引退することが想定されてきた。制度としては定年の後ろ倒しがされても、50代後半での役職定年や60代での定年後再雇用のように60歳以降も第一線で活躍することは期待されていないことが多い。

また、個人の観点からも定年前後で「あがり」の意識が芽生え、そこから何かしようと考えるケースは限られていた。特に、40代以降で自分がどこまで昇進できるかの天井が見えてくると、行き詰まりを感じてモチベーションの低下や能力開発機会の喪失に陥りがちだ。そうすると、それまで培ってきた専門性で仕事をするようになり、情報や技術のアップデートを怠るようになる。

インタビュー調査の結果

2022年に実施した50代後半の会社員9名を対象としたインタビュー調査でも、キャリアを自分事として捉えることが難しい現状が語られた。調査結果をまとめると、以下の11のキャリアに対する考え方が出てきた。

【キャリアを自分事として捉えることができない11の考え方】

  1. 就職先の選択が「内定が早かったから」で、キャリアの初めから自分の意志で決めてこなかった。
  2. 異動は会社が決めるもので、自分で決めることができないと思っている。
  3. 退職後の進路は「目の前の仕事がある」し「会社に悪い」から考えないようにしている。
  4. キャリアの転機を「昇進のルートから外れた時」と考えている。
  5. 退職後も居場所は「会社が用意してくれる」と思いたい。
  6. 定年後再雇用でも、現職での存在感が「0にならない」と思いたい。
  7. 組織外に自分のキャリアについて相談できる人を持てていない。
  8. 自分の専門性についてマーケットでの価値を考えたことがない。
  9. 家族や健康状態は「定年後も働くか、働かないか」の意思決定に影響を与えるが、前向きな理由に転換できていない。
  10. 「仕事をするうえで大事にしたい」価値観を言語化できておらず、自分探しをしている。
  11. 「周囲からの評価」などのプライドの維持のために現職のキャリアにこだわる。

これらの結果からは、「キャリアや働く場は会社が用意するもの」という所属組織に頼りたいという気持ちや「今までやってきた居場所から離れたくない」という思い、「社外から自分を客観視した経験があまりない」などの傾向が読み取れる。

能力開発の重要性

しかし、ビジネス環境は変化し、高齢化と人手不足が進む中で、年齢に関係なく第一線で活躍することが求められるケースが増えている。だが、そうなると問題になるのは、年齢やポジションに見合った価値を提供できるかどうかだ。最新の情報や技術をアップデートしている若手やミドル層に対して、それ以上の価値を提供できないと、シニア層がポジションを維持することは難しい。

年齢に関係なく60歳以降も働き続けるということは、培ってきた専門性が陳腐化しないように、年齢に関係なく能力開発を続けていくことも求められる。そのため、会社都合の異動などの組織内で働くことからくる制約はあるものの、キャリアを自律的に捉え、主体的に能力開発に取り組む姿勢が重要となる。

「あがり」ではなく、やり切った後の「終わり」

定年が延長されても、新卒や若い頃に入社した企業で働き続けることは現実的には難しい。時代の変化に伴い、求められる専門性も変わるため、常に処遇に見合った価値を提供し続けることが困難になるからだ。

また、企業の視点からも、外部環境の変化に対応できる組織を作るためには、一定の新陳代謝を保つ必要がある。長期間働く従業員は貴重だが、大きな社会変化やビジネスモデルの転換が必要なときには、硬直性が問題になることがある。

そうなると、60歳以降の働き方について「あがり」ではなく、市場価値を維持するための異なる概念が必要となる。そこで提案したいのが、次のステージへと切り替わるための「終わり」だ。

「新しい始まりの時期」を迎えるためのニュートラルゾーン

ブリッジズの『キャリア・トランジション理論』では、「何かが終わる時期」と「新しい始まりの時期」の中間にある「ニュートラルゾーン(混乱や苦悩の時期)」を乗り越えることが、キャリアの転換点(トランジション)では重要だと語っている。

ニュートラルゾーンの意義

「あがり」の意識では、「何かが終わる時期」ではあるものの、「新しい始まりの時期」は想定していないため、主体的に何か行動を起こす必要はない。しかし、「新しい始まりの時期」を迎えるための「ニュートラルゾーン(混乱や苦悩の時期)」と考えれば、前のステージが「終わり」としていったん整理して、自分を見つめなおす機会を持つ。その自分を見つめなおす機会が「ニュートラルゾーン(混乱や苦悩の時期)」だ。

「ニュートラルゾーン(混乱や苦悩の時期)」では、これまでのアイデンティティを見直し、次のステージに向かうための新たなアイデンティティを探すことになる。その過程では、「自分が何者でもない」という不安や「これまでやってきたことが否定された」という憂鬱とした気持ちに苛まれる。これらの葛藤を通して、前のステージで培ってきた経験や能力を棚卸し、新しいアイデンティティと活躍する次のステージを発見する。

定年の新しい捉え方

そうすると、60歳というのは次のステージに移るために、前のステージをやり切ったという区切りとしての「終わり」として認識できる。つまり、定年とは次のステージに向かうための「キャリアの転換点」(トランジション)となる。

このように考えると、60歳という年齢は「次のステージへ移るための区切り」としての「終わり」として捉えることができ、定年とは「キャリアの転換点」(トランジション)となる。実際、ビジネス・スクールで社会人教育に携わっていると、定年後や定年を見据えて学びに来る50代や60歳前後のMBA生が多く見受けられる。彼らにとって定年は、これまでの経験を生かし、次の挑戦をするためのステージであり、定年後に起業するケースも珍しくない。

健康寿命が延び続ける中で、社会全体としては定年制そのものの廃止や、年齢に関係なく働ける社会の実現が議論されている。しかし、企業にとっては、同じ人材に長期間働いてもらうことには限界があり、個人が労働市場の中で価値を示し続けることがますます重要になる。そのため、異動やジョブローテーションなどの制約がある中でも、各自が自分のキャリアを主体的に考え、定年後というキャリアの転換点をどう乗り越えるかを設計していくことが重要だ。


九州大学ビジネス・スクール講師 合同会社ATDI代表 碇 邦生

著者紹介 

九州大学ビジネス・スクール講師 合同会社ATDI代表 碇 邦生
2006年立命館アジア太平洋大学を卒業後、民間企業を経て神戸大学大学院へ進学し、ビジネスにおけるアイデア創出に関する研究を日本とインドネシアにて行う。15年から人事系シンクタンクで主に採用と人事制度の実態調査を中心とした研究プロジェクトに従事。17年から大分大学経済学部経営システム学科で人的資源管理論の講師を務める。現在は、新規事業開発や組織変革をけん引するリーダーの行動特性や認知能力の測定と能力開発を主なテーマとして研究している。また、起業家精神育成を軸としたコミュニティを学内だけではなく、学外でも展開している。日経新聞電子版COMEMOのキーオピニオンリーダー。

※所属や所属名称などは執筆時点のものです。

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