働く人が決める時代へ ~複線的・弾力的にキャリアルートを選択できる環境が人材を惹きつける~
目次
はじめに
転職があたり前の時代になっている。総務省の労働力調査では、転職希望者は2023年平均結果で1,000万人を突破。売り手市場が続きこれまで以上に転職が身近で手軽な存在になったこともあり、会社組織と働く個人のパワーバランスが変化している。
企業は構造的な人手不足を抱え、若手人材の獲得・定着を第一目的に、ベースアップを行う企業も珍しくない。一方で、働く個人にとっては転職へのハードルが下がり就業スタイルの選択肢も多様化した。一つの会社組織に依存することなく 、自らキャリアを切り開こうとする「キャリア自律」の考え方もじわじわと広がっている。働き方・キャリア形成を決める主体は今、会社から個人へと移りつつある。
変化が大きく先が読めないVUCA時代 。人生100年時代と謳われ、自分自身でキャリアを積み上げていく必要性が高まる今の時代に、求職者はどのような意識でキャリアを選択するのか。また、採用競争が激しくなる中で、企業のどのような人事施策が人材を惹きつけるのかを考えたい。
異動が転職を考えるきっかけに
かつては出世への登竜門
人事異動は一般的に、会社都合で行われる。かつては、個人にとって望まぬ職種・部署・エリアへの転換であっても、出世への”登竜門”として受け入れられるケースが少なくなかった。
企業側に偏っていた人事・キャリア開発の主導権は、終身雇用の見直し、在宅勤務や副業といった就業スタイルの多様化とともに変化。共働き世帯の増加を背景に、性別を問わず仕事と私生活のバランスを重視する考え方も浸透しつつある。
構造的な人手不足も相まって、転職(人材の離職)のきっかけにもなる『異動・転勤』のリスクを企業側が無視できない空気も漂う。
若年層は転勤に消極的
特に、 若年層は転勤に対して消極的だ。 2025年卒大学生就職意識調査では、「行きたくない会社」として『転勤の多い会社』が2018年卒以降右肩上がりで増加。直近の2025年卒では30.3%となり、初めて3割を超えた。【図1】
職業経験がない学生にとって、転勤は単に「場所的な移動」と捉えられている可能性もある。それでも、自らキャリアを積み上げたいという志向は強く、会社都合の人事が自分のキャリアを左右することにネガティブな反応を示す傾向はあるといえるだろう。
主体的に異動できる社内公募制度
プラスに影響する社内公募
年代を問わず脱・組織依存型の就労意識も徐々に広がる中で、企業側が社員のキャリアプランに寄り添い、尊重しようとする人事施策や配置転換の仕組みが広がってきた。
異動に関して興味深いデータがある。転職動向調査2024年版の「応募へプラスに影響する施策・制度」では、2024年度調査から聴取を開始した『社内公募制度』が86.0%でトップとなった。【図2】
社内公募制度とは
社内公募は、社員が自ら希望する職種や部署に応募できる制度だ。応募者は社内の選考プロセスを経て、採用された場合は異動や昇進ができる。
この制度のメリットは個人・組織双方にあり、社員は自分の興味や能力にマッチした仕事に挑戦することでスキル向上や自己実現が可能になる。同時に、会社にとっては組織の柔軟性と創造性を高めることにつながり、社員同士が異なる環境で交流することを通じて新たなアイデアを模索できる。
ジョブローテーションとの違い
社内公募制度と同様、組織内で配置を転換する仕組みとして、ジョブローテーション制度がある。一定期間ごとに部署や職種を変更することにより、社員にさまざまな経験とスキルを習得してもらうことが主な目的で、メンバーシップ型雇用を行う日本企業に広く取り入れられてきた伝統的制度だ。
転職動向調査2024年版をみると、「応募へマイナスに影響する施策・制度」で『ジョブローテーション制度』は31.9%となり、上位3項目に入った。一方で『社内公募制度』は14.0%で全項目の中でもっとも低く、マイナスの影響は小さい。【図3】
個人が主体か、組織が主体か
社内公募制度との大きな違いは、転換を決める主体。社内公募制度が自ら手をあげるかたちで関心ある分野へ挑戦するのに対し、ジョブローテーションは個人のステップアップに向けた経験の蓄積を見据えて会社主導で行われるケースが多い。
同じ転換の仕組みであっても、個人主体か、組織主体かの違いで大きな差が出た。この結果からも、仕事内容や働く環境を自身で選択したいというニーズがうかがえる。社内公募制度の仕組みは、会社組織に依存することなく、自らキャリアを切り開こうとするキャリア自律の考え方にも通ずる。
キャリア自律に通ずる施策事例
生活の変化に柔軟な限定正社員
主体的に働き方を選択できる制度は多様化している。その一つが「限定正社員制度」だ。勤務エリア・仕事内容・勤務時間などを限定した正社員として働けるのが特徴で、転勤・職務変更・残業がないことによって子育てや介護など私生活との両立もしやすい。
転職動向調査2024年版「応募へ影響する施策・制度(プラス)」では、『多様な雇用形態の選択が可能な制度(特定地域の限定正社員など)』は77.5%で、男女とも年齢が高くなるにつれて上昇。生活状況の変化が激しいミドル世代にも支持されていることがうかがえる。【図4】
この制度を取り入れる企業の中には、ライフステージの変化に合わせて、キャリアの途中で限定正社員になったり解除できたりが可能な会社もある。
