セルフ・コンパッションとは~ストレスを克服し、心の健康を保つ方法~
仕事をする中で、さまざまなストレスがのしかかり、重圧を感じることがあります。また、自己批判や完ぺき主義に陥ることもあるのではないでしょうか。そのような状況において、心の健康を保ちながら、効果的に仕事をするための能力が必要です。近年、特に注目されているのが「セルフ・コンパッション」です。
セルフ・コンパッションとは、自分自身に対して優しく接し、失敗や困難なことがあっても、思いやりの心を持ち続けることを指します。セルフ・コンパッションは、自己批判を和らげ、精神的なバランスを維持するのに役立ちます。
本コラムでは、セルフ・コンパッションの要素、自尊心との違い、その効果、そしてセルフ・コンパッションを高める方法について解説します。
目次
セルフ・コンパッションとは何か
セルフ・コンパッションとは、困難や失敗に直面した際に自分自身に優しく接することで、3つの要素から成り立っています。
セルフ・カインドネス(自分への優しさ)
セルフ・カインドネスとは、自分を厳しく責めるのではなく、困った状況でも自分に対して優しく接することです。たとえば、業務上のミスをおかした際、「これは成長の機会だ」と自分を励ますことで、前向きな姿勢を維持することができます。このような態度は、ネガティブな感情に圧倒されることなく前向きに対処する力を育んでくれます。
コモン・ヒューマニティ(共通の人間性)
コモン・ヒューマニティとは、失敗や困難は誰にでもあるものだと理解し、自分だけが苦しんでいるわけではないと認識することです。たとえば、プロジェクトがうまくいかなかった時、「他の人も同じような失敗をすることがある」と思うことで、孤独感が和らぎ、前向きに捉えることができます。この認識は、他の人への思いやりを深め、より健全な人間関係を築く土台となります。
マインドフルネス(今を受け入れる態度)
マインドフルネスとは、今この瞬間をありのままに受け入れ、感情のバランスを保つことです。怒りや悲しみを感じた時、その感情を否定せずに、「今、私は怒っている」と認識し、その感情をじっくり見つめます。ネガティブな感情に飲み込まれずに冷静に状況を判断し、適切な行動をとることができます。
セルフ・コンパッションの3要素は互いに関連し合っており、バランスよく実践することが大切です。
セルフ・コンパッションと自尊心は違う
セルフ・コンパッションと自尊心は、よく混同されますが、両者には違いがあります。自尊心は自分の評価が高いことを意味し、他の人と比べて自分が優れていると感じることで自分の価値を見出します。一方、セルフ・コンパッションは自分の評価に頼らず、自分をありのままに受け入れる態度を指します。
自尊心は競争心に駆動されることがあり、成功や他者との比較によって高まります。たとえば、仕事で成功したり、他の人より優れていると感じたりすることで自尊心が上がります。逆に、失敗したり、他の人と比べて劣っていると感じたりすると、自尊心は揺らぎます。
それに対して、セルフ・コンパッションは競争心とは遠く、失敗や弱点も含めた自分全体を受け入れる態度です。失敗や困難な状況に直面しても、自分を責めすぎずに優しさと思いやりを持って接することで、心の安定を保つことができます。
セルフ・コンパッションには効果がある
セルフ・コンパッションにはさまざまな効果があることが実証されています。大きく分けて、ウェルビーイングの向上、自己成長の促進、人間関係の改善の3つに分類できます。それぞれの効果について、理由を含めて紹介しましょう。
ウェルビーイングの向上
セルフ・コンパッションは心の健康を向上させます。ストレスや不安、落ち込みに対して強い抵抗力を持っています。これは、自分を責めすぎずに、肯定的に受け入れることで、心の安定を得ることができるためです。
大学生を対象にした調査によって、セルフ・コンパッションが高い人は幸福感を覚えており、楽観的で、ポジティブな感情を抱いていることが明らかになっています。複数の研究を総合的に分析した結果においても、セルフ・コンパッションが高い人は、より高い幸福感を持っていることが示されています。