限定正社員の仕組みがあることにより、描くことができるキャリアルートの選択肢が増えるだけでなく、それぞれのルートに奥行きが生まれライフステージの変化にも対応しやすい。複線的で弾力的なキャリアルートを確保できることは、働く側にとって大きなメリットになるだろう。
ジョブ型や副業も時代とともに普及
- ジョブ型人事制度
- フレックスタイム制度
- リモートワーク制度
- 週休3日制
- 副業・兼業制度
ほかにも、上記のような制度が時代とともに台頭した。これらは働く人が就業スタイルや環境を自ら選択しやすい制度として、今や自治体や中小企業にも広がりを見せている。これらの制度に共通点がある。
- 個人が働き方を選択できること(選択権)
- 自らでキャリアパスをコントロールしやすいこと(主導権)
この2つの主体性要素があることで、将来のライフプランの見通しが立てやすくなり、変化に対して軌道修正もしやすい。VUCA時代にキャリアを築く上では欠かせない要素だろう。
変化に強い自己選択の権利
給与がすべてなのか
激しさを増す転職市場でフォーカスされやすいのが給与だ。転職活動における行動特性調査2023年版をみても、転職活動における現在の勤務先決定理由は「給与が良いこと」がトップ だった。【図5】
さらに社会全体の賃上げの気運とともに、求職者が賃金を重視する傾向は高まっている。企業側もその必要性を認識しており、企業の雇用施策に関するレポート2024年版では、7割以上の企業が2023年に賃上げを実施し、2024年にも予定しているとした。【図6】
給与は、働く人にとって目に見えるモチベーションリソースであり、就業先を決める上で判断しやすい指標であることは間違いない。だが、果たしてそれがすべてだろうか。
キャリア構築に欠かせない中長期視点
働く個人にとって、転職時点の給与が高いことは”現在の処遇への不満”という一時的な課題を解消することはできるかもしれない。ただ、収入への満足感が継続して保たれるとは限らず、将来にわたって段階的に昇給できるかどうかはまた別の話だ。
転職活動における行動特性調査2023年版では、転職者の半数以上が今後1年以内の再転職意向を持っているという結果もある。【図7】
転職活動は今の仕事と並行して進められるケースが多く、新しい環境・仕事に順応するにもある程度の労力と時間を費やす。転職が手軽で身近になったとはいえ、就業者心理としては、短いスパンで転職を繰り返したくはないという意識もあるだろう。
その意味でも、転職直後だけでなく、その先にある仕事の在り方やライフプラン全体を踏まえた広い視点で見通すキャリア構築の考え方も欠かせない。目先の「現在」だけでなく、今後長く続く「将来」の充実も念頭においた時、キャリア形成を自律的に行うことができる環境かどうかは大きなポイントになる。
未来志向で捉える若者のキャリア観
株式会社産労総合研究所『新社会人の採用・育成研究会』が毎年発表している新入社員のタイプで、2024年新卒は「新NISAタイプ」と称される。自分の未来は自分で築く。目標とする未来が定まれば、自分なりに情報を集め、セレクトして歩き始める―。そんな様子を表しているという。この言葉からも、未来視点で目の前の仕事や所属組織を捉え自らキャリアを描こうとする就労観がにじむ。
流れに身を任せることができない時代。なおかつ自身のライフステージの転機がいつやってくるのか予測もつきにくい。あらゆる変化に備え、将来を見据えようとする時、社内公募制度や限定正社員制度のベースにある“働く人自身が選択できる権利”の存在感は増すだろう。これから先何十年と働き続けるであろう20代30代の若手世代にも、自己選択権は相性が良い。
まとめ
転職の活発化は、働く人に現在の働き方を見つめ直す機会と、将来のキャリアへの選択肢を与えた。政府が掲げる人生100年時代構想では働く個人にもキャリア開発の自律性が求められ、脱・組織依存の意識も徐々に広がる今、会社主導の人事は変化の時を迎えている。
給与が注目されがちな転職市場だが、人材を惹きつける要素は高水準の初任給やベースアップだけでない。そもそも賃金は企業規模によるところが大きく(※)、継続的に高い賃上げを行うには限界を感じる企業もあるだろう。
その中で採用競争を戦い抜くためには、給与条件を補い、時に凌駕できるような差別化が求められる。そこに、個人の主体的なキャリア形成を可能にする制度が秘める可能性は大きいだろう。単に組織の外からの若手層を取り込むことにつながるだけでなく、組織内で中長期的にキャリアを築く活躍人材を育むためのエッセンスにもなり得る。
たくさんの施策を取り入れる必要はなく、画期的である必要もない。どんな制度であれ、重要なのは、働く人の選択権・主導権の2つの要素が備わり、複線的かつ弾力的なキャリアルートを描きやすいかどうかだと思う。その第一歩として、働く個人に視点を移し、自社の文化にマッチした仕組みを再構築しようという柔軟な姿勢を持つことが、いま企業に求められる。
キャリアリサーチLab研究員 宮本 祥太
※厚生労働省令和5年賃金構造基本統計調査(概況)
企業規模別に賃金をみると、男女計では、大企業 346.0 千円、中企業 311.4 千円、小企業 294.0千円。企業規模別賃金格差は大企業を100とすると、中企業が90.0、小企業が85.0。(常用労働者1,000人以上を大企業、100~999人を中企業、10~99人を小企業)