職場においても、セルフ・コンパッションが高いと、仕事のストレスをよりうまく管理し、バランスのとれた職業生活を送ることができます。たとえば、プロジェクトが失敗した場合でも、自分を責めすぎることなく、次のステップに向けた建設的な取り組みを行うことができます。
自己成長の促進
セルフ・コンパッションは、学習と自己成長にも役立ちます。自分を責めすぎずに、自分自身を理解することで、失敗を学びのチャンスと捉え、前向きに行動をとることができます。
教育分野での調査によると、セルフ・コンパッションが高い学生は、試験に失敗した後でも自分の能力を信じ続け、次の試験に向けて効果的に準備する傾向があることが分かっています。この調査では、セルフ・コンパッションが高い学生が失敗をより建設的に捉えることを明らかにしました。
また、心理学的な実験により、セルフ・コンパッションが高い人が、失敗や逆境に直面した際、より早く立ち直り、学びを次に活かす傾向があることが示されています。実験では、参加者に失敗体験を思い出させ、その後の感情と行動を観察することで、セルフ・コンパッションの効果を評価しました。その結果、セルフ・コンパッションが高いほど、失敗を個人の欠点としてではなく、成長のチャンスとして捉えることができるため、自己成長につながることが確認されています。
たとえば、職場でプレゼンテーションがうまくいかなかった場合に、セルフ・コンパッションが高い人は、その失敗を分析し、次回のプレゼンテーションに向けて改善策を考えることができます。自分を責めるのではなく、学びの機会と捉えることで、持続的な成長が期待できます。
人間関係の改善
セルフ・コンパッションは、人間関係の質を向上させる効果もあります。自分に対して思いやりを持つことで、他の人にも同じような態度で接することができ、より健全な人間関係を築くことができます。
セルフ・コンパッションが高い人は、人間関係においてより高い共感と支援を示すことを明らかにした研究があります。研究では、参加者のセルフ・コンパッションと人間関係の質を調査しました。結果として、セルフ・コンパッションが高い人は、他の人の感情にも敏感で、より支援的な行動をとることが見えてきました。
また、介入実験により、セルフ・コンパッションを高めることが、自分を責めすぎる傾向を減らし、他の人との関係においてもプラスの影響を与えることが確認されています。このことを踏まえると、たとえば、職場でのプロジェクトにおいて、セルフ・コンパッションが高い人は、他のメンバーの意見や感情を尊重し、協力的な姿勢をとるでしょう。チーム全体の成果を向上させることもできます。
セルフ・コンパッションを高める方法
セルフ・コンパッションは、生まれつき変わらないものではなく、後天的に高めることができます。ここでは、セルフ・コンパッションを高める具体的な方法として、「2つの椅子エクササイズ」と「思いやりのトレーニング」を紹介します。
2つの椅子エクササイズ
「2つの椅子エクササイズ」は、自分自身を批判的な視点と思いやりのある視点の2つから捉えることで、セルフ・コンパッションを育むことができる方法です。この方法を用いることで、参加者が自分を責めすぎる思考を減らし、セルフ・コンパッションを高めることが確認されています。たとえば、次の流れで実践してみましょう。
- 2つの椅子を向かい合わせに置きます。
- 最初の椅子に座り、自分を批判する立場になります。たとえば、「仕事でミスをしてしまった自分」について、厳しい言葉で自分を責めます。
- 次に、もう一方の椅子に移動し、思いやりのある立場になります。批判された自分に対して、優しく励ましの言葉をかけます。たとえば、「ミスは誰にでもあること」「失敗から学ぶことができる」といった言葉をかけます。
- 2つの立場を交互に繰り返し、自分を責める気持ちと自分を思いやる気持ちの両方を体験します。
実験においても、参加者が2つの椅子に交互に座り、一方の椅子では批判的な自分として、もう一方の椅子では思いやりのある自分として対話を行いました。結果的に、参加者のセルフ・コンパッションが高まりました。
思いやりのトレーニング
思いやりのトレーニングは、自分自身だけでなく、他者に対しても共感と思いやりの心を育てることで、セルフ・コンパッションを高める方法です。実際に、トレーニングを8週間実施した研究において、参加者のセルフ・コンパッションと他者に対する共感が向上し、人を助ける行動が増加したことが確認されています。たとえば、次の流れで進めることができます。
- 静かな場所で、リラックスした姿勢で座ります。
- まず、自分自身に対して思いやりの気持ちを向けます。「幸せでありますように」「健康でありますように」などと優しく語りかけます。
- 次に、家族や友人などの身近な人を思い浮かべ、その人に思いやりの気持ちを送ります。「あなたが幸せでありますように」と考えます。
- さらに、知り合いや同僚、見知らぬ人、そして自分と対立する人にも思いやりの気持ちを広げていきます。それぞれの人に対して、幸せを願う気持ちを送ります。
- 最後に、「すべての人が幸せでありますように」とすべての人々に思いやりを向けます。
このトレーニングは、最初は5分程度から始め、慣れてきたら10分、15分と少しずつ時間を延ばしていくといいでしょう。思いやりのトレーニングを通して、自分だけでなく他者の苦しみにも敏感になり、より健全な人間関係を築くことができます。
自分にも他者にも思いやりを
セルフ・コンパッションは自分自身に向けられる思いやりですが、それは他の人への思いやりと切り離すべきではありません。自分に優しく接することができる人は、他の人の苦しみにも敏感で、思いやりの心を持つことができます。逆に、他の人への共感性が低い人は、自分自身に対しても厳しくなりがちです。
セルフ・コンパッションを実践する際は、他の人への思いやりを忘れないようにすることが大切です。たとえば、自分の失敗に対して優しく接するだけでなく、同僚が失敗した際にも理解と支援の姿勢を示すことが求められます。また、自分の苦しみを和らげるためのセルフケアを行う一方で、他の人の困難にも目を向け、支援の手を差し伸べたいところです。
自分と他者へのコンパッションのバランスを保つことで、より健全な人間関係を築くことができます。自分にも他の人にも優しく接することができる人は、職場において、より良い人間関係を築き、ストレスの少ない環境を作ることができるでしょう。
セルフ・コンパッションは即座に獲得できるものではありませんが、日々の小さな実践を積み重ねることで、徐々に自然と身についていきます。大切なのは、自分なりのペースで取り組むことです。自分に対して優しく接する習慣をつけることで、全体的な職業生活の質が向上すると考えられます。
内向きに終わらないことが大事
セルフ・コンパッションは個人の心の健康と幸福において重要な役割を果たしますが、職場において、その効果を最大限に活かすためには、内面で終わらせずに行動に移すことが求められます。
セルフ・コンパッションは、自分自身に対する優しさや理解を持つことで、失敗や困難に直面した際にも前向きな姿勢を保つ助けとなります。たとえば、うまくいかないことがあっても、自分を責めずに「誰にでも失敗はある」とポジティブに受け止めることができます。
しかし、それで終わってしまっては、失敗を次に活かすことができません。そこで大事なのは、セルフ・コンパッションによって得たエネルギーを行動に移すことです。失敗の原因を分析し、改善点を見つけ出し、次に同じ問題に直面しないようにするのです。
セルフ・コンパッションを内面に閉じこめるのではなく、外向きの行動に結びつけることで、個人の成長やパフォーマンス向上につながります。職場においては、セルフ・コンパッションを介して得た洞察をチームメンバーと共有することも有効でしょう。
著者紹介
伊達洋駆(だて ようく)
株式会社ビジネスリサーチラボ代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。